フィヨルドの変人 ~Odd person in fjord~

ぇいらっしゃ~い!!!

令和5年のぬこ様画像さいご

2023年12月31日 15時26分00秒 | ぬこ様


今年一年ありがとうございました。
ではまた。

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Light you up!

2023年12月28日 20時03分39秒 | 日記
なんかダイハツがえらいことになっていますね。
まあどうせ叩く意見はネットにあふれているのであえて逆張りすれば、「ちゃんと検査して社内チェックをがっつりとやれ」「国もちゃんと検査しろ」、というのであれば、そういうチェックにかかるコストが車両価格に転嫁されても文句言うなよ、という感じ。まあこんなこと言うまでもなく、これまでこういうことが発覚してその対策やよりよい形への向上のコストが価格に転嫁されてきたから車両価格が順調に上がってきたんだけどもな。ぬたりが免許取った平成一桁の頃の人に、「次の元号一桁の頃にはシビックは300万円以上しますよ」と言ったら目を回すだろうな。
閑話休題。
ダイハツと言えばぬたりの家にもダイハツ車が「一応」ある。だから完全にひとごとというわけでもないのだが、何しろ車種が1999年製のミゼット2である。こんな骨董品が令和の世の中に問題の俎上に上がってくるわけがない。生産終了からだって20年以上経ってるし。
・・・と思っていて、一応知的好奇心でどんな不正があったのか公式サイトのプレスリリースを読むと、なんと1998年のハイゼットトラックの不正行為が載っていた。そんな昔の不正まで引っ張り出してきてるのな今回。つーかミゼット2は結構な部品をハイゼットと共有化してるんだけども大丈夫か?
にわかにひとごとでなくなりリリースを読みこむ。この不正は衝突試験時の助手席頭部加速度のデータを改ざんしたもの。
該当車種は当時のトラックなので助手席にエアバッグはついていない。このため事故時に助手席の人間は大きく体が揺れる。この揺れのデータを提出するのだが、体がどう揺られるかはやってみないと分からない部分があり、もしも試験時にたまたま変な風に揺られてしまったら検査不合格になる可能性もある。で、この時の社内リハーサル試験では良い数字がとれたため、これを本検査に持ち込み、本検査後、実際の数値ではなくこの良い数字をすり替えて申告したもの。なるほど、助手席の衝突時の数値を良く見せようとした訳か。これ、ぬたりの愛車にも影響があるかしら?
・・・と言うまでもなく、ミゼット2は基本助手席がありませんがね。
正確にはぬたりのは後期型のATのため助手席は一応あります。ただし空いてるスペースにクッションと背もたれ詰め込んだシロモノだから実使用に耐えられるシロモノではない。ちなみにおかあちゃん乗せたら5秒と耐えられなかった実績もあり、今後もあそこに人を乗せることはまずない。というわけでやはりぬたりのミゼット2は今回の不正とは無縁の模様。つーか検査も何もあんなクラッシャブルゾーンもないちっちゃい車、衝突安全性なんかハナから乗ってるこっちは求めてないけどな。

しかし今回の第三者委員会による調査書は100ページを超える大作で実に読み応えのあるものだし、昨今の自動車情報誌の退屈さに辟易している自動車好きは是非に一読することをお勧めしたいな。こういうアカデミックなことは日本の自動車ジャーナリストにはまず無理だから。
さて、報告書に登場する車種は最近のダイハツオールスターみたいな感じだが、対象検査ではなぜか2つずば抜けて古いのがある。前述のハイゼットトラック(1998年の試験)とアプローズ(1994年の試験)である。
アプローズ懐かしいなあ。燃える車とか言われて超絶不人気だったんだっけな。
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ちくたくちくたく(ぼーんはない)

2023年12月24日 21時22分34秒 | 日記
というわけでとうとうボーナスも出たところで我が家もついにMacを導入
・・・できませんでした。
いや、買えば買えるんだけどさ。なんだかんだと出費が重なり今回はちょっと思い切れなかった。使っているパソコン自体はどうにもなんないくらいに動作が遅いが一応使えなくはないし、そもそも昨今使用頻度が低い。だからまあ様子を見て来年のボーナスでなんとか。
んで代わりと言ってはなんだがこんなものを購入。

木製の組み立てキットである。
メーカーはUGEARSといい、なんとウクライナのメーカー。動きを伴うものを組み立てるもので結構種類があるのだが、今回購入したのはスカイウォッチャーというモデル。有り体に言えばゼンマイ時計だが、そのゼンマイ動力がトゥールビヨンだと言われて驚いて購入。
トゥールビヨン。ゼンマイ動力の機構河村隆一のバンドシンボリルドルフの祖先(日本の血統標記だとトウルビヨンかな?)、どのあたりが一番有名なのか微妙に迷うが、時計の世界の話で言えば超高級品の代名詞の一つ。まあ今では中国製のものもあるそうで、トゥールビヨンがイコール高級品と一概には言えなくなっているそうだけれども、それでも同じような仕様のクォーツ時計と並べれば値段はかなり高くなる。実際どのくらいの値段がするものなのかはご自身の目で確かめてみれば良い。
トゥールビヨンとは簡単に言えば、ゼンマイ部分がぐるぐる立体的に回る機構のこと。ゼンマイ時計はゼンマイを巻いてそれが元に戻ろうとする力を利用するが、腕時計や懐中時計の場合、向きは常に動いている。地球には重力があるから地面方向への力だけは常にかかっているが、向きをあれこれ変えられてしまうと中にかかる力が均等でなくなるために計時が正確でなくなってしまう。だから物理的にゼンマイ部分だけをあらゆる方向に回す事によりこの力を均等化しようという機構がトゥールビヨン。

