フィヨルドの変人 ~Odd person in fjord~

ぇいらっしゃ~い!!!

あるRPGシリーズの死 ~グランディアシリーズについて~

2020年07月25日 16時14分04秒 | ヲタネタ
まあ、久し振りのエンディング視聴を記念して手加減なしで本気で語ろうかと。好きなゲームは語ると長いぞ。

今現在Steam版をやっている(2週目のやりこみプレイ中)わけではあるのだが、ぬたりが過去にプレイしたRPGで最も好きな作品は「グランディア(初代)」である。これは他に比べるものもないくらい突出して好きである。
「初代」と書いたとおり、グランディアはシリーズ化されていて、ナンバリングタイトルは3まで、外伝的作品もいくつか発売されている。しかしながらナンバリング最新作の発売は2005年。以降ナンバリング作品は再販作品を除き発売されていない。

プレイステーションのファイナルファンタジー7に対抗してセガサターンはグランディアだ、と大々的に喧伝されて発売された初代作については、プレステやFF7との比較という意味においては敗北をしたわけだが、それでも多くのサターンユーザーの心を鷲掴みにしていた。実際その年のCESAゲーム大賞を受賞している(ちなみCESAゲーム大賞を受賞したサターンソフトはグランディアのみ)。
当時多く聞かれたこの作品評に「人間賛歌」がある。敵役は大型の飛行機や乗り物を使って世界を自由自在に移動しているが、主人公は基本徒歩で世界を西から東に移動している。機械に頼って移動した人たちではなく、どんなに深いダンジョンも、どんなに高い障壁も、自らの足で乗り越えた主人公が世界を結ぶ形になり、この行為そのものが多くを語るまでもなく最大の人間賛歌なのだ、と。
確かにそう言われて納得はできるのだが、この「人間賛歌」のキーワードがくせ者で、たぶんこれ開発側のキーワードの一つだっただけなんじゃないかと邪推する。当時を振り返るに、ぬたりがこの作品を面白いと思ったのは人間賛歌なんかじゃなかった。
ぬたりはこの作品に「冒険」を見出していたと思う。主人公自体が駆け出しの冒険者で、序盤から中盤は大それた思いとかはあまりなく「冒険をしたいから」旅をしている。遺跡があればその中には何があるのか、高い山があればその向こうには何があるのか、実際に見てみたいからという理由でそこに行く。ぬたりもそれに引っ張られていたような気がするのよね。主人公が冒険をグイグイ引っ張ってくれる感じ。だから最後の方は実は個人的には少し盛り上がりに欠けた。新しい世界を見るための冒険じゃなくて、ラスボスを倒すための冒険になったからね。終わりが見えちゃった。
そもそも言うまでもないが、ラスボスを倒してストーリーを綴るRPGにおいて、人間賛歌を謳わないRPGなんてたぶんない。かく言うFF7もそういうストーリーだったはず。感動のポイント自体は、実はありふれてベタだったと言えば言える。FF7はそれなりにストーリーに変化球を混ぜてはいたが、グランディアにそれはなく、割とど真ん中ストレートなストーリーで、驚きはそんなにないのかも。そのど真ん中を照れずに丁寧に語ったからこそ、響く人には響いたんだと思うな。それ以上に「ありがち」と思われちゃったのかもしれないが。
ともあれ得がたい経験をしたサターンユーザーにとっては当然続編を期待するところ。しかしファイナルファンタジーが7、8、9をプレイステーションで発売したのに対し、グランディアはセガサターンではとうとう続編が出なかった。そして時代は次世代機に移る。
ソニーに押されてサターンの販売がはっきり衰退したセガは、ソニーに先んじて次世代機「ドリームキャスト」を発売することになる。そしてこのキラータイトルの1つに「グランディア2」の名前があり、ファンは、と言うかぬたりは狂喜乱舞した。またあの世界に戻れると思えば体も軽やか。近くのゲームショップで限定版を予約してまで購入した。

