フィヨルドの変人 ~Odd person in fjord~

ぇいらっしゃ~い!!!

星はうぶすな 人はかげろう

2022年11月23日 20時16分26秒 | つぶやき
というわけで見てきたわけだが、映画「すずめの戸締り」
にしてもまあ、おかあちゃんとの会話で「見に行くか行かないか」ではなく「いつ見に行くか」で最初から話してたのは驚きではあるな。見ることは前提なのか。
んでまあ、感想とかは書く気はなくてな。
つーかぬたり程度の浅い感想など、ちょっとググればいくらでも出てくるわ。だから今更ぬたりが語るまでもない。

でもまあ、正直こういう年齢層浅めの人たちもターゲットになる作品では、劇場予告を短くするとかの配慮ができんものかと心底思うわ。もちろん大人の事情があるからできっこないとわかってても言うんだけども、あまりの長さに愚図ってた子供がいたもんでな。「映画は静かに見てください」というのであれば、静かに見てもらうために自分たちにできることは何かないかとかは考えてほしいわ。
まあ、こちらとしても見たくもない「FクダUイチ」(個人の感情につき一部名は伏せる)の映画予告編とか見せられて最初から気分も悪かったしな。何度だって言うが、ぬたりは映画「Oタクに恋はMずかしい」の所業をこの先もしばらく許すつもりはないのでな。なんであの原作使ってあんなクソ・・・

(閑話休題)

そういう感じのマイナス要素もあったにせよ、ぬたりはどうも映画館ってのが苦手だ、ってのは今回改めて感じたわ。個人として作品に没入したいのに周りに人間がわらわらいるし、拘束時間も長い。特にどうも作品を見るとつい深く入り込む質のようなので、何らかの拍子に邪魔されると殺意にも似た感情が沸き起こるのよ。つーかぬたりの前に座った男子中学生。おめーらに言ってんだおめーらに・・・。

(さらに閑話休題)

まあこれはぬたり個人の資質なので、ぬたりは不用意に映画館とか行かないようにしようとは改めて思った。まあ、そんな風に感じていたからあんまり映画館行かないようにしてたんだけどもね。今回それを再認識したわ。

話を最初に戻して、「すずめの戸締り」映画館に見に行った方がいいのどうなの? と聞かれれば、個人的には以下のような答えになりますわ。

行こうかどうしようか迷った時点ですでに負けだから、おとなしく見に行ったほうがいいよ。

何処のシネコンも恐ろしい回転で上映してるから案外空席もあるよ。
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令和4年のぬこ様画像

2022年11月16日 11時38分00秒 | ぬこ様


たまには凛々しく。

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へのつっぱりはいらんですよ

2022年11月13日 21時53分53秒 | 日記


youtube見ててたどり着いた動画なんだが。いやあ、熱いなこれ。
個人的には「7人の悪魔超人」で大爆笑。この動画作ったスタッフは作品の魅力を熟知してるわ。

今更、と思っていわゆる「新キン肉マン」は読んでないんだけど、この機に読んでみようかね。
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花の名前はかすみ草だと歳時記に書こう

2022年11月09日 22時15分43秒 | 日記


きれいに整備したうちの花壇にきれいに花が咲いたよ。水を過ごして枯らさないようにしないとね。

・・・まあこれ、植えていない雑草なんですけどね。
いやもうホント無精でスマン。
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渋川市道3号線の逆襲 一考察編

2022年11月04日 09時21分48秒 | 旅行&おでかけ
ぬたりが今回こだわった渋川市道3号線は、路線指定自体は国道353号線の小野子地区から県道35号線の祖母島地区に至る道になる。歩道になったり繋がっていなかったりで変則的な印象ではあるけど、経路的には実は始点から終点までを比較的に素直に結んでいる。
で、この道が昔「小野上村道3号線」だったことは間違いない。では現在の渋川市道3号線がすべてが小野上村道3号線だったかと言われれば、この可能性は低いんじゃないかと思う。小野上村道3号線の路線指定の目的が祖母島駅へ向かうための指定であるのはほぼ間違いないと思う。県道35号に至るための道として指定するなら県道35号線にそれなりの目的地がないと小野上村は渋川市内に村道を指定できないが、特にその必要性を感じられるものはない。終点のあたりにあったものはせいぜいバス停くらいなもんだが、市道3号線の始点は国道353号線であり、昔からバス路線も設置されているから吾妻川対岸に行く必要はない。しかも橋を渡ってたどり着いたバス停はこの体たらく。