で、これもトゥールビヨン搭載。このためかやや高価で1万円以上する。だがそれでもトゥールビヨン搭載の時計買うと考えれば断然安い。しかも大きいから動きを見るならかえってこっちの方がいい。
難点は精密工作になるから若干の精度が求められるのと、あまりの部品点数の多さに面食らう、ってあたりか。これから組み立てるんだけど、どんだけ時間かかるのか、そもそもちゃんと組み立てられて動くのか、不安しかないですけどねえ。
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ぬたりさん、お尻の初めてを奪われる

2023年12月22日 21時26分47秒 | 日記
・・・はい、下品なタイトルになりましたが、ぬたりさん、アラフィフにて初めて大腸カメラを経験いたしました。
事の起こりは人間ドック。検査終了後の面談において検便にて潜血が確認された事を告げられたことから始まる。
検便で分かるのは「血が混じっていた」事だけ。たまたま傷がついていたものか最悪がん細胞の影響なのかは実際見てみなければ分からないということで、大腸カメラ検査を勧められる。検査には事前の医師の診察が必要となるので、せっかく病院に来てるんだからこのまま午後に診察を受けてはどうかと勧められた。
が、当日はバリウム検査で下剤を飲んだばかり。基本おなかが緩いぬたりはドッグ後は家に直行し程なく便器と友達になる状況が毎年続いており、午後まで病院にとどまってしまったら病院のトイレから動けなくなるわ。なのでこれは断り後日改めて診察を受けることに。
まあ診察と言っても、医者がすることは人間ドックの結果見て検査にGOサインを出すのみ。診察はあっという間に終わり。検査の予約と必要物品の受け取り、下剤の飲み方とかの説明の方が長いくらいだったわ。

大腸カメラは要はおなかの中空っぽにしてカメラを肛門から突っ込んで中を見るという行為で、これ自体はどこで受けても変わらない。ただ、そこに至るまでの準備が場所によって違うみたい。今回のぬたりの場合、
・前日は朝昼夕食は病院が準備したレトルトの検査食しか食べちゃ駄目
・飲み物は水、お茶、コーヒー、果汁の入ってないスポドリ
・夜9時以降は飲食不可(水お茶のみ可)
・夜10時に下剤を飲む
・検査当日は飲食禁止。水お茶のみ可。
・朝から下剤を飲んで、排泄物が水になるまで出す
こんな感じ。前日の食事まで指定されるとか、かなり丁寧みたいね。ちなみに明細見てみたら検査食は保険診療は効かず全額自腹でしたわ。

さて、検査の前日である。
当日の献立は、
朝 卵がゆ(レトルト)
昼 ミネストローネ(レトルト)とクラッカー
夜 カレー味の煮物(レトルト)とレンジごはん
まあ、いわゆる病院食ですね。とっても味気ない。味はそんなに悪くないと思うんだけどね。
さて、就寝前に第1弾の下剤を150mlの水で溶いて飲む。味は上品なバリウムって感じ。バリウムほど粘度や金属臭さはない。ちなみに注意書きには「2~10時間で効果が出ます」と書いてある。そして現在は夜10時である。
・・・これ、今晩寝られるのか?

検査当日
結局夜2時半まではトイレに籠もってましたわ。
こんなだから朝はゆっくり寝てたいのだが、朝8時半から下剤を飲むことが求められているので寝てもいられない。早速下剤の準備。
当日の下剤は液体。480mlのペットボトル2本渡されている。これ1本を40分かけてゆっくり飲み、下剤の倍の量の水を同時に飲む。これを便が完全に水になるまで続ける。
下剤はというと、「すごく下品な酸味のポカリ」という味。ちょっと飲むならぜんぜんいけるのだがペットボトル1本分というのは流石にきつい。また水を大量に飲むので純粋におなかがきつい。幸いにしてペットボトル1本で便は水になった。
で、このおなかの中を空っぽにする作業、数十年前は検査前に浣腸をぶち込むという直接的な行為だったそうな。ちなみにソースは天下のNASA。宇宙飛行士の自伝に書いてあったが宇宙飛行士の最終選考のメディカルチェックで大腸カメラがあったそうな。彼は浣腸で尻の穴をまさぐりながら「宇宙飛行士選考過程にようこそ!」と独り言ちていたとかいないとか。

