信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

実家は遠くになりにけり

2008年12月21日 22時17分43秒 | Weblog
母の一周忌のため、2匹の犬を馴染んだ富士見の動物病院へ預け、原のバス停から中央高速、東京駅から東関道の高速バスの乗り継ぎで銚子まで出かけてきた。片道乗り継ぎ入れて6時間。文庫本を相当読むつもりでいたが、心地よい振動と暖かい陽ざしにほとんど眠りぱなしにおわった。

真冬とは思えぬ暖かさに、師走らしい慌しさも感ぜず、故郷は水仙や街路樹は緑々した木と草が生え、長野をでる時は一面霜で真っ白の景色が数時間もすると全く違った場所へ変わっていく。
東京駅で買い物をし、雑踏の売り場をくぐり抜け、千葉方面へ向かった時には既に疲労でバスの中はぐっすり眠っていた。
夕方実家へ到着し、先に着いた姉夫婦と実家の兄夫婦と長い宴会が始まり、話は入り乱れ混線し、人の話を良く聞かぬ年寄り連中の集まりはまとまりがつかない。
そこへ持って兄達の孫が2人賑やかに参加してくるので一層賑やかである。
時間と共に酔っ払いは増え、大事な相続の話し合いは又もや宙へ浮いた。
深夜まで宴会は続き、グロッキーになって布団にもぐりこんだが、部屋の中は暖かく、千葉と長野の気温差は相当なものだ。

明るく賑やかで、昨年の寂しいお葬式とは打って変わって孫中心の法事は短時間で終わり、お清めの途中で抜け出した自分は、長野へ帰らなければならず、又もや折り返しのバスの車中の人になった。
行きと帰りの景色は変わらないが、それを見ている私の心の中は変化し違っていた。
母は亡くなってあれほど切なかったのに、時間と共にその気持ちは遠くへ去り、昨夜母の遺品を整理しながら、人が死んだ後残った品はごみであると言った上野千鶴子さんの言葉が実感できた。
衣類も、身の回りの品も、時代は裕福になったため残された家族には必要なものが無いではないか。
私も長野へ帰ったらぽつぽつ少しずつ身の回りのものを整理していこうと思う。
兄夫婦も姉夫婦も心配をしてくれるがそれぞれ孫もおり自分たちの生活で一杯一杯である。
歳も取って今までのような若さは失せ、話も繋がらないようになり、老後とはこのようなことだったかと思わせられる。

後5年後の自分の生活の建て直しをこれから考えなくてはならない。
わが故郷は親の死に目と共に遠くへ去っていったのは確実に今回感じ取った微妙な思いだと思う。

亡くなった母親ともこれで区切りがつき、雑踏の都会の中を歩いていたら、自分の居場所はどこなのか、少しつかめたようである。
暖かい千葉は住むには楽で都合が良いが、既に雪が降った信州は寒すぎるし、愛着はまだ出来上がっていない。

ああ60才を過ぎてもまだ魂の置き所を決めかねている親不孝娘の行き着くところはどこなのか?
今週末は既にシカゴへ向かう飛行機の中であるが、息子夫婦と娘と共に新年を迎えて根性を入れ替えて出直してこようかと思う。

終わってしまった・・・・・

2008年12月19日 23時59分05秒 | Weblog
10月から始まった倉本聰の最後の作品といわれている風のガーデンが昨夜終了した。
見終わったときはいつもより力が抜け、腑抜け状態で床に入った。

中井貴一演じる麻酔科医は6月に自宅で療養し起き上がれない状態で持続硬膜外麻酔で痛みを和らげながら10月1日に永眠した。
父親役の緒方拳が看取るのだが現実は逆である。
つい最近までしかも10月になって亡くなったのに、ドラマの中では子供を先に見送る役で涙無しには見られなかった。
その目で見ているものだから、どうしても細かいしぐさなど自分のドラマと重なる面をどのような気持ちで演じていたのだろうと想像してしまう。

中井貴一は死に行く日々をリアルに演じていた。
顔つきやかすれた声などこれは本当だよねと思え、流石にスタッフと俳優と一体になり作られた珠玉の作品にこれが最後かと思うと惜しいとしか思えない。

