昨日、訪ねてくださったのが、畏友からの紹介の保険屋さん。
帰社早々に、それこそ、不意に訪れ、という感じだったので。
なかなか、その空気に入ることが難しく、いつでも、今ここ、と言ってる割にはね。
ドル建ての保険、興味ありますか、と彼女の上司と共におっしゃるので。
興味ないんだよね、と答えた。
通常業務なら、それなりに、大人の会話、ってやつだったんだけど。
そこはそれ、ゾーンに入り込んでいて、無駄なもの、削ぎ落とし、みたいなね。
もし、あの時間が、一期一会で、二度と会わない、とすれば、業務日誌に。
彼女たちは、なんのタレべえ、人付き合いが悪く、冷たい人間、くらいのコメントを残し。
そのうち、その履歴書は、机の隅に埋もれ、という運命の、ファーストインプレッション。
だったんだろうな、と。
もっとも、趣味はなんですか、という問いかけがあったので、骨ストレッチと瞑想です。
と当方、のたまい、あれこれと語りもしたので、そこはそれ。
業務とは別の展開になったんだけど。
ところで、瞑想ね、このところ、神門(しんもん)瞑想とフルフィルメント瞑想、ってのを混ぜっこにして。
毎朝の30分を楽しんでいる。
神門というのは、両耳の上側を引っ張り、そうすると、仙骨がたつ。
それをしてから瞑想に入る、というものなんだけど、ある解釈によると。
仙骨は、神骨ともいうらしく、常に、微細動をしているというんだね。
そこが、その瞑想によって、目の後ろ側にある、蝶形骨を刺激し、松果体の活性化を促す。
と、一応、そんなウタイになってる。
ご興味ない方は、なんだそれ、だろうと思うけど、カラダの摩訶不思議さに魅せられている当方としては。
実験の価値あり、という言説なんだよね。
そういえば、昨夜、来訪された女史によれば、NHKのスペシャルで。
人体、っての、やってるらしいね。
脳の指令で動くのでなくて、各部の器官の連携でカラダは動く、なんて話、出ていたな。
ちょうど、この瞑想がらみで、カラダの動いた0.5秒後に脳が認識し、そのさらに0.5秒前に。
仙骨が動いてる、なんて話があって。
脳に対する過剰な信頼、というのか、依存、というのか、脳が自分である、みたいな錯覚、幻想ね。
そんなところに、ストレスフルな社会、なんて認識が存在もし。
ってわけだ。
そもそも、脳は、それほどのもんじゃないぜ、くらいに到ればいいんだろうけどね。
IQがなんぼで、頭が良くて、なんとかかんとか、って言説ね、今現在のこの社会を成立させるためには。
それなりの効果効能もあるんだろうけど、それさえ、そこここで、氾濫が起きつつある、というね。
NHKで、そんな特集、組むわけだよ。
というのも、昨日は、特別支援学校というところへお邪魔し、生徒さんの立ち居振る舞いを見学。
というイベントに参加してきたんだけどね、そのあたりね、ベタに感じてきてもいて。
個人と社会、とでもいうのか。
そもそも、社会がなけりゃ、個人は成り立たない、みたいな風情になったのは、何年くらい前からかね。
縄文期には、個人というものが、限りなく共同体に近づき、つまり。
現代のような個性、が薄弱で、共同性の中に混じる個性、くらいの位置だった。
なんて言説もあり、でね。
共同性とか社会とかなんてのは、頭の中からの産物で、たしかに、頭過剰な、になるのも宜なるかな。
ってことだね。
明日は、って、明日は永遠に訪れず、なんて言ってる割には、そんな言葉、使っちゃってるけど。
おじおば会。
ショートステイからの久々の帰還なった母親を、妻が迎え、あれこれやの世迷い言、と言ったらかわいそうか。
ま、そんなコメントを、うまく受け流し、ということだったらしく。
という母親も交えた、わがプリウスでのしばしの旅、なのです。