信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

ああ良かったぁ

2011年09月29日 23時00分37秒 | Weblog
今日はお昼ご飯抜きで午後の2時からお腹の超音波の検査を受ける日である。
1年半前の健康診断のエコー検査で、膵臓にのう胞が見つかり要精密検査になった。

その後腹部のCT造影検査を受け、多分大丈夫だと思うが腫瘍ではありません
念のため毎年1回エコーで確認していきましょうと言われた。
意外にみじかに検査を受ける時間が取れずそのままに1年半経った。

最近、芸能界の俳優の訃報が相次ぎ流れる。
70代がやたら多い。

その年齢を見ると自分が30代の頃テレビドラマで活躍していた俳優だ。
自分もその年に近づいたということだ。
たった、10数年しか離れていないではないか。
と思うと私はもしかしたら膵臓がんで命を落とすのではないかという
妄想に時々陥いっている。

今日はすきっ腹を抱え仕事をし、午後から丁寧に画像センターでエコー検査を受けた。

確かに膵尾にのう胞がありますが大きさが変わっていないので
大丈夫でしょう、また1年後に検査しましょう、で終わった。
やれやれと思ったが、本当は嬉しかった。助かった。



しばらく気温が低い日が続いたが、今朝は暖かく、通勤途中の駐車場の近くのりんご畑ではようやく赤く実が色づき始めた。
季節外れのばらの花も何だか秋の日差しを受けて咲いているのはけなげで
愛しさを感じる。


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同じ季節は

2011年09月26日 22時57分31秒 | Weblog
9月というのに職場では口々に寒いね~
やる気がでないね~とか、
布団を出さなくてはならないのに面倒で我慢して寝ているとか、
やはり例年とは違う季節を味わっている。

ふと、毎年今頃はどうだったんだろうとブログを遡ってみた。
こういう時は面倒だと日ごろ思いながら居眠り半分しながら書いている記事も
役立ってくる。

2009年の今日はアメリカ旅行から信州へ戻ってきた日である。
シカゴから国内機でラスベガスに行きそこからアリゾナ州を車で延々
グランドキャニオンまでめぐっての10日間であった。





ともかく暑い毎日でじりじりと焼けるような砂漠を車で走った。
今となっては懐かしい、モニュメントバレーの写真を眺めると
胸がキュンとなる。



英語が話せないハハはうるうるしながら苦しい旅だが子供たちに助けられた。


昨年の今日あたりは信州で小布施町と安曇野に行っていた。
今ではNHKのテレビドラマのおひさまの舞台になっている安曇野のきれいな水と山を
見て千葉の兄夫婦は一緒に行き感動していた。
安曇野では大王ワサビ田で彼岸花が咲いていた。
この日も秋日和で気温が高かった。



やはり今年は比べれば異常だ。2日程前は何と10度を切って7度まで下がっていた。
ああ小春日和のおだやかな日はという歌詞の山口百恵が歌った秋桜子の秋の日差しを
体に感じたい毎日である。
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勤労感謝

2011年09月25日 22時53分02秒 | Weblog



自分に感謝。
なんの事だ?
3日間働いてしまった。
最初の日は災害シュミレーションで出勤する。
休みに出勤なんてと渋々心は暗かったが、出てしまえばなんの事はない
清々しく気分良く帰宅した。
翌日は休みだからと寝てはいられない。
生ゴミの日だ。
ここは土曜日は8時半までに出してくださいと書いてあるが
その頃に行くともう跡形もなく、うかうかしていられなく田舎は朝は早いのだ。
その後は月に1回の資源ごみを車で役場の広場まで持っていく。
月に1回は新聞、雑誌、プラ、ダンボール、ビン、ペットボトル、
車に一杯詰め込んで決められた場所にあっちへ行きこっちへ行き、
神経を使いながら分別しては運ぶ。
これで午前中がだいたい終了するので朝ごはん兼お昼ご飯を食べて
午後は畑で秋蒔き野菜の畑を耕し、先週耕した畑には蕪や人参の種を蒔く。
夏野菜の残っているのを収穫し、洗って加工するともう夕ご飯の時間に近づいている。

3か目の今日もムスメの去ったあとの部屋の大掃除をして夏冬の洋服の入れ替えを行い
そのあとまた午後から畑へ出て大根の畑の間引きをした。
けちな私は勿体なくて間引きが下手だ。

思い切って抜くことができずだから時間がかかる。
犬たちが散歩に行こうと催促に来るが欲張って沢山の種を蒔いたものだから
間引きに手間取ってなかなか終わらない。

種蒔きと間引きは野菜作りの基本だが、ちまちました作業は老化してきた自分には
ジリジリして苦手になってきた。
既に夕焼けになってきた空を見上げて犬孝行に散歩に出たが
肌寒くなってきた。





9月の下旬だが今年は気温が嫌に早く下がり、布団の入れ替えも昨日済ませ
よそのおウチは皆さんいつ頃入れ替えをするのかしら?など思った。
来月になるとタイヤの冬用に入れ替えをせねばならない。
忙しい休日は全部予定通り済ませて自己満足で終了した。
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災害シュミレーション

2011年09月24日 23時30分20秒 | Weblog
3連休の初日、気温12度なり。
いや~さぶい。
まだ9月ではないか!
15度以下になると暖房が必要になる。
自分だけが寒く感じるのか、気のせいか?
いや台風が去ったあと、急に気温が下がり始め、朝夕、背筋が冷たくなる。
年に1度、この季節になると休日出勤で災害訓練に参加しなければならない。
それも関係者は1箇月以上も前から準備に入り、勤務が終わってから研修センターで
1時間半もかかって打ち合わせになる。

8時半に集合。
登院訓練から始まるが、シュミレーションのためか真剣さに欠ける。
役割分担が決まっているが、突然居合わせた場所が悪かったのか、受付を言いつかり
えええー仕事の中身が分からないと思ったが、実際に災害になったらそうは言っていられない。

訓練は救急車も出動し、看護学生が演技力で本当の患者になり、死亡、重症、軽傷、中等度の
受傷と4つのレベルに分けたブースで手当を受ける。
自分は緑のゾーンで、受傷したが自分で歩けるレベルの者で、応急手当をするが
いつも忙しい医師たちがなぜかこの日だけは和やかな表情で会話をしている。

午前中で訓練は終わり、反省会を行い、テントや必要機材をしまうがこれが時間が掛かった。
備蓄倉庫を初めて見た。
なるほど、災害用の毛布や食料品、医療物資などが広い部屋に整然と備わっている。

この地域は諏訪湖畔にあり5,6年前の台風で洪水になり死者も出たそうで、活断層
地帯にあり危険度のレベルが上がったそうである。

反省会の最後に東日本大地震の時の石巻赤十字病院の初動体制のスライドを見た。
この半年、津波の画面は見続けているが、病院の細かい動きは初めて見た。
涙が出た。雪が降る寒い日だったのだ。
随分と時間が経ったような気がするがまだまだ復興は程遠い。
多分、三陸沖地震やチリ地震の津波などでの経験から、石巻赤十字は体制が作られたと思うが
これほどの機材が揃っているのに驚いた。

地域差もあるが到底そこまで至っていないことや、訓練の内容が真剣さに欠けるのが
反省点であろう。
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勝沼へぶどう狩り

2011年09月19日 22時57分33秒 | Weblog
毎年今頃の季節になるとぶどう農園におもむいてぶどうを買ってくる。
今年は3連休の中日、青空の天気となり、富士見駅から電車に乗った。
一緒に行く息子は神奈川から車で来るので効率良く車1台に絞り私が電車で
勝沼ぶどう郷駅まで行き待ち合わせた。

前日は1日中雨が降り、変化のない休日の初日だったが
朝から気温が上がりまるで夏日のようだ。
これまで中央線の各駅停車に乗ったことがなく、まるで旅行気分だ。
富士見駅でのんびり電車の到着するのを待っていたが、向かいのホームでは
松本方面に行く乗客がおり、話し声が聞こえてきて思わず笑ってしまった。
5人の中年女性が登山姿で(山ガールでなく山姥)うちの弟はいつまで独身でいるのかしら?
困ってしまう…    あらうちにもいるわ、  歳をとったら私が面倒見ることになるのよね、とか
大きな声で話している。
38歳のくせに30歳の女性の見合い話が来たら歳取っているからダメだとか言って
断るのよ~。自分の歳もわきまえず。

電車が来て彼女たちは松本方面へ消えた。平和だ。

上り方面の電車に乗り、車窓の景色を楽しみ、甲府へ着き乗り換えをして各駅で止まる景色に
こんなのんびりと慣れてしまった車では決して見られない風景にいずれ将来各駅停車の旅にでて
時刻表を調べながら知らない土地へ行ってみたいと思っていた。

勝沼ぶどう郷駅ではタクシー乗り場で電車から降りた乗客が長い列になり次々とタクシーに
乗り出ていく。
息子を待ったが、16号も中央道も渋滞で数時間遅れるというためカンカン照りの暑い駅では無理なので
ぶどうの丘で待つことにした。
ワインセラーで試飲できるのでごった返しだったが、かなりの種類の赤と白のワインを試飲し
いい気分になり息子を待った。

 

3時間遅れで息子が到着し、その後ぶどう園に向かった。
モウ知り合いになり5年目だが、ぶどう園のご夫婦が変わらず楽しすぎる会話でぶどうを取るのも後回しで
なぜ毎年毎年、ここへ来るのだろうという思いがそうだ、ここへ来るのは話がしたくて来るのだ、それくらい
楽しいのだ。
夕方になり、遠くへみえる中央道の上り方面の車はほとんど渋滞で止まっているようなもので
連休の混み方は凄まじい。

  

ぶどう園の近くのワインの醸造元で気に入ったワインと地ビールを買い求めたが樽に描かれた絵が
可愛らしく、これまで気がつかなかった。
友人や実家にぶどうを送り、息子の車に乗って家に帰ってきたが、今日は旅行をしてきたようなもので
いつもと違った楽しさを味わっていた。

山梨は暑く、試飲したワインの酔いと一緒になり、地元に戻り、やっぱり信州は涼しいわと
ホッとしたのである。


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小さな楽しみ

2011年09月17日 20時54分25秒 | Weblog
雨の休日。
大工さんが来たので、何となく落ち着かない一日だった。
お茶を出したり、呼ばれたら顔を出さないといけないし、
でも午後には工事も終わり、体が空いた。

結局外へ出られずこれ幸いに昨日買ってきた本を読もうと
決心。

夜になると眠くなり1頁も読めずシボウするので読書は困難だ。
最近気に入っているお店で、駒ヶ根に本社がある養命酒の会社が
諏訪湖畔にレストランを開いた。
そのお店の長野県の物産が並べられていて昨日は薬味卸しのお皿と
山椒味のお味噌を買った。

 

これは優れもので善光寺の唐辛子屋さんの品物。
なんでも野菜に付けて食べると、山椒の味がピリッと効いて
美味だ。
病み付きになりこれで3袋目だ。

カメラの本と手拭いの使い方と料理、これをマスターできるか
秋の夜は意外と短い。

  
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まぜこぜの秋

2011年09月17日 19時42分46秒 | Weblog
先週の台風が去って、この週末大工さんと電気屋さんが修繕に来てくれた。
落ちてきた台所の天井板を元通りに付け湿気が籠らないように
24時間つけっぱなしの換気扇を取り付けてくれた。
寒さ対策に密閉した台所はかえって湿度が上がり天井板のパネルが
傷んでしまったらしい。

新たな台風の影響で今週末もまた雨降りとなってしまった。
折角秋蒔きの大根や蕪を苗床を用意していたのに雨では残念無念だ。

今どきの換気扇は超小型で音も感じないくらいで静かだ。
ガス台の上にあるフードは大きくてスイッチを入れると
ごーっと大きな音でうるさくて寒いくらいに排気をして
早々に止めてしまいたいくらいだが傍についた小型が
機能は変わらないくらい優秀でこれで冬ガンガンストーブをたいても
湿気は籠らなくなった。

昨夜1週間前に西アフリカの任地へ再び戻っていったムスメが病気らしいとの
情報が入った。
にわかに心配になり眠れなくなってしまった。
どうやら熱が高く首都まで運ばれたようで、心配した将来伴侶が知らせてくれた。

今朝になりまたメールが届き、マラリアではなかったと言う。
今や母親以上に心配してくれる相手がおり、やれやれだ。
彼は死ぬほど心配しているだろう。

避難してきた先は信州で快適な夏を過ごし落差の大きいアフリカへ戻った途端
病気に襲われた。
1年以上頑丈な体を誇っていたムスメは日本向きの体に戻ってしまったらしい。
様子がわからないが早く体調を取り戻して、と願うしか術はない。
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中秋の名月

2011年09月11日 22時34分05秒 | Weblog
今夜は澄み切った高い空に月がこうこうと輝いている。
そうだ、今夜は十五夜である。

先週はノロノロ悪魔の台風のため長雨と強い風の中にいた。
テレビのアンテナが突風で方向が狂い以来うつらなくなった。もちろん録画も出来なくなった。
日曜日の夜、台所で天ぷらを揚げていたら、頭に何か直撃した。
ムスメがそばにいたので何かしたのかと瞬間思ったが、天井から天井板バラバラとが落ちてきたのだ。
ひどい話。

庭や畑は雨と風でめちゃくちゃ。
コスモスは全部倒れ、時間をかけて完璧に綺麗に作った花壇は見るのも恐い。

1週間経ち、電気屋さんと大工さんが不動産屋の手配でやって来た。
ああこれは酷いや、こんなの見たこともないと天井を見上げてプロはいう。
それはそうだ天井板が落ちてくるなんて聞いたこともない。
天ぷらを揚げていたのでもう少しで火傷する寸前だ。

その後始末で週末の休みは体をこき使った。
明日から1週間のお仕事に耐えれるかな?
いや、ふざけたことは言っていられない。自分はプロの仕事だ。

などなど美しい月夜に庭に出て薄ら寒い空気に鳥肌を立てながら
いつの間にか秋が深まってきたのを想った。


そうだ、楽しいこともあった。
裏の蕗の畑では茗荷が一斉に顔を出していた。
ぷりぷりとよく太っていて今年の出来は上々だ。
これを味噌漬けにしよう。




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どうなることか

2011年09月08日 23時03分16秒 | Weblog
1週間、雨と風が続き台風はやっと抜けていった。
長いこと北アルプスの姿を見ていなかったが昨日の朝快晴の空にくっきりと
鹿島槍ヶ岳まで見ることが出来た。

爽やかな秋晴れを喜び、ムスメは再びアフリカへ戻って行った。

4月下旬、ブルキナフアソは国内暴動が続き戦地化したため急遽JICAの隊員たちは緊急帰国した。
そして4ヶ月が経ち、世界一安全な国に戻ったと帰国命令が出て、色々なお土産を買い求め
残りの勤務期間を勤め上げるため帰国準備をした。

しかし運命というものはわからないものだ。
成田から出国する頃ニュースで知ったが、例のカダフイ大佐が部下や親戚引き連れ車250台で
ブルキナフアソへ向けてニジェール経由で亡命するというようだ。
遠い海外で起きているとんでもないことが、みじかになるとは…

でもムスメは飛び立って行ってしまった
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