信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

災難

2008年11月23日 21時43分21秒 | Weblog
22日からの3連休に姪とその子供、実の姉がこの原村へ遊びに来てくれた。
抜けるような青空と雪が真っ白に積もった八ヶ岳に驚いている。お昼ごはんは
近くの八ヶ岳実践農場の傍にある香草庵というお蕎麦屋さんへ行く。
売切れ次第お店が閉まってしまうので、気が気ではなかったが、今回のメインは新そばを食べることで、充分その味を堪能した。
お店の構えが蕎麦やらしくなく、広い敷地内にあちこち可愛い小さい木小屋が立ち並び、姪の子供が覗き込んでいる。
その後スーパーに買い出しに行き、いつもの温泉のヒルサイドへ繰り出した。
夕方なのだがトップシーズンを過ぎ、最後の紅葉の季節の3連休だが比較的すいていて、源泉なのでさめにくく、むしろ寒かった、冷えた体がホカホカに温まり全員幸せになり、多弁になったまま車に乗り込んだ。
22日の夕方から原村のペンション街にイルミネーションが点った。
ペンションはいずれも自分の思いをこめて精一杯に飾り付けている。
夕方点灯式を行い、真っ暗な闇の中に、美しくイルミネーションが輝き、うわーとか口々に叫びながら、車から降りて眺めようと、ペンション街に入っていき、右折した。
丁度前方の車がバックして来たので、車を止めて、待っていた。
バックしてきた車が我々の車が止まっているので、いったん止まるかと思っていたらバックしたまま止まることなく、ウワーッと皆で叫んだ途端私の車にドンとぶつかっていた。
恐かった。
私の車の前のバンパーがへこみ、ナンバーもでこぼこで無残な姿になった。
瞬間の出来事で頭もボーっとしたが、相手がぺこぺこ謝り100%不注意なためなので警察へ行くこともせず、怪我もないので保険会社へ任せることにして帰ってきた。

でも運転しながらどきどきしながら背中が寒くなった。明日からこの汚い車に乗るのかと思うと憂鬱だ。

折角客が来て楽しく1日を終えたのに、なんということ!

お茶の時間

2008年11月22日 23時56分18秒 | Weblog
先日の連休に客が来て、小淵沢のアウトレットとリゾナーレで買い物をした。
リゾナーレにはしゃれた店があり、中にはペットショップの店もあり、つい立ち寄ったところ、素敵なハーネスと首輪を見てしまった。
そういえば最近、原村へ引越してから、そういった店とは縁遠くなってしまい、ハーネスも古くなったなぁと思い新調することにした。
お店では看板犬の営業部長がシックな上着を着ていた。
うちの犬も洋服次第では格も上がるのではないかと、ニットのセーターを買った。
このセーターは大人のセーターより値段が高いが、まあいいや、早いクリスマスプレゼントだわと自己弁護をした。
買った物を見せても犬は喜ぶわけがない。
しかし親ばかで着せてみてはまあ可愛いと皆で,拍手をして嫌がるのをその気にさせた。
みるきいは調子に乗って、お茶を飲む我々のテーブルに上がりこんだ。
なかなか可愛い写真になったと、シカゴのヨメを喜ばせるためにすぐに送信した。

初雪

2008年11月19日 22時30分58秒 | Weblog
18日から予報どうり、劇的に気温が下がり長野県地方は雪が降る。
18日の夜、しんしんと冷え始め寝ようとする頃に雪が降り始めた。
困った!
11月だからまだタイヤ交換はしていない。
先日の車検の際もデイラーからは12月になってからでも間に合いますと言われたので
それならば、ともみじの葉の色が変わっていく様子を愛でていた。

万が一雪が積もっていたなら、原村から諏訪まで標高1,150㍍から700メートルまで下っていくので夏タイヤでは滑って危ない。恐い。
そのことを考えながら寝たが心配なのか夜中にチョイチョイ目が覚めた。朝も早く目が覚め、いつもより早く支度が済んだ。
気温はマイナス1度になり、2センチくらい積もった畑を見ながら茅野まで下っていくが、紅葉が褐色に変わり晩秋の様相の中に雪が積もっている様子も味がある。
しかし諏訪は気温が3度も差があるので、温泉地でもあり雪は縁がない。
それでも気温は2度になり日中、雪がちらちら吹っかけていて、諏訪湖はグレーの色に変わり、白鳥が戻って来た。
近くの堀には鴨がいつの間にか増え始めた。