で、ぬたりにとって、このグランディア2は分水嶺となってしまった。

面白いか面白くないかと言われれば、まあ面白いゲームであると言える。難易度はあいかわらずヌルめだけれども、ボリュームはたっぷりあるし、戦闘システムも練られていて工夫の余地はいくらもある。実際、ドリームキャストで発売されたRPGの中では有数の作品と言えると思う。
ただしそこまで。数ある優秀なRPGの中の1つ、という評価はできても歴史に残る有数の一本、という評価にまでは至らないというのが多くの人の本音だったんじゃあるまいか。俺がグランディアに求めるものはこんな程度じゃないんだぞ、という感じ。
簡単に言えば、グランディア2じゃないと体験できないものが少ない感じなのよね。キャラも割と類型的でどっかで見たことある感じ(金髪のショタ、心優しい大男、微かに覚えた感情に戸惑う少女型オートマタ等々)。せいぜい戦闘時に「これが欲しいんだろ!豚!」と言いながらハイヒールで敵を踏んづける特技を持つキャラが心に残るくらいか。いや、あれに関してはキャラも相まって実に素晴らしい要素だと思うが。
この作品のテーマもやはり「人間賛歌」だったみたいで、後半とかはそんな感じ。ただ繰り返し言うがストーリー型のRPGで人間賛歌のないものはそもそもほとんどない。その方向にストーリーを求めても、数あるRPGのワンオブゼムになるだけなんだけどね。あと、ありがち展開としてプレイアブルキャラが主人公達を逃がすために犠牲になって死ぬ。これもワンオブゼムな感じで、主要キャラを誰一人として殺さずに(反則的な場面も多々あるけど)ストーリーを紡いだ前作と比べるべくもない。ただ、前作でセガハード有数の大作RPGと大いに認知されてからのその続編製作という形なので、前作を発展拡大させようという意図は素直に伝わってくる出来ではあり、それなりの評価を獲得したことは事実。販売本数も20万本弱と前作から半分程度に大きく下げたが、ハードの普及台数の差もあるので(ドリームキャストは販売台数的には盛り上がらなかったし)、単純に比べられるもんでもないかも。いずれにせよ、セガハードユーザー希望の星であることは揺るがなかった。

ドリームキャストを最後にセガのゲームハード事業が終焉をむかえ、開発元のゲームアーツも会社的にも変革を経験し、開発スタッフの多くも退社していた。続編となる大作ソフトを作成するには微妙な会社体制とはなっていたんだが、そんな時期に開発の話が降って湧いたのがプレイステーション2で発売された「グランディア3」。そしてこれが事実上シリーズにとどめを刺した形になった。簡単に言えば大駄作だったわけ。
問題はいくつもある。消化不良と説明不足でわかりにくいシナリオ、感情移入できない、魅力のないキャラクター、棒読み過ぎる上に聞き取りにくい素人キャスト、広大さを感じられないワールド、戦闘システムの調整不足と後半部の敵の強さのインフレによる戦闘バランスの崩壊。問題点はあらゆる所に顕在化しており、熱狂的なファンが多かっただけに拒否反応はものすごいものがあった。元々一部のコアなファンが評価を支えていた部分のあったシリーズだけに、こういうファンの期待に応えられなかったのは残念だった。シリーズを知らない人の評価は全体的にはそれなりと言った感じではあるが、「グランディアってこんなもんか。大したことないな」で済まされてしまい、偉大な過去作への誘導を果たすこともできなかった。販売本数は25万本程度と前作より増えたが、それこそ当時のPS2の本体販売台数を考えれば、盛り上がり的には前作の遙か下。
この「3」。製作こそ会社は変わっていないのだが、販売に関しては実はあのスクウェア・エニックスが担っている。一説にはFFやドラクエの販売間隔が開くようになったことから、その谷間を埋めるため機種違いのライバルを取り込んだとも言われている。グランディアは散々「プレステだったら100万本を超えていた」とも言われていた(※)だけに、ことによったらスクエニも期待していたのかもしれず流通本数もかなり多かった印象。その体制からすれば25万本というのははっきり期待ハズレ。実際当時数多くのソフトがワゴンセールに突っ込まれていたのは覚えている。正直悲しかったな。
「鳥無き島の蝙蝠」とは言いたくないんだが、グランディアは1も2もセガハードの販売。ドラクエもFFもいない世界の話なので単純に比較できない部分があった。ところが3は同じハードで販売することになるから直接的な比較がされる。その際、ドラクエにもFFにもないもの、という点で相当に頑張らなきゃいけなかった訳だけれども、それは残念ながら目に見える形で表すことはできなかった。1で好評だった「冒険」に活路を見出した部分はあるようだが、それを引っ張る主人公のキャラ付けも、世界の広さの演出も、ともに失敗している。これでは多くの人にシリーズを印象づけられない。「大作RPGはドラクエとFFを待てばいい」と思われただけ。

