信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

忘れてはならない

2013年12月29日 21時58分16秒 | Weblog
夕方、ムコ殿のお弁当を作る。
毎夕仕事が終わった後入院中の妻と息子の元へ出かけていくムコに
せめてもの夕食を作る。
その後今年最後の温泉に入りに高遠の桜の湯に真っ暗な道を、出かけた。
流石に暮も押し詰まり夜の温泉は客も少ない。

家に帰り何気なくテレビのチャンネルを換えてBSで2013年歌謡祭なるものに目が留まった。
丁度自分の小学校から中学時代に歌った歌手が次々に登場する。
当時から余り変わらぬ女性歌手は十分若々しく、
年齢以上に男性歌手は酷く年を取ったなぁと変に感心した。

昔の歌手は安心して見ていられる。
しっかりした歌い方は年を取っても凛としている

しみじみしながら最後まで聞いたが、途中で東日本大震災の時の詩の朗読のあと
2011年3月11日をいつまでも忘れないでという言葉に胸が熱くなる。

続いて
新相馬節を歌う原田直之さんのその歌声にずんと鉛を心の中に打ち込まれたようで
、あの悲惨な2年前の震災を思い出す。
幼い頃から聞きなれた福島の民謡はふるさとDNAとなって埋もれている。

福島出身の3月11日生まれの自分だから、永遠に毎年誕生日が来るたびに追悼の日となるのだ。
新相馬節のあの物悲しい節回しにこれからも軽々しく生きていってはならないと
教えられた。

短い1年だった

2013年12月29日 14時01分54秒 | Weblog
11月が過ぎていくのが早すぎると思っていたが、12月は更に勢いを増して
もう年末だ。
今年は例年と違い、退職、農作業の手伝い、家の新築、引越し、ムスメの出産と続くわ、続くわでもう
暮れて行く。

古いものに別れを告げ、新しい生活に慣れていくが、その間知らなかったことに手を付けねばならない
困難さを山盛り経験した。
市町村、国の機関、その間を10月から何度足を運んだことだろう。
指導事項の違いを怒りと共にこの年の瀬には忘れねばならない。
リーマンショックでこの5年間はらはらしながら失った預金の金額だが、建築費用が支払いが終わった
途端どんどん外貨は上昇し,これまで悩んだのは一体なんだったんだと小市民の痛んだ胸はこれも損失が大きい。

まあ人生とーたるプラスマイナスゼロだから、これからに期待しようと年末だからこそ決心する。
新しい家だから大掃除などいらないでしょうと言われるが、人間生きている限り塵やごみは毎日溜まる。
大掃除はいらないが小掃除は必要だ。

これまでの長い間年末年始は料理や掃除などの時間にすべて取られ、寒さの中での
客のもてなしなどしっかり出来たかなと思い返す。
結婚して昭和50年代は専業主婦で、年始の客はいつも15、6人来たので姑に遠慮しながら
子供を背中にしょって
28日から1月4日まではほとんどおせち料理つくりともてなしのために台所で暮らした。

もうその時代も遥かに遠くなり、おせち料理も変化をしたし、NHKの朝ドラのご馳走さんを見ると
関西風ではあるがあの重ねられた重箱が懐かしい。
絶対的な体力があったあの若さは永遠に失い、今は仕事も離れ明日から出産後のムスメとマゴの
生活を預かる。

家の中での家事をするのに今年はとても良いBGMを見つけた。
常日頃はFM長野を聞きながら動き回っているが、原村も伊那も電波が悪い。
雑音が入り聴きにくく不便だが、アイパッドでのFMが海外まで入ってくる。
この数日は湘南ビーチFMが気に入っている。
独身時代に暮らした湘南、横浜の地名が飛び込んでくるし、間に流れる音楽が心地よい。
ディスクジョッキーも粋だ。
家の前に聳える中央アルプスの雪景色を見ると美しいが、気持ちはすくむ。
しかし湘南の詳しい土地の状況が流れてくるとふうんと当時を思い起こす。
温暖な湘南地方は今でも変わらず、今日は晴天で富士山がきれいだという。
思い起こせば若い時はお金がなかったが、思い出は豊富に残った。
学生紛争、安保闘争があったが、いい時代をすごせたと思う。

友人からお祝いに頂いたガラスの花器にお正月のための南天の木を飾る。
薪ストーブの上では金柑の実の甘露煮がそろそろ出来上がる。

明日からは赤ん坊の泣き声が登場だ。



      

