と言うわけで、「ニイハウ・ゼロ 帰還できなかった零戦の記録」である。
著者はオアフ島(正確にはフォード島)のパールハーバーにて運営されている
「太平洋航空博物館」のオープニングスタッフとして勤務経験があり、この際にニイハウ島に不時着した零戦の話を聞き、関連展示がしたいと関係者に折衝に当たった経験があり、この本の執筆に繋がった模様。ちなみに執筆時点で同職は離れている。
アメリカ人に太平洋戦争を書かせると、それこそ映画「パールハーバー」みたいになるんじゃないかと読む前には不安もあったんだが、博物館スタッフとして「物は物」と言う意識でもあるのか、日本人が読んで不快になるような描写はなかった。むしろ零戦に関しては「空中でゼロ戦に遭えば戦闘を回避するのが普通だった」等と書くなど、むしろ日本の飛行機好きに近しい書き方すらしてくれてる。もちろんその後研究されて、日本軍の戦闘機は「ワンショットライター(一発当てれば燃える)」等と言われるものすら現れるようにもなるわけで、この本もさっきの文の前文は「ゼロ戦との戦法が開発されるまでは」と書かれている。
本の構成上、太平洋航空博物館開設の話とニイハウの零戦の話は半々程度。一つの事象を語にはこんなにいろんな事態が絡むのかと言わんばかりに、太平洋航空博物館について語ろう→目玉のニイハウの零戦は語らざるを得ない→ニイハウは独特の環境の島だからこれも説明しないと→そのためには当時と今の島の所有者の人となりも語らないと→そもそも島が個人所有である経緯も語らないと。こんな感じで芋蔓式に語ることが増える。この本読めば結構詳しい部分までニイハウ島のことが学べると言ってもいいくらい。
事件と零戦のことは既に散々語ったのでもう語らないが、太平洋航空博物館には零戦の復元機とニイハウに不時着した機体のパーツがかなりのスペースを割かれて展示されている様子。本の著者が今は太平洋航空博物館のスタッフを離れているので、執筆時点で展示がどうなっているかは明示されないけどね。
と言うのも戦争関係の展示となると色々言われることがあるようで、太平洋航空博物館も「展示内容がふさわしくない」という反論にさらされている。表題は確かにニイハウ島の零戦だが、太平洋航空博物館についての本でもあるので、そのあたりも結構なページが割かれている。洋の東西問わず、このあたりはデリケートな部分なのか展示に関しても一筋縄ではいかなかったようだ。
本では少ししか触れられていないが、実は博物館が収集した物品のうち、一つだけ西開地一飛曹の遺族に届けられたものがある。残念ながら戦闘機にみだりに物は持ち込めないので、彼の私物、と言うわけではないのだが、不時着現場から発見された木製の名札がそれである。
名札は複数枚あって個人名が記されている。しかし西開地一飛曹の名前はその中にはなく別人の名前が記されている。博物館側もこれらの人物、及び親族を探したそうだが、どうしても見つからず、「最後の持ち主」であった西開地一飛曹の遺族に届けられることになった。その際は当時の博物館の館長が日本の遺族の元に訪問し手渡ししたそうだ。
太平洋戦争終戦からもうすぐ80年にもなろうという昨今。それでも戦争というのは語りにくいテーマであり続けている。極論が飛び交いやすくて冷静な議論をするのも難しい。でも例えばパールハーバーにある博物館に零戦が「日本語の解説付きで」展示されていたり、小さな木の札であっても大事に日本まで届けてくれる人がいて、そこから新たなエピソードが生まれたり、案外戦争を冷静に語る土台ってこんなところにあったりするんじゃないかなあ、とはこの本を読んで、そしてその後情報を追ってみたりしてなんとなく思ったりしましたね。この本にしたって、あのタイミングで結婚しなければ、あのタイミングでハワイに新婚旅行に行かなければ、手に取ることはなかった訳ですからね。
世の中の縁ってのは、不思議なもんです。