信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

手術から1年

2010年04月29日 00時18分02秒 | Weblog
                       


丁度1年前、昨年の今頃瞼の眼瞼下垂の手術をしたところであった。
季節が巡りああそうだった、今頃だったなぁと思い出し、術前、術後の違いを考えてみた。

明らかに、術後の改善は違いとしても良くわかる。
痛い思いをして、不自由な日々を耐え忍んで、それなりに手にできたものは大きい。
重症の眼瞼下垂症ですといわれ、疲れた顔、視野の狭くなってきたこと、眼がくぼんできて老け顔が益々気になってきたこと、などなど、決心するには迷いはそれほどなかった。

手術してから、まあ数ヶ月もすれば、手術後の腫れや傷跡は消えていくだろうと高をくくっていたが、結果的には1年かかってそれほど気にかからなくなったかなという按配だ。

職場の同僚達は一番のんきで、術前の私の顔を覚えていないという。
今の目つきしか残らないそうだ。
手術したことすら忘れていたわと言う。
考えようによっては有難いことである。

主治医だった美しい女医さんは、大体気にならなくなるまで1年かかりますねとおっしゃっていたがそのとおりだった。
そして1年後、女医さんは信州大学へ戻っていかれた。

ずっとこの1年間、自分の眼を見ては、変な顔になったと思い続け、時には後悔していた。
自分の写真は撮ることも無くなったし、撮っても削除した。
自分ながらどんな顔をしていたっけ?と時々思った。


今日、1年前の手術の時の記事を読んでみた。
案外詳細に記録していて、面白いではないか。
むしろ今より書く内容は面白い書き方をしている。1年で退化したか・・・

愉快な変な目つきは何とかかろうじて疑われずに済んでいる。
それよりも上方半分が見えなくなって来た、狭くなってきた視野が、すっかり明るくなったことに感謝せねばなるまい。
いつの間にか出来た額の何本ものしわも消えてしまった。

けれど、眼がパッチリして、女優顔に近づけるというのは全く持って妄想であったのは・・・
間違いない。

  

お花見は中途半端に

2010年04月27日 22時56分11秒 | Weblog
 
 


休日、夢中で畑の土作りに追われ、まあまあ予定の作業は終了した。
翌日から恵みの雨か何だかわからないが、冷たい雨降りになった。
気温が5度くらいに下がっているので、今日は鳥肌が立った。

近くの小彼岸桜で有名なお寺の境内は桜は5分咲きで、ちょうちんだけが寒い雨の中で
浮きだって、場違いに見えるのは仕方ないか・・・。

低い気温が続くため、諏訪やこの原村も含め周囲は桜の開花が始まっても、中途半端で
華やかな気分になれず、いつの間にか花吹雪になり、今日、高速で諏訪インターで降りたら、
数日前の満開の桜は、幾分葉桜に変わっていた。

忍耐の4月を過ぎれば、周囲の山々は芽吹きの時期に変わり、グラデーションの最高に美しい緑の色に変わっていく。

今夜は、気を取り直して、乾燥しかけているお肌にカツを与えようと、美容液ビタビタの
パックをしながらこの記事を書いている。

犬達はこちらの顔を見上げたが、パック顔は恐ろしいらしく、
直ぐに顔を伏せてそれぞれ、ケージの中や炬燵の中の定位置に戻って寝たふりをしている。

さあもう数日でGWに突入。

諏訪の御柱は里引きの数日を過ごしいよいよ神様の柱となる。
さぞかし人出がすごいであろう。


園芸家12カ月

2010年04月26日 22時48分15秒 | Weblog
今朝の新聞の天声人語に書かれていた文章に驚いた。
何というタイミングであろう。

この2日間の休暇は野菜作りのための畑を耕した。
美味しい野菜を作るには土作りが基本であるということがやっとわかってきた。

苗の品質も、肥料も大事であるが保水性と通気性に富み水はけがよい土といわれる。

チェコの作家、カレル・チャペックはこよなく庭いじりを愛したそうだ。園芸家12ヵ月という愉快な本を書き思わず膝を打つ記述に満ちていると述べる。

この本は2年前、姪から譲り受け、カナダで一緒に旅行した帰りの機内で読み終えた本である。
あまりにも面白くて止めることが出来ず、とうとう1冊読み終えてしまったくらい、実に
その文章の書き方が現実的で、ユーモアに富んでいて、その通り真似て庭造りを始めたいと思うのである。
薄い文庫本であるが庭仕事でよくある場面を微細に表現し、全くその通り、そうそう、そうなのよ、とうなずきながら読んでいるのだ。

