信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

寒さの中から

2008年01月27日 20時12分37秒 |  日記
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休日になると電話が続く。不断家にいないものだから、休日は連絡を取りやすいのだろうが、昨日も今日も朝御飯をやっとたべれるなぁといただきますと頭を下げた途端電話だ。
よっこらしょっと立ち上がり、話をするが、それ以降食べた食器を洗ったのが午後2時。何だか申しあわせたように続く。
私を思い出してくれて有難うだが、休日なのに掃除も洗濯も途中のまま電話にかじりついている自分が半分疎ましい気もする。

しかし今日の朝の電話は違った。
8時のNHK の小さな旅のテーマ曲流れた途端電話が来た。
まあ声を聞いたら何と7,8年ぶりに聞くもとの勤務先の社員のお母さんだ。岡山に住んでいて、息子の恩人といわれ、スーッとあの当時に戻り、話が尽きない。
あちらの家族やお母さんの近況などを聞きながら、ふとテレビの画面を見たら、もう小さな旅はとっくに終わり、日曜討論の画面に変わっていた。
神奈川からリタイアと共に昨年の3月この信州へ引越してきた。
その時、思い切って生活が変わることからこれまでの交流関係に
区切りをつけ、極々最少人数の人だけとのお付き合いに絞り、思いっきり別れを告げた。
一緒に引越しをした娘はその後カナダへ旅立ち私は本当の独り暮らしを始めた。間もなく11ヶ月目を迎える。
音信を絶ったはずだが少しずつまた連絡が来始めた。
本当に大切と思える友人は相手方から連絡をくれるようになった。

カナダの娘のブログからは自分が何をやりたいのか、これからどうしたいのか、常に自問自答している。
今の自分に満足することが無い。
考え考え自分を鍛えているが、同じ年のときの自分を振り返ると、私は幼かったし何も考えていなかった。
時代が違うし女子の職業も限られていたし、自分がどうしたいのかなどの考えに及ばなかった。
丁度その頃、森田公一とトップギャランというグループの歌が流行り
青春時代が夢なんてあとからほのぼの思うもの~青春時代は胸に棘刺すことばかり。との歌詞そのものだった。
子供を生み育て、仕事を持ちやがて、ノラの家のノラである私は少しずつ自分の考えや主義主張が心の中に生まれ始めた。
結婚前は常に友人が羨ましく能無しの自分には何の取り得も無く、自信が無く、今後どういう人間を目指すのかなど考えも無かった。
私は仕事に育てられ、自分を見出した。
そしてリタイアーしてから仕事に復帰し、自分の役割の中にも相手が共感を得てくれる場面を沢山持てる特質を感じている。
これは豊富な経験から自分が手に入れたものである。
何が言いたいのか、娘よ、友人との10年間の空白の中に友人は輝く人生を歩いているそれに引き換え自分は何をしているのかなどとは想ってはならんよ。
海外で自分だけの貴重な経験を積んでいるではないか。
それを選んだのは自分だし、自分が感じ取る様々な異文化の中の体験は特殊なものだしいつか精神が豊かになった自分がいると想います。
寒い季節に寒い場所を選び似たような親子ですが、、娘のほうがはるかに豊かな経験を積んでいると想う。
モントリオールと原村は似たような面はあるかもしれないが、食文化の違いはどうにも出来ないと思う。輦
娘のブログを読んだ後、原村の雪の中を犬を連れて散歩したが、景色も大幅に違いはあるが、レストランは夢のようだ。輦
つららは軒先から更に伸び1メートルはある。雨樋は太いつららで詰っている。
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冬景色は寒いが本当に美しく、心が洗われる思いがする。


雪景色

2008年01月26日 21時15分41秒 |  日記
 いやぁ、信州の寒さを侮っていた。というより無知でした。
昨日の朝起きたらいつもより肌に感じる寒さが違う!
温度計を見たらマイナス18度cになっている。
見間違いではないかと何回も見たがやはり-18℃・・・・。
なんてこと!故郷の福島でも経験しなかった。
積もった雪は根雪になり、屋根の雪は解けてはいるが、気温が低いのでなかなか落ちて来ず、屋根で丸まって固まっている。
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休日になったので久し振りに犬を散歩に連れ出した。
幹線道路は雪かき車が綺麗に雪かきをしてくれるので、雪はないが
わき道になるとどっさり残っており、まるでスノウシューをしているようだ。
1時間歩いたが途中で誰にも人には会わなかった。
静まり返り、村全体が雪に埋まっている。