クリスマスプレゼント

2013年12月25日 15時04分06秒 | Weblog
24日の朝早く電話で起こされ、陣痛の始まったムスメの入院のため諏訪の赤十字に赴く。
予測はあったのでクリスマスらしき夕食をしてお風呂に入って、最後にハーゲンダッツのアイスクリームだけ
食べ残したと残念がって夜遅くムスメは自宅に戻っていった。
そして朝の9時過ぎにはやはりお産は始まっているようなのでそのまま入院した。
長い長い時間の陣痛の苦しみから解放されたのは夜の7時45分。
体重3210グラム、身長50センチの男児は元気良く生まれて、大きな声で泣きまくる。
仕事に行くはずのオットは病院に送り届けてから、陣痛に苦しむ妻を置いて帰ることができなくなり
予定を大幅に変更して最後まで立ち会って、わが子を初めて抱いた時に涙を浮かべていた。

これからひとつの家族の歴史が始まる。
赤十字の産科のスタッフの皆様のスマートでよく訓練された温かい看護でムスメは母親になった。
感謝感謝のクリスマススイブであった。
今年の最大のクリスマスプレゼントは何と.・・・孫であった。




Xday

2013年12月22日 10時42分14秒 | Weblog
ムスメの出産予定日が今月の20日である。
10ヶ月に入り毎週諏訪の赤十字まで検診に出かけている。
先週は予定日の前日の19日であった。
当日の天気予報は雪で、朝起きると雪が降っている。
すでに10センチくらいつもり、病院の予約は9:00であり、高速を使わねば
間に合わない。
ええい、雪かきもあるし、2時間前には渋滞予測して家を出発しなければならない
と頭の中はフル回転だ。
兎も角一番大事なのは妊婦で、事故に繋がってはならない。
この5年間の雪道の通勤で気持ちは慣れているので、高速道路を安全運転と戒めながら
渋滞を避け、何と予定の30分前に到着し今回は胎児心音計を先につけ診察待ちをした。

明日が予定日ですが、まだその兆しがなく、もし生まれていなかったら来週は
26日に外来に来てください。
予定日過ぎての2週間までは正常出産で、年末年始に引っかかるので、26日過ぎるようでしたら
翌日入院ですといわれ予約を取った。

今日は22日だがまあ、初産は数日は遅れるからといっているのだが、予定日を過ぎてくると
友人や親戚から電話が入ってくる。
生まれたらすぐ知らせてねと言われるが、これだけ気にかけてくれてムスメは幸せだと思う。

親としては入院の際の運搬隊長だから、いざというときにすぐにでも出動せねばならない。
犬の留守中のケアのマニュアルを作ったり、何日も帰れなかったらと思うと家の中は
小奇麗にしておかねばならない。
お陰で昨夜から眠れなくなり孫が生まれるような夢を見ては何度も目が覚め
夢か現かすぐに判断がつかなくなった。
いつこの世にお出ましになるかわからない孫に、時間が経つに連れそわそわしてはため息をついている、もと医療職である。

家の中のBGはクリスマスソングはやめてリラクゼーションの曲に変えた。


昨年のスイス旅行のアイガー北壁

何だこりゃ?

2013年12月18日 21時01分03秒 | Weblog
昨夜寝る前に外へ出てきたら、あらら夜空に月が出ているがその周りが透明に澄み切って
その外縁は大きなリングに囲まれている。
明日は雪が降るというがこれまでも雪になる予報があってもこんな夜空を見た覚えはない。

カメラで撮る努力はいつになく難しかった。
この現象を知っている方はいずこに?


   

ほれぼれ

2013年12月15日 21時42分06秒 | Weblog





昨日の朝は外が白く明るく雪がふんわりと積もっており、気温もやはり前日並みの寒い日だった。
今日は月曜日、燃えるごみを集積所まで運ぶので緊張気味に起きて前の山の景色を見て驚き。
数日ぶりに山の頂が顔を見せて、しかも更に雪化粧の深さは増している。
見事な抜けるような青空と、輝く雪の白い頂。
この取り合わせはなかなか一度には手に入れられない。


  

駒ヶ根の空木岳 赤椰岳 南駒ケ岳 木曽駒ケ岳 宝剣岳、木曽方面の茶臼山まで雪は積もった。
犬の散歩をそこそこに終わらせて家事を先延ばしして
青空の色が変わらないうちにと写真撮りに集中する。