その本が今朝紹介されていて、天声人語を書いている作者も今年も借りている畑の土を鍬で掘り起こし、石灰を撒いて堆肥を鋤きこんだそうだ。
「本当の園芸家は花を作るのではなくって、土を作っているのであろうということを発見した」と表現しまさにその通りである。

今年は気温が低く、例年の農作業が大幅に遅れている。
ハウスにいても寒くて仕事にならず帰ってきてしまったと、大家さんが先週言っていた。
種を撒いても芽が出ないし、稲の苗は育たず、いつもであればGWの時に青空の下、とおくに北アルプスを望みながらの田植えの風物史はのどかな光景であるが、
苗が育たず、田植えどころじゃないと言っている。

どんな悪たれ口をきこうと、天候だけは駄目だ。時が満ちて法則に叶えば蕾は開き、芽は伸びると作家は忍耐を説いた。
冬が来る前と、今回と2回にわたって石灰と肥料をたっぷり撒いた土はどのくらい効果が出るか楽しみである。


と、ここまで書いていたところ、台所からパンの焼き上がりのお知らせがあった。
酵母の匂いがぷんぷん満ちている。
イースト菌も冷蔵庫で保管しても暫く経つとふっくら仕上がる役目を失うらしい。
新しい菌を買って作ってみたら、まあ出来上がりははみ出すくらい膨れ上がり、先日ぺしゃんこでがっかりした不出来なパンは忘れ去った。

夜中に焼きたてパンを食べるわけには行かないから明日の朝の楽しみと換えよう。



日曜園芸家

2010年04月25日 21時56分45秒 | Weblog
  



あいたたた・・・・
よっこらしょっと。

いちいち自分で掛け声をかけながら立ち上がらねばならなくなった。

休日の2日間、午前中は犬たちのトリミングでお馴染みのミルバニハウスへ送り迎え。
午後、風が冷たく、春らしくない気温であるが、いよいよ迫られて畑へ出て、じゃがいも畑の土作り。

毎年同じ場所に野菜は作れないから、今年のじゃがいもは昨年とうもろこしを作った場所に決めた。

日当たりはよいが、石ころがごろごろある土地なので、耕しては石拾い。
鍬を振り上げては、かがんで石拾い。
その繰り返しをしていたら、ばててきた。
しかし今日のノルマはこなさなければ明日が又ある。

頭の中で作り上げた今年の畑のイメージがあり、一緒に花壇も一新しようと思っている。
昨年は初めて作った西瓜が5個も出来、食べ切れなかった。
トマトも豊作だった。

ただ、夏の始まりに長雨が続き、やっと収穫時期を迎える頃には息子夫婦や娘と一緒にアメリカ旅行を予定しており、出掛ける前の日まで庭の草むしりをしていた。

涼しくなってもとうもろこしやトマトが日照不足で実が成熟せず、翌年への反省事項となった。

ただ、コスモスがやたらと増えて群生し、秋口はコスモス畑に変わっていた。
近所からは綺麗だと褒められるが、雨や風で倒れるとその手直しに労力がいることがわかった。

今年はトマトをメインにきゅうりを欲張って手を広げ、帰任したとうもろこし好きの息子のためにこれも早めに沢山植えて、とか頭の中で妄想を広げていた。
しかし寒い!。

今朝も起きたら霜が降り、昨日耕した畑は霜柱で白くなっていた。
今日は午前中、犬達は狂犬病の予防注射が近くのお寺の境内で接種予定である。
お馴染みのいつもお泊りでお世話になっている動物病院のセンセイが注射器を後ろ手に隠して待っていた。

