フィヨルドの変人 ~Odd person in fjord~

ぇいらっしゃ~い!!!

山の棒ラーメン、そういうのもあるのか

2020年03月26日 15時53分32秒 | 旅行&おでかけ
本日は年度末真っ盛りの中、実は有給休暇である。
ツイッターでは呟いたのだが、先日仕事で少々ぶんむくれることがあり、散々悪態をついた揚句に、午後休暇を取って帰る、という割と社会人失格なことをしている。
とは言え、その日午後休暇を取ることは事前からの予定であり、別に嫌になって帰った訳でもないのだがね。午後から休暇を取る、という割に職場出られたのが午後2時頃で、まあこれもぶんむくれたことと無関係ではない。
まあぬたりとて40過ぎのオッサン。セルフコントロールはある程度でき、ぶんむくれた以上は翌日はケロリとしてたが。要は尾を引かせないように必要以上にぶんむくれたわけさ。上司は平身低頭モードだったが、こっちとすれば済んだ話で別にもうどうでもいい。つーか、うちの会社にそんなに期待してもいないから、このくらいはある程度想定内だ。想定内で済む以上、最悪な事態でもないしな。
で、今日の休暇も前からの予定で、まあ年度末は暇でこそないがそんなに忙しくもない。となれば余ってる有給消化に充ててもいいだろう。
そんな平日にぬたりはどこに行ったかというと、これが趣味の城跡巡りでな。群馬県内の大規模な城跡はほぼ行き尽くしたとは申せ、小規模なものも含めるとそれこそ行き尽くせない程城跡というのはあり、その中には遺構の保存状態が比較的良好なものもまだまだある。今回は甘楽町にある天引城跡である(ここね)。城跡的には天引城であるが、山の名前は朝日岳といい、その山頂部分を中心に遺構がある。んで、この山にはトレッキングコースが整備されてましてな。ここを辿れば城跡に行けるので、今回行ってみた。

上りがきついんですけど。
いや、写真では以外と斜度が伝わんないもんでね。なだらかな上りに見えるかもしれませんが、これカメラを平行に構えてますからね。相当に急なのよ。地味目な山のトレッキングコースですから、登りやすさとかはそんなに重視せずに素直に尾根筋を直登するコースになってます。

存置ロープとかあるもんな。
斜度的には結構急だけれども、距離自体はそんなに長くもなく、城跡の遺構に辿り着く。

それとはっきりわかる堀切跡。山城跡歩いてて何が楽しいって、こうして最初に遺構を目にした時が一番盛り上がるのよね。山の中に数百年前の人の手による普請の跡が残ってるってことなので。


そして本丸跡。いやあ、ここ思っていたよりもかなりきれいに遺構が残ってる。びっくりだわ。

こんな大規模な堀切も残ってる。これはかなり大規模。山の中で一人興奮しちゃったわ。

天引城のある朝日岳は北峰と南峰があり、城跡は北峰を中心に存在する。だから南峰には用事はなかったのだが、大した距離でもないし立ち寄ってみた。

おお、絶景。思わぬところに良い所ってあるな。

で、今回は山歩きに新装備を持ち込んでいる。

イワタニプリムスのアウトドア用バーナー。これで棒ラーメンとかを眺めの良い所で作ってみた。うーん、味はともかく気分は良いぜ(微妙な言い回し)。

さて、そんな感じで歩いてきたわけだが、こんな3月の平日の地味にも程があるトレッキングコースに、なんとぬたり以外に2組も登山者がいた。人との濃厚接触が避けられるから、とかでの影響とかはねえんだろうな、とかは勘繰ってみたりする今日この頃。いやまあ、それなりの装備してたからニワカ趣味の人達ではあるまいが。ニワカという事なら、城跡が目的のぬたりが当日では一番のニワカ登山者だったろうし。
別に地味目の山なら問題ないが、有名な山だと、山荘や遠い駐車場からの送迎バス、狭い登山道に行きかう人々、とかで濃厚接触は容易に起こり得るから、ゆめ、山歩き好きな方は油断なきように。
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2020年03月25日 22時35分09秒 | 日記
こんな夢を見た。