お客様

2013年12月15日 19時49分57秒 | Weblog
10月の引越し前後から毎週お客が続いてきた。
元の家も新しい家も片付かない部屋やキッチンで、もてなすには
慌しいが落ち着かないうちに本日で大体の新築祝いのイベントは終了する。

先週から寒波が居座り 毎日風も強く雪が降り、やる気を出させない天候だが
今日は雪もうっすら積もってはいるが、陽射しが出た。
お日様は有り難い。
働く気が断然違ってくる。

昨日はムスメと花屋さん主催のクリスマスリースつくりの教室に参加し
リース作りをした。
先週は申込者が多すぎてそれにあぶれた4人が午後から一緒にリースを作る。
一度はこういった季節のものづくりの教室に参加したかったが、大体は平日であるため
叶わなかった。
材料は同じものを使うが出来上がった作品は全員別なものが出来、個性が出るものである。



今日はムスメの嫁ぎ先のご両親が揃ってお祝いにみえた。
あと1週間もすると今度は出産祝いに変わり、その又1週間後はお正月となる。
慌しく忙しいが、食事をしながら師走の午後のひと時は暖房もない暖かい部屋で
楽しく過ごした。
一位の木でクリスマスの飾りとテーブルクロスに手作りの一枝を飾ると
雰囲気がおしゃれになってくる。



自分の居場所が決まったことによりお客をもてなす気持ちも変化してくる。
テーブルセッティングは今後の楽しみの一つになりそうだ。

 


生き方、姿勢について

2013年12月13日 12時54分54秒 | Weblog
     




1昨日から強風が吹き荒れ、明日はもう風は吹かないかと望むが、もう3日間も
低気圧と強風が居座っている。
しかも今朝から雪が舞い、前方のアルプスの山々は姿も見えない。
周りの下方の山は雪化粧になった。
もう12月も半ばだから当たり前かと思うが、引越し先の土地の様子に馴染んでいない
者にとっては何もかも知らない事だらけだ。

昨日はムスメの出産予定日がマジかに迫ってきたが、39週目の検診に付き添った。
少し胃袋の辺りが空いてきたというから赤ん坊は下がってきているのだろう。
自分で選んでこの世に登場してくるので、なんとも予測が付かない。
エコー検査で体重2950g、まで増えてきた。
胎児心音計を装着し、2.30分心音をグラフに記録していく。
160から130くらいの間で心音がドッカンドッカンと聞こえてくる。
最初のエコー検査でメダカくらいの大きさが10ヶ月も経つと3kgまで育ち
肺呼吸をしていない胎児が心臓だけは
よどみなく動き、羊水の中で成長していく様子はまさに神秘の世界だ。

生まれていなければ又来週ね、と医師は予約し来週はまさしくどうなっているのだろう?

帰りに立ち寄ったムスメの家で貴重なものを拝見する。
ムコが送った製品に礼状を送ってきた糸井重里さんのはがき。

スタッフに頼らず相当忙しいスケジュールをこなしている当人が
手書きで、間髪入れずに送ってきたという。
さすがコピーライター、その文字といい、感謝の言葉といい、
一寸素人では書けないものだが、要は中身だ。
無駄がない言葉と忙しいヒトが自分で料理に使ってみるということや
お人柄がみえ、相手の心に響く礼状だ。
これを見て自分のこれまでの礼状の書き方を反省する。

すぐに礼をいう、電話やメールではなく目に残る言葉で簡単だが
要点を手短に書き、次につなげる言葉でしめくくる。
さすが一流のコピーライターだ。

すぐに、というのは元勤務していた会社の社長が外出から帰ると
すぐにペンとはがきで礼状を書いている姿を何度か見てきて
その姿勢から教えられてきたが、通信機能が様変わりし
便利さを追う代わりに失うものもわかってはいるが目をつぶっている。

いい物を見たのでいいところは学んでいこう。
自分のはがきは沢山書きすぎるところが欠点だ。

おおおぉぉー

2013年12月10日 21時38分15秒 | Weblog
白い雪山が朝日を浴びて赤く染まっていくのを家の中から初めて見た。
新聞を取りに行った際、目の前の山を何気なく見たらおおおぉーと眠気が吹っ飛んだ。
こんなに豪華な景色を見れるなんて。

 

