いつも誰かの視線を気にして 言いたい事も言えずにいた
そのくせ他人の気持ちなんて 考えている余裕もなく
地下鉄階段 人波に押されて 足元も見えず 流されてた
知らない誰かが うずくまってても ガラスの粉が降ってこようとも
自分の肌に触れなければ 痛くも痒くもないんですと
鞄の中から手鏡を出して 少し乱れた髪を直した
ねぇ どこまで本気で私は 他人の痛みを感じられるだろう
ねぇ どうして本当の心で 他人の涙を拭えないのだろう
子供の頃に 誰からとなく 嘘泣きすること覚えました
そして大人になった今では 嘘笑いを覚えました
心の中の いくつもの壁を ずっと誰かに壊されたくて
ひたすら自分の指をくわえて 待ってるばかりの私だった
ねぇ どこまで本気で私は 他人の痛みを感じられるだろう
ねぇ どうして本当の心で 他人の涙を拭えないのだろう
他人の失敗を見て 安心してる自分がいた
他人と比べることでしか 自分量れなくて
他人の幸せを知って 自分の隣 眺めた
他人の成功に拍手を だけど……
ねぇ どこまで本気で私は 他人の痛みを感じられるだろう
ねぇ どうして本当の心で 他人の涙を拭えないのだろう
今 私が感じる痛みを 本当の心で 誰が知ってくれるの?
今 私に流れる涙を 本当の心で誰が拭ってくれる?
(他人の涙/奥華子)
今年一年、自分が歩んだ道。
胸を張って言えることはあまりないまま。子供の頃、思い描いた未来とは遠くはなれたまま。
相変わらず、自分が他人に出来ること、そして自分自身のために成すべきこと。それらは全く分からないまま。
それでも超高速で押し寄せ、そして眼前で「現在」に変わる、「未来」というものに、対処法も分からないまま歩き、時に走ってきた。それが自分の、そして他人の笑顔につながることがあるのかすらも自信がないままに。
どうだろう?
今年1年で、ぬたりに出来た事は一体なんだったんだろう?
私の人生の終わりの時に振り返る、2009年とはどのような年だったのだろうか?
答えは見えない。当たり前の話だ。風景は通りすぎなければ振り返ることは出来ない。何かを振り返る時、それは既に「過去」の話であるから。そこから進むことがなければ、物理的に振り返ることは出来ないから。
今年と言うものを通りすぎ、このまましばらくは走り抜けてみよう。振り返るのは、それからでも、遅くはない。
今年1年、本当にありがとうございました。
そのくせ他人の気持ちなんて 考えている余裕もなく
地下鉄階段 人波に押されて 足元も見えず 流されてた
知らない誰かが うずくまってても ガラスの粉が降ってこようとも
自分の肌に触れなければ 痛くも痒くもないんですと
鞄の中から手鏡を出して 少し乱れた髪を直した
ねぇ どこまで本気で私は 他人の痛みを感じられるだろう
ねぇ どうして本当の心で 他人の涙を拭えないのだろう
子供の頃に 誰からとなく 嘘泣きすること覚えました
そして大人になった今では 嘘笑いを覚えました
心の中の いくつもの壁を ずっと誰かに壊されたくて
ひたすら自分の指をくわえて 待ってるばかりの私だった
ねぇ どこまで本気で私は 他人の痛みを感じられるだろう
ねぇ どうして本当の心で 他人の涙を拭えないのだろう
他人の失敗を見て 安心してる自分がいた
他人と比べることでしか 自分量れなくて
他人の幸せを知って 自分の隣 眺めた
他人の成功に拍手を だけど……
ねぇ どこまで本気で私は 他人の痛みを感じられるだろう
ねぇ どうして本当の心で 他人の涙を拭えないのだろう
今 私が感じる痛みを 本当の心で 誰が知ってくれるの?
今 私に流れる涙を 本当の心で誰が拭ってくれる?
(他人の涙/奥華子)
今年一年、自分が歩んだ道。
胸を張って言えることはあまりないまま。子供の頃、思い描いた未来とは遠くはなれたまま。
相変わらず、自分が他人に出来ること、そして自分自身のために成すべきこと。それらは全く分からないまま。
それでも超高速で押し寄せ、そして眼前で「現在」に変わる、「未来」というものに、対処法も分からないまま歩き、時に走ってきた。それが自分の、そして他人の笑顔につながることがあるのかすらも自信がないままに。
どうだろう?
今年1年で、ぬたりに出来た事は一体なんだったんだろう?
私の人生の終わりの時に振り返る、2009年とはどのような年だったのだろうか?
答えは見えない。当たり前の話だ。風景は通りすぎなければ振り返ることは出来ない。何かを振り返る時、それは既に「過去」の話であるから。そこから進むことがなければ、物理的に振り返ることは出来ないから。
今年と言うものを通りすぎ、このまましばらくは走り抜けてみよう。振り返るのは、それからでも、遅くはない。
今年1年、本当にありがとうございました。