私は宴会会場にいた。広い和室には多くの人がいて、宴会料理と酒を楽しんでいた。
私はトイレに向かうことにした。廊下を少し歩き、やはり日本式の襖のような引き戸を開けるとそこはトイレであった。そしてその戸をくぐる時に私は誰かから言われていたことを思い出した。

トイレには幽霊が出る。

そのことを何故トイレに入った瞬間に思い出したか。それはトイレ自体の異様さであった。
なんと床は畳敷きであり、その両脇に数個の個室が並んでいる造り。そして最大の違和感は男性トイレに必ずあるべき小便器がなかったことだ。
個室のロック表示は赤になっており、全てのトイレ個室が同じ状態。そして一つの個室のカギが、カシャン! と大きな音を立てて空いた。
その時点でただならぬ恐怖から踵を返した私の背中を打ったのは、カシャン! カシャン! カシャン! と次々に開く個室のカギの音だった。認識する限り、全ての個室のドアの鍵が開いたようだった。中から何かが出てくることは間違いない。

この場から離れなければ、と思って踵を返していた私が眼にした光景は、先ほど潜ったトイレの戸ではなかった。畳の床こそ変わらなかったが、そこにあったのは日本家屋の廊下的な光景。廊下は3間ほど先で右に折れている。

曲がり角まで進む。その先は2間ほど先でまた右に折れている。

また曲がり角まで進む。その先は今度は1間ほど先で右に折れている。

もはやその先には空間は存在しないはずであり、私の本能はそこに行ってはいけないことを必死に告げていた。だが、足は止まらなかった。一歩また一歩と曲がり角に近づき、その先を視界にとらえた。

その先の空間。その狭い空間には和装の男の子の幽霊(そう理解した)がこちらを無表情に見つめて立っていた。全身総毛立つ思いの私に、件の男の子はぽつりとこう言った。

「・・・どうしたら、僕は許されるの?」

そこでやっと目が覚めた。
実際は最後の曲がり角に向かうあたりでうなされて唸っているのを自覚しており、半覚醒状態であったがな。

それにしても人間の脳って不思議で、どうしてこういうシチュエーションを頭の中に描いたのかしらね? 昨今ホラー番組見たわけでも、怖い体験したわけでもないのに。
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ユメノトビラ

2020年03月15日 20時47分54秒 | 日記
さてさて、ぬたりが家を建ててからしばらく経つが、今住む家は基本的におかあちゃんの意向を多く汲んだ家となっている。
これはぬたりの方に住む家に対する明確なビジョンが無かったこととも無関係では無い。いや、全く無かったわけでも無く、こういう家が良いなという気持ちはあったのだが、とことんまで拘れるのなら死ぬ気で拘るが、中途半端な形の拘りは却って邪魔になりやすい。ならほとんど無視した方が良い。
別に家造り自体を軽視していたわけでは無く、家の中の導線や設備等は細かい打ち合わせをして決めているわけなのだが、例えば外観や設備はどれを選ぶかとか全体の壁紙とかは基本的にはおかあちゃんの意向を相当に優先している。ぬたりが一人で決めたのなんか、和室とぬたりの部屋になった四畳半くらいだ。
んで、元々が安いプランなもんで、例えば部屋のドアとかもオプションや別計上をしない限りは選択肢は少ない。まあ、別に部屋のドアなんかどうでもよく、比較的ありふれた、某有名建材メーカーのものが設置されている。

こんなのな。
これ自体、通常使いには別段何の不満も出ないもの。外観からして白いぬたりの家は、内装も白が基調。故に雰囲気的にはマッチしているし、そもそもシンプルなドアなのでどんな内装にだって合う。基本的に不満はない。
んで、ぬたりの部屋は一面のみ木目調の壁紙にしたり(オプションで無くこれはプラン内)と若干渋めの部屋にしており、ドアも渋くした方がいいかも? という考えは作るときから思ってはいた。別に室内ドアなんか、密封性はある程度犠牲にしても良いからアンティークなドアだっていけるだろうし。実際に住宅会社にカタログを見せてもらったこともある。
値段で挫折(ドアって案外高いのな)
まあ別に使い勝手には影響ないし、別にデフォルトのドアが内装にマッチしてないわけじゃない。だから今まで気にもせずに使っていた。
で、先日のこと、ミゼット2の荷室の改造で樹脂製のフロアタイルを使った。これを使いながら、ふと、これドアに貼れば簡単に雰囲気変えられるかも? と思いついた。