何がナンバリングタイトルにとどめを刺したのかは、関係者でないぬたりには分からない。けれどもこの「3」を境にファンの間ですら話題に上らなくなったのは事実で、その後「グランディアオンライン」が開発されたが、いつの間にかサービスが開始されて終了している有様で、話題にすらならなかった。そして3の発売から相当な時間が流れた今となっては、もはや続編の発売はあり得ない。ゲームアーツのホームページを見ても、過去作の再販売の告知があるくらいで、新たなゲーム開発の情報はほとんど聞こえてこない(もちろんあれこれ開発は請け負ってるんだろうが)

長々と語ったけれども、ゲームのシリーズの死なんてありふれた話で、むしろ終焉を迎えたシリーズがほとんどで、長い間発売が継続されるシリーズの方が圧倒的に少ない。グランディアも流れだけ追えば「評判が良かった作品の続編作って失敗」ってだけで、こんな話はゲームに限らずいろんなジャンルで沢山起こっている。それを振り返ったところで大した意味はないし、いまさら続編とかFF7のようなリメイクとかは、今のゲームアーツの体制考えればむしろ出ない方が当時の思い出を壊されないからいい、というのが本音なんだけどね。実際、steam版もHD化してるとはいえベタ移植であるにもかかわらずバグが取り切れていない。もう当時の技術力はないと見たほうがいい。まあ当時のスタッフももういないだろうし。
でもまあ、ぬたりは忘れられない冒険を、このたった数千円のゲームソフトの中で体験して、その思い出は今後も一生持ち続けていく、ということ。
面白いゲームって、要はそういう経験なんだと思うな。テレビゲームやったことある人なら、そんなゲームの一つや二つあるんじゃなかろうか。呟いたところで詮無い新型コロナや政治の愚痴吐くくらいなら、みんなで面白かったあの頃のゲームの思い出でも語ったほうが有意義だと思いますよ。



散々言われたもんで、実はプレイステーションに移植されている。でも実売10万本程度なのではっきりと盛り上がりには欠けた。ただ、このプレステ版はグラフィックのリファイン等が行われていて、その後のダウンロード版とかの基礎になった。Steam版もセーブしようとするとメモリーカード選択画面が出るから、プレステ版のベタ移植ですねこれ。ソニーのゲームアーカイブス版の表示をHD化しただけだと思うな。
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働き動向よりも政治の話に得てしてなりがち

