おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

生きがい、やりがい

2020-01-02 10:08:47 | 日記

 元日の朝の散歩は、初詣がてら高屋敷神社まで歩いて行くことにした。距離にすれば往復で5キロ。のんびり歩いても1時間半ほどだ。

 かつての小学校跡地までやって来ると、テオの友達のケンくんがボール投げ遊びに興じていた。リードをしていないので、すぐにテオの元に駆け寄ってくる。ボーダーコリーのケンくんと仕草が似ているので、テオも洋犬の血が混じっているのかなと思う。

 今年の年末年始は、冷たい風が吹き荒れているので、初詣客も少なめだ。

 お参りをした帰り道、雑木林の向こうからご来光が差し始めた。

「今年も良い年になりますように」

 ところで、この前旅行した時、時間がたっぷりあったので、森博嗣さんの「道なき未知」というエッセイを買って読んだところ、いろいろ面白いことが書いてあったので、忘れないようメモしておいた。例えば、誰もが自分の道というのを探している。が、そんなものは見つからない。なぜなら、自分の道は探すものではなく、自分で築くものだからだ、と書く。当たり前のことだが、案外僕らは当たり前のことを忘れている。

 ほかにも生きがいややりがいについても書いてあって、なるほどと今更ながら納得した。登山家が「この山は登り甲斐があります」と言う時、それは普通よりも大変な道のりだぞという意味だし、目の前に出されたご馳走を前に「これは食べ甲斐があるぞ」と言う時、それは無理をしなければ食べ切れないほどの量だということを言っている。

 となると、「生きがい」というのは、生きて行くのが大変だぞ、「やりがい」というのは、やるのが普通よりも大変だぞという意味だ。ところが、世間の多くの人は生きがいややりがいを「生きやすさ」「やりやすさ」と勘違いしている。本当のところは、それは同意語ではなく、真逆の対義語なのである。

 年が明けると、多くの人は新年の抱負を掲げる。生きがいのある人生、やりがいのある仕事を希望する人も多いだろう。安易な人生、簡単な仕事はつまらない。

コメント
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