と言うわけでやってみた。いやあ、このフロアタイル思ったより使えるわ。あっという間にアンティーク調の渋いドアに早変わり。こうして写真で見る分には実に渋くて良い感じ。
ただまあ、素人の作業はやはり近くで見るとガタガタ。樹脂が見えちゃってたり細かい部分がどうしてもうまくいかなかったり、やってから「こうした方が良かったな」気付くことも多数あった。ぶっつけ本番ってのはやっぱりよくないな。
けどまあ、場所はぬたりの自室なんでな(ちなみに廊下側は白いまんま)。多少作業が荒くても多くの人の目には触れない。作業が荒いのは自分でやった証ということで、個人的には満足してますよ。
まあ、今後糊が古くなったら剥がれてきそうだけどな。そんなに粘着強くなさそうだったしな。まあ、素人工作なんてそんなもんだ。
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上野の森の朝月夜

2020年03月13日 20時58分19秒 | 日記
さてさて、今回、軽井沢駅から横川駅まで碓氷峠を通しで歩いたのだが、去年、新幹線やタクシーでお金を使いすぎたために、今年は節約。横川駅まで車で移動し、そこからバスで軽井沢駅に向かっている。
んで、横川駅でバスに乗ろうとすれば目の前に碓氷鉄道文化むらの入場口があり、行程が終わり出迎えてくれるのも碓氷鉄道文化むらの展示車両たちである。
この施設はかつての横川駅の車両基地を転用したもので、かつての鉄道の重要な個所の跡地と言える。何も知らなかった頃ならともかく、明治期からの交通の要衝、碓氷峠を支えたその重要性を知った今となっては、地元群馬県民として応援したくもなる。
というわけで、大した用事もないにもかかわらず(過去に複数回来てる)、大人1枚のチケットを買って、売り上げに貢献しているぬたりがここに。この日はまだ情報を知らず、どのみちこの日は平日なので営業してなかったが、モツ煮で有名な越後屋食堂さん(火事で建物消失)が、園内で復活してるらしいので、近いうちにまた行かねばならんが。
で、特に目的もなく入場したのだが、正直あてはあった。観光施設となれば売店はつきもので、何か面白いものを売ってないかな? と思ったのね。限定Nゲージとかあったら面白いよね。まあ、今は金がないので売ってたところで手は出ないが。

売店に向かうと、地域のお土産や鉄道グッズが案外豊富に売っていた。一通り店内を見て回り、ちょうどミゼット2のドアに貼るのにピッタリなステッカーがあったので購入してみた。


こんなんな。これで我が家のミゼット2も新宿~高尾間では自動ドアになるに違いない(おい)
ちなみにステッカーは2枚セットだったので、もう一枚は自宅のぬたりの部屋のドアに貼った。


これでこのドアも上野~高崎間では自動(以下略)

ちなみに群馬県在住のぬたりとすると、2枚目の写真の方が馴染みがあるんですけどね。
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脈絡もなく碓氷峠である さいご

2020年03月12日 20時51分03秒 | 旅行&おでかけ
1年ぶりの御巡幸道路跡の遊歩道だけどもいくつか小さな変化があった。


最初はこの看板で、実は去年、この看板は壊れてた。確か「旧中山道」と書かれた板が離れたとこに落ちてて、ぬたりが拾って杭のところに立てかけておいた記憶がある。1年前に比べてさらに整備されたという感じはしないけど、一応ちゃんと手は入っている模様。


