この前描いた海辺の絵を描き直すことにした。前回は用紙を横に使ったのを、今回は縦に使うことにした。横画面だと海辺の広さを感じられるし、縦画面だとモデルを大きく扱うことができるので、どっちもどっちで何が正解というわけではない。
ただ、縦画面にするに際して、空の部分に新たに雲を描き足すことにした。そうすることで奥行き感を出そうと思ったのだが、そのせいで少しドラマチックになったようだ。
「あちらを立てればこちらが立たず」という言葉があるように、なかなか思うような絵にはならない。もっともうまく行かないので次があり、それが面白いとも言える。
今読んでいる「本阿弥行状記」によると、寛永の三筆のひとりと呼ばれた光悦が書を始めたのは遅く、それまでは商人が書くような普通の字を書いていたという。それを同じ字を繰り返し書き、太く細く、濃く薄く、さまざまな工夫を加え、誰のものでもない私流の字を会得した。何事も始めるのに、遅いということはないというひとつの代表的事例だ。こういう話は、ジジイに勇気を与えるのである。
ただ、縦画面にするに際して、空の部分に新たに雲を描き足すことにした。そうすることで奥行き感を出そうと思ったのだが、そのせいで少しドラマチックになったようだ。
「あちらを立てればこちらが立たず」という言葉があるように、なかなか思うような絵にはならない。もっともうまく行かないので次があり、それが面白いとも言える。
今読んでいる「本阿弥行状記」によると、寛永の三筆のひとりと呼ばれた光悦が書を始めたのは遅く、それまでは商人が書くような普通の字を書いていたという。それを同じ字を繰り返し書き、太く細く、濃く薄く、さまざまな工夫を加え、誰のものでもない私流の字を会得した。何事も始めるのに、遅いということはないというひとつの代表的事例だ。こういう話は、ジジイに勇気を与えるのである。