外に出るまでは面倒だと思っていたが、新雪の中を歩くのはとても景色が綺麗で、しかも移住して初めてのことでこの季節ならではのことだ。

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原村は標高が高いので、茅野や諏訪に比べ雪も多く気温も低い。諏訪は温泉が出るので地熱があり、そのため雪もすぐに解け道路も綺麗だ。


通勤していると、良くわかる。
原村の自宅を出る時は、道路が凍結しピカピカに光っているので、怖さが先に立ち、高速で行こうか、一般道路で慎重に時間を掛けて行こうかと迷う。
意を決して一般道路を走るが、原村からまもなく茅野に差し掛かったあたりから、急に道路から雪が消えている。違いが大きすぎて最近はともすると原村から引越したくなっている自分がいる。

しかしモントリオールにいるムスメの話を聞き、動画を見たらとても原村の寒さを言えなくなった。殮
スケールが違う。


真冬突入

2008年01月20日 22時25分48秒 |  日記
 どんどん気温が低くなってきた。
今朝はマイナス8度だった。
このくらいになると、結露のついたガラス戸は真っ白に、結晶模様に
凍っている。
これは午後にならないと解けてこない。
洗濯物は外に干せない。先日、おひさまが出ているので、急いで出勤前に干したところあっという間にバリバリに凍ってしまった。
屋根からぶら下がっているつららは、多分50センチはアルに違いない。
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寒かろうと暑かろうと、犬たちは散歩に出かけたがる。
顔が冷気でびりびりするので、厚着をして犬も犬用のコートを着て出かける。
 
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母の死から1週間が経った。
動物病院へ預けていった犬は自宅に戻ってきてからストレス性の下痢で血便と嘔吐が続き、治療をしなければならなくなった。
私も喪失感で自然と涙もろくなっている。
一人暮らしのため、60歳も過ぎると何のためにこの先生きていくのかなどと考えてしまう。

この1年、長年勤めた会社からの退職、信州への引越し、ムスメがカナダへ行き一人暮しになり、半年菊作りを手伝い、慣れない農作業に悩み、諏訪湖畔の病院に再々就職し、全く新規の仕事を老化した脳みそで覚え、新年が過ぎて親を亡くし、穏やかな月はなかったように思える。
自分でも知らないうちに疲れていたのだろう。
寒さがきつくなり予測以上なのに、気持ちがひるんでしまった。
もう頑張らなくても良いかな・・・・・。


悼み

2008年01月14日 19時44分19秒 |  日記
実の母を亡くした。
3連休の前日の夕方、実家から連絡を受けて、母がたった今亡くなったことを聞いた。
10月末、母が自力で食べられなくなったため、胃に穴を開ける手術を受けるので実家に帰ったがその時、これからもうそう長いことはないと観念して信州へ戻って来た。
覚悟していたとはいえ、現実には訃報を聞くと茫然自失した。
さあそれからは、姉妹や子供たちへの連絡で時間が過ぎて行き、明日からの連休で帰宅する準備に取り掛かる。
しかし、頭が混乱し、何だかやることがばらばらで、まとまったことが出来ない。
犬を暫く動物病院へ預けなくてはならない。
考え考え、思いついたことを準備するが、その間にも電話が入り、何をしていたか忘れてしまい、思うようにはかどらない。
やっと、泊りの荷物や、喪服類のまとめをしたときは夜中になっていた。
信州から実家のある千葉の銚子までは、車にするか電車にするか、
子供と一緒に行くか、自分の姉夫婦も一緒に合流するか、話が2転も3転もして、結局私が車でムスコのいる子供の国まで運転し、そこから姉夫婦と合流し、ムスコの運転で銚子に向かうことになり、半年振りに翌日の午前中、中央高速を走った。
母のことを考えると一晩眠れず、相変らずばらばらの頭でハンドルを握っていた。
92歳の母は、老衰だから近親者のみで、密葬になった。
17歳の時私は父親を突然亡くし、その時は福島で、曹洞宗で告別式をした。
今回は千葉でお寺さんは真言宗だ。
お葬儀の形式も異なる。
奇しくも告別式の日はムスコの30歳の誕生日でもあり、忘れられない日になった。
高齢であった割には、密葬にもかかわらず、近親者が集まり、皆結束良く、気持ちが温まるお葬儀が出来た。
実家の兄嫁には長い間、母はお世話になり、十分尽くして頂いた。
このことは私も姉も一生感謝しきれない気持ちで、頭が上がらない。
初七日まで済ませ、再び信州へ戻ってきたが、母は実に子供孝行で
葬儀は3連休と言う日を選んで、旅立って行った。
まだ家族の傍にいるが
、お地蔵様の導きで四十九日までは仏様になるための修行を始めた。
戒名も元教師だったので、それに相応しい名を頂いた。