八ヶ岳の麓に住んでいた時でさえ、初日の出を一度も見る機会がなかった。
お天気が悪かったり、夜更かしで起きれなかったり、冬にならないとこの朝日を受けて
色が変わる山々を見れるのは難しい。
しかも間近でみるというのがポイント。
原村の5年間は八ヶ岳に背中を向けて朝は通勤し、帰宅する頃の時間はもう暗くなっていて
遠くに見える北アルプスを見ながら感動していたものだ。
これだけ目の前に大きく聳える中央アルプスの山を見ることになったのは
幸運としかいえない。

今日は13年ぶりに元勤務していた企業のジョシ社員と駒ヶ根で会った。
日本橋に勤めていたが、結婚して中川村に嫁いだと聞き地図で調べたものだ。
中央道も飯田とか余り縁がない遠い信州のはずれのほうで、その後又仕事に埋もれ
訪ねる機会も失った。

原村に引っ越して意外と信州に来れば、そう遠くは無いと思われ、大鹿村へ行った時に
帰りに中川村を通り抜けてみた。もう10年以上も経ってしまったから探しようが無いと
その時に諦めた。
伊那に引っ越すことになった時に元勤務先の友人らしきヒトに電話してついに住所がわかった。
それから電話して・・・・通じた時は大騒ぎ。
もう13年も経っていた。
子供が3人の母親になっていて、化学品の会社の事業本部でバリバリ働いていた姿は
なかったが、歳月は良い方向にヒトを変えていた。
日本橋のど真ん中で働いていた2人が信州の端っこの駒ヶ根で会うことになったとは
世の中捨てたものではない。
お互い自分を取り囲むものがすべて変わったが、今後の付き合いに日が射してきたようだ。




暖房なしの一日

2013年12月08日 17時33分26秒 | Weblog
昨日まで2日間、友人が泊まりに来た。
多分お天気には恵まれないほうかも…といいながら雨は降らないが
風も吹いた寒い曇り空のため、残念!折角の駒ケ岳の展望は見られずに
帰ることになった。

そして、今日は何だかこれまでの霜も降りていないし、暖かいような気がする。
晴れ上がった空に昨日まで雪が降っていた山が頭を出した。



木曽駒ケ岳と宝剣岳



 
  空木岳


気分の良いスタートで、調子に乗って朝ごはん前にムスメの家まで犬を連れて散歩に出た。
その後家事に取り掛かり、午後からはチューリップやクロッカスを買ってきたので
そのための植える場所を鍬で掘り起こし花壇を作った。

休もうと思ったが家の中が暖かく、陽射しが部屋の中全部に射しており、
原村ではありえなかったこの陽射しに野菜の処理に回る。
ムコの家では寒天を作ったあとの天草の残渣を高級な肥料になるがそれを利用して野菜を作り
見事な大根や蕪などの野菜が出来それを頂いている。
到底ここまで育つまでいたらなかった我が野菜作り体験は、単なる肥料のせいばかりではないと思うが
来年以降は広い土地を手に入れたので、天草の肥料も試すには丁度良いかもしれない。
高山蕪を洗い、漬物を作る。

 

自分が育てた時は大きさは3/1にも至らなかった。
酢漬けにしたら真っ赤な色に変わる。
それから人参のエスニックサラダ、白菜の茎の焼きそば風、パンプキンサラダ、
を作った後夕方散歩に出る。
何と今日はこの時間まで暖房なしで働いた。
まだ陽射しが残る里山を歩きながら、子供の頃の記憶に残る風景が目に入り胸がきゅんとする。
広いこの地域の田園風景と古い建物が調和を取り、散歩コースは限りなく広がっていく。
寒くなって来たが、暖かさに恵まれた家のお陰で楽しい気分が増えていくようだ。


麻の座布団

2013年12月07日 18時48分05秒 | Weblog
原村で10月の秋の好天の休日にクラフト市へムスメとムスコと3人で出かけた。
その時に出会った京都の宇治市から出展している女性の染色家の方と知り合った。
主に麻布を使ったお店の暖簾や室内のインテリア周りの雑貨類を自分で布を染め
作品を作っている。
麻の布だがしっかりとした厚みと張りで布とは思えないバッグは色も気に入り
買い求めた。

家を新しく建て、姪が好きなものを新築祝いにと申し出てくれて、ダイニングテーブル
の椅子に合う座布団を注文した。
注文してから作るので時間がかかるが昨夕、その荷物が届いた。
裏表リバーシブルのて染めのなんともいえない色合いの座布団が箱の中から現れた。
丁度泊まり客も見えており、長い夕食の時間に座るには丁度心地よい座布団である。
  