急坂を過ぎると道はトラバース路になる。こうして見るとホント良く整備された道に見えるけれども、10年前まで見捨てられた道だったんですよこれ。


それにしても、山を振り仰げば岩壁が延々と続く。こんな岩壁がぐるりと囲む山を、よくもまあ昔の人は越えようと思ったもんだよ。
今回は廃道区間はパスして遊歩道を素直に下ったのだが、そう言えば去年は沢を渡る所にはホムセンで売ってる梯子が渡してあった。

ぐらぐらで渡れなかったけども、あそこはどうなってるのかしら。


流石に梯子は撤去してあったか。大きな岩が設置してあって、よほど増水しない限り岩を伝って渡れるようになってる。やっぱりちゃんと手は入ってるんだな。


道は観光名所でもある碓氷第三橋梁へ。


橋の上から旧中山道が通る刎石山を臨む。崖の上を旧中山道が、崖の直下を御巡幸道路がトラバースする。しかし昔の人はよくもまあこんなところにルートを求めて、かつ開削したもんだ。

ここからはアプト式鉄道時代の廃線跡を利用した遊歩道「アプトの道」が横川駅まで通じている。今回はここを横川駅まで辿る。この道も実はこれまでほとんど歩いたことはなかったので。


こんな感じのレンガのトンネルとか、遊歩道とするとかなり歩いてて面白い道だと思うけどね。実際平日のこの日でも人はぽつぽついた。結構鉄道時代の遺留物とかもあるから鉄道ファンも一度通しで歩いてみると楽しいと思うぞ。


アプトの道とは言うものの、横川駅からしばらくはアプト式廃止後も信越本線のルートとして使われていたので、合流後は上り線の路盤がそのまま遊歩道とされていて、まんま線路とか埋め込まれてる。鉄の皆様、運動するならここのトレッキングがおススメだぜ。


線路脇には途中に元丸山変電所の建物がある。ここも沿線の名所の一つ。遥か前はこの変電所も放置されていて、かなり荒れていたんだけども、最近はちゃんと整備されてて、年1回内部の見学会もやってる。
まあ、その所為かどうか知らんが、かなり訪れにくくなったけどもね。車止められる最寄りの場所が遠くて、延々アプトの道歩いてこなきゃならん。放置されてた頃は曲りなりにここまで車で来れたんだけどな。まあ、車一台がやっとの幅の未舗装路を1キロくらい走らされたけどもね。


現在横川駅の鉄道施設跡は「碓氷鉄道文化むら」という観光施設になっている。途中から遊歩道の舗装に埋め込まれる形でぬたりの足元にあった元信越本線のレールも、この施設に吸い込まれる形で終了。そして長かったぬたりの徒歩も何とか無事に終わった訳さ。ふいー、疲れた疲れた。ちなみにこの後、買い物がしたくてぬたりは碓氷鉄道文化むらにお金を払って入場している。何を買ったかは、まあ仕切りなおすとしよう。

兎も角、冬の碓氷峠を歩き通せたことで、一つの自信にもなったかな、とは思う。ゆくゆくは、と狙っている、国道291号の清水国道の歩き通しとかに向けて、こうして少しずつ体力と自信をつけていきたいなあ、という感じですな。

まあ、1年に1回くらい碓氷峠は歩きたいなあ、と、去年歩いた時に漠然とは考えていたんでね。今年はひとまず実行できたわ。来年以降もこれは続けてみたいかな。
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脈絡もなく碓氷峠である そのに

2020年03月11日 20時35分47秒 | 旅行&おでかけ

峠から下り始めてすぐにこの分岐。今回は左、皇女和宮降嫁の際に整備された、通称「和宮道」を行く。


で、この道、一応車道転用がなされていて、見た感じはあまり整備されてない未舗装林道のそれ。斜度はきつくないが、正直あまり雰囲気のある眺めではないな。
んで、このあたりが雪が一番多かったが、ここ2、3日の間に積もった雪の上には足跡がなく、この季節やっぱり峠を歩く人は少ないみたい。車の轍もあるけどそんなに新しくはないし。


しばらく歩くと分岐。和宮道は右。んで、雰囲気が未舗装林道のそれと書いたが、実際ここ未舗装林道なのね。分岐を左に行くとしばらくは車道が続く。んで、ここに去年ブログに載せたのと同じ看板がある。


