コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

イェンネガの物語

2009-08-25 | Weblog
はっきりした年代は分らないのであるが、およそ11世紀から13世紀にかけての、いずれかの時代である。今のガーナとブルキナファソの国境をまたぐ地域に、ガンバガ(Gambaga)という王国があった。ガンバガ王国は、もともと猟を生業とする民族ながら、時には戦士となって周りの部族から略奪などを行っていた。

さて、このガンバガ王国のネデガ王(Nédèga)には、一人娘がいた。名前をイェンネガ(Yennega)といい、椰子の木のように、痩身ですらりと背が高い娘であった。ネデガ王には息子がいなかったので、イェンネガを息子のように育てた。つまり、良妻賢母になるための躾ではなく、弓を引き斧を投げ、狩猟の名人となる訓練をさせた。また、馬術を学ばせた。そして、ネデガ王の軍隊の、司令官を務めさせた。

イェンネガは、卓越した指揮官であった。もし敵軍が、自分が戦っている相手の、この勇猛な司令官が、実は女性であると知ったら、どういう思いをしたのだろうか。しかし女性司令官などと、どうして分るだろう。髪をそり上げ、何の装飾も身につけず、投斧を手にした姿は、他の戦士たちと何ら変わりなかった。そして統率力は抜群であった。彼女の命令を、部下の兵士たちは、忠実に実行した。

ネデガ王は、イェンネガのことが誇らしくてたまらない。それで、イェンネガが女性であるということを、忘れてしまっていた。まして彼女を結婚させるなどとは。ネデガ王の夢は、彼女に王位を譲ることであった。ところが、彼女にとって、いつか結婚できるのだろうかという心配が募っていた。父親にこの問題を何度となく提起したが、いつも一笑に付されていた。

イェンネガは、父親に教訓を示そうと考えた。宮廷の庭に、オクラをたくさん植えた。オクラが豊かに実ったけれど、彼女は収穫もせず放置した。ネデガ王は彼女のところにやってきて言った。
「娘よ、オクラをこのままにしておくと、せっかくの実がそのまま枯れてしまうぞ。」
まさにその通りよ、とイェンネガは怒りを抑えて言った。
「オクラが年老いてしまうと思うのなら、どうしてわが娘が夫も持たずに年老いてしまうことを心配しないの。」

そこまで言われても、ネデガ王は気が付いていないふりをした。そこで、イェンネガは父のもとを脱走することにした。ある新月の夜、彼女は男装をし、馬にまたがって、王宮の門を出た。何日も馬上でさまよったある日、一軒のあばら家のある小さな広場に出た。馬の嘶きを聞いて、家から若者が出てきた。

若者はリアレと名乗った。猟師で象狩りを生業としていた。そして、自分はマレンケ族王家の王子であったが、王位継承の争いに、兄弟に追われ、このビトゥ(Bitou)の森に隠遁しているのだと言った。彼に心ひかれながらも、しばらくの時日、イェンネガは彼を観察した。そしてリアレが真に魅力ある男性であることを確認した後、イェンネガは自分が女であり、ネデガ王の娘であることを告げた。リアレは、女性がこのように見事に馬を乗りこなせるとは、と驚いた。そして、彼の方こそ、この女性戦士との恋に落ちた。

リアレとの幸せな月日を過ごし、やがてイェンネガは男の子を産んだ。ウェドラオゴ(Ouedraogo)と命名された。駿馬という意味である。ウェドラオゴが10歳になったとき、イェンネガは息子を父の下に送って研鑽を積ませることにした。娘と孫息子が帰ってきたネデガ王の喜びは、如何ばかりだっただろうか。イェンネガが失踪して以来、彼は何年も最愛の娘を探し続けてきた。敵地にまで使節を出して捜索したのに、全く手がかりはなく、もう死んで後にしか再会できないと諦めていたのである。

お祭りは何カ月も続いた。イェンネガは、残って一緒に住むようにとの父親の懇願を振り切って、リアレの下に戻った。そして、リアレと一緒に余生を過ごし、人生を全うした。ウェドラオゴは、成人するまでの間、祖父に徹底的な訓練と教育を受けた。ウェドラオゴは、立派な武人に成長したあと、祖父から多数の馬と、牛やヤギなどの家畜、財宝を得て、ビトゥの森に戻った。ガンバガ王国はすでに人口が増えすぎており、この機会に新天地を求めようと、ウェドラオゴにつき従う人々も多かった。

これらガンバガ王国出身の人々とともに、ウェドラオゴはテンコドゴ(Tenkodogo)の町を創設した。この町を基地に、ウェドラオゴは周りの村々を平定して、それら村々の人々も組み入れて、モシ族が出来あがった。ウェドラオゴは、モシ族の王家、モロ・ナバ家(Moro Naba)の始祖となった。この王家は、今に至るまでその血統を脈々と保ち、ブルキナファソの伝統的な権力の核となっている。彼の平定した王国は、息子の代に3分割された。ワガドゥ(Ouagadou)、ヤテンガ(Yatenga)、グルマ(Gourma)の3つの国は、それぞれが独立したモシ族の王国となった。
・・・・・

以上の伝説は、先日ブルキナファソに出張した時に、杉浦ブルキナファソ大使から教えてもらった。帰ってから「アフリカの女王たち」という本を見たら、ちゃんと載っていたので、ここに記事にしてみた。モロ・ナバ家は、ほんとうに今でも王家を継いでいて、首都ワガドゥグにある王宮では毎週金曜日の朝に、王様本人が出てきて、馬に乗る儀式を行う。王様は、ブルキナファソの国民には、たいへん人気があるのだそうである。

アフリカの各地に、民族の歴史がちゃんと語り継がれている。連綿とした伝統を担っている人々も、ちゃんといる。アフリカの人々は歴史を持たないという見方は、たいへんな勉強不足である。

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