80年代Cafe

80年代を中心に、70年代後半~90年代位の懐かしいもの置いてます。
あなたにとって80年代はどんな時代でしたか。

アフターバーナー(AfterBurner)・セガ

2011-04-27 22:30:24 | レトロゲームReview

 アフターバーナー(AfterBurner)は、1987年にセガより発表された体感型アーケードゲームです。デザイナーは、鈴木裕氏。人力でキャビネットを傾けて遊ぶハングオンに始まって、遂には地球ゴマの発想で360度動くR-360、G-LOC(1990)まで、体感ゲームの熱気がもっとも頂点に達していた時期といえるでしょう。


 SEGA MARKⅢ版の登場は、1987年。家庭用としては最も早く移植されています。一番の特徴は、スロットルを調整する機構がないアフターバーナー1の移植であるということ。他には、ハード性能の限界でミサイルの煙などの演出面のカット、ミサイルの弾数制限がない、給油が手動、ボス敵に相当する大型機の追加など。初の4メガROM使用ということや、スペースハリアー、アウトランと来て、発売されて間もない“アフターバーナー”の移植ということで、MARKⅢ自体も一番盛り上がりを見せていた時期といえるかもしれません。おまけにカセットが黒ですな。


 ゲームは、当時人気のあった映画トップガンに着想を得たような擬似3D型のシューティングゲームです。まだポリゴンは使われておらず、“アウトラン”でも採用された、巨大なスプライトを拡大縮小して3Dを表現する手法を、更に押し進めた作品になっています。音楽もエレキギターをサンプリングしたハードロック調で、派手に回転する画面、動き回る筐体、それらにシンクロするノリのいい音楽と、体感ゲームの代表作といってよい完成度を誇っていました。写真は、映画をゲーム化したコナミのトップガン。


有名な話ですが、“アフターバーナー”にはⅠ(無印)とⅡが存在しており、鈴木裕氏の『ゲームワークス』(アスペクト)によれば、セガの上場の時期に間に合わせるため、後に完成品のROMと差し替えるとの約束で出したものだそうです。 ⅠとⅡの大きな違いは、速度を調整するスロットルレバーが付いていることで、Ⅱのタイトルで回転するⅠの文字をミサイルが破壊し、砕けた球体が集まってⅡの文字を形成するのは、未完成なⅠに対してⅡこそが本物のアフターバーナーなんだという思いが込められているのだそうです。


 かなりの人気作、話題作だったため、家庭用へも数多く移植されました。セガの自社ハードSEGA MARKⅢより始まって、FC、X68、メガドライブ、PCエンジン、FM-TOWNS、32X、セガサターン、ドリームキャスト、PS2と主要な機種をほぼ網羅するような感じで移植されています。家庭用機が非力だった80年代~90年代初頭にかけては、家庭用機の性能を図る物差しのような意味合いも持っていました。オリジナルのアーケード版が、どれだけ忠実に再現されているかが、重要な意味を持っていたのです。セガサターン以降は、ほぼアーケード版を再現できるようになり、移植度が注目されることもなくなってしまいましたが。ただ逆に言うと、(性能が足りない中で)いかにそれらしく見せるか、いかに(プログラムの技術で補って)近いものを再現しているか、ということをみるのが楽しかった部分もありました。


 中でも有名なのが、初の4メガROMを使用し非力な8ビット機でローリングまで再現してみせたマークⅢ版と、そのマークⅢ版に対して期待が大きすぎたため発表前と、発表後の記事の落差があまりに大きかった“BEEP”誌のエピソードでしょう。上写真は“BEEP”復刻版ですが、これにもしっかり“アウアーアーアー”の記事が収録されています。


 個人的には、8ビット機ではあり得ないデカキャラが縦横に動くマークⅢ版“スペースハリアー”に無限の可能性を感じて、マークⅢを買ってしまいましたから、再現度だけを見ればマークⅢ版は十分に合格点だと思います。ただ当時は“アウトラン”までは夢中で“BEEP”誌などを追っかけていましたが、アフターバーナーの頃にはすっかり熱が冷めていましたので、実際に購入することはありませんでした。この頃になると、ブルート等のFCの中古チェーンが発達して、ハードもソフトも中古で気軽に買えるようになっていました。そのためあまりこだわりもなくなり、中古ファミコンを買ってきて遊んでいるといった感じになっていましたね。