逃げ出す犬や吠えまくる犬がいるが、我が家のあほ犬は注射を腿に刺されても気が付かず
その後のお散歩に気を取られて早く行こうと催促する。

注射を終えて散歩は短く短縮と思ったが、犬達は勢いが良く、結局1時間歩いてしまった
ところでお昼のオルゴールが聞こえてきた。

近所の農家はお昼になって帰ってくるのに、我が家はお昼から仕事に庭へ出る。
じゃがいも畑、トマト畑、とうもろこしやきゅうりを植える畑、と耕しては苦土石灰と肥料を撒き、昨日のにわか農家の畑の耕しで筋肉痛が現れ始め、よっこらしょっと言いつつ
作業に徹した。

使っていない筋肉は指先にまで現れるようだ。
鍬を振り上げ、寒かったはずが汗が流れて来て目に入るほどである。

八ヶ岳の麓に越して来たのも畑で野菜を作りたい願いからで、今それが実現しているが、
これが汚れ作業で、力もいるし、軟弱な体には応える姿勢になる。

けれど、成長過程の野菜には毎朝おきては目を配り、土日には一日中、畑へ出っ放しだし
楽しくてたまらない日々が待っている。

いま、人間相手の仕事と口を利かない野菜相手と、スイッチがON,OFF切り替えがあるので田舎暮らしをして健康になったのであろうと思う。

              

又もや雪が・・・・

2010年04月23日 22時12分29秒 | Weblog
先週の金曜日の夜、雪が降り、まさかの積雪10センチ。桜の花が咲いたがその上に雪が積もり
痛ましい光景となった。

11日に高遠の桜を見に行ったが、花は満開で人の波に酔って帰ってきたが、
その1週間後に雪が降り雪の重さで枝が折れ太い幹まで折れたそうだ。

季節はずれの雪は春となっても予測もつかない結果になった。
あの夢のような桜の木々が折れたなんて信じられないニュースである。

 

その後晴れた日がなく、ぐずついた1週間が過ぎた。
寒さは続き、この標高の高い原村まで桜前線はなかなか近づこうとしない。
白馬の友人から春景色の写真が届き、ため息が出た。
白馬の方が寒そうだが、花が咲き、飛んで見に行きたいような春景色となっている。

 




そして・・・・・今日、帰宅途中の車には雪が吹っかけてきた。
あの1週間前と同じ光景である。
4月24日手袋が欲しいと本気で考えながら駐車場まで歩いたが、まさか雪が降ってくるとは思わなかった。

明日から2日間の休日は、畑を耕し、野菜を植える準備をせねばならないのに、雪が降れば
苗は植えられない。
寒くて農家は困っている。


仰天、季節はずれの積雪

2010年04月17日 09時42分16秒 | Weblog




諏訪地方も先週の高遠の桜開花に次ぎ、いよいよか~と心待ちにした1週間であった。
ところが、ところが、その週は異常低温となり、寒いわ寒いわ、桜よ大丈夫かい?
御柱の山出しが無事終わって良かったが、その次に続く季節がぶっつり冬に舞い戻ってしまった。

仕事も忙しい。
毎晩時間外勤務で、暗い真っ暗の道を走り家で数時間のあとはもう寝床の中。
庭の草花の芽吹きの様子を確かめる余裕も無かった。

3日間ほど雪が降りうっすら積もったが日中も寒いので、桜が咲き始めても寒々しく背筋を伸ばせず背中を丸めての通勤であった。
桜の花の上に雪が積もりそれは不思議な光景である。

昨夜相変らずの残業で花の金曜日の楽しみは失い、大急ぎで帰宅に着くが、諏訪湖付近から茅野までは雨が降っていた。
諏訪インター付近からいきなり、大粒の霙に変わり、直ぐにぼたん雪になった。
原村へ向かって上り坂が続くがもう、大雪でフロントガラスの前には渦巻状に雪が舞い、運転していて前を見続けるが、眼が回ること。

原村はすっかり雪景色で、しかもしっかり積もり始めている。
残念無念、今週末の桜の開花の期待はすっかり吹っ飛んでしまった。

休日になっても寝坊が出来ないわ、雪掻きの心配をせねばならない。

今朝外が明るいので勘違いして起きたら雪景色の明るさであった。
しっかり真冬並みに積もって今何月かな?

