仕事帰り、ナビ付属のテレビの音声だけ流していたら、「天空の城は竹田城だけじゃない」とかで、
備中松山城を紹介していた。まあ確かにあそこも雲海にでも沈めばそうなるわね。
ぬたりは備中松山城に行ったことはある。それどころか長年行こうと思っていてわざわざ行ったものだ。行った際にもどこかに書いたような気もするが、ぬたりがこの城を意識したのはなんと小学生の頃。
日本に城というものがある、という事を知った小学生ぬたりは天守閣というものの美しさに感動したものだった。姫路城、松本城、小田原城など、色々な大きさや外見のある城があると知ったぬたりは、図書館であちこちの城を調べてはいつか行ってみたいと思っていたものだ。日本で最も美しいなどと言われる姫路城は流石に気楽に行くわけにはいかないなあ、とか思いながらね(ぬたりが姫路城を訪れたのは高校の修学旅行)。
小学生の単純な頭である。日本で一番大きな城はどこだろう、という素朴な疑問が浮かんだ。当時は階層くらいしか判断材料はなかったが、残念ながら小学校の図書館にある本くらいでは、これという回答はなかった。
そんな頭で本をめくっていた際に目に飛び込んできたのが備中松山城の天守閣の写真だった。その天守閣は
たった2層しかなかった。
本に載っている城と言われる建物は小さいものでもほとんどは3層だった。故に小学生の頭では、一番大きな城は分からなかったけど、一番小さい城ははっきりと分かった。それが備中松山城だったという訳。2階建てなんて、それこそ友達の家のレベルじゃねーか、とか思った(ぬたりんちは平屋)
もちろん今では、城=天守閣でないことは分かっている。そもそも天守閣の無い城だって多いし、戦国期までの城には天守閣なんかない。ただ、子供の頃のそういう印象というのは変に残るもんで、おかげで日帰りで岡山に旅行になんか出掛けてしまったという訳。
日本三大山城の一つに数えられるだけのことはあり、登山道の入り口に至る3キロほどの車道は狭く、すれ違いもままならないので休日は一般車乗り入れ禁止。登山道も片道徒歩20分ほどと結構なハイキングとなる。気楽にふらっと見られるスポットでもない。
ただ、そのうず高く積まれた石垣はエクセレントの一言。天守は確かにしょぼかったものの(おい)、城好きには文句なしにお勧めの城ではありましたな。石垣の写真を撮りながら、子供の頃にこの城に興味を持った自分を褒めてやりたい気持ちでしたな。
さて、城に詳しい人なら明治に入って、城の破却命令が出されたこともご存じのはず。当時のまま現存している天守閣は、何らかの事情があって破却を免れたものである。そしてこの備中松山城も昔のままの天守閣が現存している。
なぜ、この城は破却を免れたのか?
一説には江戸時代の高梁藩は、山城は不便なんで麓の陣屋で政務を行っており、
みんな天守の存在なんて忘れていたらしい。
ま、忘れていた、は言い過ぎにしても、破却命令出されても
「そう言えばうちの城にも天守あったらしいけれども、もう何年ほったらかしなんだ? 今更壊せと言われてもあんな険しい山の中じゃあなあ・・・」とみんな敬遠してるうちに、なんとなーく残っていたものなんだとか。実際、高梁市の町中から全く見えないんだよねこの天守閣。
また行ってみたいけど・・・ちょっと遠いな。