※2009年1月25日分の記事に修正・加筆

参考:Wikipedia アフターバーナーの項、GAME WORKS VOL.1/鈴木祐・アスペクト、Beep復刻版・ソフトバンク

EL-SPIRITS ハングオン・セガ/エポック

2011-04-27 19:49:18 | 電子ゲーム


 『EL-SPIRITS ハングオン』は、エポック社より2006年7月にEL-SPIRITS レトロシリーズのひとつとして販売されました。 発売元は、有限会社ハンドヘルド。電子ゲーム界に(ちょっとした)驚きをもたらした、“魔界村”“バブルボブル”に続いての登場となりました。


 元ネタは、セガの体感ゲーム第一弾“ハングオン”(85)。“魔界村”“バブルボブル”でさえ、電子ゲーム移植は無理があるのではと思われましたが、今回は更に無理無理な体感ゲーム。元ネタは、時期的にはFCやSEGA MARKⅢあたりの頃のものになります。無理と書きましたが、体感ゲームは電子ゲームのブームを少し過ぎた頃に、セガ&タイガー社より“ハングオン”“スペースハリアー”“アウトラン”“アフターバーナー”“サンダーブレード”等が移植されています。そうは言っても、こちらは1,000円のMINIゲームですから無理無理感が漂うことには代わりがありません。ということで、出来の方はどうだったのでしょうか。


 ゲーム画面はこのような感じ。“魔界村”“バブルボブル”等とは異なりレースゲームですから、電子ゲームの題材としてはそれほど珍しいものではないと思います。しかし、数々のこだわり移植を実現してきたこのシリーズ、レースゲームに単に“ハングオン”と付けただけでは終わっていません。まずあの特徴的なBGMが再現されています。スタートシグナル音に続き、微妙に音階の変化していくアクセル音とともに、ゲーム中にもずっとBGMが流れます。次に目を引くのがコースの表現。カーブにあわせて右に左にとコースが動き、背景も同じように左右に流れていきます。きついカーブを曲がる時には、コースも端までぐぐっと寄っていき、あー確かにハングオンだなあという気分を盛り上げてくれます。


 パッケージの方でも抜かりはなく、爽やかなブールのあのハングオンロゴに、本体の赤という組み合わせで(元ネタのハングオン筐体は赤)、確かにハングオンだなあとプレイヤーを(無理やり)納得させてくれます。今回もハンドヘルドいい仕事してます。


 こうなると“スペースハリアー”や“アウトラン”“アフターバーナー”も期待したいところですが、このシリーズ販売元が変わって新作が止まってます。販売元が期待したほどは売れなかったのでしょうか。体感ゲームや電子ゲームに思い入れがないと、辛い部分はあるのかもしれませんが残念なところです。とりあえず、このハングオンロゴと、体感筐体を配置したパッケージは満点だと思います。


 ということで、EL-SPIRITS ハングオンでした。SEGA MARKⅢ、体感ゲーム、電子ゲームというキーワードに反応する人にはお勧め。



参考:GAME&WATCH ゲームウォッチ カンストへの道

ハングオン(HANG ON)・セガ

2011-04-26 23:15:24 | レトロゲームReview

 『ハングオン』(HANG ON)は、世界初の体感ゲームとしてセガより1985年に発表されました。デザイナーは、“スペースハリアー”“アウトラン”“アフターバーナー”“バーチャファイター”で一世を風靡した鈴木祐氏。


 SEGA MARKⅢ版ハングオン”は、マイカードという256Kの特殊なカード型ROMメディアで発売されました。発売は、MARKⅢ本体と同時の85年10月20日で、同時発売は“テディボーイブルース”。体感ゲームの第一弾ということで、“ファンタジーゾーン”“スペースハリアー”が発売されるまでは、マークⅢの看板ソフトだったと思います。セガよりSG-1000版と、ポニーキャニオンよりMSX版も発売されています。マイカードは、厚めの紙を3つ折りにしたパッケージに透明な窓という構成で、裏に取扱説明書が挟み込まれています。この時期のものとしては、たいへんにシンプルな装丁だと思います。


 業務用の筐体には、オートバイを模した実際にまたがって操作するライドオンタイプと、座ってハンドルを操作するシッドダウンタイプが存在しました。ヒットしたためか続編として“ハングオン Jr”(Hang-on Jr)“スーパー・ハングオン”(Super Hang On)が登場しました。写真は、メガドライブ版“スーパー・ハングオン”(右)


 このゲームの開発に鈴木祐氏が携わったのは、入社2年目のことだったそうです。最初の企画段階で、バイク型のキャビネットを動かして遊ぶゲームということが決まっていたようで、バイクの動きを実現するために、トーションバー、ジャイロ、など様々なアイデアが考えられていたそうです。結局コストの問題で、人力で動かすことになったそうですが、それでも本物のエンジンを筐体に入れるとか、タイヤ部分にスピーカーを付けるなど、アイデアは尽きなかった様です。この後“スペースハリアー”“アウトラン”“アフターバーナー”“パワードリフト”などと、体感ゲームは発展してゆきますが、その萌芽はここで始っていたようです。(ゲーム音楽を単なるBGMではなく丸ごと一曲いれたのも、これが初だったとか)


 また本物のエンジンを入れようなど、リアルさの追求にこだわった反面、ゲーム性を重視して(当時の)本物のバイクでは不可能だったドリフトを可能にするような調整もしたそうです。あらためて考えてみると、“アウトラン”での車のドリフトは不自然ではありませんが、“ハングオン”のバイクもコーナーで車のような安定感を持っていた事に気づきます(いくら傾けても倒れない)。そのように体感ゲームのリアルさと、ゲームの楽しさを両立させることを目標にして、完成されていたそうです。


 個人的な思い出としては、“スペースハリアー”や“アウトラン”と比べて、85年当時はそれほど遊んだ記憶はありません。でかくて赤いバイク型の筐体にまたがる必要があるため、恥ずかしかったのかも。それでも80年代は大変なバイクブームでしたから(私も学生の頃にはバイクに乗っていた)、だいぶ後になってバイクに乗るようになってから(ゲームというより、そちら方面からの興味で)遣りこみました。遊びにくそう(難しそう)に見える外観と異なり、実はゲームバランスがかなりよく、1コインで最後まで行った記憶があります。ただ筐体がでかすぎて、遊ぶのに結構体力も必要で、『ハングオン2』では椅子に座ってできる小型のタイプに改められていましたね。ゲームセンターというより、ボーリング場やビリヤード場などのアミューズメント施設に似合うゲームという気がします。ということで、個人的には“スペースハリアー”~“パワードリフト”の後になってから、バイク好きの友達とつるんでボーリング場などで騒ぎながら遊んだ、そんな思い出のあるゲームになっています。 


 この項を書いていて思ったのですが、ゲームにはそのゲームで遊んだ様々なシチュエーション、思い出がくっ付いていますね。レトロゲームで現在遊ぶ場合には、ゲームそのものよりも、ゲームを遊んでいた当時の状況を再び思い出したくて遊んでるような、そんな気もします。


 ハングオン自体は、シンプルなレースゲームのため移植しやすかったのか、電子ゲームを含め様々な機種に移植されています。2006年には、数々の話題作を出していたエポックEL-SPIRITSにも登場しました。ということでEL-SPIRITS版ハングオン”に続きます。
※2007年6月19日分の記事に修正・加筆

参考:Wiki ハングオン、セガ・マークⅢのゲームタイトル、GAME WORKS VOL.1/鈴木祐・アスペクト

Pocket Boy ファンタジーゾーン・セガ/ハシートップイン

2011-04-24 14:23:10 | 電子ゲーム


 “Pocket Boy ファンタジーゾーン”は、株式会社ハシートップインより2009年8月に発売された電子ゲームです。製造元は有限会社ハンドヘルドで、それまでエポック社よりEL-SPIRITSとして販売されていたシリーズが、販売元が変わったものだと思われます。販売元が、ハシートップインに変わると同時期にパッケージも一新され“ペンゴ”/セガと共に新作として発売されました。