いつかは別れの日がやって来ると心の片隅で秘かに恐れ続けてきたが、その日はやはり受け入れられない心を持った隙間にやって来た。
恐ろしく沢山の出来事がこの4日間で過ぎ去って行き、頭が付いて行かないが、また普段の日常に戻って来た。
既に自分も60才を過ぎ、周囲からも体に気を付けてと、度々言葉に言われる年齢になってしまった。
自分の身辺は小さくまとめ、周囲の手を煩わせないような、生活をしていかなくてはならないと、今回も学習した。
女優の高峰秀子が歳を取るに連れて、住む家も生活に必要な身の回りの品もどんどん整理していかなくてはならないとエッセイに書いていたが本当にその気持ちは一人暮らしをしてみると、良くわかる。
最近、上野千鶴子さんが、お一人様の老後と言う本を書いたが、それを買って読み始めたばかりだ。
2008年が始まり、年の始めに親を見送り、何だかこれからの気持ちが
変わったと思う。
しっかりしなくてはならない。



本日の犬の散歩コース

2008年01月06日 01時42分21秒 |  日記
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今日はあったかい日和で、午後からいつもと違った散歩コースを選んで歩いた。
約1時間半の距離で、犬たちは最初はルンルン、スキップ状態だったが
段々舌をべろべろにして、家に帰った時はもう散歩は暫く良いよと目で訴えていた。
写真が綺麗なので沢山撮った中から、掲載する。




仕事始め

2008年01月04日 14時13分08秒 |  日記
DSCN5095.JPG1月4日から仕事が始まった。
お正月の気分が抜けないまま、健康診断は50人の受診者が朝早くから来院していた。
しかも朝ごはん抜き・・・・。
緊張して血圧が高くなっている人が続出。
新年早々、朝早く家を出て、健康診断を受ける行動に移るのも相当決心があったと大の男の人が話してくれた。

9時ごろふと、合間に、今頃もとの勤務先では講堂では社長が新年の抱負を社員を前に話している時間だと頭の隙間で考えていた。
あの時は、3月末で退職することがわかっていたので、毎年の新年の仕事始めの時とは気持ちも違っていたなぁと振り返る。
と言って先行きのまだ見ぬ生活に向かって嬉しいとか、湧き上がる感情も無く淡々としていたと思う。
1年経って、離れた土地で、これまでと全く異なった仕事に就いて、
色々これまでの気持ちが吹っ切れたのではないかと思う。

健康診断の後、結果に基づき保健指導を行なうが、相手は学校、市役所、企業、個人経営者、マスコミ関係者、様々にわたっている。年齢も多岐にわたる。
最近職場に慣れてきたためか、受診者とのやり取りも一律ではなく、
背景によって話題を使い分けることをやっている。
元の職場は企業で、対象者は会社員だが、業務としては約20年間で
国内勤務者、海外勤務者を対象に保健指導、健康教育、健康づくりのための制度作り、健康診断の見直し作業、診療介助、メンタルヘルス活動、多分もっともっと沢山の種類の仕事を手がけてきたと思う。
その経験が今になって、特定多数の相手を対象にした場面で、とても生きてきている。
単なる形だけの保健指導にならずに、相手は真剣になって、しっかり聞いてくれる。
生活の改善も約束してくれる。

某企業の社員だが、朝の採血がうまく行かず機嫌を損ね、困ったスタッフが、更にこれから脳ドッグを受けてもらうのに、機嫌が悪くて取り付く島が無いと、私に彼の検査の説明を委ねて来た。
話しているうちにもう6年も中国の勤務をしているが、その苦労を誰かに話したかったようだ。
聞き役はお手のものだ。しかも海外勤務の事情は、元の勤務場所で長年把握してきたので、彼の苦労は受け止めることが出来、不機嫌は吹っ飛んで、来年もまた来るよと有難い言葉を残しながら、ニコニコして検査へ向かってくれた。
このようなことが、自分の内面に感動を与えてくれるのだ。
これは元の勤務先で、多方面にわたり活動をさせてくれた経験に基づくもののお陰で、感謝しなければならないと思う。
某精密機械の企業は海外へ進出しているので、健診を受ける社員は海外の話題を出してくる。