マイナスの温度は流石にまだ慣れていないので、部屋の中もストーブと炬燵をしていても寒い。顔も身体も空気も冷たい。部屋の中はなかなか温まらない。
敏感な犬どもは、夕食後しっかりと炬燵にもぐってしまった。
これからの先を考えると、肩が凝るなぁ。


研修終了

2008年11月16日 14時58分11秒 | Weblog
   14日から15日の2日間、東京へ出かけ研修を受けた。
1日目はお昼の12時半から夕方7時までの講義で、2日目は8時半~夕方6時までであり、結構座りづめであるのできついと感じる。

14日の朝いつも通り起きて、犬の散歩を長めにサービスし、預けることを気取られないよう、色々上京の準備をした。
段々慣れてきた面もあり、動物看護師さんに預けさようならと置いて来る時は騒いだが、電車に乗り遅れては危険なので一目散に最寄の富士見駅まで行き、あずさに乗った。
時間はたっぷり有るようで無く、メトロに乗り換え、お昼ご飯も食べられず乃木坂の講演会場に到着する。
全国から200人近い医師、保健師、管理栄養士が詰め掛けており、満席の会場で残りの席を見つけ私は、やっと安堵した。

それから研修はそれぞれのジャンル別に2単位ずつ、延々長いわ、長いわ、普段
動き通しの日常なので椅子に座り通しでスライドを見ながらの半日は疲れた…。

翌日も8時半から講義とロールプレイを交えての午前午後、今年から始まった特定健診制度の保健指導のあの手この手のスキルをマスターしつつ眠気も吹っ飛び、終了した。
保険組合に属している40歳から64歳までの被保険者はいずれこの制度により、メタボ健診を受け、その結果により階層化され、情報提供、動機付け、積極的、の3段階に分けられ指導される。
糖尿病などは5年後を目標に25%改善させるなどとあり、とある大企業はその目標を達成しないと逆にペナルテイ金額を20億想定しているそうだ。

指導する側はそのために、健診結果により、知識の普及をして運動、食事、などのにより生活改善させるが、これまでの長年の指導が効果なく、食べ過ぎ、飲みすぎ、運動不足の積み上げでここまで国民全体がメタボリック症候群に陥り生活習慣病に向かって驀進中をいかに改善していくか…見当もつかないが、まずは指導する側の知識を底上げせねばならない。
厚労省も良くぞこのテキストを作りあげたわ、3センチ近くの厚さのテキストを2日でマスターし資格を申請せねばならぬ。
むむむむぅ。
東京は、信州から比べれば寒いといっても、会場では汗をかくくらい暖かい。
青山の姪の家に1泊させてもらったが、原村ではストーブのお湯が勿体なく、0度近い夜のため湯たんぽを使っていたのに、青山のマンションは布団の中から足を出して寝たいくらい暖かかった。姪のもてなしも温かかった。
この際自分もメタボにならないようアルコールも回避した。
食事指導、運動指導、禁煙指導、アルコール指導、歯の健康、面接技術、コーチング、がん、糖尿病、脳梗塞、心筋梗塞、あらゆる生活習慣病、などフルスピードで講義を受け、へとへとになり、新宿へ到着した.


心は重く、手荷物になった研修資料は投げ捨てたいくらい重く、しかし4万5000円の受講料は取り返せねばならないので明日から地道に根気良く、仕事の傍ら勉強を続けなくてはならない。
架線工事とか言い、面倒くさいが重い荷物に振り回されながら乗り換え、
新宿発から中野発になったあずさに乗り、富士見駅に着いたときは夜10時近かった。
降り立った時に空気は冷たく、爽やかな森の木々の香りがして、空には満月に近い月が出ていた。
やれやれこれで、数ヶ月前から構えていた、研修は終わったので、気分のいい満足感で真っ暗の原村の道路を運転し自宅に戻った。

明日引き取りに行くが、動物病院へ預けた犬達は多分1匹のほうは声が出なくなっているであろう。

上京です

2008年11月13日 22時03分01秒 | Weblog
今月も犬達には申し訳ないが、2泊3日で動物病院でお預かりの身になります。
明日から東京の乃木坂の会場で研修を受けます。
人間ドック健診情報管理指導士という資格を取る研修である。
今や日本国民、メタボから解消するための健康診断を受け、指導により体の改善を図る方向へ皆向かされている。
指導する側も、指導される側も、同じ気持ちではないから効果の程はいまいちとなる。
毎日山のようにやって来る受診者をきっちりと目的意識を作って指導するには時間が足りない。
働き盛りは自分の身体など構っている暇はないと嘯き、健診が終わり次第職場に吹っ飛んで帰る。
そういう輩は大体、60歳の定年前に、身体を総チェックしたいなど言って一泊の宿泊ドックにやってくるが、既にその時は遅いのだ。
受けた検査の項目は基準値をはずれ赤字で連なって示される。
今更健康が一番大事だといっても取り返すには難しすぎるのだ。
お腹の周りにたっぷり付いた脂のベルトはそう簡単には取り外しは効かなくなっている。
今や午後からの保健指導の大半が、男女とも糖尿病予備軍の改善策の指導であり
カロリーの取りすぎから来る体重の減量法がセットだ。
まさか自分が糖尿病?と誰もが言いつつ、原因を探り、生活を改めるためのいくつかの方法を話し合って、来年まで改善されることを約束して送り出すのである。

実の姉には東京へ研修へ出かけると、電話が来た時に話したら、その歳でなんで又勉強などするのと言われた。
そこに山があるから、と言うのは登山家の言葉。
そこに糖尿予備軍がいるからは、私の心の奥からの言葉で,年齢ではありませんです。

夜10時から1週間待った、ドラマ風のガーデンを見た。
中井貴一、奥田瑛二、緒方拳、それぞれ死を前にした演技に自分も死がすぐそこに迫っているような感覚を持たされる。
中井貴一は風林火山の当時から随分と演技に男らしい風格が出た。
すい臓がんで半年しかない命である父親と、乙女の祈りをピアノで弾く神木龍之介の知的障害児の息子と向かい合う場面でのピアノの効果、泣かされる。
久し振りに上質ないつまでも心の中に残るドラマらしいドラマを見ている。
北海道の富良野の景色は数十年前の、北の国からと又違ったセットでの美しい花が何とも悲しいストーリーに花を添えている。

残念星人

2008年11月11日 22時31分52秒 | Weblog
月曜日の私の役割は1泊2日の宿泊ドックの担当である。健診は午前中で終了するので午後からはデーターの悪い人に対し改善点を書いた指導表を書く役割になる。昨日は70人も健康診断を受けた受診者のうち午後から結果の説明を聞いて帰るものが
少なく、私は指導表を片っ端から見えない相手に対し書きまくった。
当然時間内に終了することが出来ず、周囲は先に帰り、一人残っていた。

今日はというと、午前中の胃カメラの流れの中に突発の受診者が入り、待機者がどんどん溜まって行き、宿泊ドックの大腸カメラが終わったときは1時前になっていた。
1時から指導開始のため、10分で昼ごはんを食べ、結果の指導に入る。
食べた食事は胃もたれし、重い胃を抱え、次々と面談して指導をして行く。
昨日の自分の役割をしている今日の同僚は逆転し、早い時間で仕事を終了している。
いつも思うことだが、いつの場面でも間が悪い。
同じ仕事をしていても人はらくらくしているのに自分はいつもあくせくしている。
人より努力を要求される。

こんな事もある。
宅急便や郵便屋さんが来る時はお風呂に入っていたり、トイレから出られなかったりいて持ち帰られてしまう。
不意を襲われ、すっぴんで出てそっと玄関を細く開け、細い隙間から指で示された
場所にすみませんと言いながら、はんこを押す。
いつもこのような場面が多い。兎に角間が悪いのだ。
子供2人のうち娘が私のDNAを引き継いだらしい。
努力はするが結果は残念なことに繋がる。
親子で残念星人の生まれらしい。

休日だからできること

2008年11月09日 22時25分02秒 | Weblog
おおぉぉぉ~寒い!

体が休まる折角の休日が何と、10度くらい前日から気温が下がり外で仕事をしていたら耳が冷たい。手も冷たく大急ぎで家の中に入る。
寒いと何もかも嫌になり、動きたくないがそうは言ってもやるべきことが山積みだからストーブを2個つけて犬に見張りをさせ、台所へ立つ。
次々と近所から頂いた野菜が貯まり、限界だ。自分のとこの野菜も手付かずで残っている。
水道の水を出しながら泥付き野菜を片っ端から洗っていく。手が冷たいなんていっている場合じゃない。きれいに洗い加工し、次に料理にとりかかる。
鍋を洗いつつ、料理をして、保存容器にまとめ、終了したらゆうに3時間はかかっていた。
確かにスーパーで買ってくればきれいでラップを外せばすぐにでも料理が出来る。
しかし手間がかかる野菜は無農薬だし、新鮮そのもの、味も違う。
食べれば血液も腸も体がきれいになる錯覚を受ける。
料理している内に体が温まり、ついでに掃除を終えて、床もはいつくばって全部拭いた。
その勢いでこの寒さに着るものが無くなり、衣類の入れ替えに取り掛かった。
身体は一つしかないのにこれほど沢山の衣類をなぜ出したり閉まったりするのか。
好みも変わるし場所柄に応じた衣類ってあるし、一応季節が変わり、出してはみたが、着なかった洋服は98%
又そのまましまうことになる。
いや待てよ。
最近読んだ本に上野千鶴子女史のおひとり様の老後の抜粋で、自分が死んだ後の
残ったものは総て子供達にとってはごみにしかならない。
みられて困るものは処分しておこうと書いてあったな?
そうだ洋服はごみだ。誰も着る事はあるまい。
と思い、資源ごみに放出することを考えた。
そうはいっても勢いあまって右から左では洋服も可哀相な気がして、罰が当るような気がする。
一応来年着なかったら処分しよう、と一部の洋服を来週のリサイクルに廻す。先週
犬を引き回し2時間半歩き、動物虐待になったが今回は1時間半に短縮し、寒い中夕方歩いた。
彼らは今、炬燵のなかで死んだようになって寝ている。
休日は身体を休めるためのものではなく、溜まった家事を片付けるための労働の日は間違いないことだ。

秋色

2008年11月08日 22時13分17秒 | Weblog


今朝は天気予報で前日より10度気温が下がると聞いたが、庭に出るとまさしく、その通りという寒さになっていた。
ふと洗濯物を干す時にもみじの木を仰ぎ見ると、あらぁいつの間にかこんなに赤く紅葉していたの?と内心驚いた。
昨年引越してきた春に大家さんが植木屋さんに頼んで思いっきり枝を落としたので碌に葉っぱもついていなかった。
今年は見事に紅葉し、この数日で真っ赤な色に変わっていたのであろう。
朝早く、夕方は暗くなってから帰ってくるので気付かなかった。

お昼近く、車の初年度の車検に出かけた。
茅野に行く途中、長命寺というもみじの名所があり、この期間夜はライトアップし、ライブを行い客寄せをする。
傍を通ると、駐車場は車で一杯になっていたが流石にもみじの木はきれいで、これほど赤く見事な景色になれば見物客は遠くからでもやって来るはずだと思いながら通り過ぎた。
遠くも近くも、目に入る景色は赤や黄色の木々で秋真っ只中、来週になるともっと色は濃くなっていくであろう。

車で走っていると、観光気分になるがこの気持ちは住み着いていると段々失われていくのかしらなどとも思う。
脇道にそれて走ると、次々と初めて見る景色に里山の美しさ、懐かしい原風景に、
感動するばかりだ。

車検が済んでその帰りは通り道の、望岳の湯に立ち寄り温泉に入る。
観光客の通るルートから外れるので日中は空いており、八ヶ岳を正面に見ながら温泉に浸かる。この地域は温泉が5.6箇所もあり、より取り見取りだが曜日や時間帯により、観光客で一杯になるため意外と年間を通じると10数回しか入らないことにもなる。


寒いはず

2008年11月05日 21時36分56秒 | Weblog
昨夜は家に向かう時間の夜空は晴れ渡り、きれいに冴えわたっていた。
予報では信州のそれぞれの地域でも明け方の気温はぐんと低くなり5度以下になると言っていた。
朝起きると庭は霜で真っ白になっていた。何と、氷も張っている。
車は出かける前に暖気運転をしたがフロントガラスの白く凍った霜が暫く解けなかった。
気温は0度になっていた。原村から茅野へ向かう途中の道路では1度に上がってきたが、諏訪まで来ると3度にまで上がってきた。標高差が300メートルから400メートルある上、諏訪は温泉地帯で地熱のため温度が高いのだという。
まだまだ周囲の山々は紅葉が真っ最中のところで、諏訪インターチェンジの街路樹の木々はもみじが多いので真っ赤に紅葉していて今朝もあまりのきれいさに余所見をしながら走ってしまった。
あと1.2週間もすると紅葉は散り、間もなく空っ風と共に八ヶ岳は雪が降り始めるのであろう。
じわじわと冬は近づいて来ているが、まだ心の準備は出来ていないので初雪を見たらさぞ慌てることになるであろう。

3連休終了

2008年11月03日 23時27分12秒 | Weblog


3連休が終わってしまった。
秋晴れの快晴から1日目が始まり、3日間何をして過ごそうか、どこへ行こうか、と
夢がどんどん膨らむ。
しかし目の前のやるべきことを片付けねばならないとの義務感にも追われる。
1日目は明日どこかへ行くのだと決心して家事に励む。午後から長い、ながーい
犬の散歩をした。
結果的には散歩を通り越し犬の虐待になった遠出の散歩だった。
2時間半の道のりは、後で車で走ってみたら7・8キロあり良くぞ犬達は文句も言わずこの距離を歩いたと驚いた。後で病気にならないかなぁとやや心配・・・。
そのくせ自分は夜中の3時に就寝。
調子に乗って夜更かしをし、寝ようとする頃周りのセロリ農家はこの時間に起きてセロリの出荷に畑へ出かけて行く。

2日目は午前中、シカゴの息子夫婦とスカイプで犬の話題で数時間費やし、午後から、大泉のガラス工芸家の個展に出かけた。
七尾さんという作家さんだが、作品を見た後クリスマスの食事会を約束する。
ガラスのランプと手作り料理のコラボによる少数の人数の食事会であり、又その場で新しい人たちとの出会いが出来るはず。

2日間夕方は近くの温泉でゆっくりのぼせる。
遠出の都会の人達が、小淵沢のアウトレットの道路を列を成して歩いている。
温泉は時間帯を選べば芋洗いにはならない。
車のナンバーは県外ナンバーばかりが走っている。

最後の3日目は畑の作業で半日が終わった。
菊の花やマリーゴールドは色が褪せ、冬支度のため思いっきり切り、庭は眺めがよくなった。
その跡地には来春のためのチュウリップの球根を100球埋めた。
夏に育った黒豆を乾かし、丹念に殻から外し、大根や蕪の間引きをする。
これが一番大変な労力の仕事である。
かがんでびっしり生え揃った野菜たちを間引くのは気を使うし、いい加減に出来ない。
もっとうまく種を播けばよかったと常に反省する。
1袋を残すのは勿体ないと種を全部播いてしまい、後の間引きが苦労が要る。
自分の播いた種だ、播いた人の責任だ。
山のような間引き菜、捨てる訳に行かず、誰がこんな山のような野菜を食べるのだ?
と自分に問いながらそのまま台所へ直行する。
捨てるには罪の意識が強く、あの手この手で料理する。
不況なこの昨今、野菜があり溢れる生活は幸せというものだ。

春植えて、夏沢山収穫できたブルーベリーの木が綺麗な紅葉になった。
実も沢山生って、葉も紅葉が鑑賞できる木は友人からの退職記念に頂いた思いでの
もので畑の一角に悠々と枝を伸ばして買ったときの2倍の大きさに育っている。

歩きすぎた・・・

2008年11月01日 21時32分39秒 | Weblog

 3連休が始まり、朝から暖かい日差しが射し、気持ちの良い1日が待っている。
この数日、朝夕の温度差が大きくなり、庭に出ると霜が降りて草花の葉が黒く焼けてしまった。

 信州は11月になると、霜が降り、晩秋から初冬に季節は移る。
日中は暖かいので森や林の木は紅葉が進み八ヶ岳の麓は山肌が黄色く、美しい景色を作っている。
午後から犬を連れて散歩に出かけた。
エコーラインから、八ヶ岳農場に向かうが、この道路は蓼科方面に直結なので、今日は随分と車が多い。