 元ネタの“ファンタジーゾーン”は、1986年に発表されたセガのアーケードゲーム。時期的には、SEGA MARKⅢやFCの中期にあたり、これまで電子ゲームへは移植されていませんでした。凝ったゲームシステムと画面上を縦横に動く巨大なボスキャラ等、MARKⅢやFCに移植された際にも、完全移植は難しく無理があった作品でしたが、20年以上経過した後に突然電子ゲームへと移植されて帰って来ました。その出来が電子ゲーム界(どんな世界だ)の(ごく)一部で、話題となっていました。これまで“魔界村”“バブルボブル”“クレージークライマー”“エレベーターアクション”と、奇跡の移植を実現してきたハンドヘルド製電子ゲームでしたが、ファンタジーゾーンではどうだったのでしょうか。


 基本画面はこのような感じ。1面の前線基地ドリンフラワーと雑魚敵はソーサンしか登場しませんが、雰囲気はいい感じです。残念ながらショップでの買い物は省略されていますが、空中用ミサイルと前線基地用ボムの打ち分けも再現されており、ボムが命中すると前線基地が落下する演出も再現。スタート時には、アーケード版と同じBGMが流れてきます。ステージ内のドリンフラワーを倒すとボス戦となり、ステージ4で一周となります。もちろん背景などの再現は望めませんが、省略すべき点は思い切って省略し、残すべき点はこだわるという取捨選択が見事だと思います。


 発売時に一番の話題となったのが、ボスの再現。ドリンフラワーやソーサンの組み合わせでボスを再現するという無理移植なのですが、1面スタンパロン、2面ボランダ、3面クラブンガー(原作ではROUND 4)、4面ウィンクロン(原作ではROUND 6)となっています。ここで一部で話題となったのが、ボスの選択。ハードスペックの制約でMARKⅢ版で差し替えられてしまったクラブンガーとウィンクロンが選ばれ、20年以上の時を超え2009年に電子ゲームとして再現されているところが泣かせてくれます。おまけにMARKⅢ版では省略されてしまったレーダーも再現され、前線基地も10個(MARKⅢは6個)ある点など製作側のこだわりを感じます。画面下の“ファンタジーゾーン”ロゴもキュートでいい感じ。


 このハシートップインと言う会社、お洒落なファンシーグッズ等を販売しているところで、このPocket Boy ファンタジーゾーンも可愛らしいパッケージを施され、雑貨店等でファンシー小物として売られています。製作者側がボスの取捨選択にMARKⅢ版を意識していたのかどうかはわかりません。ただ試作品までできていたのに、放送当時発売されなかった1/100ウォーカーギャリア(戦闘メカザブングルのプラモ)を2008年になって再び発売するみたいな(わかりにくい例えですな)、ひそかなこだわりを感じさせてくれます。まあ、これをファンシー小物として買っている層には、全く関係ないどうでもいい話なのですが。


 ということで、電子ゲーム、ファンタジーゾーン、SEGA MARKⅢというキーワードに反応する方にはお勧めです。アマゾンには在庫があるようですし(2011年4月現在)、雑貨店店頭でもまだ見つかると思います。



参考:アイデア勝利!LSIゲームにファンタジーゾーンを超絶移植/kotakujapan、GAME&WATCH ゲームウォッチカンストへの道

ファンタジーゾーン・セガ

2011-04-24 13:15:30 | レトロゲームReview

 ファンタジーゾーン(FANTASY ZONE)は、セガより1986年3月に発売されたアーケードゲームです。SEGA MARKⅢ版は、業務用と同時に開発されておりゴールドカートリッジの第一弾として、1986年6月に発売されました。


 ゲームは、自機オパオパを操作して幾つかの惑星を移動しながらファンタジーゾーンの危機を救うというもの。スペースハリアーやアウトランなどの3D体感ゲームが登場してきた時期としては、横スクロールで空中と地上への2ショットのオーソドックスなシューティングゲームでしたが、左右任意方向へのスクロールや自機のパーツを買い物できるシステム、やわらかいパステルカラー調のグラフィックなど、幾つかの新しい要素が取り入れられていました。また(ループするものの)エンディングがあり、スタッフロールが流れるというのも、この時期のシューティングゲームとしてはかなり珍しかったと思います。