さて、当日はもちろん検査まで飲食不可(水とお茶は可)。8時半から下剤を飲むため朝から起きている。
なのに検査の予約は15時20分からというのは一体どういうことなんでしょう? 長時間苦痛が続くぜ。
そして病院。まあ予約は済んでるので手続きはスムーズ。チェックイン機にカード入れて、少し待てば呼ばれて、お尻の部分がすぐに開く独特な検査着に着替えて、腸を止めるお薬注射ですぐに検査室に案内された。腕に注射したんだが、そんな即効性なのこの薬?
さて本番の検査室だが、概ね想像どおりの機材で、以前受けた胃カメラと同じような形。まあ胃カメラは顔中の穴から出せる限りの体液(涙鼻水唾液)を垂れ流して、人生でも有数の苦しい経験だったのであまりいい思い出でもないが。
そしてベッドサイドに映像が映るモニターがある。しかも2台。1台はスタッフが見るもので、ベッドに横向きに横になって向けた視線に自然に入るように置かれたもう一つのモニターは、要は自分も見る為に設置されてるって事なんでしょうな。
もちろんチキンぬたりは見ませんが。気持ち悪くなるのよああいうの。ただ、ボーボーに生えてる自分の尻毛が写ってるとこだけはちらと見ちゃったが(カメラ入れる前で油断してた)。うん、腸の中身よりも見たくなかったわ。
で、結果である。もしもガンでも見つかろうもんなら、もう水曜どうでしょうも見てないんだしブログの名前を「アラフィフぬたりの大腸ガン闘病記」とでも変えて、みんなの同情を買いまくってやろうかと思っていたが、説明は「はい、異常なしです」の一言だけ。出血の原因と考えられる事の説明すらなかったわ。

とりあえず今回学んだことは、
・大腸カメラは痛くはないけど色々きつい
・検査食は味は頑張ってるとは思うけど、やっぱり食事は雰囲気って大事。
・医者の処方薬って効き目とか即効性とかやっぱりすげえ
って感じかしら? ちなみに腸の薬は「副作用で喉が渇くかも」と言われてたけど、実際尋常でないくらい喉がひりついたわ。

皆様もお体にはお気をつけあれ。
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アメリカ人はよもやあんな理由で日本でプレミアついてたとか夢にも思わんだろうな

2023年12月17日 20時25分43秒 | 日記
んでまあ、新規のキャンプギアはもう一つ。

エーライトbyグランドトランクのアウトドアチェア。これは「マンティス」というモデル。
アウトドアチェアブランドと言えばとりあえずヘリノックス、というのはキャンパーの常識。実際使ってみれば分かるが、軽さ、座り心地、頑丈さ、すべてが高レベルであり、実際世界的にも人気が高いのが分かるブランドになっている。
ぬたりんちにも一つあって、実際おかあちゃんがキャンプの時はいつも使っており、お気に入りのギアの一つではある。
が、高価なのである。
いや、値段だけの価値があることは認めるところではあるのだが、もう一個買おうとなると結構な思い切りが必要でさすがに躊躇した。このためぬたりはコストコで買ったもっと安いやつを使用。まあこれも文句言わなきゃ十分他人にも勧められるものなのだが、ぬたりのようなデカブツ、かつデブには話が少し違ってくる。
端的に言うと体重が重くて座面が沈むので、その下の骨組みにお尻が当たるんである。痛いというわけじゃないが結構気になる。なので次の椅子をタイミングを見て買おうと思っていたところで見かけたのがこいつである。
で、エーライトというブランド。こちら実は2018年に一度ブランドが消滅している。で、その直後に「ゆるキャン△」で取り上げられるという間の悪さで、その特徴的なフォルムから注目が集まり一時期はプレミアついてえらいことになってたブランドである。特に「メイフライ」と呼ばれる劇中使用モデルはオークションサイトだと一時期は4万円くらいの値がついてた。まあそのあたりは希少性や話題性というやつで、物としての独自性や使い勝手と必ずしも一致しないわけではあるんだけどもね。
で、先日このブランドが復刻し一応ほぼ同じ物が普通に買えるようになり、ぬたりが買ったのも復刻版。値段的にはヘリノックスとどっこいなほど高いが、なぜかたまたま寄ったショップでバカみたいに安くなってたのが買えた。
組み立てて座ってみた感想は背もたれが寝てる印象で、リラックスして座るならいいかも、って感じ。ライバルとなるヘリノックスは骨組みを持った瞬間に分かる質の良さ(軽いけどしっかりしてる)があり、この点は半歩くらい譲るかな。まあ、座り比べてみて好みで選べばいいんじゃないかな、って感じ。今は普通に買えるんだし。
アニメ3期の制作が発表されたとは申せ、ゆるキャン△人気も落ち着いてきていて、ヒロシの動画も更新頻度が落ちている中、キャンプ人気も落ち着きを見せている昨今。ただ、キャンプの楽しみ方が色々あることを知らしめる効果はあったので、キャンプ人口が大きく増加したことは間違いない(ぬたり達もそのクチ)。ただ、アウトドア趣味というのは人を選ぶ部分もあるので、やってみたけど合わなかった、と言う人たちが離れているのも今のタイミングなので、むしろキャンプ始めるなら今がチャンスとも言える。フュアーハンドのランタン、ディディガルガル(ナイフ)、ルミエールランタン等々、ヒロシが使っていた、ゆるキャン△で出てきた、と言うことで人気になり、一時は全く手に入らなかったギア達も、今ならそれほど苦労もなく買えます。キャンプ場の予約も少しは取りやすくなったしね。

誰もかれもお勧めできる趣味ではないけど、たまの気分転換にはいいと思うので興味のある方は是非どうぞ。
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発売当時はこんなにキャンプも人気無かったろうが

2023年12月16日 13時46分37秒 | 日記
はいまあ、新しくキャンプギア買うには買ったんですけどね。

SOTO G‘Z Limited 1000 Collection
有り体に言えば限定品というやつで、SOTOのG’zシリーズ5周年を記念して限定1,000個で販売されたもの。

シリアルナンバーもついていて、こいつは33/1000と案外特徴的な数字。

ちなみに主な構成は、専用ハードケース、バーナー、ガストーチ、ミニナイフ、ミニライト、といったところ。
・・・とまあアウトドア知ってる人なら「5周年ってどういうことだ?」と気づくと思うがこれは中古品。今(2023年)でも売っているのはバーナーのみなので、G’zもしくはGシリーズという言い方はしないが、これ自体は1998年からある比較的歴史の古い商品になる。
・・・つまりこれは購入時に発売から既に20年は経過したシロモノになる。ガスと炎を使う器具でそんな古いの使っても大丈夫なのかしら。爆発とかしないよな?
メーカーとしても使用時の事故は評判にも関わるので、こんな古いのを使って欲しくはないだろうが、「○年経ったら危ないから使わないでね」なんて公式発表をするわけもなく、まあ使用に関してはこちらに任せられた感じ。気をつけながら火をつけてみたが、一応問題なく動作した。ただまあ、古いものだけに気をつけて使う形にはなるか。パッキンとかの交換も可能であれば考えよう。
で、こいつ。買ったのはアウトドアとかほとんど関係なく、いわゆるマーケットイベントでの購入。比較的キャンプグッズを多く置いていた店で買ったんだが、店長から「私あまりキャンプグッズ知らないので」と正直にも程があるコメントをいただきつつの値段交渉で、表示価格からはずいぶん頑張って引いてくれた。あんまり詳しくないのなら実は驚きの安価で、なんてことも狙えるかとも思ったんだが、オークションサイトの落札履歴と同程度~ちょっと高いか程度までしか引いてくれなかった。そのあたりは流石商売人って感じだな。フリマイベントじゃなく、雑貨店を生業としてる人が来てるわけだからね。
ともあれ、買おうと思ってすぐ買えるもんじゃないし、値段も十分適正価格の範囲内と言える。買ったのはイベント終了時間のちょっと前だったから、店側も在庫整理ができたと言うことでお互いWin-Winの形だろう。20年前の品なのにあんまり使用感もないし、少しは使ってあげたいなあ、とは思ってますよ。この手の道具は使ってこそ花よ。
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だってやるって決めたから

2023年12月13日 19時19分18秒 | ヲタネタ



ホント無料ってのは沼の入口だわ。電子版持ってるのに紙のコミックス追加購入しちゃいました。得能正太郎の「IDLE×IDLE STORY」。古いヲタはやっぱり気に入った作品は紙媒体持ってないと落ち着かん。