ああ以前は私もこの車の列の中に入っていたのだ。
東京から何時間もかかって渋滞続きの中、やっと夕方近く蓼科到着、どれほど往復に時間を費やしたことか。
今こうして車の列を眺めてみるとどれほど地の利を感じることか、有り難い。

 落葉松が紅葉し、風が吹くたびにさらさらと音を立てて散り、道路に黄色いじゅうたんを作って行く。
真っ赤な色の葉っぱは多分漆の木であろう。
 八ヶ岳農場までたどり着かないうちに日が翳り始め、気温が下がり、引き返すことにした。
ぱんさんのお茶の前を通り、再びエコーラインに戻った時には2時間半になった。
これは歩きすぎだ。
犬達にとっては過労になってしまうであろう。
お散歩命のみるきいも流石に今夜は熟睡するだろう。





1年が過ぎた・・・・

2008年11月01日 18時56分04秒 |  日記
信州へ移住してから勤め始めた今の勤務場所が昨日で1年目となった。
感慨深いものがある。
仕事に就いたのが幸運かどうか答えを見つける前に、兎に角初めの半年は自分の中での葛藤が強く、辞める?辞めない?の繰り返しで毎日が過ぎていった。
以前このことはこのブログにも書かせてもらった。
専門職であるが、慣れない土地で、全く経験の無い仕事に就き、意味もわからずマニュアルを覚える知力が着いていかず、自分を呪った。
けれど時間が解決してくれるもので、1年経った今、仕事も無理なく毎日異なる役割をこなすし、受診者から学んだ事柄も多いし、まあまあかなと思えるようになった。
60才を越えたら1年がとても短くなってきた。1年が半年くらいの時間に感じる。
たまたまこの1年の出来事があまりにも多すぎたため、そのように感じたのかもしれない。


昨夜、BSNHKで3時間もの長い番組を見てしまった。
途中あまりにも気持ちが良くうつらうつらもしたが、阿久悠の40年に渡る変化する時代と共にこの世に送り出した歌が流れた。
これほど沢山の歌が作られたのかと1曲1曲聞く度に感嘆する。
自分の20代から今まで全部ヒットした曲はまさに自分の人生を振り返るものばかりだった。
この曲のころの自分は・・・とすぐにその頃に戻れるからすごい。
長いと思う40年間であっても今となると思い出せるものは僅かで、圧縮されてしまっている。
ところが曲が流れると、ああそうそう、この頃はこんなことがあった、と深い海の底から浮かび上がってくるような思い出が湧き上がる。
何故かそれによって自分の人生を振り返ってみると、結構一生懸命やって来たではないかと思う部分もあった。
再就職しての1年間はきつかったが、これまでの長くやって来た過去と比べると、たったこれだけではないかと思うことにした。
阿久悠の特集番組はナレーターが緒方拳であり、(8月に製作した)
いずれも今は2人ともこの世を去り、残した功績は偉大なものだ。
今朝朝刊で連載の寅さんの記事を読んだが、亡くなってもう14年も経つのにまだ記事が出ると飛びついて読んでしまう。
沢山の人に影響を与え、心の中に住み着いている人だ。
番組の最後に河島永五の歌で締めくくったが時代遅れの男になりたいという詩に自分のこれからの生き方を示され、とてもズンと心に響いた。
目立たぬように、はしゃがぬ様に、地味な生き方であれと。

1年半、信州便りというブログを書き続けてきたが、最近、別なブログに記事を作り始めた。
スタイルも違うし、写真も違う。変化する自分を見つめながら新しいブログに書き残して行こうと思っている。
暫く信州便りはお休みいたします。
八ヶ岳は、この数日で雪が降り、横岳の頂上はうっすら白くなった。
朝晩の気温差も大きくなり、昨日の朝、犬の散歩で手袋が欲しいと思ったが気温は1度だった。冷たいはず・・・。

          DSCN7531.JPG