紫紺のやかた

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妻の父母の墓参りと車中観桜もしました

2024-04-07 18:24:22 | 日記

 今年初めに妻の長野県上伊那に住む兄から父母の墓を新しくしたとの連絡があった。昨年12月のことで、この墓は埼玉県行田市城西の曹洞宗大冉山常慶院にある。(大冉山はダイゼンザンと読むのか?)前回行ったのは東日本大震災の1か月後で、電車の中から埼玉県に入ると屋根をブルーシートで覆った瓦屋根の家が多く目に付いた。寺の墓も場所によってかなり傾いたり古い縁石が崩れていたものもあった。妻の両親の墓も縁石の一部が剝げ落ちて、これは葛飾区に住む兄の子供が補修をしてあった。妻の母は晩年逗子で暮らしていてここで亡くなったこともあり、納骨は妻だけだったが一周忌に行き2010年の3回忌の際は帰りに飛鳥山で桜を見ている。こんなこともあり記憶がはっきりしている。

 昨日4月6日朝早めに家を出て車窓から逗子鎌倉ハイランド登りの桜の並木、鎌倉の山の桜、北鎌倉円覚寺傍の桜、大船を出て戸塚周辺の柏尾川土手の桜を見たが満開に近い状態だった。横浜までの間や上野までの車窓から見える公園などでも桜の花が満開だった。雨の後で薄曇りながら風もなく暖かい日だったので一気に花開いた感があった。

 上野から高崎線で熊谷まで行き駅ビルの中にある花屋で毎度ながら花を買って2両連結の秩父鉄道に乗り換えて2つ目の無人駅持田で降りた。線路沿いに植えられた桜や桃に連翹の花も咲いていた。

 3分程歩いて線路を渡れば常慶院の山門で入口右手に赤い椿の花が綺麗に咲いていた。椿の花は多くの葉に囲まれて付いて場合が多く、写真を撮るには枝を動かしたり遮っている葉を取ることがある。我が家でも家の中から花を見るために葉を取ったりしている。折角咲いているのに見ないのは可哀そうとの思いがあるがこれは不自然なのかもしれない。

 十年程前までは桜の見頃は4月初めだったが、3月20日前後に変わって久しく、ただ今年は開花が遅く4月5日(金)の上野公園は夜桜見物で大勢の人が出たとのニュースもあった。

 常慶院の境内は楠の大木やカナメモチが新しい赤目の葉を沢山付け、枝垂れ桜の大木は丁度花の見頃を迎えていた。寺には何故か枝垂れ桜が相応しく感じられる。

 染井吉野や白い花の大島桜やボタン桜や彼岸桜か小さい花の桜も見ている。広い墓地で遮るものもなく日当たりが良いせいかつつじが早くも沢山花を開き、梅の木には小さな実が沢山見られた。

 妻の父母の墓は元の先祖代々の墓を右に建て直し、左に今風の「感謝」の字と花をあしらった墓碑が建てられていて、全面や縁石も新しくなって綺麗な墓になっていた。

 東日本大震災後に新しくされた旧家の墓やそのまま傾いたままの墓もあり、後を継ぐ人がいないのかなと思ったりした。持参した線香を供えてお参りし、その後は前の時には無かった樹木葬のような墓を見て寺を後にした。

 帰りは熊谷から東海道線の平塚行に乗って戸塚で横須賀線に乗り換え戻ってきたが、家に帰って万歩計を確認したところ4400歩ほどだった。家の周辺散歩でもやや足を伸ばした歩数で、埼玉まで往復してこの歩数なら腰が曲がって杖使用の身でも“歩ければ”かなり遠くまでも行くのが可能と実感した一日だった。(yoo)


大船観音寺の初お参り(その1)

2024-04-07 14:23:03 | 音楽

大船観音寺の初お参り(その1)

2024年4月6日朝10:30に初めて、観音様お参りした。電車の窓から、いつも大きな観音像をみていた。すごく立派なものだと思いがあったが、いつでも行かれると思っていた。しかし、なかなか足を運ばなかった。今日あるイベントに参加するためのお参りでした。出演者のご挨拶の中で、『地元鎌倉に長年住んでいたが今日が初めて来ました。』と言われて、ある意味ほっとした。私だけでなかったのかと安心したのかも知れない。曹洞宗總持寺の包括下にあるお寺であることをインターネットで知った。観音菩薩像は、台座30尺、身長100尺、今の単位で約10メーターの台座、33メーターの高さの菩薩像を見上げ、満開の桜の渦の中に、真っ白に浮かび上がった像を見て感動した。鎌倉市には、大きな像が二つあって、長谷の大仏さまへの小学校の遠足は、出身の小学校では恒例だったが、大船観音さまへは、遠足はなかった。

 以上 2024年4月7日  tko