神木龍之介の演じる障害児の役も天才としか思えない。
目つきや身のこなし、特有のこだわりだらけの言葉、いやはや引きずり込まれて終わりは早かった。
中井貴一役が亡くなった1年後までドラマは続き、倉本聰らしい終わり方になった。
エゾエンゴサクの花は1年後に一杯に咲き、父親のいない後を埋め尽くしていた。
余韻は残り悲しい気持ちで布団に入り、いつに無く夢ばかり見ながら朝まで寝続け、目覚ましを掛け忘れ、気が付いて飛び起きた。
遅刻に至らず、今日も一日無事に終わり、かくして12月下旬の1週間は過ぎ去っていった。

明日は千葉の実家に戻り、母親の1周忌となる。
今年ほど人の死を身近に感じた年は無かった。

1列縦隊

2008年12月18日 21時31分29秒 | Weblog
今朝は濃霧に覆われ3メートル先しか見えない中、アイスバンになった道路を走った。つるつるに光り見ただけでも恐い。
昨年は初めての冬越しだったので恐さを知らなかった。
原村から諏訪まで1150メートルから700㍍くらいまで降りていくのだから結構下り坂ばかりだ。
少し走ったところでハンドルが効かず、ブレーキがロックされジグザグ運転になった。対向車が無かったから良かったが、危ないところだった。
これから雪が降り、道路は凍ったまま何ヶ月も続く。おお恐い。
3速で駄目。2速に落としてもロックされ1速でやっと止まる。
いつも80キロあたりで吹っ飛ばして走っている車達は今朝は慎重に、20キロくらいでのろのろ長い渋滞の列になる。
お陰で今朝は遅刻すれすれ。
頭の中がまだ雪道仕様になっていないので、いきなり今朝のアイスバンでは恐さばかり先に立ちこわごわ運転するから肩が凝った。

日中は気温が上がりうそのような暖かさだが、前にひろがる諏訪湖ではかもが軍団で30羽くらい泳いでいる。
それも一列縦隊の長い列だ。
可愛いわ可愛いわ、それを見ていたら朝の恐い運転が蘇り、暖かい諏訪でいっそ住もうかと思ったくらいのどかな景色だ。

やる気の秘密

2008年12月15日 22時38分47秒 | Weblog

新聞を読んでいたら面白い記事を見つけた。
やりたいことがあってもなかなか続けることが出来ないのは何故か!

☆脳の仕組みはもともと飽きっぽく出来ているからで......

ではやる気を起こさせるにはどうすればよいか。
それは脳を騙せばよいのです。
やる気になっているのは脳の、淡蒼球(海馬の傍にある)が動いている。

その淡蒼球を動かすにはスイッチが4つあるという。

1 体を動かす
2 いつもと違うことをする
3 ご褒美を与える
4 なりきる
 
このスイッチが一つでも入ると淡蒼球がつられて動き出す。つまり騙されて動き出すということらしい。
この理論について書かれた本が出版された。
幻冬舎の新刊でのうだまという書名である。

今朝は雪が積もり寒くてやる気が出なかったが、この4つのスイッチの体を動かす
から入ってみた。
そして時間通りに車を運転して諏訪まで出かけた。
雪を積んだ車は見当たらず、茅野あたりでは私の車はどこの山の中から出て来たの?というくらい周囲の車は雪のかけらも無かった。

 やる気の問題は日常どこにも転がっている。
生活習慣病防止の為の運動。
ウオーキングを勧めても3日坊主は当たり前。
そのため私は自ら実験台となりやってみる。
寒い信州地方では寒くて暗い夜は運動などもってのほか。昼間はサラリーマンは時間が無い。
さあ何が出来ると考えて、寝る前のラジオ体操を考えた。
第一第二体操続けて8分間だ。
しかしどんなに良くても毎日続けるのが難しい。
それを克服し体を動かし始めるとどんどんやる気は起こる。

まずは体を動かしてみよう。
淡蒼球を動かせよう。

一転して

2008年12月14日 14時39分59秒 | Weblog
今日は日曜日だが、朝何となくいつもの時間にしては明るいと、障子を開けて外を見たら、ぎょぎょぉ~雪が降っている。
しかも積もり始めていてそのために明るいのである。
すっかり目が覚めてしまい、部屋中の暖房をつけて起きた。
犬達を外に出したら、すぐに飛び出さず暫く眺めていたが、やがてジャンプして姿を消した。
数分後帰ってきた奴らは雪だるま状態。
もっと遊んでいたいらしいが、お腹が空いているようで思いっきり身体を震わせぶるぶると雪を振りまいた。超迷惑!