「車は」とかの手書きの落書きがあるけどもな。まあ、看板はこう脅すけど、スペース的にはUターンできそうな場所自体はあるんだけどね。実際入り込んでる轍もあるし。


基本は尾根筋を辿るルート。道はかなり直線的だけれどもそれなりの坂がずっと続く。日が当たる所は地表の水分がとけてぬかるんでいるので、多くの車はぬかるみでタイヤが空回りして登れなさそう。なのでよほどの物好きでもない限りここには車で立ち入らない方がいいと思うよ。立ち往生しても知らないからね。


陣場が原で旧中山道と合流。去年は旧道側を歩いたから、これで辿っていなかった和宮道を歩き通せた。でも、正直大して面白くはなかったな。いかにもバイパスって道で、風景の変化も乏しかったから旧道の方が雰囲気があって良かったな。
陣場が原から歩き出してしばらく行くと、碓氷峠を歩いた人が必ず気にする看板がある。


安達が原の鬼婆じゃあるまいに。ただ、看板の説明はあまりにそっけないし、このほかに特に説明もない。このため見た人はポカンとするしかない状況になっている。教育委員会にでも問い合わせれば詳細分かるのかしら?


しばらく歩くと、峠道では有名な別荘地の廃墟を通る。峠を辿る人は歴史や古道が好きなもんで、とにかくこのあたりの評判は悪くて口汚く罵る人もいるけれども、廃道好きな人間にとっては、逆にこういう人の手が入った場所の方が見てて楽しかったりするのよね。


まあ、人の手が入らないと荒れるのが自明の理なんだけれどもな。


道はやがて旧中山道と御巡幸道路の分かれ道となる栗が原に至り、今回はここでお昼休憩をした。まあコンビニおにぎりを食べただけだが、雰囲気と空腹が相まって無茶苦茶美味しいのよね。
今回はこの先旧中山道ではなくて御巡幸道路を辿る。こちらのルートはちょっと歩くと1か所だけ展望が開けるところがある。そう言えば前回はここからこれからどこまで歩くのか眺めたんだっけなあ。



今回は遠いなあ…。
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脈絡もなく碓氷峠である そのいち

2020年03月10日 21時02分40秒 | 旅行&おでかけ
脈絡もなく碓氷峠である。

ちょうど1年くらい前に旧中山道上の堀切と御巡幸道路を目的に2回ほど碓氷峠を歩いた。城跡巡りが趣味で廃道も好きなぬたりにとっては、とりあえずはこれで碓氷峠の用は済んだわけではあるのだが、結果的に碓氷峠に複数ある遊歩道のルートのほとんどを歩くこととなった。趣味的に碓氷峠にもう用はないわけだが、面倒なことにぬたりは血液型がA型である。
碓氷峠の遊歩道の踏破出来ていないのが気になるのである。
歴史のある峠であり、歩道ですら旧中山道、和宮道、御巡幸道路と世代の道があり、鉄道に関しても馬車軌道、アプト鉄道、ディーゼル機関車時代と、これも3世代ある。これらのルートの多くが遊歩道転用されていて、歩こうとすると結構色々な選択肢がある。だから2回行っただけでは全部のルートは辿れず、A型とするとこういう半端は気になるわけよ。だから今回これらのルートを出来るだけ潰そうという考えで碓氷峠を訪れてみた次第。ヤマビル大嫌いなぬたりが大発生地帯のこのあたりを歩くのは当然冬。熊もいないしねこの時期。


去年新幹線とタクシーを使うというお金を使いすぎた反省から、今回は横川駅から軽井沢駅行きのバスを使用。平日の朝一番のバスで、乗客は10名程度。まあ思っていたよりも多かったけども、この人数では確かに横川~軽井沢間の鉄道が廃止されるのはやむを得なかったよね。機関車付け替えで現役時代も相当費用が掛かってたらしいからなあ、この路線。
バスでは40分ほどで軽井沢駅到着。流石に寒いが晴天率の高い軽井沢らしい晴れ模様。去年も言ったが、冬の軽井沢は雪なんてほとんどないから雪道とかの心配なんかいらないのだ。だから冬のトレッキングとかも案外問題はないもんなのよ。
去年はここからタクシーを使ったけれども、今回は徒歩。歩き出そうとこれから向かう峠を仰ぎ見てみた。


雲かかっててちょっと白くなってねえかこれ?