この作品、一頃で言えばアイドルオーディションもの。アイマスやラブライブ!ですら初期作からは干支一回りしようかという昨今、アイドルのマンガなんてそらもう数多あり、オーディションものにしてもかなりな数存在している。
だからジャンルとすれば言っては悪いがありがち。その点では正直革新的ではないんだが、とっつきとして得能先生の描くキャラが単純にかわいい。まあ今や沼にハマったので正直に言うが、販促イラストのあたりのタッチはそんなに好きでもなかった。でもマンガ本編はかなりキャラが生き生きしていてこれが良い。キャラクター的にも、熱血主人公、少し性格に難ありでもまっすぐでかわいいキャラ、引っ込み思案キャラ、病弱、男勝り、ふわふわキャラ、堅物、闇落ち、ツンデレチョロイン、酒飲み等々、通り一遍揃えてますって感じ。・・・いや、こう書くとアイドルものとしてはちょっとどうかと思うキャラもいるが。
でも設定が突飛すぎても読む側がついて行けないのでこのくらいの方がスッと作品に入れるのかも。得てしてヒットする作品は、設定等はありふれていたりすることは多いしね。かの涼宮ハルヒシリーズとて、SF作品としてはほとんど突飛なことはしていないとは言われるし。
ただただかわいい女の子の姿を眺める要素、挫折した主人公が再び夢を遮二無二追いかける少年マンガのような要素、芸能界というオトナ社会の闇の部分の匂わせ、若干の百合要素、等々、様々な要素がぶち込まれていて、読む側が自分の好みの要素を主軸に追っていけばいい。アイドルものだから純粋に「推し」を見つけて読んでいってもいい。
作品的に結構な長期連載を見越してるはずで、オーディションの最終候補は16人。そして単行本3巻経過した段階ではまだ誰も脱落していない(連載では脱落者は出てる)。今のうちに作品を知っておけば、今後かなり長いこと楽しめることは確実。
実際人気は出てきていて、連載されているアプリ「COMIC FUZ」において、お気に入り登録数2023年12月13日現在で「9万弱」。これは同アプリ連載の「ゆるキャン△」の約9万1000に迫る数字で、かの覇権作品「ぼっち・ざ・ろっく(ただしぼざろの本掲載は雑誌)」の7万7000を遙かに上回っている。毎話のコメント数も他作品が100行くかどうかという中で200は軽く行くという形でアプリ内においては不動の人気作品になっている。
今後アニメ化、という話も出てくると思うんだが、何しろ候補が16人。全員のキャストに歌唱も求め、曲も用意するとなると、小さなプロジェクトにはなり得ない、というのは逆に不安。日常系の作品ではないし「とりあえずここまで」という区切りがつけにくく、かといって物語のボリューム的にワンクールでは必ずストーリーの途中で終わる。ここで人気が出ればいいけどそうでないなら中途半端な形になっちゃうし、過去にそんな例も多いからね。
アニメ化の話はともかくとして、多くの人にお勧めできる作品なのは間違いない。読むだけなら基本無料なので皆様も是非読むだけ読んでみて。
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購入した本の話(一昨日と昨日の続き)

2023年12月08日 21時21分31秒 | 日記

と言うわけで、「ニイハウ・ゼロ 帰還できなかった零戦の記録」である。
著者はオアフ島(正確にはフォード島)のパールハーバーにて運営されている「太平洋航空博物館」のオープニングスタッフとして勤務経験があり、この際にニイハウ島に不時着した零戦の話を聞き、関連展示がしたいと関係者に折衝に当たった経験があり、この本の執筆に繋がった模様。ちなみに執筆時点で同職は離れている。
アメリカ人に太平洋戦争を書かせると、それこそ映画「パールハーバー」みたいになるんじゃないかと読む前には不安もあったんだが、博物館スタッフとして「物は物」と言う意識でもあるのか、日本人が読んで不快になるような描写はなかった。むしろ零戦に関しては「空中でゼロ戦に遭えば戦闘を回避するのが普通だった」等と書くなど、むしろ日本の飛行機好きに近しい書き方すらしてくれてる。もちろんその後研究されて、日本軍の戦闘機は「ワンショットライター(一発当てれば燃える)」等と言われるものすら現れるようにもなるわけで、この本もさっきの文の前文は「ゼロ戦との戦法が開発されるまでは」と書かれている。
本の構成上、太平洋航空博物館開設の話とニイハウの零戦の話は半々程度。一つの事象を語にはこんなにいろんな事態が絡むのかと言わんばかりに、太平洋航空博物館について語ろう→目玉のニイハウの零戦は語らざるを得ない→ニイハウは独特の環境の島だからこれも説明しないと→そのためには当時と今の島の所有者の人となりも語らないと→そもそも島が個人所有である経緯も語らないと。こんな感じで芋蔓式に語ることが増える。この本読めば結構詳しい部分までニイハウ島のことが学べると言ってもいいくらい。
事件と零戦のことは既に散々語ったのでもう語らないが、太平洋航空博物館には零戦の復元機とニイハウに不時着した機体のパーツがかなりのスペースを割かれて展示されている様子。本の著者が今は太平洋航空博物館のスタッフを離れているので、執筆時点で展示がどうなっているかは明示されないけどね。
と言うのも戦争関係の展示となると色々言われることがあるようで、太平洋航空博物館も「展示内容がふさわしくない」という反論にさらされている。表題は確かにニイハウ島の零戦だが、太平洋航空博物館についての本でもあるので、そのあたりも結構なページが割かれている。洋の東西問わず、このあたりはデリケートな部分なのか展示に関しても一筋縄ではいかなかったようだ。
本では少ししか触れられていないが、実は博物館が収集した物品のうち、一つだけ西開地一飛曹の遺族に届けられたものがある。残念ながら戦闘機にみだりに物は持ち込めないので、彼の私物、と言うわけではないのだが、不時着現場から発見された木製の名札がそれである。
名札は複数枚あって個人名が記されている。しかし西開地一飛曹の名前はその中にはなく別人の名前が記されている。博物館側もこれらの人物、及び親族を探したそうだが、どうしても見つからず、「最後の持ち主」であった西開地一飛曹の遺族に届けられることになった。その際は当時の博物館の館長が日本の遺族の元に訪問し手渡ししたそうだ。