綿も選び、すわり心地を良くする為にクッションのような化学繊維は使われず、
日本の昔の布団やさんが作ったような綿を積み重ね座りここちを良くする為に
せんべい布団のように作りますと作家さんは説明してくれた。



hp http://www.ateliernagano.com

硬い木の椅子は夏はそのままで座ってひんやりするが、冬場はお尻が冷たい。
誠に新築祝いにぴったりの、しかも京都の女性の工芸家が作ってくださった座布団は
我が家の新たな大切な家具の一部となってこの家に馴染んでいくことであろう。

医療の進歩と世の中の変化

2013年12月04日 14時26分14秒 | Weblog
今朝、NHKで統合失調症のテーマでの番組を視聴した。

長い職業生活では保健衛生関係に属し、今年退職し全く、その分野から遠ざかった。
無職の一般人として生活してみると色々見えてくるものもあり、長らく自分の人生を支えてもらった
職業に対しての自分の姿勢の変化も今になるとわかるものがある。
なるべく医療関係とは離れたいと思うが、今日のように長く続けた仕事にはやはり関心が出てしまう。

2年位前から京都、大原に住むベニシア、スタンリーさんのハーブの生活の番組に魅せられて毎週
視聴しているが初めの頃は何も知らないから、恵まれた外国人が憧れの京都での生活を営んでいる
くらいととらえていた。
それからは番組や書籍を通してベニシアさんは個人としての生活を紹介してきた。
自分と年齢も近いが自分の想像をはるかに越えた苦労を乗り越えて今に至っていること。
英国での高貴な生まれにかかわらず、自分の行き方をインドの生活を経て日本で見出した。
今日は長女のジュリーさんが14年も統合失調症を治療していること、家族としての向き合い方などを
番組で話していた。

見終わったあと、色々考えさせられた。
今から43年も前、神奈川県で新人保健師として勤務し始めた頃、精神保健法という新しい法律が出来
精神疾患の患者の数の管理と共に家庭訪問が始まった。

昭和40年代は精神病というと、精神分裂病が主で神経を病むとかいう表現をし、
うつ病やストレス関連障害などという病名はなかった。
神奈川県の山奥で、精神科の医師と2人で家庭訪問をし、分裂病の当人に鍬を持って追いかけられた
経験がある。
その当時は精神分裂病はハンセン氏病と同じくひたすら世間から隠され
蔵や座敷牢に閉じ込められていた。
家族に分裂病があるとその姉弟は結婚からは遠ざけられた。
その病態ははっきりわからず、難しい分野で精神疾患は結核や伝染病、母子、などの
地域保健では同僚たちは苦手としていた。

25年前に企業に就職し、社員の健康はもちろん労働保険となるが、海外勤務者の健康や
メンタル保健が後発でその対象者はうつ病が多く、経済の発展に正比例し病んでいく社員が激増した。
5年前に退職するまでその対応に追われ、社内での健康管理のルールを作ることに
自分の職業生活は大半を費やした。
精神分裂病ほその間統合失調症と病名も変わり、病態も明らかにされ、治療法も変わった。
今でも100人に一人は発症する疾患であり、地域や治療機関により治療は大きな差もあり、家族は大変な
思いをしている。

ベニシアさんは娘さんの病気に向き合い、分裂病になると違う惑星に住んでいる
人間だと思うようになったという。
異なった惑星に住んでいれば住んでいるヒトもルールも違う。
それをこの地球のルールに合わせようとするから混乱する。
ゆっくりと、急がず、自分のペースで病気と向き合わねばならないと言う。

あの若かった頃の座敷牢に閉じ込められて一生を終えていた分裂病の人たちを思うと
医療の発展と世の中の情報の開示と絡み合い、今更ながらに胸が痛む。
天皇陛下ご夫妻が訪ねられたハンセン氏病も同じく時代の中で世の中から暴力を受け、埋もれて来た
病気なのである。