2020年07月18日 13時13分55秒 | 日記
先日ダムの本の話をしたところで、昨今テレビ辺りでも注目を浴びたダム計画がありますね。
熊本県の川辺川ダムである。
川辺川ダムは長い間ちっとも建設にこぎ着けられないダムとして、ぬたりの住む群馬県にある八ッ場ダムと並び称されて「東の八ッ場、西の川辺川」なんてかつては言われてましたね。
で、この川辺川ダムの下流域で、今回水害が発生し、ひょっとしたらダムがあったら防げたのでは、という話が出ているわけですね。川辺川ダムは多目的ダムとは言え利水目的が主眼のダムでもあったから、目的の一つはまさに水害防止だったわけだし。
で、ダム好きのぬたりの考えとすれば、ダム一つでどれだけ防げるものなのかねえ、という感じ。もちろん増水時にそこで水を貯められる訳だから効果は間違いなくあると思うが、どれだけ効果があるかと言うことになると、検証はちょっと骨の折れる作業になる。
昨年の台風時に、丁度試験湛水をしていた八ッ場ダムが一気に水をため込んだことは大きな話題になり、建設推進派や賛成派は「そらみたことか。水害防いだじゃないか」という意見を大々的に述べたもんだが、申し訳ないがダム一つの単独の動きでは効果自体はタカが知れてる。八ッ場のあれは見た目のインパクトだけで、そもそも本活用時は水をもっと貯めておかなきゃなんだから、あんなに一気に水を貯める活用は想定してない。
こう言うと反対派が「だから無駄な事業なんだよ」と言うけどもこれにも賛同できない。そもそも八ッ場が八ッ場がとばかり騒ぐのはまさに「木を見て森を見ず」でしかない。八ッ場ダムの利水活用は、利根川利水の一部を担う立場に過ぎず、八ッ場ダム単体の働きを述べるだけでは片手落ちでしかない。
利根川の利水に関しては、利根川9ダムと言われる、矢木沢、奈良俣、藤原、相俣、薗原、八ッ場、下久保、草木、渡良瀬遊水池の各ダムを連携させ、全体の水位を調整することこそ肝で、ダム一つがどうだという話では終わらない。冷静に眺めてみると、利根川本流(矢木沢奈良俣藤原)、赤谷川(相俣)、片品川(薗原)、神流川(下久保)、渡良瀬川(草木渡良瀬遊水池)と利根川とその大きな支流にバランス良くダムが配置されていることが分かる。そしてこれまで大規模利水ダムが存在しなかったのが吾妻川で、ここに八ッ場ダムができた。
だから、台風で利根川が氾濫しなかったことについては、八ッ場ダムの働きよりも、これらのダムの連携した働きの方が大きかったはず。目立つから八ッ場ばかりがニュースになるが、他のダムだってあの日は頑張ってたんだぞ。そっちはちっとも取り上げやがらねえんだから、ほんとマスコミってやつはもう…。
この話を川辺川ダムに置き換えれば分かるが、川辺川ダムで調整できるのは川辺川の水位だけで、川辺川は球磨川の支流の一つでしかない。だから水系全体の水位を見比べて、その上で川辺川ダムの能力を加味した上でダムがあったらどうなったかの結論を出さなければいけなくなるわけだ。この計算はそれなりに骨が折れると思うがな。ましてやダム賛成反対を一切排除して計算しようとするとなると、もっと難しくなるよね。
今回の水害で、川辺川ダムの建設の議論が再び起こることは想像に難くないけど、これに関しては熊本県内でよく議論をしていただくしかないかな、という感じで、ぬたりとすれば建設に賛成も反対もする立場にない。球磨川は水源から河口まで熊本県内で完結する川なので、受益者と建設で負担を強いられる人はどちらも熊本県内にいる人がほとんど。だからまずは県内で意見の熟成を行っていただければいいんじゃないだろうか。この辺りも八ッ場ダムとは違う点で、八ッ場ダムの受益者は下流の都県や市町村全てに及び、当時の都知事の石原さん辺りも大々的に建設すべきといっていたな。八ッ場の場合、民主党政権時には建設に反対する地方自治体は一つもなくなっていて、これを完全に建設中止できると思った辺りに当時の民主党の視野の狭さがあるな。どうせ首都圏あたりの活動家組織に乗せられて深く考えずにマニフェストに載せちゃったんだろうがな。
一方の川辺川ダムでは流域市町村も賛成反対入り乱れていたし、熊本県知事も建設には消極的だったから、悪い意味で計画が止まっていた状態。だから建設中止の鶴の一声を出せたことは(水害起こっちゃった今となっては微妙でも)成果としてアピールできるチャンスでもあったのにね。八ッ場のゴタゴタ(まあ、民主党政権は色々と他にもゴタゴタがあったが)でそんなの吹き飛んじゃったな。