昨日汗をかきつつ東京で過ごしたのに、一夜明けたらこの天気。
折角やる気を起こして帰った来たのに、今日は炬燵に潜り、パソコン作業に明け暮れるであろう。


10時からNHKで遠藤実さんの追悼番組を見た。
まさに自分の高校生あたりから覚えている楽曲ばかりで、高校3年生が流れると、ついその時に戻って思い出す。
阿久悠の追悼番組の時も同じ思いで見ていた。
天才作曲家や作詞家の生み出した音楽は長い間人々の心の中に棲みつき、その当時の出来事も一緒に、思い出として心の奥深くしまいこんでくれる。
その思い出は時間と共に変化して、ふっとこうして思い出すときはたまらなく懐かしく、暖かく心から溢れ出て来る。
こんな時は、ああわが人生も悪くは無かったではないか、不幸では無かったではないかと肯定する気持ちが強く出て肩の荷が抜ける。
今年は沢山の著名人が無くなり、少なからず、影響を受けていたことを知った。

風のガーデン、今週が最終回。
見終わったときにはまた心の中に穴が空いてしまうであろう。

歯を食いしばって生きてきた結果

2008年12月13日 23時54分09秒 | Weblog
13日の朝早く中央高速バスに乗り、東京へ出た。
東日本橋の歯医者さんのところへ歯の点検をお願いしたが、新宿からメトロ乗り継ぎで、約束時間を5分遅れで到着する。
原村を出るときは、外は霜柱で真っ白だがそう悪い天気でもなく、着膨れすると恥をかくから少し薄着ではあるがマフラーは巻いた。
新宿到着した時は、な、なんだこの陽気は....
街路樹の銀杏の木は落葉せず黄色に紅葉している。
あちこちの植え込みも全部葉っぱが緑色でまるで真冬とは思えん!
など渋滞しているバスの中から見ていたら、汗がたらたら......。
メトロの中の乗客は様々な格好をしているが、総じて厚着だ。こんな暖かい気候で
何でダウンやブーツを履いているのかわからない。
となるとファッションだろうが汗をかくではないか。
東日本橋では3年振りだったが、道路わきに植えてあったボケの木はピンクの花が咲いていた。
今咲く季節ではないのに、気が早い。

噴出した汗を抑えて治療をして頂いた。
定年を前に1年かかって総て気掛かりな場所は治療して頂き、長野へ引っ込んだ。
それがやけに歯ノスリ減りが気になり、前歯も奥歯も咬合面が減ってきている。
先生は2年前の私の歯の模型を全部見せてくれた。
すばらしい!全部取ってあるのだ。
飛行機事故で私は墜落しても、歯形で遺体の身元証明は可能なのだと妙に安心したが、この2年近くの移住生活で歯の変形が来たのが判った。
歯のスリ減りが激しく、先生から夜中に歯軋りか歯を食いしばって寝ていませんかと言われた。
と、言われても寝たら最後、目が覚めるまでは虫の息だから調べようもなく、同居者もいない単身者には難しい質問だ。
時々子供達からは、寝言で叫んでいるとは言われたが、最近のことはわからない。