最近時間が経つのが早すぎるが、自分が生きてくるための仕事がやっと
自分にとってどうだったのか、思い出しながらわかるようになって来た。



隠れた才能

2013年12月01日 18時45分01秒 | Weblog
今日も部屋の片付けに明け暮れ、ふと、目を上げると前方の景色に驚いた。

駒ケ岳や宝剣岳、その先の南アルプスの空木岳までの山々に光のカーテンが。。

これまで八ヶ岳の麓に住んでいた時もこのような現象に会ったが、山々の風景の広さが
異なり、思わずカメラを手にせざるを得ない

光のカーテンは少しずつ移動し、縦にスポットライトになったり斜めになったり
しばらく見とれていた。

 

その後犬を連れて散歩に出たが、お隣の小学校1年のダンシが一緒に行きたいと
付いてきた。
サッカーをやっているので体力があり、終始犬を引っ張り、走りどうし。
わが、お散歩命のミルキイ隊長は休みなく走らされ流石にたじたじ。
広い散歩コースを2周し、家に戻ってきてサッカーボールを彼が蹴り始めたら
お散歩に余り興味を示さないたぬき犬が、何と、ボールに飛びつき、顔でボールを転がすではないか。
小学生がボールを蹴ると吹っ飛んで行きボールを顔で転がす。
その繰り返しで、小学生は喜び、庭は広いので、ずっと飽きずに1人と1匹はボールで遊んでいる。
30分はずっと走りどうしで、わが駄犬はこのような興味があったのかと感心した。
その間もう1匹はボールには関心は示さず、穴掘りをしており、口の回りは泥だらけで熊のようになっていた。

暗くなってしまい犬と小学生を引き離し、家に戻ったがその後疲れた老犬はストーブの傍で
倒れている。彼にとっては生涯初めての走りに走った時間だったのであろう。


この音が聞きたかった。

2013年12月01日 17時41分23秒 | Weblog
伊那へ引っ越して、暖房は薪ストーブになった。
これまでの炬燵や石油ストーブと友の冬は思い切り、未知なるストーブを焚く生活になった。
薪の確保、ストーブの構造、対費用効果、など勉強した後、恐る恐る薪を焚き始めた。
その日その日によって燃え方が違うのがわかってきた。
自分次第ということもわかった。
薪は宅配されるので、1年以上乾燥し良く乾いた薪なので焚き付け方や、薪の太さや、燃えている最中の
足し方や、随分あれこれ毎日学んでいった。
手袋をして薪に触れるがそれでも、とげが刺さる。
筋肉痛は覚悟の上だったが、寒風が吹いても心地よい暖かい日でも、薪割りは数日置きに欠かせない。
特に細い焚き付け用の細薪は太薪を割り、中薪を作り更に細い薪を丹念に作っていく。

 

初めは短い斧でその作業を行っていたが、筋肉痛がずうっと続き、更に先週は頭痛が治らなくなった。
約3週間の薪割により体中の筋肉痛に発展したようだ。

部屋の片付けも終盤戦に向かい、先週ムスメの産科への定期検診のあと、高遠のストーブ会社に寄り
今度は長い斧を購入した。
東京に住んでいる姪夫婦の有り難い新築祝いということになり半ば強制的に斧を選んで頂いてしまった。
斧はスェーデン製で28歳の若い女性が社長の会社であるという。



結果はすばらしい。

スパーン

太い薪を割るその確立は上手くなったらほぼ一発。
最初は少し外していたが、もう3日目になったら、頭の上で斧を振りかざさなくても
僅かに振り上げるだけで命中する。
若い時にゴルフをしていたお陰で狙った場所に落とすのが、自分ながら上手いと思う。
絶対にこれは1回では割れないと思う薪は思惑を外してスパッと1発で割れる。
その爽快さ。

短い斧を何度もたたきつけて割っていたのが嘘のようだ。
面白くてたちまち太い薪を20本くらい30分もかからず割ってしまい、細薪まで完成する。



中薪が沢山出来上がるようになり、ストーブの焚きつけが時間短縮した。
体中が煙臭いと、自分ながら嫌だった初めの頃は卒業し、短時間でめらめらと燃える
技を身につけるようになった。

ストーブは前日の燃えカスや灰、炭を掃除し飛び散った床を掃き、汚れたガラスをきれいに
磨きそれから薪を並べて焚き始めるが、短時間で出来るようになってきた。
燃え始めて30分も経たないが、ストーブの温度はもう400度を越している。

最初に使い始めた頃を思うとおっかなびっくり、恐々時間がかかり挙句の果て
煙い部屋になっていたが、薪割りが面白いということは脳の活性化に繋がり、
認知症予備軍の防止策とも思える。