ともかく、ダムというのは見た感じはコンクリートで川をせきとめただけに見えるが、裏では相当に深い働きをしてるわけです。八ッ場の所在県として建設賛成派反対派の意見を嫌と言うほど見せつけられたぬたりとすると、正直みんなホントに分かっていっているのか甚だ疑問なんですわ。ダムが好きであれこれと調べたぬたりとすると、役割や働きが複雑で、下手に良いも悪いも言えないよなあ、というのが正直なところなのよね。

だからまあ、今後もダムの巨大な堤体やらダム湖の風景などを、観光感覚で眺めて喜んでるのがいいかなあ、とは思いますね。ダムは形一つとっても色々と事情があって、そういうのを知るのも楽しいしね。実際群馬県はダムも多いし、バラエティも豊富だし、コロナが落ち着いたらみんな群馬にダム見にこんか? いろいろ見ごたえあるダムもあるよ。
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故郷に似た 大きな愛を

2020年07月13日 19時39分34秒 | 僕もうさだファンじゃ(殴)
ジャパネットが稲佐山で平和祈念音楽祭 さださん、新羅さんら出演 8月7日に無観客で(←リンク先はヤフーのニュース)

い、稲佐山で無観客・・・。贅沢なオープンセットだなおい。
まあ、稲佐山とコンサートとさだまさしの組み合わせとなれば反応せずにはおれないのがぬたりの定め。実際、さださんがテレビ出てもほとんど見ないし曲も買ってないから、冗談抜きでもうファンじゃないような気もする昨今ではあるけどな。さださん相手に身銭を切ってないもの。せいぜい受信料を口座引き落としでちゃんと払ってるくらいか(間接的にも程がある)
でもまあ、複数回「夏・長崎から」には行きましたから、それなりに語れることもあるわけで、さださんはそれなりの無茶をしてまでも8月6日に無料のコンサート続けたから、今になってこういう形で何らかの成果が出てくるわけなんでしょうな。「家族の誰かが留守番なんて事のないように入場料無料で」「でも出演者にギャラは払う」なんていう、もうホント無茶にも程があるコンサートを続けてて良かったねえ、という感じな。今度は流石にさださんギャラをもらう立場だろうし。
あの8月6日のコンサートに関しては、色々な経験をしたしいろんな思いもある。まあ、それを今更語ってもしょうがないのでそっちは語らないが、個人的に、長崎という観光地をぬたりに紹介してくれた事は最大の功績と考えている。
いわゆるさだ信者の方に批判されることをあえて承知で書くが、ぬたりは学もなく資格もない。性格も偏っているので会社で出世の目ももうない。言ってみれば生きているので精一杯でな。世界の平和だなんだと言われても、それを謳う活動に参加するとかそういう精神的な余裕はない。余暇時間は休息に当てるのがせいぜいの日々である。
そんなぬたりの当時の命の洗濯が長崎観光だった。食べ物も美味しい。調べれば調べるほど色々なものがあって楽しい。最後は地元の人ですら「どこよそこ?」というほどの所に行くようになってたが。長崎に行けば楽しい経験ができるんだ、というのは、大袈裟でなく、当時の生活の潤いだった気がする。
「夏・長崎から」及びその後継の「夏・まだまだ長崎から」の一段落と時を同じくするようにぬたりもしばらく長崎に行ってはいない。日々の潤いは違う形で補完できるようになっているわけだが、今でも「長崎に行けばきっと楽しい」という気持ちはなくなっていない。あそこの店に行けば美味しいものが食べられる。あそこにはこんなスポットがある。ぬたりの長崎訪問は10回以上を数えるからもはや地図なんかなくても歩ける。それはそれは心の安らぐ観光になるはずである。
今は猫もおり長時間家を空けられないから(正確には空けたくない)、長崎は観光地としては少々遠く、次いつ行けるかは完全に不透明。それでももし観光で訪れることができたら、その時は稲佐山公園の野外ステージの観客席の芝生に腰掛けて、しばらくはぼおっとしたいなあ、と思う。多分その時思い出すのは、2002年8月6日。初めて「夏・長崎から」に参加できて、落ち着かない気持ちで開演を待っている、若き日の自分なんだと思う。あれからもう干支一回りじゃすまない年月が流れ、ぬたりを取り巻く環境も変わった。それを実感する時間にしたいと思う。