 

しかし雪は水分が多く軽さがあり、解けるには時間がかからないであろうと楽観する。
寝ぼけ犬を外に放り出してみた。
一瞬ぎょっとして尻込みしたが、直ぐに飛び出して行った。

潜りながらうろちょろしていたが、いつもより寒いらしく遊ぶこともせず、お腹の周りに雪だまを一杯くっつけて戻ってきてしまった。

 


アイスランドでは火山が噴火し、ドイツへ赴任している姪夫婦一家の火山灰の被害が気になるし、中国では地震で被災し、世界各国では短い周期で天災が続いている。

西アフリカへ赴任したムスメは気温40度の暑さに参ったが、訪れる先の村の様子にこれまでない自分の無力さを感じ、
何がこの国の人々にとっては幸せなのか価値観の違いに悩んでいる。
電気も水もないが、しかし日本では失われた家族愛やモラルなどできちんと生活が守られ、子供達の輝く眼を見ると、彼らの文化度を挙げることが先進国のレベルでの判断での驕りではないかと書いている。

今、ムスメとの通信も暫く途絶えた。
訪れる先や仕事先で、経験するにつけ悩みに悩んでまた、新たな自分の判断能力も作られていくのであろう。

季節も、政治も、天候も、職場の人間模様も、様々乱れているが、自分の中に持っている生活観は崩されずに持ち続けたいと、ひたすら思うこの頃である。



春はいずこへ?

2010年04月15日 23時05分20秒 | Weblog
昨夜、帰宅したあたりで、大変寒いのを感じ、外気温を見たら1℃しかなかった。
これは夜中は冷えるわと思ったが、そのまま寝てしまった。

朝起きて外を眺めたら、雪景色になっているので目を疑った。
確かに雪が積もっているし、降っているではないか。

車を見たら、すっぽり雪をかぶり、冬景色そのものである。
そろそろ桜の花も咲き始めるかなと思っていたのに、雪景色とは・・・・・。


通勤で自宅を出る頃は、大きなぼたん雪が降っている。
途中から茅野、諏訪に入る頃には雨に変わった。

帰り、諏訪の勤務先の近くに桜並木が続く道路を通る。
桜は5分咲きで夕闇のため、白く浮き上がり、トンネルのような並木の下を走るが、
雪景色とは違い、暖かい色でほんのり桜色で、誠に心がきゅんとなる美しさである。

朝は雪景色、夜は桜並木、一日のうちでも大きな差のある、春を待つ地方の景色である。

高遠桜見物

2010年04月12日 22時11分35秒 | Weblog




今朝、職場で畑、作り始めた?と仲間から聞かれた。

とーんでもない・・・・まだまだ霜が降りるから、5月の連休過ぎないと無理とこたえたものの、車は冬タイヤで毎日走っているし、炬燵は必需品だし、灯油はコンスタントになくなって買い足しているし、朝のガラス窓は結露で凍っているし、1体、今何月だ?

先週は見事な霜柱で、一瞬雪が降ったかと錯覚した日が2日間あった。
諏訪地方は2週続きの御柱ウイークで観光客であふれていた。
先週の上社の山出しから始まり川越し、木落とし、そして今週の下社の勇壮な木落としで約半月休みに入った。

昨日は息子と一緒に朝早く出発して、高遠の桜見物に出かけた。
一度見てみたいと長年思い続け、朝早く息子を起こして車に乗っけて、混む前に到着しようと辰野方面伊那経由で10時前には到着していた。

雨が降ったり止んだり、定まらない天候で、一番遠い駐車場に案内され、そこから高遠城址まで歩いた。坂道だらけで、おまけに城址公園内の駐車場まで渋滞の車がのろのろ進む傍を歩くのだからじりじりと体に悪い。

早く着いたつもりが人間考えること同じで城址についてから、おおおぉーと思わず声が出た。
隙間がないほどの人間で歩くにも歩けない。
カメラを桜の木に向けても人間が邪魔をして良い写真が撮れない。
高遠に来たという立派な桜の写真は無理である。

