いつだったか、トレセン周囲での走りで転けて。
その時の傷が、Apple Watchに残されているのだけど、そこをね。
隠しつつの、だ。
時計をする習慣がなかったのが、いつの間にかするようになっていて。
iPhoneを車に置き忘れ電車に乗ろう、という場面があったのがきっかけだったな。
スマホ持ってないと、この世に存在してないみたいな、そんな風情。
メールもチャットも電話もメモやらなにやら、すべてがそこにある、という錯覚。
すべては、何も持たずにあなたの中にあるよ、いや、あなたそのものがすべてだ、という言い方もできる。
のだけれど。
家に引きこもっていたらどうだろうな。
あるいは、山の中での一人暮らし、とか。
昨日、静岡市の交通政策課という行政の方との懇談。
オクシズ、ま、安倍奥に住んでらっしゃる方々への、街からのサポート?支援?
そんな政策をさまざま考えてます、というようなもので。
政策、対策、施策、計画、プロジェクト、いろいろな言葉、あるけれど。
そもそも、その目的ってなんだっけ、その目的、といったときの前提条件ってのはなんだっけ。
みたいなこと、あるんだよな。
海賊由来の文明圏では、あの土地のあの食物を奪っちゃおう、そのためにはどんな政策が効率的か。
とかね。
農耕・狩猟由来の文明圏では、どうだろう。
どうもね、西洋文明の終わりの始まり、という括りの中では、いろんなことが、その根底の考え方からもう一度。
考え直してみますか、って感じだな。
神道では禊(みそぎ)なんてのあるよね。
まさに、身を削ぐ、と読ませるわけだ。
そんな具合に、身に心に染みついた考え方、感じ方を削ぎ落とし、とね。
たぶん、そんなタイミングでもあるのかもな。
このパンデミック由来の分断はじめ、さまざま起こってきたことは。
そんなことを告げてくれているのかもな。