随分遠くに来たもんだ、という思いと、それでも当時とちゃんと地続きなんだなあ、という両方の思いを噛みしめながら、ね。

追記
なお、さだファンの皆様におかれましては、当日は無観客開催にあえてしてるわけですから、会場近くに行けば声は聞けるんじゃないか、とかで、ゆめ、稲佐山公園には行かないようにお願いいたしますね。せめて長崎市内のホテルで、って事なら長崎にお金も落ちるからいいことだと思うけど、観客を想定してない山の中の公園に押しかけるのは迷惑ってだけじゃなくて危険でもあるからやめようね。イベント時しか知らない人はそんな感覚ないと思うけど、イノシシも出るからね、あそこ。
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水底の町

2020年07月12日 21時12分11秒 | 日記
こんなの買った。

ダムの本である。
ぬたりの住む群馬県において、昨今良い意味でも悪い意味でも話題を振りまいたダムと言えば八ッ場ダムであるが、とかくまあ、ダムというのは語るのが難しいジャンルでもある。
なにしろ推進派反対派ともに意見が尖りやすく、賛成ありき反対ありきの意見で語られてしまうので、ダムの面白さを語れば反対派からブーイング、八ッ場の試験湛水で台風で出た水を貯めたことが、本当に下流の水位に影響したのか冷静なデータ分析結果が欲しいなと言えば賛成派からクレーム。こんな感じだ。賛成するか反対するか、まずはどちらの立場なのか表明しろ、という感じ。
個人的には賛成とか反対じゃなくて、でかい堤体を見て「すげーなあ」とか「落ちたらと思うと怖い」とかの目線での話なんで、そもそも論点が違うのであるがね。ダム計画に積極的に良い悪いを論じる立場にはないんだよね。まあ、利根川からそんなに遠くもないところに住んでいるもんで、洪水予防になるのならあってくれても邪魔にはなるまいと思ってはいるがね。逆に言えば、利根川水域に住んでもいない人の、利根川水系のダムに対する発言なんか、賛成だろうと反対だろうと机上の空論程度にしか思っていないがね。

閑話休題。

ともかくこの本。ぬたりの目的とすると廃道界のカリスマ、ヨッキれんさんが文章を書いているから購入してみた訳なのよね。ダムの本だからちょこっと書いてるだけかと思ったら案外文書も写真も豊富で読んでて楽しかったな。群馬県内の写真も載ってたし。
きっかけは廃道についての文章ではあったにしても、ダムというのも実に奥深いもので、確か学校の授業ではダムの種類について「重力式」と「アーチ式」の2種類は教わった気がするが、実際にはもっと多くの種類もある。知らない人が巨大な「ロックフィルダム」とか見たら結構びっくりするんじゃあるまいか。ダムの形にはそれぞれ理由があるので、ダムの形一つ一つにつき、その利点と欠点を知るだけでもなんか楽しい。何事も、学べば深いのよね。
ダム観光という点で言えば、実は群馬県は利根川の水源県と言う影響もあるのか、珍しいダムも多い。巨大な堤体を持つロックフィルダムの奈良俣ダム、堤体がカクッと折れ曲がっている下久保ダム、そして日本では現存数わずか数基となった珍しいバットレスダムの丸沼ダム。色々な意味で名前を売った八ッ場ダムも観光で売り出そうと、水陸両用バスの運行などなど。ダムそのものを観光資源とできる逸材は多く存在している。実際雪解け期の矢木沢ダムの放水はその迫力から県内外から多くの観光客を呼んでいる。単純な観光目線でも見所はあるし、建設の過程や設備や用途などを調べてみるとそれはそれで新しい発見があったりするから、観光や趣味としてはお手軽とも言えるのよね。ほとんどのダムは見るだけならタダだし。