構内にある美術館で見学しやっと一息つけたのである。
平山郁夫の絵もあった。

その頃には日が出たり入ったり気温が上がり暑くなった。

きているものが途端にむさくるしく感じられる春の陽気になってしまった。

高遠城址はあたり一面小彼岸桜や、ソメイヨシノが咲くが、その花の数も桜の色も見事であり、桜色の濃い、びっしり枝についた小ぶりの花は満開で訪れた人々は大満足である。

若い木も、数100年の老木も皆高遠の歴史の一部であり、毎年相当な数の観光客を招き寄せ春のこの季節は人々であふれ返るのであろう。

しかし休日の花見は一度でよい。
人の数の方が多いのだから疲れは倍になる。

むしろ高遠に至るまでの途中の高速から見た伊那あたりでの点在する桜並木の方が魅力を感じる。
丁度1ヶ月前に東京で東大の構内での桜の見物をしたが、桜前線はのろのろと進み、まだこの原村には到着はかなり遅い。

今日は打って変わって昨日の初夏のような気温は大きく変化して1日中冷たい雨が降っている。
炬燵の暖かさがたまらなく嬉しい。

 

疲れの出る季節

2010年04月07日 22時45分08秒 | Weblog
東京は桜が散り始めたという。
千鳥が淵の桜の花が散り、お堀の水面が桜色になっている画面をテレビで見た。

夢のような景色である。
花いかだというらしい。

東京や神奈川に住んでいた頃、この季節は3月末から4月は当たり前のように桜の花が咲くのを受け止めていた。

しかし当時は自分の周りに気持ちが行き、花見どころではなく、遠いどこかの景色であった。
季節は毎年めぐり、今信州へ移住して、環境も変わり、自分の生き方も変わった。

リタイアー後の仕事だから、気持ちと時間に余裕のある働き方をしたいのだが、現実はそうは行かない。
職場に慣れればなれるほど、仕事の内容はよく見えて来て、新人は配属されて来て新人教育
に時間を割き、毎日のルーチンは外せないし、結局数倍忙しい季節となっている。

この頃、日の出が早くなり、寒すぎて出来なかった出勤前の犬の散歩が、再開した。
庭に放していたが奴らはそれに飽き足らず、おさんぽといった途端飛び上がって喜ぶ。

朝6時半頃だから空気は美味しいし、車も少ないので気分が良い。

梅の木も桜の木も、桃の木もまだつぼみが固そうだ。

高遠の桜は開花したため今週の末頃からの観光客はどっと繰り出してくるだろう。
諏訪の下社の御柱は今週里引きで、5月の連休は先週の50万人の見物客どころではないだろう。

季節はどんどんすばらしき花の時期に近づいている。

しかし職場の周囲は、この冬からのシステム変更と電子カルテに変更のダブルの影響で
残業で乗り切り、その疲れがやってきて疲弊している。少数精鋭の職場は休めない。
上司は疲弊している部下のいても気が付かない。
職場はやがて、能率が悪くなり意欲低下に繋がっていく。

桜の咲く季節は実はメンタル面ではかって5月病と言われた抑うつの季節に入っていくのである。

歳を食った、人生大半苦労を嫌というほど経験してきた身としては、これ以上首を突っ込みたくないのが本音となっている。


  眉刷毛蘭が咲く

認知症予備軍 その2

2010年04月05日 21時49分39秒 | Weblog




昨日、御柱見物を目的に、中学時代の同級生達が福島からマイクロバスに乗ってやって来た。

宿泊は蓼科にある滝の湯という大手の旅館で、夜は勿論宴会となった。
乾杯の音頭の後はてんでんばらばらに飛び散り、記憶を取り戻すべくあちらこちらの輪の中で
昔話で盛り上がった。

それは賑やかで、昔の憧れや秘かに想いを募らせた人・・・・などというロマンチックな場面もなく、
再会と淡いロマンスの復活もあり得なく、爺さん婆さんは笑い転げ、カラオケが始まっても
聞いている人もおらず、歌っている者だけが感動している仕様がない集団だ。

