コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

国の指針と発展

2010-05-21 | Weblog
アシ氏(Patrick Achi)は民主党(PDCI)所属の政治家である。2000年にバグボ大統領が当選し、最初の内閣(アフィ・ヌゲサン首相)を作ったとき、野党からの3人の入閣者の一人として選ばれ、経済・インフラ相に任命された。それ以来、先日の内閣改造まで、ほぼ10年の間、経済・インフラ相を続けてきた。といっても、まだ55歳で溌剌としている。

若くして大臣になったというには理由がある。当時のウフエボワニ大統領に見出され、その当時の常道であったフランスではなく、米国のスタンフォード大学に国費留学した。同大学を卒業後、監査会社大手のアーサー・アンダーセン社に、8年間勤務。そうした経歴から、企業経営に明るく、マネジメント技術を身に付けている。この国の中では、貴重な経済通の人材なのである。

そのアシ氏と、最近親しく話すようになった。彼は、日本の経済発展に、特段の関心があると言う。いや、日本だけではない。アジアの多くの国が、今から半世紀前の1960年ころ、次々に独立を果たしたアフリカ諸国よりも、ずっと貧しかった。それなのに、今はアジア各国が、見事な経済発展を遂げている。一方、アフリカは貧困に喘いでいる。何がいったい違ってしまったのか。それを見極めないと、発展への道筋も開けない。

「マレーシアの発展を築いた、マハティール元首相に、直接質問する機会があったのですよ。2008年12月、経済インフラ相として、バグボ大統領を団長とする代表団に加わって、カタールでの国際会議に参加しました。私は、来賓として来ていたマハティールさんに聞きました。マレーシアはどうして発展できたのでしょう。」
アシ氏は、私にマハティール元首相の答えを教えてくれた。

「まず、民族対立の克服だ、とマハティールさんは答えましたよ。マレーシアには、マレー系、中華系、インド系の3民族があり、激しく対立していました。1969年には、多数の死者を出す衝突事件が起きました。それ以来、国民全体でこの問題に取り組むようになった。相手を排除するのではなく、共存する道を選んだということです。例えば、政府の要職なども、必ず各民族で分け合うようにする。」
そうして、民族間の協調をつくって、一致して国造りに取り組める基礎を作った。

「それから、マハティールさんは、各分野ごとに、世界中の優秀な学者たちを呼び集めた。経済学者はシカゴ大学から、という風にです。そして、マッキンゼー社(コンサルタント大手)に取りまとめを頼んで、マレーシアの将来像について、徹底的な検討を行ったということです。マレーシアという国の、どこが強みで、どこが弱みか。20年、30年後には、どういう国として生きていくべきか。それを明確に割り出したのだ、と彼は言いました。」

「マレーシア2000」
そういう題名だそうです、とアシ氏は言った。
「マハティールさんは、「マレーシア2000」という小冊子を作った。1970年代にですよ。その中に、マレーシアが進むべき針路を、簡単明瞭に説明した。それを、国内のいたるところに配って、小学校にまで配って勉強させて、国民みなで共有したそうです。」
つまりは、長期の展望を打ち出して、それを国民全員で意思統一をする。国づくりのために、共通の目標を明確にすることが、大事なことだという。

「そして、何より教育だ、とマハティールさんは言いましたよ。学校がとても重要だ、教育は、必ずや数十年後に成果が出る投資だ。そしてその教育で、何を教えるか。それは、愛国。そしてもう一つ重要なのが規律だ、ということでした。」

マハティール首相は、その22年に及ぶ在任期間を通じて、外国投資をマレーシアに呼び込み、先端産業を誘致した。そして今や、マレーシアは多くのハイテク企業が生産拠点を置く国となって栄えている。
「外国投資を誘致する際に、マハティールさんは必ず一つの事を、投資企業側に条件として求めたそうです。それは、現地つまりマレーシアの関与です。現地雇用だけでなく、現地の下請け企業を活用したり、現地産の材料を使ったり、といったことでした。」

マハティール元首相の話は、コートジボワールの経済発展にも参考になりますね、と私は言う。そうなんです、そこで、とアシ氏が私に言う。
「これまでは閣僚として忙しかったけれど、時間もできたので、ここでひとつ、コートジボワールの将来の戦略について考えてみたいのですよ。マハティールさんに倣えば、「コートジボワール2020」というところですか。」

私は答える。
「いいですねえ。だいたい、コートジボワールの政治家たちは、概ね他の政党の批判ばかりをしていて、自分として何をどうしたいかの構想を打ち出してみせる人が、全然見あたらない。私はそのことを、とても物足らなく思ってきていたのです。」
そうそう、とアシ氏。
「大統領選挙も大事だけれど、大統領選挙の後に何をしなければならないか、それを考えなければ。選挙というのは、正統性のある政府を作ることではあっても、必ずしも効果的な政府を作ることになるとは限りませんからね。」

「選挙の後の政府が、正しく経済運営を進めていかないと、結局コートジボワールはいつまでも発展から立ち遅れた国に留まってしまう。教育、インフラ、農業生産といった分野を特定して、限られた資源をどこに投入するべきなのかを、明らかにしておく必要があります。そうした検討を、選挙が終わってから始めるのでは遅いでしょう。今のうちに、コートジボワールの各界指導者が共有できる、明確な指針を見出しておかなければ。」
アシ氏は、改めて私を見た。
「そのために、日本という国から、われわれが学ぶべきことがたくさんあると思います。資源がなくても、国民の団結と教育で、その技術力で、世界第二の経済大国を作り上げた。コートジボワールの経済発展について、日本の経済人などから助言をいただければ、と思うのです。」

私は、おおいにけっこうだ、と答えた。コートジボワールの将来を真剣に考えるということなら、与党も野党もない。坂本竜馬のような、構想を掲げて駆け回る人が、今この国には必要なのだ。日本がそのための手助けになるなら嬉しいことだ、私として何ができるか考えてみよう、と言った。

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