一方小野子集落内でバスに乗るならこんな感じ。


で、段丘を上る部分の車が入れない部分の道の正体は、明らかに昔の集落道が今に残っているもの。祖母島集落の中心地は段丘上の平地にあり、ここは明治期に灌漑用水が引かれるまでは水利的には貧弱な土地。一方段丘下は吾妻川の川のレベルとなり、比較的平地で水利もよい。耕作には適しているが、大雨になると洪水のリスクも抱え込む。だから住居を段丘上において、田畑は段丘下に、という形式は理にかなっている。その行き来のために古くから使われていたのがあの歩道部分だったんだと思う。前回に「古道みたい」という言葉を何回か使ったが、掘り込まれ方とか見ても、一朝一日に作られる雰囲気じゃない。
そういう歴史のある道であっても、自動車全盛の時代になってしまえば、多少遠回りであっても自動車であれば変わらないし、地区の交通整備の中心となる祖母島駅ができてしまえば、そちらを中心に車道は整備されて、この道は使われなくなっちゃったんだろう。
ただ、モータリゼーションなんて所詮戦後しばらく経っての話。それ以前から道路行政は機能していたわけで、その頃は歩道の市道指定なんて珍しくもない。その頃の指定のままずっと公図上残り続けていた部分が、ほかに接続できる道と同一化されて今の小野子地区から祖母島地区をつなぐ渋川市道3号線としてつなげて指定された、という感じなんだと思う。道路としても、国道から県道を結ぶ、と一応形になるしな。それにしても何となくで訪れた道がこんな珍しい側面を持っていたとはねえ。だから道好きはやめられないんですわなあ。
・・・とまあ、語ってはみたものの、路線指定は所詮お役所の書類上の話。実際の道の姿は、
小野子地区から橋を渡って祖母島駅に向かう道
段丘の崖を登る、今はもうほとんど使う人のいなくなった道
祖母島地区を横断して県道にぶつかる道
の3つがあるに過ぎないんだけどね。現地にそれと分かる目印もない。歩道部分に市の管理の痕跡があれば面白いと思って探してみたんだけど、残念ながら何も見つからなかったな。だから詳しくない人に話しても何が面白いのかさっぱり分かんないんだろうけどね。

実際うちのおかあちゃんに話したら「だからそれが何?」とにべもなかったわ。
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渋川市道3号線の逆襲 現地編

2022年11月03日 10時25分43秒 | 旅行&おでかけ

というわけで再びやってきた道の駅おのこ。
今回はあくまでも渋川市道3号線を辿ることが主役。前回辿れなかった部分だけ辿るなら祖母島駅あたりに車止めて歩く方が効率は良さそうだったんだが、全線踏破にこだわって今回もここに車止めて歩く。

で、やってきた市道起点。ここを上れば前回恐怖の体験をした第一吾妻川橋梁なんだが、今回は道をたどるのがメインだから橋は二の次ということで。

でも数分で電車が来ちゃったもんだから、今回は歩道と電車の距離感に注目してパチリ。こうして撮るとより近さをお分かりいただけるんじゃないかと。ぬたりは前回、この歩道に立ってたんですぜ。これは近いわ。

んで、ちょっと歩くとT字路に。前回は迷いもなく直進したが、渋川市道3号線はここを右折する。まあ、直進も渋川市道のようなんですが。番号は7510号線。このT字路から祖母島駅までが路線。つまりこの写真に渋川市道7510号線がすべて写っているということなんですが(奥の左カーブまで)

曲がった先の3号線。見た目はほぼ奥の家に入る私道ですけどもれっきとした公道。そして写真の一番奥で突き当たる。

変則的な十字路になっていますが、右左折と直進、いずれも市道3号線ではなく違う番号の市道(直進路も私道ではなく坂上がるまではれっきとした市道)。公図上、市道3号線は正面の藪に突っ込むことになっている。

もちろん道はない。実は市町村道の世界では、こうして公図上は道があるのに実際には道がないってのはたまにあること。元は道があったのかそれとももともと道はなかったのか、ちょっと判断が付きませんが。
ともあれここは入っていけないので迂回。

