紫紺のやかた

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現役時代の元部下との呑み会

2024-03-17 10:35:20 | 日記
 現役時代の元部下からいつもの通り、年賀状をもらった。東京二期会オペラ「タンホイザー」を終わってから3月5日に設定した。2回の休憩を挟むもので、腰痛が少し悪化したが、楽しいことが待っていると、何とかなるものかと思う。
 さて、呑み会と言いますと東京で、夜が通常パターンになるが、自分の体力、酒飲力をみて、無理を押して、懐かしの大森でランチミーティングにしてもらった。午後1時から3時までと腹積もりしていたが、気が付いたら4時半を過ぎていた。
 折角大森に行ったので、ミーティング前に懐かしの大森山王の地獄谷に行った。現役時代、昭和時代レトロ感覚の飲み屋街であったが、知っている店は『M』だけだった。もうそこには昭和はなく、平成の感じがした。まだ令和の感じではない。30年通ったスナック『L』はすでにないとは思ったが、もしかしたらママに会える期待をもっていたので、夕方4時半まで、ランチミーティングにしたのかと自分で変に納得した。
 ランチミーティングのメンバーは小職が、管理職の第一歩である『主任職』(係長に相当)になって、」半年頃の部下4名の内、現在60歳代の2名であった。一人は、子会社のシニア社員、もう一人は仕事の付き合いがあった販売会社のシニアアドバイザーとなっていた。
 二人とも現役ではないが、会社や懐かしのメンバーの現在の様子を教えてもらって、懐かしく聞き、嬉しく思った。
 もう既に鬼籍に入っておられる先輩、上司の話、我らの豪傑だった元上司の入院生活を送っておられる情報を教えてもらった。
 今回のことを妻に話したら、優しい部下を持って、呑み会のお誘いを受けて幸せだね。それに引き換え、あなたは大変お世話になった上わか司を呑み会にも誘わずに冷たい人ね。』と言われた。心にずっしり来た。
 しかし、元上司は入院中で、なんともしようがなくて後悔が募るばかりである。どこに入院しているかは家族の実が知るところだった。その上司のすごいところは、戸田を拠点にしている元体育系クラブの筋金入りの方だ。ある時、注文いただいたシステム品が納期遅れをしてお客様に大変ご迷惑をかけてしまい、そのお客様に謝罪に行った。現在シニア社員と私は別の案件で、それぞれお客様の前で、私はその上司の素手で頭をぶたれ、シニア社員は赤鉛筆で染まったスポーツ新聞を丸めて頭をはたかれた。お客様は、大変驚かれて、『そこまでしなくても良いのに。』と上司を諫めてくれた。私には、事前に上司は知らせてくれたが、シニア社員には何も言わずにたたかれたので相当驚いたのかと思った。私だけが、たたかれたと思っていたが、少し気が楽になった。謝罪後、客先を後にして、昼飯に誘っていただき、恒例のランチビールを飲みながら、ステーキをご馳走になった。上司の動きは、営業の鉄則であったもので、客前で、あるいは大勢の社員でしかる場合、事前に叱ることを知らせてくれるのであった。私も、客先で部下をしかることもあったが、頭をはたくのはできなかった。
 その上司とは、10歳の年齢差があり、高田の馬場にあるW予備校に通ったこともあり、普段からも可愛がってもらっていた。
 今回の呑み会メンバーは所属していた部署の受注予算(販売ノルマ金額)の四分の一くらいやっていたメンバーだった。
 よく年を重ねてくると、元気だった頃にもどると酒の量が増えると妻から妻の実父の話を聞いていたが、自分で初めて経験してわかった。
 ちなみに、最初は生ビール(中ジョッキ)で、そのあと、ハイボールを最低5杯は飲んだと思う。
 昨年のSゼミ同期会では、ビールをコップ3~4杯飲んで、目一杯であったのが、不思議な感じがした。
 帰りの電車は、現役時代と同じ経路にした。横浜から横須賀線に乗車したが、大船駅でおりてしまった。よく、京浜東北線で大船駅まできて、乗り換えたこともあり、その習慣がよみがえったのかと思って、苦笑いをした。
 現役時代に大森で飲みすぎて大森から大船まできて、屋台のラーメンを食べて、藤沢のタクシーが回送するのを見つけて、藤沢に帰るのが当たり前であった。タクシー運転手は、空車でなく実車して、戻るのは大歓迎された。
 しかし、泥酔して大船で降車せず、折り返し大宮まで行ってしまい、帰りの上り電車がなくなり、交番で宿を聞き、よく宿泊していたので、用心のために今回も横須賀線の大船駅で降車した訳である。
 今回は、夕方6時ごろに、無事に帰宅できてよかった。
  かっての部下のおかげで、楽しい時間が持てて、ただただ、感謝である。
                   2024.03.17
                    以上  tko