しかし身に思い当たるのは、信州へ越してからは穏やかな生活を望んだのとは裏腹に、すぐに花作りと、諏訪湖畔の施設に就職し、どちらも人生の中で初経験の仕事で頑張らなくちゃぁの毎日で、しかも冬になったら雪道の運転で歯を食いしばらざるを得ないのだ。
その結果、歯が磨り減ったのか....とほほほほ。
治療の方法はなく、歯を食いしばるか歯軋りするかはわからないが、マウスピースを作って何が原因か試すことになった。
歯型を取って、透明のマウスピース(ボクシングのような恐ろしい形ではない)
をはめて夜寝ると歯軋りの場合は1ヶ月くらいするとマウスピースに穴が空くからそれで判るようだ。
日中も知らず知らず、奥歯をかみ締めていることが多い。
採血担当になると、何十人もの受診者の血液を取るが血管の出が悪い人のときは針を刺す瞬間は歯を食いしばっているかもしれない。
野球では王元監督がバッターボックスに入り、飛んできたボールを打つ瞬間の奥歯をかみ締める圧は凄い事に歯がそのため全部磨り減り、ぼろぼろに砕けた話は有名だそうだ。
それならば、フイギュァは4回転ジャンプする時は?サッッカーは?と質問したら
今はそのために研究されてメンタルトレーニングを積むそうである。
18歳の真央ちゃんが歯がぼろぼろになることは無いんだ、と又妙に納得した。

やはり歯を食いしばって生きてきた東京での生活は長かったし、信州へ来てからも新しい生活に果敢に挑戦してきたが、その歪は身体に出ていたのだ。
きりきりせずにこれからは生きていこうと反省しながら貴重な学習が出来て帰ってきた。
東京は暖かい、お金があれば何でも手に入る。衣類でも食品でも何でも目に入るものが原村では想像もつかない。
そのご京王デパートのアフタヌーンティで3時間、友人とお喋りしてまだ時間が足りないが、バスに乗る時間がやって来て渋々都会を後にした。
このところ東京へ出かけてくる日が多いが、色々やる気を起こさせる材料は都会には豊富であり、帰りのバスの中はお陰でぐっすり眠れる。(歯軋りしていなかったかな?)


忘年会

2008年12月12日 23時26分42秒 | Weblog
諏訪湖畔の職場に入社して2回目の忘年会に参加する。
今回はしゃぶしゃぶを食べる会。
昨年はまだ日も浅く、覚えることが膨大で、毎日の業務をこなすまでに至らず、相当なストレス状態になっている中、雪が降り積もり、あわわわしていた。
いまだに抜けているところはあり、時々ひゃっとするが大きな間違いはしていない。
あの頃はそうは思いたくないが、歳のせいか、頭の覚えが悪いせいか、ゼロから覚えていくにはトウが立ちすぎ....自分を呪い、そうこうしているうちに春になった。
昨年の1月ごろは最悪だった。
20年も前の会社で働き続けたくせに、新しい職場では自分は欠陥人間だと思う毎日だった。
出社拒否する人の気持ちが良くわかり、親はいつ亡くなるか風前の灯状況、そして毎日雪が降り、愚痴をこぼす先もなく、一人ぼっちの真冬は底付き状態だったのだ。
そうして一年経ってみると、忘年会で一緒になって騒いでいる自分がいる。
何となくこの勤務場所も、居住地も居心地が良くなり、もう東京で暮らす気持ちは吹っ飛んで行ってしまった。

けれど.....
明日は早い時間に中央高速のバスに乗り、新日本橋の歯医者さんに治療に行く。
歯医者は諏訪にも沢山あるが、時間とお金を引き換えにしても、信頼できるかかりつけの先生はまだ見つからない。
治療が終わったら、新宿で友人に会い、久し振りにおしゃべり三昧が出来る。そして又バスに乗り、家に帰ればもう原村は夜中だ。バスは便利である。
都会へ出るとしゃきっとするから、老込む自分に歯止めになると思っている。

暖かな一日

2008年12月10日 21時21分20秒 | Weblog
昨夜は随分と長い間強く雨が降った。雨音を聞きながら、ブログを書き、テレビの映画を見ていた。
つらいからやめよう、消そうと思いつつ、ついに最後まで、最後のほうはテレビの前で突っ立ったままひきずりこまれ見てしまった。
これがいけなかった。
夢の中まで引きずって、私は胸の手術をして死ぬ夢を見た。
何で胸の手術なのかわからないが、布団に犬が乗っかっているのではないかと思うほど重く、苦しいなあと思い死ぬってこういうことだと妙に実感があった。
暴力的な内容の映画は、寝る前には見てはいけないんだ.....。