まずは軽井沢駅前から旧軽井沢に向けて歩き出す。ほどなく旧軽井沢銀座に出る。


雪、増えてねえか?これから峠に向けて本格的に標高を上げていくんだが、大丈夫かいな?


まあ、心配するまでもなく途中から完全な雪景色になったけどな。


ともあれ峠。鞍部が広いので、峠にあるのは空を背にした家々という長め。熊野神社の門前町として、歴史のある集落だし。しかしまあ、曲がりなりにも峠越えの徒歩なんて随分久しぶりだから結構疲れたな。


熊野神社は県境に建っており、真ん中を県境のラインが走る。この眺めもB級スポット好きにはつとに有名。旅の無事を祈願し、旧中山道を歩き出す。(つづく)
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前段として

2020年03月09日 21時10分25秒 | 日記
さて、ブログ更新を絶賛サボり中のぬたりであるが、いい加減更新しないと、実は新型コロナに!? とか、デマを流して吊し上げになってるのでは? などと要らぬ疑いをかけられてしまうので、軽く更新しておこう。

更新停滞はツイッターにも書いたが、ちょっとだけ公私に忙しいと言うことなんだが、他にも少しばかり理由がある。
先日、軽井沢駅から旧中山道碓氷峠を歩いてきたのでこれをブログで取り扱おうとしているんだけれどもね。軽井沢駅から横川駅まで歩いたから、山道を含め概ね15キロは歩いたから、ぬたりの人生でも有数の徒歩距離になる。コース自体は比較的著名なハイキングコースだし、ネットにも情報がわんさとあるのだが、メタボ中年個人としては、色々と現地で見てきた訳なので、感想を交えて多少は語りたいわけではあるのよね。
ただ、碓氷峠に歩きに行くのもこれが3回目。初めて歩いたルートもあるのだが、前回見たことの再確認になる部分もあり、現地では楽しくても記述するとなるとこれが案外盛り上がらなかったりするのね。経験したことをダラダラ書いているだけだと、恐ろしくつまらない文章になっちゃうのよね。
このためあの手この手を使って文章にメリハリをつけるわけだが、追体験が多いとなるとどうしても書いていて気分を上げきらず、どうにもメリハリのない文章になっちゃう。書いてて盛り上がらないのは自分でも分かるので一層筆が進まない。こんな感じだったわけさ。
ここのような個人の過疎ブログで、文章の完成度を求めたところで大した意味はないんだが、でもブログというある程度長文の公開ができるツールを使っている以上は文章にこだわらないのも問題があると思うのでな。そういう意味はないかもしれないこだわりを楽しんでやれているから、まあ、一応はブログが続けていけてるのかもしれないけどもね。とまあ、そんな感じで文章をこねくり回しているのもあって、更新自体は休んでいるわけさ。

ところで、碓氷峠を歩いた当日、行程全体で15キロはあろうかという中で、残り5キロ時点で既に両足がかなり痛くなっていた。翌日も動きがままならなかったほど。個人的には疲れと歩く衝撃による関節の腫れだろうと思っていたのだが、翌々日には痛みがきれいさっぱり引いていたことを考えると、あれは単なる筋肉痛だった模様。
と言うことはぬたりは、それなりの肉体的負荷の2時間後には筋肉痛を発症し、翌日いっぱいで完治したということで、アラフィフになれば多くの人が恐れる「1日遅れの筋肉痛」とはまだ無縁であることが判明したりしましてね。メタボではあっても筋肉自体はまだ若々しいのかね?
丈夫な体に生んでくれた両親には感謝なのであるが、そこまで若さを保てる体に生んでくれるなら、もう少し頭髪に関しても若々しい形で生んでくれんかったもんかと、ヘアセットの際、ヘアブラシにつく髪の毛を数えながら思う、そんな3月の初旬でしたとさ。
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