現役時代は、ただただ忙しいままに自分も疲弊寸前で、目を引っ込まして、やつれた顔で出勤していたが、今は別な場面で自分を支えてくれている。

96歳の日野原重明先生の新年の記事から、人間は誰でも年齢と共に老化現象が起こるものだが、大切なのは常に健康感を自覚することです。日々の生活の中で、達成感や自分が必要とされているのだと言う有用感を持ち続けることで、生きがいとして健康感が得られるものと思っています
75歳を過ぎた頃から、多忙のため運動不足となりそのため食生活には気を使い、成人の3分の2に当たる1,300カロリーに制限し30歳の頃の体重と腹囲を維持しているという。
睡眠時間も5時間に今年から増やし、徹夜はやめると。
この文章を読んで、まだまだ甘い自分を恥じた。

有用感は幸い、今持ち始めている。
この信州で初めての冬を過ごしているが、ともするとその寒さに弱気になる。
その実、歳だからと思う気持ちが少しずつ増えてきた。
容貌や容姿は致し方ない。これだけだ努力しても及ばない面だ。
しかし考え方は日野原先生のおっしゃるように、自分次第だ。
野菜や花作り、地域活動、山登り、村のイベント、観光地巡りなど仕事以外にもこんなに沢山、暖かくなったら待っている。

今日は仕事始めの日だが、年の初めらしく、自分の思いを新たに出来た日になった。



2008年お正月

2008年01月03日 23時37分19秒 |  日記
年末の2度の雪で八ヶ岳は久し振りに姿を見せ、麓まで真っ白になっていた。
鳥肌が立つほど美しい山になった。

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29日から休みに入った。
泊り客があり、年末の大掃除は先行きに延ばし、料理の買い物などで
すぐに大晦日になって行った。
昨年は同じ時期は蓼科の山荘で、子供や姪一家などと大人数で雪の中で過ごした。
年末の天気予報では大一級の寒気が入って来て大雪になるとの情報を何度も聞き、心中秘かに恐れていた。
確かに大晦日から雪は降るし、家の中の花瓶の水は凍っているし、冷蔵庫より廊下のほうが気温が低いし、客が気の毒だった。
今までと異なったのは、今度は炬燵の生活で、ストーブやエアコンで
何となく足が暖まらない都会の生活より、外気温は低いけれど炬燵に入ったが最後、そこから動かないので足はぽかぽか、お陰で眠気も同居だ。
炬燵の住人は犬も含めて、テレビを見ながら、行く年来る年を記憶のかなたでうつらうつらしながら見送っていた。
食事をしながら美味しいお酒を飲み、炬燵で温まったら最後もう居眠りの世界へ直行となった。
そのような年の瀬を過ぎ、今年ほどゆっくりした暮れはなかったねえと言いながら新年明けましておめでとうと言ったかと思ったら、客は
次の訪問地へ向かって出かけて行った。
すっかりなついていた犬2匹は、突然静まり返った家で、寂しくなったのか食欲も無くなり、碌に食事もせず不貞寝を決め込んだ。
2日間そのため私は、暮れの大掃除を新年から始めた。

働いていると時間の過ぎていくのを左程早くは感じないが、休みとなると、何故か1時間が10分くらいにしか感じない。
どんどん時間が過ぎ行き、焦り始めたがもう明日は仕事始めだ。
ぼけた頭で仕事に向かうわけに行かず、リハビリのため、外出した。

初詣に小淵沢の身曽岐神社に出向く。
昨年もこの神様に1年の無事をお願いし、8月の薪能に心を奪われた。
おみくじを引いたら・・・・・有難いお言葉で元気が出るではないか。

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原村から小淵沢から山梨側に向かうと気温が3度くらい違ってくる・
雪も無い。
富士山が美しい姿を見せていた。
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大泉町は八ヶ岳の南麓で標高も異なるが、暖かい。
11月に知り合った陶房を訪ね、新年から使い始める自分の湯のみ茶碗を買い求め暫くご主人と話し込んだ。
ここでは自分のしらない世界のため、緊張感で一杯になり、緩んだ頭のねじをぐっと巻いて頂いた感じになった。
これで三が日は終了した。

亥年の1年間は自分を含め、ムスメとムスコ夫婦も共に新しい私の生活に向かって貴重な時間を捧げてくれた。
お陰で突然やって来た信州での生活は様々な出来事の中から、落ち着いた生活を手に入れることが出来た。
純農村に入り込むのは難しいと言うが、ご近所もとても大事にしてくれて、笠子地蔵のように玄関に野菜が置いてある日々を過ごしている。
新たに仕事も得てその中から、これまで持ち合わせていなかった、自分の価値をこの年になって初めて感じ始めている。

さあ、波乱に満ちた亥年が終わり、今年はどうなるか、野菜作りも進歩したいし、楽しんで毎日を送って行こうではないか。