と車窓から声をかけたら、オタクも、と帰ってきた朝。
いつもの八百屋の大将が市場へ出かける間際だな。
その前には、話せば長くなる、こちらもご近所の女性と遭遇、同じく、おはようございます、とね。
小学校の頃なら、信じられない光景だよな、我が身を振り返ってみて。
とても、ご近所の人への声掛けなんてのは、考えられず、それが、今では。
喫煙ルームでの見知らぬ人への声かけ、ってことだ。
声、とか、言葉、笑顔、とか、不思議なもので、一瞬でその場が変わるんだよね。
それまでは、むくつけき、人生の何に怒っているのか、くらいの顔つき、風情を醸し出し、の御仁が。
破顔一笑ってなもんだ。
おいおい、俺と似たようなもんじゃないか、ってわけだ。
というのが、楽しくてね。
それとか、道ゆく人。
ロダンの考える人を気取っているのか、あるいは、鬱屈した心情を携えているのか、なんて風情の通行人。
わりとデフォでしょ、それがそれが、だ。
たった一言、おはようございます、で、それぞれに応じた返しがやってくる瞬間、あれ、好きなんだな。
ところで、マスクは任意、という合唱、掛け声、下達、ま、とにかく、自由にしてね、という。
昔では、高札にお触れが出たんだけど、道ゆく人は、安心安全なのか、相変わらずのマスク生活が多く。
ということを嘆きたいんじゃなく、コロナ出始めの頃、自分の頭で考えてね、と社員みんなに。
なんとか支援金も添えての手紙、書状、それこそ、高札みたいなもの、送ったこと、思い出しているんだ。
自分で情報をとってね、と。
だから、今に至るも、それぞれの情報の取り方で、それぞれの対応をしているとも言えるか、わが社。
いずれにしても、自分の人生だ。
誰にも代えが効かないことだけは確かだ。
そんな具合に、多くの人人人が、この世、と呼ばれる世界を生きている。
なんてことが浮かんだ朝、恒例の珈琲、お披露目は、コロンビア、サン アグスティンだ。
ついでにアロマは、tee tree。