太平洋戦争終戦からもうすぐ80年にもなろうという昨今。それでも戦争というのは語りにくいテーマであり続けている。極論が飛び交いやすくて冷静な議論をするのも難しい。でも例えばパールハーバーにある博物館に零戦が「日本語の解説付きで」展示されていたり、小さな木の札であっても大事に日本まで届けてくれる人がいて、そこから新たなエピソードが生まれたり、案外戦争を冷静に語る土台ってこんなところにあったりするんじゃないかなあ、とはこの本を読んで、そしてその後情報を追ってみたりしてなんとなく思ったりしましたね。この本にしたって、あのタイミングで結婚しなければ、あのタイミングでハワイに新婚旅行に行かなければ、手に取ることはなかった訳ですからね。

世の中の縁ってのは、不思議なもんです。
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小さな島に起こった戦時中の事件の話(昨日の続き)

2023年12月07日 20時38分19秒 | 日記
ニイハウ島事件。ニイハウ・ゼロとも言われる事件は1941年12月7日~12月13日にかけて発生している。そう、太平洋戦争の幕開けとなる真珠湾攻撃に絡んだ事件である。
事件のあらましをできるだけ簡素に話せば、真珠湾攻撃に零戦に搭乗して参加した西開地一飛曹は基地攻撃時に燃料タンクに被弾し、空母帰還が不可能となった。このためニイハウ島に不時着。この際現地住民に操縦席内の書類2通(地図と暗号表と言われる)と拳銃を取り上げられてしまう。
西開地一飛曹はある程度の英語は扱えたのだが、ハワイ語を主とする住民とのコミュニケーションはあまりうまくいかず、間が悪いことに所有者一家も島には不在であった。そこで島民の中で日本語が話せた2人が呼ばれた。当初呼ばれたのはS氏。彼は日本国籍者で養蜂技師であった。だが彼はしばらく日本語で会話をした後は、あまり関わり合いたくないという姿勢を隠さず、以降西開地一飛曹と顔を合わせようとしなかった。そこで島民はもう一人のH氏(日系2世でカウアイ島出身、アメリカ国籍者)に身柄を預けた。H氏は西開地一飛曹とあれこれと話をしていたようだが、日本語であったため内容はほとんど知られていない。日米関係がきな臭い感じになっていること自体は島民も知っていたが開戦自体はまだ知らされておらず(開戦したのはご存知のとおり当日の話)、まず西開地一飛曹を「遭難者」として処遇。当初は見張りもおらず不時着の夜には伝統にのっとり賓客をもてなす宴会すらも開かれている。ただしなぜ戦闘機がこんな所に飛んできたのかという疑念は島民の中で大きく、その夜にH氏の口から西開地一飛曹が語った日米開戦の報が島民に伝えられ、以降は捕虜として見張りが立てられるようになった。身柄をカウアイ島の軍関係者にすぐに引き渡そうという考えも住民にはあったが、所有者一家所有のエンジン付きの船は所有者とともに島を離れており、当時島には手こぎのボートしかなかった。季節的にもやや波が高く、危険と判断されて住民は様子を見ていた。
不時着から数日後の12月12日の夕方、S氏が書類と拳銃を取り上げた住民に対し、取り上げた書類を自分に渡すように要求したが、住民はこれを「法律違反になる」と拒絶。S氏は「自分たちの命に関わることなんだ」と、200ドルの現金(関係者の推測によるとS氏のポケットマネー)を見せて、これで買う、とまで言ったがこれも拒絶される。この行動は暗号表の重大さに悩んだS氏のスタンドプレーだったと言われている。
程なくH氏の自宅で西開地一飛曹とH氏は監視を襲う(倉庫に監禁)。H氏は猟銃で武装し、人質を立てて書類があるであろう住民の小屋を訪問。住民はただならぬ様子に書類とともに身を隠し、後に仲間とともに夜の海に危険を承知でボートで漕ぎ出し、カウアイ島に急を告げに向かった。
西開地一飛曹とH氏は住民の家を家捜しをし、書類は無かったものの拳銃は奪還。その後零戦の無線機で通信を試みたが失敗。この際に零戦に火をつけて証拠隠滅を図り、同じく書類があるであろう住民の家にも火をつけた。12月12日深夜から13日未明にかけての出来事である。