霧が立ち込めた朝、ヘッドライトで10メートル先がやっとのところを、高速で諏訪インターまで飛ばした。意外とこういう気分がすっきりしない日は、通勤に突入するには高速道路を使うのが気持ちが良い。
原村のある諏訪南インターから諏訪インターの茅野までの1区間は7分で行ってしまう。
ああ今日は時間すれすれという時は高速で突っ走ると、一般道路で行く時より早く病院に到着してしまう。
何も見えない真っ白な霧の中、別世界に来たような思いで、運転をした。
1昨日は気温が低く、朝出かけるときにはマイナス5度になっていた。
ついに早ここまで来たかと思ったが、まだまだこれから下がり、やがてマイナス18度まで行くのだから驚いていてはいけない。
それが今朝は7度だったから温度差が大きく、ぽかぽか陽気だわと思う。

日中は晴れ上がり、諏訪湖の奥に北アルプスが連なって見える。
雪が更に降ったらしく、真っ白で、穂高連峰や槍ヶ岳が凛として聳えている。
山々は雪があったほうが厳しく険しい。

悲しい映画

2008年12月09日 23時01分11秒 | Weblog
午前中の私は元気だ。
くるくると身体も良く動き、61歳の年齢の割には良く働くと思う。
働かざるを得ないのが現状だ。
20代の若い同僚は、脳みそが若いから人の動きを良く感知し、指図をするのが得意だ。
ため口でああしろ、こうしろと毎日良く指図をして下さる。
若者は恐さを知らないから、まあいつかわかるだろうと年寄りは、広い心で許している。
お陰でよく働く毎日だ。
しかし午後、あらかた仕事が終わり、夕方になると最近はガス欠になる。
ムスメにはしわしわの顔と言われる。
今日の夕方ふと血圧計の傍で、最近血圧も人のばかり計っているが、自分は計っていないなと腕を突っ込んだ。

あらまあ94-59しかない。年齢から言えば低血圧だ。
しかも一日中働いた後でも低いのだから、疲れているのだろう。
気力と体力は一致しないと思うことが増えた最近の自分に哀れさを覚えた。

今日の画像は先日のクリスマス夕食会で頂いた、出雲産の貝で誠に美味であった。


今、BSで映画を観ていた。久し振りに根気良くテレビの映画を観るが、これが辛い内容だ。
原田美枝子と中井貴一の「愛を乞うる」と言う作品で、見るに耐えないが見らずにいられない。
子供の虐待に徹したのを見ているが原田美枝子の2役の演技は大したものである。
今夜も早く寝ようと決心しながら、11時半まで終わらないから又寝不足になるであろう。

みかん

2008年12月08日 22時05分11秒 | Weblog
ムスメが東京へ行った後、友人から相次いでみかんが送られてきた。
ありがたや、ありがたやというところなのに、ひとり暮らしでは消費しきれない。
毎日健康診断の後の保健指導では、糖尿病予備軍のがあまりにも多すぎ、食事時間やお菓子類、果物などをどの時間に食しているかを聞いているが、大概夜ご飯の後という。
これまではデザートは食後と言い、食事とは別なお腹に入っていくとケーキやお茶菓子を食べているうちに腹回りが人に見せられないほど恰幅が良くなっていくのである。
毎日同じ話をしているが、それでも皆感心して聞き、今夜から改めますと約束して帰って行く。
私の玄関の傍の廊下のみかんの箱はどうすりゃいいのですかね?
毎日働いているから、食べる時間は夜しかない。
夜食べればメタボの街道まっしぐら間違いなしだ。