泊る部屋は鍵をかけ、鍵の責任者は大抵、しっかり者が、私が預かる、と保管者となってくれる。
それに甘んじ、くっついて移動していると、何階の、何号室、という概念が頭から消え去り
ゆっくり風呂に入り、さあ、部屋へ一人で戻るとなるとその先が認知症になる。

エレベーターで、上下3階くらいの部屋に続く廊下を行ったり来たり。
何号室だったか?
覚えていない・・・・。

エレベーターで目星をつけた階で降り、廊下を歩くが壁にかけてある絵がどうも違う。
確か竹久ゆめじの絵だったな、と今度は別な階に行って見る。
これも違った雰囲気で廊下を歩くものもいないから聞くに聞けず、いよいよ真剣に考えてみる。

大人の迷子など話しの種にされるから、これは秘かにばれないうちに解決せねばならない。

ふと外を見ると中庭の目線からの高さが違うのに気が付き、丁度目の前に中庭があり、
その景色を思い出し、不安ながら戻ってみたら、ご一行様のお部屋がちゃんとあったではないか。

ばれなくて良かった。

朝になり、お部屋がわかりにくいわなどと話していたら、昨夜お風呂で自分の脱いだ物を入れた脱衣籠がわからなくなり、一つ一つ聞いてあらためているおばさんがいたとの話が披露された。

すっかりわからなくなり困り果てている裸のその女性が気の毒になり、友人は一緒にその籠探しを手伝ったという。

あら、私も似たようなものだ。
危なかった。

旅行に出るとまかせっきりでぞろぞろくっついて動いていると、頭の記憶装置にスイッチが入らないから、自分の部屋も、バスも、座席も、わからなくなるのだ。

人任せにしていると楽ではあるが、危ない。

チョットは寂しいが一人で出かけて、脳の働きを活性化せねば、案外早く、記憶力の
分野と判断能力の分野が衰えてしまう可能性がある。

くわばらくわばら。


御柱祭

2010年04月04日 21時20分31秒 | Weblog
風邪を引き治りが悪く、遂に3週間経った。
洟をかみ続け、咳き込みながら、体中痛く、やる気を失ったまま、夜になってブログを書く気持ちも失ったままになった。

金曜日、朝から冷たい雨模様の日であるが、道路が何故かがらがら状態で空いており、なぜ?なぜ?と思いながら職場に着いて同僚に聞いたら、それは御柱だからじゃないと軽く云われた。
朝8時から既に御柱が移動始めていた。

土曜日は郷里の福島から同級生が18名、車で夜中に移動し朝到着した。
御柱を見に来たのだ。

夜、蓼科の滝の湯というホテルで合流して同級会を開いた。
前回の同級会以来4年ぶりに顔を合わす。

皆爺さんばあさんになったものだ。
一人一人顔を見てもわからない・・・・。
言われればな~るほどと思うが、あまりの物変貌振りではあるがお互い様かもしれない。

かつての美男美女も消え失せた。
いつまでも変わらないのは〇〇ちゃんという呼び方。
男でも女でもちゃん付けで60歳を過ぎても昔の名前のままだ。

4年ぶりに会っても一足飛びに中学時代に戻っていく。
気兼ねもなく気遣いもなく笑いまくってお開きとなる。

翌日は長野周りで善光寺参りをする郷里組みと別れ、東京組みと一緒に御柱の川越を見物することになった。
丁度11時から原村の柱が宮川の川越をする時間が近づいていた。
水温5度の八ヶ岳からの雪解け水が腰の辺りまである中を氏子達が綱を引き、御柱が川に落ちていく。
途中でアクシデントが起き、ワイヤーが不具合で流れがストップしてしまった。
見物客はどんどん膨れ上がり、隙間がなくなった。
30分遅れで再開し再び御柱は揺れながら、川の中に突き出していった。川に落ちる瞬間は観客は大騒ぎ、水に浸かったままの若者はさぞかししびれるほどの冷たさのまま頑張って綱を引いている。

無事に御柱は川を渡り、友人達を茅野駅まで送った。
寒さのため洟をかむ回数は増えうっとうしい気分は取れなかったが、友人達にあったことで楽しい週末を送ることが出来た。