信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

素敵な暮らし

2009年07月29日 23時09分03秒 | Weblog
BSでイギリスから京都の大原に移り住んだベニシアさんという女性の生活を紹介していた。
古い農家に一人で住んでいるが日本語をきれいに使い、近所の大原女をしていた人たちとお付き合いをしながら、生活を楽しみ毎日日記を40年間書き続けている。
その中から紹介された言葉は胸に響いた。

89歳のもと大原女の女性は今でも畑へ毎日通い自分の食べるだけの野菜を作っている。
家でボケーとしているのは嫌い。こうして畑へ来れば体を動かし
仕事は沢山ある。
疲れれば休めばいいのだし、休めば又次の日に働けば良い。
苦しいことは考えず楽しく暮せばいいのよ。と畑を耕し、広い立派な土地に腐葉土を播き紫蘇やきゅうり、なすやインゲンを作っている。私、顔負け。

夏の疲れにと紫蘇ジュースをイングランド女性に伝授していた。

赤紫蘇100g
青紫蘇200g
砂糖1㌔
水2㍑
クエン酸25g

赤紫蘇と青紫蘇を一緒に煮詰めてクエン酸を入れて最後に砂糖を入れて火を止めてよく濾す。
きれいな赤いジュースが出来上がるから暑い夏には4~5倍に薄めて氷を入れて飲むと不思議と暑さ負けをしないですむという。

京都の郊外らしい霧が立ち込める中で育った紫蘇は生き生きとして大きな葉っぱである。
よし、私も来年は畑の片隅に赤紫蘇と青紫蘇を作ってみよう。
今年は毎日寒いからジュースを飲むほどまでは夏は暑くなるまいと思っている。
先ほど大家さんが蜂蜜に漬けた梅を持って来てくださった。
2年物というがかじってみたらカリカリして程よく甘い。
美味しすぎるから食べ過ぎないよう注意せねば。
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治療終了

2009年07月28日 21時30分31秒 | Weblog
4月27日に眼瞼下垂症で手術をして、その後1ヵ月と3ヵ月後の通院で回復を見て頂く。
1ヵ月後は傷は赤く残り、縫った跡は点々と生々しく顔つきも別人になっていた。
自分としてはとてもおかしな顔になったと思っていた。
手術したことを後悔する日もあった。
ただ、あれほど酷かった肩こりと頭痛が消失していた。

昨日が3ヶ月経った日で、もう良いかなと思ったが受診した。
手術をしてくださった医師はちらりと眼を見て、何か変わったことありますか?と聞き、いいえ~元の顔が思い出せないのですと言うと大体そういうことになります。
周りの人も気に掛けていませんからね。とあっさり言われ、これでもう終了します、1年も経てば縫った跡も消えてますよ。
ということで経過を見ていく必要もなくなった。
この3ヶ月は誠に早く過ぎて行き、毎日自分の顔を見ているはずなのに
実際は数回鏡越しに覗くだけで、自分の大きくなった眼をしみじみ評価する時間を持てなかった。
眠そうに見えてやつれた顔は、もう過去となった。
何時しか避けるようになった黒い服は再び着るようになった。

ここからは付録の話

先日80歳の女性と面談をした。
表情が昨年と変わっており、もしかしたら?と聞いてみるとそうです、眼の手術をしたのですがわかります?とニコニコしている。
眼瞼下垂症で眼が垂れ下がり、毎日憂鬱で信州大学を尋ねると手術待ちが形成の教授からは1年先ですと言われ、紹介され銀座のクリニックで6月に手術を受けたそうである。
自費で、、手術は日帰りで術後は眼の周りにヒアルロン酸を注入し、氷で冷やすことも無く、1週間で抜糸し、赤く腫れることも無く全然楽でしたよと言われた。

これが保険治療と自由診療の違いで、費用も1泊2日で8万円の費用が日帰りの自費は
40万円プラスαだそうである。
傷口がまだボツボツに残る私の現在と、きれいな瞼のパッチリした80歳の方は個人的な体質の違いはあるかもしれないが、医療の違いははっきりと見れた。
共通点は肩こりが無くなり、視野が広くなって気分がすっきりしていることであり
手段は異なるが結果的には同じ方向性を得たようであった。
銀座はみゆき通りの一等地にあり、横並びに10人くらいの部屋のカウンセリングルームがずらりと続き、手術も数人が同時に手術が始まるような規模であるそうだ。
瞼以外にも整形を求める女性が詰め掛けており、女優さんの利用の多いクリニックで有名よと言われ、へえ~と驚き別な世界もあるのですねと感心した。





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田舎暮らしのいいところ

2009年07月27日 23時13分03秒 | Weblog
移住して今年で2年目が過ぎた。
全く知人もいない場所へいきなり引越してきたが、住み始めてみれば300年の歴史のある古い村であるため少しずつ知識を仕入れている。
高原地帯を利用してセロリの生産地であり、高原野菜の畑がはるか彼方どこまでも続いている。
その村の最も中心となる集落へ住み始めたが、周囲の農家の方々には本当に良くしていただいている。
知らない人でもコドモでも誰でも顔を合わすと必ず挨拶はするし、しないほうが恥ずかしい。
季節になると玄関には野菜が置いてある。
まるで笠子地蔵のようといつも思うが、次々ときゅうりやレタス、ほうれん草、大根、トマト、じゃがいも、かぼちゃや葱、玉葱もある。セロリなど株のまま2つも置いてある事があった。
一人暮らしだから限られた量しか食べられないが、時々合間に花も作っている農家からはお花が届く。
今日は玄関にじゃがいもとトルコ桔梗が置いてあった。
本当に有り難い。
産地直送、新鮮そのもの。
都会ではあり得ない現象である。

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諏訪の長い夜

2009年07月26日 22時16分49秒 | Weblog
25日、26日の週末は諏訪市でイベントを催した。
諏訪の長い夜と称して、2日間有効のパスポートを買い美術館めぐりをする。
通常1回800円前後の入場料だから格安となる。


2年前に入会した地域のネットワークからのお誘いがあり、今回参加することにした。
会長は地元富士見の建築家さんで、美術館めぐりに建築の話も交えて半日のツアーという。

諏訪湖畔に点在する美術館は全部で16施設あり、博物館は深夜まで開放し併せてコンサートや文化イベントも行なわれる。
1997年にベルリンで始まったDie Lange Nacht der museen をお手本にして今年で5回目という。
美術館はシャトルバスで廻って行ける。

サンリツ服部美術館の前で待ち合わせをしたが一向に皆さんの姿が見えない。
電話をしたら途中で諏訪市美術館に立ち寄っているから、先に見ていてくれと言う。
サンリツでは九州の古陶磁のコレクションが開催され、伊万里焼から有田焼、柿右衛門などが陳列されていた。
1時間遅れで1行が到着し合流した。
次に北沢美術館でアールヌーボーのガラスを見るが、会長の建築様式の説明もあり
時間は予定をはるかに過ぎて行った。
次にシャトルバスで高島城の諏訪氏の遺品などを見るが、ここでリタイアした。
この参加者は非常に高レベルの美術の知識を持った方が揃っており、会話が普通ではない。それもご夫婦揃って・・・・。
一緒に廻っていたら疲れて疲れて、これは早く一人になった方が良いと頭の中で
赤ランプがついた。
バスはご遠慮して皆さんと別れ、一人で残りの美術館を廻った。
しかし限度があった。
朝早くから家を出発して、それでも2時ごろまでかかって6美術館でもう根を上げた。
意外と体のほうが疲れた。
アートの世界は飽和状態になり、今度は岡谷まで走り、映画を観た。
サラブライトマン出演で織田裕二主演のアマルフイである。
上映の1時間50分はとても早く過ぎ去って行った。
地中海に面するアマルフイという都市を中心に美しい街を最後まであらゆる場面で見せてくれて贅沢な映画であった。
イベントの一つの諏訪湖の花火は土砂降りの雨のため見ることが出来なかった。

諏訪に移住して来て独りの生活に慣れてしまったら、
団体行動が苦手になってしまった自分を今日はつくづくみてしまったのが
今日の重要なポイントであった。

 
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じゃがいも いろいろ

2009年07月22日 22時39分10秒 | Weblog
■インカのひとみ

●「インカのめざめ」の自然受粉種子の中から選抜したもの。「インカのめざめ」より一個重がやや大きく、収量性も優れている。
●形は倒卵形、皮は淡い赤、目の周辺は黄褐色、カロテンを多く含み、身はオレンジ色。
●中間質からやや粘質で、舌触りはごくなめらか。ナッツや栗に似た風味がある。煮くずれが少ないので煮物に向く。皮むき後の褐変・調理後の黒変も少ないので、美しい色を活かした料理にも。

■シャドークイン

●同じ紫色の「キタムラサキ」「インカパープル」よりもアントシアニン色素が多く、またこれらより味が良い。深い紫色とは逆に花は涼やかな白。
●長い楕円形、皮、身とも濃い紫色、目は浅い。
●煮くずれしやすいが、調理後の黒変が少ない。鮮やかな色を活かしてお菓子づくりや、濃黄色と白色の種類と一緒にポテトチップやフライドポテトにするとカラフルな彩りが楽しめる。

■レッドアンデス

●皮が赤く鮮やかな色。
南米アンデスの原産種とアーリーローズという紅色の皮を持つ品種との交配種で生命力が強く、他のじゃがいもに比べ芽が出やすい。ねっとりとした食感と濃厚な味わいが得られる。
1度食べると忘れられなくなる。
中身は白いものと黄色いものが有る。

この3種が今回畑で作った作品で、もうすぐ堀り上げます。
従来のじゃがいもと異なるため、土の中から出てきたときは
ぎょっとしましたわ。



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高校野球大会

2009年07月20日 21時59分28秒 | Weblog
雲はわき 光あふれて
 天たかく
 純白のたま きょうぞ飛ぶ
 若人よ いざ
 まなじりは 歓呼にこたえ
 いさぎよし ほほえむ希望
 ああ
 栄冠は 君に輝く


いつになってもこのメロデイを聞くと必ず気持ちが高揚する。
昨日は、選抜高校野球の長野県大会の救護のため諏訪湖スタジアムで仕事をした。
滅多に無いチャンスであるが、日赤の任務でもある。
曇り空で不順ではあるが、10時試合開始となる。
これまでは全国レディ-ステニスや元会社のソフトボール大会などで全国大会なるものに詰めていたので救護は慣れている。
しかし高校野球たるものは初めてであり、何だか恐れ多いような気もするが、これまで同僚から聞いたところではほとんど何も無いからと言われた。

本部席に移動し、午前中は長野西校と大町校の試合が始まった。
2回戦の裏で大町の選手がバッターボックスでデッドボールを受けた。

大丈夫かな?と思っている内に高野連の係員がすっ飛んできて、私はスタジアムのバッターボックスのところで倒れている選手のところに引っ張り出されていた。
ええーこんな広い場所に、とんでもないと思う余裕も無く、倒れている選手のヘルメットを取り、ボールの当った場所を確かめ、控え室に運ぶ。
バイタルを確かめ、すぐにアイシングを施しどうやら異常は無い模様で、暫くしてから高野連が出場を促し選手の希望も強く、グラウンドへ戻って行った。
何か症状が出ないか気にかかるが、そのまま試合は続き、かのデッドボール選手はその後何回かヒットを放ち、好調だ。

思えば高校生に接する機会等日常有り得ず、町ですれ違う高校生は何故か恐ろしく目が会わないようにと思うような連中で、ずり落ちそうなズボンを履きかかとを踏んだ靴を履き、きびきびして爽やかな姿を見ることは無い。
倒れた選手は丸刈りで汗が流れ落ち、脈は130くらいもあり心臓バクバク、体は火の玉のように熱く、それなのに盛んに大丈夫ですと謝る。
周囲の監督や選手達も言葉使いはきびきび爽やか、さすが運動部、マナーも何もかも、完璧訓練されている。
試合終了後両親の希望もあり、念のため救急救命センターへ受診すべく手続きを取った。

午後の試合が始まり、アルプススタンドの両校の応援合戦を聞きながら、自分の子供達の中高時代を思い出していた。
運よくムスメはブラスバンドで中高時代に甲子園に何回か行った。
トローンボーンを吹いていたので、真夏の甲子園では熱くて持てなくなると言いながら、日焼けして帰って来ていた。
あの頃サッカーやラグビーや野球などに良く繰り出していて、親も参加していた。
今振り返るとあの頃が一番、親としてのエネルギーは全開だったのだろうな。
こうして忘れ去った思い出を振り返るのも悪くない。
自分も一生懸命親の役割を果たしていた時代もあったではないか・・・。
このスタジアムの応援に来ている親達はまさに元気一杯の年代だ。
家族中で車に乗って、アイスボックスを抱え、声をからしながら応援している。
ああ若いっていいな。

午後の試合は新しい地球環境高校と岡谷工業で盛んにヒットを打った地球環境が老舗の岡谷に勝った。
地球環境とは今どきらしく名前も珍しい。

怪我人も出ず試合終了となり、一日高校生がすぐ目の前を走り回るのを見て、自分も何だかエネルギーを頂いた。
負けた投手は頭から汗をたらし、悔しくて涙を流しながらインタビューに応じていた。
これからも野球は続けるのか判らないが、まさしく青春真っ只中の若者達は未知数一杯だ。









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梅雨明け?

2009年07月15日 21時15分49秒 | Weblog
朝、中央高速バスの原バス停まで娘を送って行く。
8月までモンゴルへ出かけて行ったが、送った後通勤道路に戻り、走っていて何となく寂しさを感じる。

この1ヶ月、ムスメが海外から戻り一緒に暮した。
私が出勤した後家事をして、帰宅した時は夕ご飯が出来ていて、お風呂も沸き、ビールが冷えていてまるでオヤジの待遇だ。
2人で乾杯し、一人で食べていた食事は作ってもらうと非常に美味しいと感じる。

家の中はすっかり掃除が行き届き、隅々まで整理されてしまった。
田舎暮らしは時間が過ぎるのが早く、とても忙しいと言っていた。

夕方帰宅したら犬が歓迎してくれたが、シーンとしていてまたまた寂しい。
脳天気のあほ犬2匹と共に夕方の散歩に出かけた。
昨日梅雨が明けたと聞いた。
気のせいではなく空は清み、ふわふわ雲が浮かび、空気は冷たく澄み切っている。
都会では暑くて寝付けないとか言っているが、こちらでは想像もつかない。
夜になると肌寒く、長袖を着ないと肩が冷えてしまう。
標高が1150㍍あるし、周囲は八ヶ岳や南アルプス、北アルプス、がぐるりと見え夏場はとても凌ぎやすい。
夏服を着る期間は短いが、凍える冬の寒さは忘れている。
同じ長野県でも長野市は35度まで上がり熱中症が相次いでいるという。

2年以上一人暮らしを続けてきたが、少々同居家族がいたお陰で当たり前だが便利さと楽しさを味わった。
又元に戻るが、老後は孤独感と同居し、自立心を育て、うまく家族とは距離を保ち
上等な年のとり方を学ばねばならない。
時々テレビや雑誌の画面に岸恵子が登場し、そのことを教えてくれる。

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夏の上高地

2009年07月12日 21時28分31秒 | Weblog
昨年の秋、紅葉の時期に初めて上高地を訪ねた。
ムスメが1度行ってみたいと言い、梅雨の晴れ間に、それっと早起きしてお弁当を急いで作り松本インター経由で向かった。
沢渡(さわんど)からマイカー規制でバスに乗り、大正池前で降りる。
ここまで自宅から所要時間が1時間半であった。
時期的に道路が空いており、ラッキーといえる。
沢渡から往復バスで輸送されるが、秋の紅葉の時期は駐車場も一杯で、バスに乗るまでが困難であった。

バスの車窓から見える景色はどんどん緑が濃くなり、谷も深く梓川に沿って途中ダムもあり2度目であっても季節が異なると違った印象に感じられる。
大正池から梓川に沿って歩き始める。
池は雨の季節で雨量も増え、立ち木が枯れた大正池の景色は変わっていた。
マガモが泳いでおり、水に潜って餌をとっているようだ。
中年女性が手に持ったポテトチップの袋から鴨に向かって投げている。
バスの中では野生動物への注意で、餌を上げないで下さい。
塩分や油が鴨達には有害になるからと断っている。
それなのに岸ではあちこちで女性が袋菓子やお弁当の中身を鴨に向かって投げている。
川の傍では延々団体客が道一杯に塞がって歩いている。
道路はすれ違いになるが右や左にばらばらに歩いているので、歩きにくいことこの上なし。
登山の時はルールがあるので登り下り迷うことなく歩いているが、河童橋までの
間と、竜神池までの長い歩道は右左に人を避けながら歩くのでとても疲れる。

田代池で正面に奥穂高岳が見えるのだが、隣を歩いている女性が連れに、山を指差しあれが谷川岳と説明している。
傍の男性はへえーっと感心している。
あれっ・・・・ここは群馬県か?

団体さんが一緒に歩くとなかなか面白い会話が聞ける。

河童橋から梓川に沿って右岸と左岸に別れ、歩き続け竜神橋に到着し、昼食が2時になった。
目の前にかぶさるように聳える山を見ながらおにぎりを食べ、すっかり景色を堪能したので右岸の川に沿って戻った。
所要時間が5時間余。
前回一人で来た時は休みなしで歩き続け、昼食時間もそこそこにして歩いた時間は4時間掛かった。
ムスメと歩くと色々しゃべり、写真を撮り、団体客の傍を右や左に抜け、結局時間が長くなった。

河童橋では観光客はまだ夏の混むシーズン前なので超大混みという訳でもなかったが絵葉書に出て来る上高地の景色そのものが目の前に広がっている。
奥穂高岳も頂上の雲が切れて美しく聳え、来た甲斐があった。

青葉の季節も良いがやはり紅葉の美しさは比べようが無く、又秋になったら是非とも訪れたいと思いながら帰宅の途に就いた。


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戦友

2009年07月08日 22時25分23秒 | Weblog
今日職場で後ろからいきなり声を掛けられて飛び上がった。

私はびっくり症候群で、いきなり声を掛けられると驚いて飛び上がる特徴がある。
声を掛けたほうは大笑いするがこちらは深刻だ。
心臓が跳ね上がってどきどきする。

あなた、眼の手術をしていかが?と言われ顔をじっくり見られた。
何だか知り合いのようにも思え懐かしさを感じる。
そこでよくよく見たが私は知らないがあちらは覚えているらしい。

手術室ですれ違いましたね?
と言われ、4月末に眼の手術で術後車椅子に乗せられて病室に戻る時に、入れ違いに
手術室に入って来た方とのことで、手術が終わったばかりの私のひどい顔をご覧になったのだ。

職場は異なるが勤務先が同じ方のようだった。
あなた随分良くなったわね、全然手術した跡がわからないじゃないと言われた。
え~まだまだ1年くらいかかるようですよ、まだ傷跡だって二重瞼の中に隠れているけれど、触ると縫った跡はでこぼこでと言い訳をした。

私の顔を見てと言われ、眼を見たら傷口が赤く、瞼は腫れているのか、もともとはれぼったい眼なのかわからないが瞼がくっきりと二重になっている。
盛んにあなたは良いわね~と言われるが、私は自分なりにびっくり眼でまだまだおかしな顔!と思っていたので半信半疑だが比べてみれば随分ましである。
その方は瞼の下垂で偏頭痛がひどく、術後は症状は取れたようだが、瞼の傷跡の腫れが取れないので気分がすっきりしないと言われた。

同じ手術でもその跡の回復状況は個人差が大きいことがわかった。
いいないいなといわれても、どこがいいのかわからないが、瞼の脂肪のつき加減で
直り方の差が出る様である。
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家庭菜園じゃがいも収穫

2009年07月05日 23時50分34秒 | Weblog
梅雨はまだ続くが、雑草の伸び方の早さには驚かされる。
家庭菜園は週末しか作業が出来ないので、やることが多く、焦ってしまう。
庭では千鳥草やボリジが所狭しとはびこって咲き、通り道を塞いでしまっている。

娘と一緒にトマトの雨よけを2箇所作った。トマトの木の上をフレームで囲い、ビニールで覆う。
一人では出来ない作業で、昨年プチトマトを作ったが、相当量は毎日収穫でき、最後の方に長雨が続き実は裂果してしまったため、今年は雨よけのビニールハウスを用意した。

畑の畝のあちらこちらで昨年の堀残しのじゃがいもの芽が出てしっかり茂っている。
傍の野菜たちの邪魔になり、栄養分も取ってしまっているため、いよいよ決心して抜き取ってみた。
そうしたところ、きゅうりの傍から抜いたじゃがいもの茎には大きなじゃがいもがくっついて出てきた。
えーっとまさかでしょうと言いながら次々と散らばって育っているじゃがいもの木を引っ張って抜いてみたところ、まだ梅雨が明けないのにごろごろ出て来るではないか。
こういった場面を初めて見た娘は大喜びである。

4本のじゃがいもから軽く籠に一杯収穫できた。

では、では傍のじゃがいもの畑からはどのくらい取れるの?
まあ1本の茎から昨年は12個のじゃがいもが文字通り芋づる式に
くっついており、山のように掘れて喜びと共に大困惑をした。
ごろごろ土の中から出てくるときの喜びは表現しがたい。
片っ端から知人友人、実家などに送り、じゃがいもの値段より
宅配便の値段の方が張った。

じゃがいもを植えるのは今年で3回目だが、このためし掘りで行くと
北アカリ、月のインカ、アンデスなどの種類だが多分出来は良いと思われる。

一日置いて今朝ふかしてバターをつけて食べた新じゃがいもは昨日まで土の中で幸せに居たものであり、ご馳走様と手を合わせて感謝しつつ頂きました。

ブルーベリーは3本の木があるがかなり実が大きくなってきた。
眼を離していると、すっかり熟してしまったりするので、周りの草を刈り取り、見通しよくして今月末には収穫できそうである。  
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術後2ヶ月経過した

2009年07月02日 21時38分57秒 | Weblog
眼瞼下垂症の手術を4月27日に行い、2ヶ月が経った。
GWを前に1泊入院したが、気分はとても前向きで、すぐにでも新しい顔に馴染めると思っていた。

ところが、ところが術前術後の違いが大きく、しかも切り傷が回復していくにはかなりの時間がかかるということが、徐々に判ってきた。

1ヶ月もあればと高をくくっていたが、美人の女医先生は1年経てば目立たなくなりますよと微笑みながらおっしゃった。

実際、手術後に自分の顔を見たときは愕然とした。
予想外の眼の傷口で、思わず笑ってしまうほど愉快な顔になっていた。
娘からは笑われた。ホワイトボードに、こういう顔になったと似顔絵を描いてくれた。
その絵は酷すぎる。

1ヶ月は傷口は赤いアイシャドウ並みに残り、いやはや大変なことになってしまったと後悔した。愉快な顔つきが毎日続くと以前の自分の顔が思いだせなくなった。

あれほどひどかった肩こりはすっと消えていた。

1ヶ月が経ったころ美人の女医先生に廊下でばったり会った。
どう?と私の顔を覗き込み、1年くらいは馴染むまでかかるわねぇとおっしやる。
先生も手術以前の自分の顔を忘れてしまったそうで、片目10針ずつ縫っている私の瞼は縫った後が点々と残った。

このまま変な顔が続くのかと鏡に向かうたびに1ヵ月半は手術した自分を後悔ばかりしていた。
その後2ヶ月近く経ったころ、傷口のあとの腫れが引き、愉快な顔に変化が出てきた。
目の前の景色は天井まで見えるようになり
自分のまつげが見えていたこれまでが打って変わって視界が広くなった。
びっくり仰天の目つきは段々柔らかい目つきになってきた。
以前の顔つきは思い出せないが案外心配するほどではなくなるかもしれない。
兎に角視野が開け肩こりの無くなったことは画期的な出来事であり手に入れたものは大きい。

そうそう、いつも子供達から眠そうな眼をしてとか、疲れているねと言われていたのに手術後はこの言葉はなくなった。
疲れているはずなのにパッチリした目つきなのでこれも大きな効果だと思う。
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剣岳 その2

2009年07月01日 22時29分26秒 | Weblog
日曜日に観た映画の剣岳・・・・この映画の影響は大きかった。
娘は翌日友人に誘われていた黒部ダムへあっさり出かけていってしまった。

神奈川にいたときは、憧れの黒四ダムへいつか泊りがけで行こうねと淡い希望を持ち続けていたが、とても遠い存在のままに信州へ移住してしまった。

剣岳の映画を見終ったあと憧れは願望に代わった。
山そのものより、登場人物の生き様に骨抜きになった。
自分の生きてきた過去は一生懸命その時その時を考えてしっかりしていたつもりだが何とあやふやだったか、信念も目標もなく日々を送ってきたのではないか。
グーグルアースで簡単に地図を検索できる時代になったが、明治時代の戦争中に、地図を完成するために命を引き換えに仕事をしてきた人々がいたという史実を初めて知った。

立山信仰という神の住む山に行者以外に人が登るのはたたりがあるとされ登るものは死を持って罰され、死の山といわれていた。

その剣岳が画面いっぱいに迫り、様々な角度からの山々の迫力は2時間余の時間が経つのを忘れて引き込まれた。

香川照之扮する宇治長次郎という山岳案内人と浅野忠信の測量士の役は寡黙でありながら謙虚で、仕事に対する情熱を奥深くしまいこみなかなか見せず、上等な人間性にはこれまで持っていた印象が大きく変わってしまった。
娘は黒部へ出掛け、その後黒部の太陽のドラマを見て、甘い自分の考え方生き方を盛んに反省するようになった。

いい影響である。
この数日、長次郎の謙虚な姿勢を思い出すたびに、仕事場での自分の在り方を学習できる場面にもなる。
誰もが、自分が一番、俺が俺がと前面に出てくる時代、いかに謙虚に生きていくかはとても難しい。
しかしまだまだ60才を過ぎても自分を伸ばすチャンスはあるのだと思うことにした。
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