屋外だしほとんどのダムならそんなに観光地として人気もないから密にもならん。この夏の観光地としては割とオススメな様な気もするんだけどね。
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新しいパソコンからぬたりがお送りします

2020年07月04日 11時14分29秒 | 日記



というわけで、エイサーのデスクトップである。愛機であるオンキヨーのデスクトップの挙動不安が加速する中、データを素直に移行するには考えている暇はなかった。動いているうちにデータ移行は済ませとかんと。パソコンのデータ移行となると、そらもうてんやわんやにになるわけだが、今回は比較的スムーズ。まあ、メール受信するためのアウトルックを設定しようとしたら、該当のメールアドレス宛にパスを送ったから確認しろとか言う頭悪いにも程がある手段には頭を抱えたが。だからそのメールを受信するための設定を今しとんのじゃアホンダラ。これパソコン壊れて買い換えた場合アウトじゃん。誰も文句言わないのかこれ。
閑話休題(パソコンの話だ)。
んで、今回に関しては100%値段で決めた。スペックと検討するブランドだけ決めたら、後は横並びで一番安いの、という感じ。様々な機能だとかブランドの得意不得意はほぼ無視。値段の面で言えば、同スペックなら製品の大きさの制約が比較的少ないデスクトップの方が得てして安く、ノートパソコンはほぼ選択肢にならなかった。どーせぬたりはパソコンなんか、一度設置してしまえば家の中でだって持ち歩くことはないし。
んで、スペックに関しては、これまでの現状維持で能力向上は求めなかった。現状維持ったってぬたりは同じパソコンを10年近く使っていたわけで、その頃の現状維持となればむしろスペック的には後退してる感じではあるんだけれども、まあ、使い方的に能力向上は要らなかったので。しかし考えてみればいまだにインテルのCPUの主力がCOREプロセッサーってのも息が長い話で。
それにしてもぬたりもパソコンを何台か買い継いでいるが、なんかもう今回はときめきがないですな。必需品を理詰めで買う感じで機種選定に遊びがない。そもそも安物買いだしね。
でも実際の所、個人のパソコンの重要性もどんどん低下して、今やスマホがあれば概ねのことはできる。長文を打つブログ趣味も基本的には過去のもので、個人が情報を発信したいなら各種SNSのように、どちらかというと短文を打つ形で事足りる。だからスマホでもほとんど困らない。ぬたりもツイッターあたりをパソコンで使ったことは最近ほとんどないな。
だからもう、ぬたりの場合パソコンは低価格のものでいい。今回も、性能は思い切って低いものでも良いのかもしれないなあ、というのは機種選定の時点でも思っていた。
その辺も加味して、今回はとりあえず10年前のスペックの現状維持というやや後ろ向きの機種選定をした。これで快適なら次回は(安物買いだから多分そんなに長くもたんだろ)思いっきり安物買いに走らせていただこう。そのために、今回はまあ様子見と言ったところ。
様子見とは言え、主要スペック現状維持(唯一光学ドライブがBD→DVDにダウンしているだけ)で今まで使ってたパソコンの半額になるんだもんなあ。まあ、プリインストールされてるソフトとか、細かい部分の違いはあるだろうがな。実際、来年の年賀状作成のためのソフトは新たに買わなきゃだろうし(前回は筆まめが入ってた)

ま、できれば長生きしてくれ。買い換えるのも高いしな。
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