段の上は田んぼになっていて、写真は振り返って撮影。公図上はこの田んぼを突っ切ってくることになる。実際現地で見てみてもこの田んぼの中に道がある(あった)様子はない。んで、上がってきた道だがここで道は復活する。写真左側からこちらに伸びている道が市道3号線である。

進行方向を見る。これが間違いなく渋川市道3号線である。決して畑のあぜ道ではないのです。天下の公道です。

少し進むと上り坂に。繰り返しますがここは間違いなく渋川市道3号線です。道は吾妻川の河岸段丘を上る経路を取る。

道は九十九折で段丘を上る。これが1回目の折り返し。少し道っぽくはなりましたな。よくなったと言っても車が通れる道では断じてない。狭いし急すぎる。

2回目の折り返し。坂の急さが分かるような写真が取れた。

3回目の折り返し。この辺りからかなり掘り込まれた古道のような雰囲気を見せてきた。いや、古道辿りに来たんじゃなくて、現役の市道を歩きに来たんだが。

そして4回目、最後の折り返し。ホントもう古道の雰囲気。あえてもう一回言います。この道は現役の渋川市道3号線です。

そして登りきる。この写真だけなら江戸時代の街道の峠と言っても通用しそうな感じではあるな。

で、上りきるとこんな感じ。えっとね、

だからここは天下の公道なんだってば。畑のあぜ道じゃないんだってば。ただ、写真の奥に映ってるカーブミラーのところで未舗装は終わる。

道は十字路になっていて、市道3号線は左から来て右に抜ける。

その先すぐにY字路になってるのでここは狭い方の右。

いやあ、祖母島って散歩するにはいい場所だなあ。雰囲気がすごくいい。写真見てもわかるとおり当日は雲一つない晴天。歩いてて気持ちいいわ。

そして市道3号線は県道に突き当たって終わり。これで今回の散歩の最大の目的を達成することができたわ。

終点を振り返る。残念ながらというか当然ながらというか、特に市道であることを示すものはなかった。

というわけで渋川市道3号線は辿れる部分は完全踏破できました。で、辿りながらいろいろ考えることがあったので、次回はちょっと好き勝手にこの道の事を語ってみたい。
ええまあ誰もそんなこと興味ないだろうけども。
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渋川市道3号線の逆襲 事前編

2022年11月02日 21時21分50秒 | 旅行&おでかけ
いやもう、道路の細かい話をここでしても面白がってくれる人は少ないとは分かっているんだがね。要はチラシの裏にでも書いとけそういうのはって言われちゃうんだが。

先日ネタにした渋川市道3号線であるが、道の設置目的は「小野子地区の人が祖母島駅に行くための道」だと考えていた。まあ、JRが鉄橋の歩道併用を認めているのも、「沿線人口の確保」という目的に沿うからだろうし、この点に関しては間違いないと思う。
この場合、市道の路線認定するなら小野子集落から駅まで指定するのが一番素直な考え方。この場合、現在は始点も終点も渋川市で問題はないが、平成の大合併前だと始点は小野上村で終点は渋川市。市村境で管轄を分けて橋までを村道、橋から駅までを市道とすると「小野上村民が渋川市の駅に歩くための道を渋川市が税金使って半分整備する」という形に捉えられかねない。普通こういう複数の市町村を経由する道路は都道府県道が担うところなんだが、何しろここの道のニーズは小野子集落の住民のみで、都道府県全体のことを考えて整備する都道府県道の考え方には少々そぐわない。
で、日本の法律はこういう事態もちゃんと考えているもので、「最寄り駅への道路確保」とかの明らかな目的があるなら、市町村道はよその市町村の区域内に路線を指定することもできる(県道だと管轄外の指定は一切不可。国道は言うまでもないな)。勿論相手方の承認を得なければ指定はできないが、自分の区域内の道を隣の市町村が整備してくれるんだから、受け入れ側にとってもそんなに悪い話でもないと思う。
つまりこの市道3号線、昔は「小野上村道3号線」として、駅まで路線指定されていた可能性すらあったわけで、現地では祖母島駅まで歩いて制覇したという気になっていた。探せばいくらもあるだろうが市町村区域外の市町村道指定なんて珍しいと言えば珍しいんだし。
で、実際小野上村だった頃の路線指定までは調べられなかったんだが、今現在の渋川市道については一応ネット上に地図が公開されている。その情報を見てみると、現在の渋川市道3号線の指定がどこからどこまでかが分かるようになっていた。早速見てみると・・・

