まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

何もかも変わったね

2017年10月23日 | Weblog

雨の合間に、母親を連れて投票所へ。

僕の方は、期日前投票なんだけど、たまには、変化、刺激があってもいいか。

というわけで、車に乗せて行ったわけだ。

昔、って、今でもか、子供相撲をやるお宮さん、そこに改築、いや新築か。

なった保育園、その姿が、彼女の中では、表題の言葉として登場したことになる。

入館前、昔からの知り合いの、ご近所さんと久しぶりに出会い。

懐かしいね、と肩抱き寄せてお互いの名前を確認してもいて。

いきなり、本日のミッションは成功、という光景だった。

どうしたらいいか、というので、ひらがなで書けばいいんじゃない、と付き添いながら。

無事、投票行動は完了。

選挙結果は、各マスメディアの予想通りなのか、最後まで見てないけど。

そのことについての論評は、各所で語られるのだろう。

ところで、今朝の巴川は、少々増水気味で、とうとうと流れ、という風情だった。

屋上でウォーキングをしながら眺めた、昨日の巴川には、川鵜が三羽、流れに乗りつつ浮かんでいて。

しばし、見入ってしまったんだけど。

骨ストレッチをしていると、スズメがベランダにやってきたりね。

朝の巴川は、鳥たちがさまざまな姿を見せてくれる。

今朝の冷気、川風とも言えない空気の流れから、いつもと違う匂いが漂ってきた。

雨と風に打たれた草木の匂いか。

この時間、なかなか、いい風情でね。

昨日も触れたか、池川さんの対話本、「あの世」の本当のしくみ、ね。

その中に、こんな文章があった。

《親や先生のいう通りにすると褒められる。そういう報酬系の神経回路》

というのね。

その報酬としてドーパミンが出て、その中毒性はものすごく強力で、と続く。

かの高倉健さんにも、「ほめられたくて」だったか、そんな著作、あったよね。

このあたりが、やばいんだけど。

このところから解放されると、とても、気分が落ち着き、その瞬間瞬間の。

自分の才能、判断、解釈がごく自然に、誰に気兼ねすることもなく、でてくる。

毀誉褒貶から自由になる、という言い方もできるか。

怒りやら悲しみやらの感情が、ただ、それが通り過ぎるのを見送る、確認する。

ということで、一件落着、一幕を下ろす、というようなもので。

瞑想の時に、いわゆる雑念なるものが、通り過ぎるのを、空を流れる雲を見送るように。

というのが、一つの考え方でもあるんだけど、それに似てるかな。

この心ぐせ、ってのが、なかなか手強くて、つまり、ほめられたくて、というのね。

何かやった時、ちらっと誰かの視線を探す、という。

何もしなくても、できなくても、ただ、息をしてそこにいる、ある、だけで、OKです。

というのが、命そのものなんだけど、それで、全然構わないんだけど。

理想的にはこうでああで、あなたの天命、使命がこうでああで、みたいな。

ある意味、世迷いごとのような言説が、この地上には溢れ、漂い、ツンツンと命を刺激しにやってくる。

くらいか。

もういいじゃん、ベタで、まんまで、なんだけどね。

報酬系の神経回路、というフレーズから、ここまで流れてきちゃったね。

そろそろ、巴川で朝の鳥たちの仕事が始まりそうだ、こちらもルーティンに向かうとするか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする