コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

運の悪い乗客たち

2010-05-06 | Weblog
ニヤシンベ大統領の再任の宣誓式は、5月3日に行われるということになった。5月3日は月曜日なので、私は用心をして、土曜日の5月1日のロメ行きの航空便を押さえた。そうしたらやはり用心に越したことはない、前日になって、その便は「技術的理由」により中止になった。こういうことはアフリカではよくある。もし、明日が宣誓式なら真っ青であるが、幸い一日の余裕がある。

航空会社では、その代わりに翌日曜日の5月2日にロメ行きを出すという。つまりは、用意した飛行機に何か飛べない理由が生じたのだ。その理由は分からない。給油などの準備が間に合わないということかもしれないし、故障かも知れない。翌日に飛ばす、というのは翌日までに問題が解決する見込み、というほどの意味である。ということは、その問題が解決しなければ、また中止になる。そうすると、ほんとうに宣誓式に間に合わなくなる。どうするか。その日は他にロメに行く便などない。車を手配し、アビジャンからガーナを横断して、ロメまで突っ走るか。それには時間が足りない。飛行機が飛んでくれることを祈るばかりだ。

不安を抱えながら、翌日曜日を迎えた。航空会社に照会すると、ちゃんと私の便は予定通り飛ぶという。良かった、問題は解決したのだ。空港に向かい、おそらく私と同じく一日待たされた他の乗客とともに、搭乗を果たした。そして、飛行機は無事にアビジャン空港を離陸した。水平飛行に移ったところで、私は、ようやく胸をなでおろした。これで、宣誓式には間に合う。ところが、胸をなでおろすのは、まだまだ早かったのだ。

機長が、着陸のために高度を下げる、と放送した。機体は、雲の中に入った。ときどき雲の切れ目から、地上の家々が見えるから、それくらいに低く飛んでいる。明らかに、ロメの上空まで来ている。ところが、なかなか降りない。外は暗くなったり明るくなったりしている。揺れも激しい。半時間も雲を出たり入ったりしていたか、と思ったら、機長が放送した。
「ロメ空港の周辺は現在豪雨のため、視界不良で降りられません。機はいったんアクラ(隣国ガーナの首都)に降ります。」

やれやれ。西アフリカの空港には、計器誘導の設備がない。滑走路の近くまで来たら、有視界飛行で着陸することになる。だから、視界不良なら降りられなくなる。私は、出張時にいつも携帯している、西アフリカの地図を広げた。アクラからロメまでは、海岸伝いにちょうど200キロの距離である。時計を見ると、まだ午後3時前だから、いざとなれば車を手配して、走ればいいのだ。アビジャンからなら無理だけれど、アクラからなら車でロメ入りできる。このまま飛行機がアクラで立往生したとしても、飛行機を降りれば夜までには、ホテルに到着するだろう。

アクラの空港に着陸した後、駐機場に停まったまま、機内で待たされる。機長がしばらく様子を見るという。雲が晴れないようならば、ここでバスを仕立てますので、皆さんで一緒にロメに走ります。雲が晴れれば、もう一度飛び立ちます。そういう説明であった。私は、自分だけでも飛行機から降りて、車を手配して走っていきたい気分であったけれど、積み込んでしまった荷物のこともある。荷物を取り出してくれと無理を言うよりも、航空会社も気を遣ってくれているようだから、悪いようにはならないだろう。まあ、他の乗客と一緒に動くことにしよう。

「ロメからの連絡で、豪雨は通り過ぎたということです。これから離陸して、ロメに向かいます。」
1時間以上たってから、機長からの放送があった。通り雨だったのだ。隣席の乗客はたまたま、コートジボワールの大統領府の、報道担当補佐官である。バグボ大統領も、宣誓式出席のために特別機でロメ入りするので、一足先に商業便で乗り込むのだという。補佐官氏は、携帯電話でしばらくやりとりをした後、私に言った。
「今、ロメにいるコートジボワールのトーゴ大使と話したところですよ。彼によれば、小雨になったので、大丈夫だろうと。」
ビジネスクラスだと、周りにいるのがこういう人々だから、いざというときにも頼りになる。

飛行機はふたたびアクラ空港を飛び立った。陸上はまだ雲が厚いようで、洋上を大きく迂回しながら、ロメを目指している。ロメまでは200キロの距離だから、30分以内には到着するだろう。そう思っているのに、なかなか降りようとしない。1時間くらい経っても、まだ降りない。確かに雲の柱がたくさん立っているので、それらを迂回しているからだろうか、それにしても、段々高度が高くなっているのが気になる。窓から外を見ると、傾いた太陽が前方にある。あれ、どうも西に向かっている。機長の放送がある。ロメの近くまで行きましたが、雲が厚くてやはり降りることができませんでした、と言う。それで、どうするか。

「当機はこれからアビジャンに戻ります。」
私は座席から飛び上がりそうになった。何だって、またアビジャンに戻るだって、もうロメへあと200キロばかりのアクラまで来ていたのに。どうしよう、と思わず、隣の補佐官氏の顔を見た。このままアビジャンに戻ってしまえば、バグボ大統領のロメ訪問の準備の仕事ができなくて、彼も大弱りだろう。

私は、補佐官氏に言った。
「いやあ、困りました。日本政府の代表として、宣誓式に出席しなければならないのです。天皇陛下からの祝辞と、総理のお祝いの手紙を届けなければならないですし。いやあ、こんなことになるなら、アクラで降ろしてもらうべきだったですよ。」
補佐官氏は、私に応えて言う。
「私はもう家に帰って寝ますよ。出張はとりやめです。これは不可抗力ですからね。一つ困るのは、そうすると私の日当がどうなるかです。」

ああ、そういう問題ではないのだ。そして、茫然と窓の外を見ながら、私はどうしていいものか考えあぐねた。航空会社は、もうこのロメ行きは最初から無かったことにして、また明日以降の便を予約しなおしてくれ、とでも言うのだろう。他の乗客の事情はいざ知らず、私は宣誓式を欠席するという失態になる。ニヤシンベ大統領に、後ほど事情を説明して、残念ながら栄誉ある式に臨めませんでした、と断るしかない。

アビジャンに到着したら、もう夕闇が迫っていた。今度は、乗客全員が飛行機から降ろされた。そうしたら、予想通り誰もいないし、何の案内もない。日本だったら、お客様が大迷惑だということで、航空会社として大いに心配して、善処に走り回ってくれる。そんな丁寧な対応は、日本以外では期待してはいけない。天候が悪いのである。航空会社が悪いのではない。要するに、乗客の運が悪いのだ。

この話、結局どうなったかというと、なんと翌朝2時50分発のドゥアラ(カメルーンの港町)行きが、途中でロメに立ち寄るということになった。だから、航空会社もいちおうは対応をきちんと考えてくれた、というわけである。私は、めでたしめでたし、当日の早朝にロメに到着できることになり、午前中に始まる宣誓式の式典にぎりぎり間に合うことになった。

とはいえ、夕刻6時ごろにアビジャンに連れ戻されたあげく、早朝まで待って、その便に乗って下さいということになった私たち乗客は、皆運が悪かったことに変りはない。いったん公邸に戻って出直すことにした私はまだいい。乗客の多くは、気の毒にも、空港の待合室で、9時間の間、延々と時間を潰すしかなかった。補佐官氏も運が悪かった。もうロメ行きは取りやめたといって家に帰った彼は、おそらく日当を手にすることができなくなったのである。

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