開けて13日朝、2人はいなくなった住民をきちんと探すように人質となっていた夫婦に伝えたが、言い合いとなり、隙を突いた人質(屈強なハワイアンだった)が西開地一飛曹を石壁に投げ飛ばし、西開地一飛曹は絶命。その際に住人は3発撃たれたが、当たり所が良かったのか、大事には至らなかった。それを見たH氏は猟銃で自らの腹部を撃ち自殺。こうして小さな島を揺るがせた騒動は一応の幕引きを見た。2人の遺体は村はずれに速やかに埋葬されている。アメリカ軍当局と島の所有者が救援のために島を訪れることが出来た12月14日午後にはすべてが終わっていた。せめてもの幸いとしては、H氏以外に島の住民に亡くなった人がいなかったことだろう。
この事件は「昨日までは良き隣人だったアメリカ在住の日本人(日系人)が、いざ戦争となれば突然日本の味方をするのでは」と言う形でアメリカの対日系人政策に暗い影を落とすことになる。H氏とS氏がなぜ西開地一飛曹の味方をしたのか、残念ながら正しいところは伝わっていないが、2人とも「日本人(日系人)だったから西開地一飛曹の立場が痛い程分かったから」だと推測されている。捕虜となるくらいなら死ね、が鉄則だった当時の帝国軍人にとって、捕虜になったあげく暗号表まで奪われた今の状況は死ぬよりもつらい状況ではあっただろう。研究されかねない零戦までそのままである。
・書類を取り返す
・零戦を完膚なきまでに破壊する
を最低でも完遂しなければ、彼は生きていたとしても国中から不忠者の誹りを免れない状況なのである。しかも西開地一飛曹は初めて会った敵国の島民に対しても失礼な態度や取り乱した様子を見せない、出来た人物であったことが見え、そういう人物に切々と訴えられれば、同情を寄せたとしても不思議ではない。H氏は日本生まれではないがカウアイ島の日系人コミュニティの出身であり、日本への帰属意識もあったと思われる。S氏は日本出身者で、軍人さん(しかもパイロット)に対する尊敬の念は植え付けられていて、協力はしたいが島の所有者からの恩義との板挟みになり、なんとか事を穏便に出来ないかと悩んだ上で暗号表を手に入れようとしたようだ。
西開地一飛曹とH氏の計画は書類を奪還(もしくは破棄)し、零戦の無線機で友軍艦艇に連絡して救援を請う、というものだったろう。んな都合良く艦艇に連絡取れるかと突っ込みが入るところだが、そもそも真珠湾攻撃時ニイハウ島は不時着地として指定されていて沖合に潜水艦も待機していた。このため行動を起こせば望みはなくもなかった。ただし、戦後調査された日本軍の公式記録によると、ニイハウ島沖合に待機していた潜水艦は、真珠湾攻撃後ほどなく「不時着機なし」として引き上げてしまっていたらしい。実際は不時着機はあったわけだが、「ニイハウ島南側の砂浜に不時着」という指示であり、潜水艦は南の沖合に停泊していた。しかし今回の不時着は島の北側沿岸部に近く、潜水艦から視認できなかった可能性もある。ちなみに当時のニイハウ島は、飛行機が不時着できそうな場所にはすべて30メートル四方の格子状に溝が掘られており、飛行機の不時着を困難にする対策が施されていた。これは軍の施行ではなくて島の所有者が軍関係者に(多分私的に)頼み込まれて私財を投じて行ったもの。このため海岸や乾燥湖底など、不時着が容易なところに下りられなかった可能性もある。
この事件でH氏の妻とS氏が日本人の協力者として収容所に送られている。2人とも後に釈放されたのだが、H氏の妻はその後誹謗中傷を受けたようで、つらい人生を送った模様。ニイハウ島には戻れず、カウアイ島で縫製業を営んで暮らしていたようだ。S氏は元々島の所有者の覚えも良かったためニイハウ島に歓迎のうちに戻り、亡くなるまで島の養蜂業を一手に取り仕切った。その手腕は実際確かで、彼が亡くなった後は養蜂業は一気にうまくいかなくなったという。S氏の子孫(と言う程代は経ていないが)は今もカウアイ島やニイハウ島で暮らしているそうだ。

