コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

開発と破壊

2009-04-18 | Weblog

目が慣れてくると、いろいろなことが見えてくる。半年前にここに来たばかりの頃、アビジャンの郊外に出て、なんとまあ深い緑が続いているものだ、と思った。道路から見える風景は、森林か藪だけで、田圃も畑もない。もっと土地を有効活用すればいいのに、ここには開発の余地がまだまだある、などと思っていた。次第に目が慣れてきた。森林だと思っていたのは、ゴム農園であった。あるいは、チーク(材木用)の植林であった。藪だと思っていたのは、延々と続くキャッサバ芋(マニオク)の畑であった。つまり、土地はほぼ開発し尽くされていた。

熱帯の大木を美しいと思った。広大な平原に、太い幹を真っ直ぐに伸ばし、地上数十メートルの空に、大きく枝を広げている。遠くから見れば、周りには潅木しかない中で、実に立派だ。美しいのは、真っ直ぐに伸ばした幹の途中には、一切の横枝がないという、見事な形をしているから。どの木も、ちょうど大きな傘を差したような姿をしている。それにしても、どうしてそういう育ち方をするのだろう。上に上にと伸びていって、十分大きくなってから、横に枝を伸ばすのだろうか。でも、そういう成長をしている若木というのは、見たことがない。

そのうち目が慣れてきた。こうした姿の木は、深い森林の中だからこそ育つ。薄暗い森林の中の苗木は、とにかく上に上に伸びなければならない。他の木々の緑の大海の、海面に頭を出してはじめて、日光を得て枝を張ることが出来る。美しい姿の熱帯の大木は、実は深い深い森林の中にあって、おそらく何百年もかけて育ったのだ。ところが、近年になり周りの木々が全て伐採され、その大木だけが地上に残った。大木の天辺にある緑の枝葉は、実のところ昔存在した緑の海面の位置を示していた。それがわかって以来、立派な大木を目にするたびに、それは森林破壊を訴えているのだ、と見るようになった。

ガンゴロ村でも、昔は鹿や猿がいる森があった。背の高い大木が、沢山生えていた。それが全て切り倒され、田圃や畑やゴム園などになった。動物たちは住処を失い、姿を消していった。コートジボワールは、独立以来、激しい勢いで、森を失っていっている。20世紀の始めには、森林が全国で16万平方キロあった。それが今では、わずかに2万5千平方キロしか残っていない。そして今なお、どんどん切り倒されつつあるのだから、森林が全く見られなくなる日も近いかもしれない。

森林破壊というのは、一方で、独立以来この国が進めてきた農業開発の、成功の裏面でもある。ガンゴロ村は、中学校もないと嘆いているが、農業の村としては、決して貧しくはない。故ウフエボワニ大統領の時代に造られた大きな貯水池がある。そこから、水を用水路で畑に引いている。その水源を利用して、実に見事な稲田が続いている。稲田では、稲が豊かに穂をつけていた。こうした耕作を可能にしたのは、土地の開発であり、この貯水池である。貯水池の水面に、浸水により巨木が何本も立ち枯れていた。貯水池が出来る前は、ここも森だったのだ。

故ウフエボワニ大統領は、農業で国を建てようとした。広大にひろがる未開の森林地域を、どんどん切り開いて、コーヒー、カカオ、椰子、ゴムのプランテーションを造成するように、国民に奨励した。深い森は、バナナやキャッサバ芋の畑に変わっていった。無数の貯水池を建設して、灌漑を行うことにより、これまで使えなかった土地に農業生産力を与えた。そうした政策は実を結んで、カカオ豆の生産高が世界全体の4割を占めるなど、コートジボワールは安定した農業国になった。そして農業生産を柱に、国の経済を運営してきた。

だから、コートジボワールの人々が森の木を切り倒していったのを、ただ環境破壊だとか無思慮だとか考えることは出来ない。この国は、森の木を切り倒すことによって国を豊かにした。開発と破壊は、おなじコインの表裏なのだ。確かに、猿も鹿もいなくなった。コートジボワールの記章にもなっている象も、昔はどの森にもいたというが、今はもうどこにもいない。それは残念なことである。しかし、猿も鹿も象も住めなくなったかわりに、人が住めるようになった。経済開発、つまり人が豊かになるということは、そういう側面を持っている。

 畑にぽつんと残る大木

 雨にけむる巨木

 ガンゴロ村の貯水池

 貯水池から続く用水路

 ガンゴロ村の立派な稲田

 収穫間際の稲


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