元の生活に

2008年12月07日 23時15分28秒 | Weblog
2週間、原村へ戻り一緒に過ごしたムスメが今日の午後、東京へ向かって行ってしまった。
数日、東京や友人の住む宇都宮へ行き、12日にはシカゴへ行く。
半年、アルジェリアとロンドンのオフイスで働き、日本へ戻って来た。
本人はその間辛い日々を送ったが、帰国して、この田舎で2週間生活し、多分リハビリにはなったと思う。
アメリカで又新境地を開拓し、自分の生きる方向が探ればそれで良い。
中央高速バスに乗り行ってしまった後残された、母親はわかっているが又ぽっかり胸の中に穴が空いたままになった。
空虚になった母と犬たち2匹でとぼとぼ雪が積もった八ヶ岳を見ながら寂しく散歩をした。
母もそうだが、犬達はこの2週間、ムスメに手厚いスケジュール管理をされ
すっかり昼寝も碌にない毎日で、可愛がられ、それが急に又姿を消したので
敏感に察知したらしい。
奴らはしょぼくれ、しんとして、いるか居ないか全く静かになり炬燵に入って寝てしまった。
あぁ気の毒。


クリスマス夕食会

2008年12月07日 22時55分59秒 | Weblog
12月に入り一番に冷え込んだ。
青空で天気は良いが、午後から雪が西山から、諏訪方面から、八ヶ岳からと四方から吹っかけてきた。
今日の午後はムスメに八ヶ岳のアウトレットで買い物に付き合い、その後大泉の友人宅へ伺い、夕方まで話し込み、6時から泉ラインにある方方亭でチョット早いクリスマス会に参加した。
こちらはガラス作家の七尾さんと家庭料理を頂ける方方亭の吉田まりさんと画家の今井さんのコラボレーションによる夕食会である。
丁度アルジェリアから帰国したムスメも明日は東京へ出かけてしまうので、一緒に参加させて頂いた。
夜は真っ暗になってしまい、方向もわからなくなるほどの暗闇になるが何とか辿り付き、夕食会が始まった。
6組のメンバーにより、それぞれ初めての顔合わせで、七尾さんと知り合っていなければこういった異業種の人たちによる会合は縁が無かった筈である。
高台の昼間はさぞ見晴らしが良いであろう建物では、デッキにクリスマスツリーが飾られ、室内は七尾さんのランプが灯り、今井さんの絵が壁を飾り、そしてまりさんの手作りのお料理が運ばれてきた。



1部を除き、初めてこの場で顔を合わすそれぞれが料理を頂きながら自己紹介をし、賑やかに和やかに、珍しい話や、この地の紹介や、料理を飾り付けているすばらしい器に気を取られながらしている内に、何と4時間近く時間が流れていった。
お開きになったときは外は高い空に半月の月が上がり、満天の星で震え上がるほどの寒さであった。
今日の夕食会のメンバーはインターナショナルで、海外生活をしていた人が半数を占め、疲れて帰ってきたムスメも会話に入り込み元気良く飲んだり食べたりして、大学で英語の先生をしている方からこれから行く、ニューヨークの市内観光のアドバイスを受けていた。
都会ではあり得なかったこのような縁作りは、移住先であるからこそ、知らない同士が求めるのかもしれない。
雪が積もるかもしれないと思って出かけたが、帰りは真っ暗闇だがほのかな月明かりのなか、今日はムスメと過ごす最後の日であったが、とても素敵な思い出が出来て、七尾さんに感謝して原村に帰ってきた。
今日一日、山梨側で過ごしたが、総合的考えるとやがての住まいは大泉かな?

師走

2008年12月03日 23時21分48秒 | Weblog
12月に入ってしまった。
11月末の3連休に、アルジェリアで働いていた娘が帰国した。
その前日に私は沼津の観光者に車をぶつけられ、ショックと娘が帰ってきた嬉しさとぐちゃぐちゃで良くわからないままに12月に入った。
今月は毎週のように週末は東京へ用足しで出かけ、おまけに実家の母親の一周忌も待っている。
それが終わった週末はもう年末を迎え、息子が住んでいるシカゴへ年末年始を過ごすために飛んでいく。
娘は一足先に出かけ、息子夫婦と一緒にニューヨークへ行くそうだ。
いま毎週のように出かける交通機関の予約に追われ、頭の中が整理できていない。
でも勤務は毎日きちんとこなさなければならず、こちらはプロの世界だから、今日はインフルエンザの予防接種をしてもらい、体調管理だけは気を配っている。
忙しいのは12月は誰も同じですね。