世の中の事柄はいずれも様々な事情が絡んで起こるものだが、そんな様々なことが絡んで、太平洋の孤島で起こった事件であり、また様々な事情を経てぬたりがその事件を知るに至った。そして、そのことについて書かれた本を買ったので今回紹介しようと長々とニイハウ島について説明してきたわけさ。
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遠く縁も所縁もない島を知った話

2023年12月06日 21時23分03秒 | 日記
さて、ぬたりはここで1冊の本を紹介したいのだが、まずはこの本を手に取るまでの長い道のりについて語りたいと思う。ほんと長いよ。一回じゃ終わんないもの。

話は2014年10月に遡る。ぬたりは新婚旅行のためにハワイにいた。
旅行代理店経由の旅なので現地ガイドがついたツアーにもいくつか参加したのだが、その際現地の日本人ガイドにこんなことを言われた。
「日本人はハワイにただ楽しみに来る。例えばハワイの主要な島の名前も知らない」
まあこれは日本人特有の謙譲の姿勢ではあろうとは思う。欧米人だって頭空っぽで遊ぶ人は多かろうし、日本にとって外国であるハワイの詳しい地理をしっかり押さえる人はそら珍しかろう。例えば外国人が納沙布岬に行ったとして、どれだけの人がいわゆる北方4島の名前を諳んじられることか。
さらにはこちとらハネムーン。むしろ意図的に頭空っぽにして楽しむべき旅行であり、地理だ何だの細かいことを頭に入れて理詰めの旅行してなにが楽しいというのか。そういうのは2回目以降で良い。まあ、ガイドの発言の趣旨は「せっかく来たんだからハワイのあれこれを学んでみると面白いよ」って事なんだろうが。
ではぬたりはガイドの言葉に反発したか。全くそんなことはない。むしろ深く頷く自分がいた。
何しろぬたり自身がハワイの主要な島の名前なんか知っちゃいなかったからだ。
これは個人的に心に引っかかりを生じた。独身時代旅行に行くとき買ってくる本はるるぶとかのガイドブックではなく道路地図。そして全ページくまなく見て気になるスポット探しをするという、地理関係と密接な関係を持つ旅行をしていたぬたりである。例え今回ハネムーンであったとしても、その視点が抜けていたことは「負けた」という感情を覚えるには十分だった。いや、何に負けたかはよく分からないが。
と言うわけでお勉強。ハワイ州の主要な島は8つ。うちぬたりがその時に諳んじられたのが、オアフ島、ハワイ島、マウイ島、カウアイ島の4島。日本の旅行代理店がオプショナルツアー企画するような島しか知らないあたり、地理がどうと偉そうなことを言えないのは分かると思うが、残り4つは、ラナイ島、モロカイ島、ニイハウ島、カホオラウェ島となる。まあ観光需要はほとんど無い島であり、日本からわざわざ行く人も少ない。カホオラウェ島に至っては基本無人島で空港も港湾施設もない。
そんなハワイの島のうち、ちょっと興味を引かれた島があった。ニイハウ島である。
人口は100人弱の島なのだが、なんとここ、「禁断の島」と言う愛称があって、一般人の立ち入りが基本的に禁止されている。島に立ち入るにはカウアイ島発着のヘリツアーに参加する以外はなく、そのツアーも、予定日に5人集まらないとたとえ予約があってもツアー中止。ヘリはとあるビーチに下りるが、そのビーチから出ることは禁止。島の住民を見かけても声をかけることどころか写真撮影も禁止。と、参加しにくいにも程がある上にかなり制約の課されたツアーしかない。この島は1864年にハワイ王国から正式に島を買い取った一族の所有が現在でも続いており、島民は昔ながらの風習を今でも守り、外部との接触をほとんどせずに静かに暮らしている。
・・・とまあ、何やらミステリアスな感じで興味を引かれたわけだが、現実はそこまでミステリアスでもない。そもそも島全体が正式に認められた「私有地」であるわけだから、みだりに立ち入れないのは当たり前の話。外部との接触が避けられているのも、かつて病気(はしか)の大流行で10人以上の島民が亡くなり、島外からの病原体の持ち込みに神経をとがらさなくてはいけなくなったという事情があるから。ハワイでは外部から持ち込まれた病気により、元々住んでいた多くの人が亡くなってしまった過去が実際ある。
で、昔ながらの風習、と言うと藁の家に住んで簡素な衣服でファイヤーダンス、みたいな事を想像するが、せいぜいハワイ語を話すくらいで、あとは別に他の島とあまり変わりは無いそうだ。住民も100%ハワイアン、というわけでもなさそうでなんなら日系人すら住んでいるみたい。
一族支配の島、となると悪いイメージこそあるが、そもそも彼らの一族は酪農がやりたくてハワイに移り住んだ形で、彼らはきちんとニイハウ島の住民に「カウアイ島に移住先を用意したから、そちらに移るも自由、残るも自由」と伝え、残った住民は自らの農園で全員雇用し、お互い支え合って生活してきたし、今もお互いの協力関係は変わらない。ちょっと調べるだけでも所有者一家がいかに島を大切にしているかが伝わってくる。ニイハウ島が買い取られたときに当時のカメハメハ5世が出した公式声明は今国も政府と所有者一族はお互いに大事にしているそうだ。
「ニイハウは今や汝らのものである。そこに住む人々は汝らのために働き、汝らに仕える。しかし、ハワイ諸島の島民がこんにちのように強力でない時が来るかもしれない。そんな時が来たら、彼らを助けるために出来ることがあれば、どうかその力を貸してやって欲しい」
現在ではかつて営まれていた牧場や養蜂は既に行われておらず、これを書いている時点ではかなり人口減少が進んでいるようだが。
ともあれ、カホオラウェ島のように物理的に行くのがまず無理、と言うわけではなく「ツアー申し込めば行ける」島ではある。まあツアー自体日本から参加するのは敷居が高く、ぬたりがこの島に行くのは現実的にはかなり難しかろうが。
ともあれこうして事後とは言え、ハワイの地理について学べたのは有意義だった。次にハワイに行ったときに、主要8島言ってみろとガイドに振られたら、ドヤ顔で答えてやる。
さて、そんなニイハウ島。学んでいくと日本人が絡んだひとつの事件が必ず出てくる。次回はその事件について語るよ。
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