 シューティングゲームとしては、意外と難易度が低く(何度か挑戦して)上達すれば誰でもラストまでいけるなど、当然のように人気作となり、ポップで個性的なキャラのデザインと軽快なBGMも相まって、80年代セガを代表するゲームのひとつとなりました。この前年の1985年11月にはSEGA MARKⅢが発売されており、マイカードという256Kのカード形態でソフトが供給されていました。85年は“スーパーマリオ”が発売され、FC熱が最高潮に達した時期でもあり、この頃のMARKⅢはなんとなく地味な存在で、あまり雑誌等の話題にものぼる事も少なかったように思います。売りとしては、ハングオン、テディボーイブルース(ともに85)、青春スキャンダル(86)があるくらいで、後はベースボールやサッカーなどのスポーツゲームが販売されていました。


 そんな中、SEGA MARKⅢの起爆剤として大容量のメガロム・ゴールドカートリッジの第一弾MARKⅢ版“ファンタジーゾーン”が発売されました。個人的には、この頃のことはあまり記憶にないのですが、“ファンタジーゾーン”が遊びたくてMARKⅢを購入された人も多かったのではと思います。この時点では、FCでは遊べない“ファンタジーゾーン”が移植されているというのが、MARKⅢの売りのひとつだったと思います。


 個人的にも最初に手に入れたMARKⅢ用のソフトが、これだったと思います。MARKⅢ版“スペースハリアー”を手に入れたくてMARKⅢ本体を購入したのですが、“ファンタジーゾーン”が移植されているというのも購入動機のひとつだったと思います。本体と一緒に購入し“スペースハリアー”(86年12月)が発売されるまでの期間は、こちらで遊んでいました。


 MARKⅢ版を語る際に避けて通れないのが、ハードの制約上の都合から変更されてしまったボスの存在。4面のクラブンガーと6面のウインクロンが、それぞれウルトラスーパービックマキシムグレートストロングトット、dz・デノ・ローマというオリジナルキャラに変更されています。また、他には(こちらもスペック上の制約から)前線基地が動かない(背景に描かれている)、2重スクロールがない、レーダーがない、ボス戦時には背景が消えるといった違いがありました。当時は、それでもかなりの再現度だったと思っていて、家庭用で“ファンタジーゾーン”が遊べるだけでも満足していたものでした。


 MARKⅢ版“ファンタジーゾーン”を語る際に避けて通れないもうひとつが、サンソフトより発売(87年7月)されたFC版の存在。MARKⅢではスペック上の制約のため再現できないといわれていた4面6面のボス敵の再現、上下スクロール、前線基地がスプライトで表現されており動く(カラータイマーは変化しない)、レーダーの再現など、MARKⅢ版では省略されていた部分が(スペック上は劣るとされていたFCで)ことごとく再現されていました。当時は驚いて少しがっかりしたものですが、FC版より一年近く前に発売されていた事、MARKⅢ本体の起爆剤とするためゴールドカートリッジの第一弾に間に合わせる必要上、時間的な制約があった事などを考えると仕方がなかったかなと思います。アーケード版のヒットに合わせて、(タイムラグなしに)楽しめたという事は結構大きかったかなという気もします。


 それにしてもFC版は、前線基地数8個(アーケード10個、MARKⅢ版6個)、ゆらゆらと動くタイトルやTHE ENDのエフェクト処理まで再現されており、移植に当たったサンソフトの熱意を感じさせていました。ということで、家庭用の移植に関しては悲喜こもごもあった“ファンタジーゾーン”ですが、20年以上経過した2009年に突然電子ゲーム版が登場しました。そして再び移植の再現度に関して(ごく一部で)話題となっていました。ということで、Pocket Boy版 ファンタジーゾーンへと続きます。
 


参考:Wiki ファンタジーゾーン、SEGA MARKⅢの項、Beep復刻版/ソフトバンク、SEGA 名作アルバム、愛すべきファンタジーゾーン/COOL!MD