まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

ゾーンに入ると不意の来客にたじろぐ

2017年10月07日 | Weblog

昨日、訪ねてくださったのが、畏友からの紹介の保険屋さん。

帰社早々に、それこそ、不意に訪れ、という感じだったので。

なかなか、その空気に入ることが難しく、いつでも、今ここ、と言ってる割にはね。

ドル建ての保険、興味ありますか、と彼女の上司と共におっしゃるので。

興味ないんだよね、と答えた。

通常業務なら、それなりに、大人の会話、ってやつだったんだけど。

そこはそれ、ゾーンに入り込んでいて、無駄なもの、削ぎ落とし、みたいなね。

もし、あの時間が、一期一会で、二度と会わない、とすれば、業務日誌に。

彼女たちは、なんのタレべえ、人付き合いが悪く、冷たい人間、くらいのコメントを残し。

そのうち、その履歴書は、机の隅に埋もれ、という運命の、ファーストインプレッション。

だったんだろうな、と。

もっとも、趣味はなんですか、という問いかけがあったので、骨ストレッチと瞑想です。

と当方、のたまい、あれこれと語りもしたので、そこはそれ。

業務とは別の展開になったんだけど。

ところで、瞑想ね、このところ、神門(しんもん)瞑想とフルフィルメント瞑想、ってのを混ぜっこにして。

毎朝の30分を楽しんでいる。

神門というのは、両耳の上側を引っ張り、そうすると、仙骨がたつ。

それをしてから瞑想に入る、というものなんだけど、ある解釈によると。

仙骨は、神骨ともいうらしく、常に、微細動をしているというんだね。

そこが、その瞑想によって、目の後ろ側にある、蝶形骨を刺激し、松果体の活性化を促す。

と、一応、そんなウタイになってる。

ご興味ない方は、なんだそれ、だろうと思うけど、カラダの摩訶不思議さに魅せられている当方としては。

実験の価値あり、という言説なんだよね。

そういえば、昨夜、来訪された女史によれば、NHKのスペシャルで。

人体、っての、やってるらしいね。

脳の指令で動くのでなくて、各部の器官の連携でカラダは動く、なんて話、出ていたな。

ちょうど、この瞑想がらみで、カラダの動いた0.5秒後に脳が認識し、そのさらに0.5秒前に。

仙骨が動いてる、なんて話があって。

脳に対する過剰な信頼、というのか、依存、というのか、脳が自分である、みたいな錯覚、幻想ね。

そんなところに、ストレスフルな社会、なんて認識が存在もし。

ってわけだ。

そもそも、脳は、それほどのもんじゃないぜ、くらいに到ればいいんだろうけどね。

IQがなんぼで、頭が良くて、なんとかかんとか、って言説ね、今現在のこの社会を成立させるためには。

それなりの効果効能もあるんだろうけど、それさえ、そこここで、氾濫が起きつつある、というね。

NHKで、そんな特集、組むわけだよ。

というのも、昨日は、特別支援学校というところへお邪魔し、生徒さんの立ち居振る舞いを見学。

というイベントに参加してきたんだけどね、そのあたりね、ベタに感じてきてもいて。

個人と社会、とでもいうのか。

そもそも、社会がなけりゃ、個人は成り立たない、みたいな風情になったのは、何年くらい前からかね。

縄文期には、個人というものが、限りなく共同体に近づき、つまり。

現代のような個性、が薄弱で、共同性の中に混じる個性、くらいの位置だった。

なんて言説もあり、でね。

共同性とか社会とかなんてのは、頭の中からの産物で、たしかに、頭過剰な、になるのも宜なるかな。

ってことだね。

明日は、って、明日は永遠に訪れず、なんて言ってる割には、そんな言葉、使っちゃってるけど。

おじおば会。

ショートステイからの久々の帰還なった母親を、妻が迎え、あれこれやの世迷い言、と言ったらかわいそうか。

ま、そんなコメントを、うまく受け流し、ということだったらしく。

という母親も交えた、わがプリウスでのしばしの旅、なのです。

 

コメント
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