・・・散歩したルートと違うじゃん。
橋を渡ったまではいいが、その後右折。最終的には県道35号線に突き当たって終わる。要するに当日祖母島駅で「これで渋川市道3号線を踏破できたぜ。路線全体を味わうなんて、道路好きの面目躍如だぜ」などと悦に入ってたくせに、実は4割くらいは路線を取りこぼしていたという現実。これは恥ずかしい。
いや、分かるんだ。市町村道の路線指定なんて所詮はお役所の書類上の話でしかない。道の性格からすれば祖母島駅まで辿るのが最も素直で、散歩ルートとしても明確な目的地もできて面白かったんだからこれで全く問題ない。
要は道好きとしての矜持の問題なのである。
元々は珍しい橋として第一吾妻川橋梁に行った際にそこが市道として指定されていた、というあくまでも後付けの理由で興味を持ったにしても、興味を持った以上、それを辿ろうとした以上、せめて全線踏破はしなけりゃ道に申し訳がない。
と言うわけで、ブログネタとしてはもはや誰の興味も引かないであろう渋川市道3号線の全線踏破リベンジの様子を次回お伝えしようと思ってますよ。
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飛鳥路だけじゃなく上州路もみな墓場かもな

2022年11月01日 09時30分31秒 | 日記
数年前にちょっと話題になったマンガ「お前はまだグンマを知らない」のイラストネタとして「よその県にはこんなに古墳ないらしいぞ!」と言うのがあったことを記憶している。
実際、群馬県内に現存する古墳は多くその数は2000を超えると言われる。ぬたりが生まれ育った近所には古墳はないんだが、そんなぬたりでも、規模を問わないなら古墳なんてそこいらにあるもの、と言う認識だった。
田舎だから開発されてないだけじゃね? という側面は否定しないけど、古墳が盛んに作られた時期に有力者の拠点として当時の毛野国がある程度栄えていたことはほぼ間違いなく、東日本最大の規模を誇る太田天神山古墳なんてのもある。古墳の大きさの順位的には26位くらい(基準によって違う)と言った位置で特筆したものでもないが、例えばウィキペディアのランキングとか見ると異色の存在なのが分かるよ。大阪と奈良ばっかりの中にぽつんとある。
惜しむらくは当時の毛野国の政権の詳細を伝える文書がほとんどなく、大きい古墳であっても誰が埋葬されたものなのかが今ひとつ分からない状況ではあるのよね。ある程度こじつけや当てずっぽうでもいいから(実際天皇陵のいくつかはそんな感じ)「この人が埋まってます」とはっきりさせてくれないと今一つ語るネタとして弱くなる。
で、そんな前置きはともかく(くどいのはいつものこと)、今回はそんな群馬の古墳でも珍しい古墳を見てきたのでネタに。あれこれ語るよりも実際に見て貰った方が早いので写真を載せるが

八角形で石積みの三津屋古墳である。
日本の古墳というのも形は実にいろいろ。単純な円墳や方墳や古墳と言えばこれ、という前方後円墳。前方後方墳なんてのもあるし、明治天皇、大正天皇、昭和天皇の陵は上円下方墳だ。そんな中、八角墳は数が少なく、全国でも十数基が確認されるのみ。
で、まあ古墳好きの人ならすぐ分かるだろうけど、これは復元。この形で残っていたものではない。

にじり寄れば目地がモルタルで固められているのが分かります。古墳時代にこんな技術はありませんからね。
この復元古墳は展示棟を兼ねていましてね。

中を見学できます。見た目は確かに八角形の外見が目を引くところではありますが、実際古墳に興味がある方はこの中の方が見てて楽しいんじゃないかと。

奥の壁が積層状になっていて、これが当時の技法を示しているそうな。
形自体は八角形が二段になった形で、天智天皇陵あたりと(大きさはともかく)同じ形だそうな。それだけに、当時のどんな有力者がここで眠っていたのか、このあたりは歴史のロマンになりますね。
まあ、今回は古墳の話ではありますが、「全国的にも珍しいもの」と言うもの自体は皆さんの身の回りにも案外あるもんなんですよ。本来旅行や旅、観光というのは遠くを目指すのが基本ではあるけれども、こんな感じに身近にある珍しいものを見に行ってみるのも、たまにはいいもんですよ。
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