コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

歌に託した平和と未来

2010-11-09 | Weblog

日本に興味と親近感を抱き、日本を理解する人々を増やすためには、文化の紹介が効果的である。優れた日本の文化を目の当たりにすると、それを契機に、その人の日本の見方が変わる。日本は、そうした感銘を与えるくらいの、質の高い固有文化を持っている。日本文化は、日本外交を進める上での、貴重な手段である。国際交流基金は、文化紹介や文化交流を通じて、日本外交の一翼を担っている。

このたび国際交流基金の派遣事業で、日本から民謡楽団としてやってきたのは、5人の演奏家たちである。椿正範さん、根本麻耶さんのお二人は津軽三味線と謡い、佃康史さんは尺八・笛、田川智文さんは和太鼓、山田貴之さんは打楽器のそれぞれ担当である。皆さん日本や海外で演奏活動を重ねる、プロの本格的な民謡奏者である。

持込む楽器や道具類、三味線、尺八、篠笛など、当然ながら全部本物だ。和太鼓は、かさの大きい物が何種類もある。それらを、日本からアフリカまで、壊れないように特別の注意を払いながら運んでくる。舞台衣装も本物である。この熱帯の舞台でも、手を抜かずに、しっかりと和装、つまり着物や羽織袴で臨む。空送荷物は、全部合わせるとたいへんな量になる。

そしてアビジャンで演奏会といっても、本格的なコンサートホールなどが簡単にあるわけではない。専門業者に頼んで、特設舞台を作った。つまりは、数時間の舞台を興行するだけの話が、それをアフリカで行うとなると、並大抵のことではない。商業ベースでは、ありえない事業だ。だから、国際交流基金の全面的な支援と、しっかりした予算措置が必要なのである。

しかし、それだけの経費と手間をかけただけのことはある。日本の民謡楽団が来るとなると、コートジボワールでは人々の専らの話題になる。それに、何といっても本物・本格的な企画であるから、私も堂々と宣伝できる。国連との共催で「平和と未来のためのコンサート」とか、「日・コートジボワール関係50周年記念」、という肩書も、本物の演奏会だからこそ付けることができた。

そして、今回の国際交流基金の企画のおかげで、私はどれだけ日本の発信ができたことか。前宣伝で新聞記事になっただけでなく、テレビにも取り上げられた。コンサート当日には、生中継でテレビ出演した。このようなことは、この民謡楽団が来てくれなければ、ありえなかった。文化は人々の心に直接届くものだから、その発信力は強力だ。日本を口で説明しても聞き流す人々が、芸術・文化の話だというと振り向く。それだけに、文化交流事業を、軽く考えてはいけない。各国とも、重要な外交手段として、自国の文化紹介を活用している。

「平和と未来へのコンサート」の当日(11月6日)、もう日はとっぷり暮れて、コンサートの始まりの時間が近づいた。夕刻まで雨が降っていたにもかかわらず、設けておいた800席がほぼ埋まっている。おおぜいの人々が、国立音楽院の校庭につくった会場を埋めている。私とチョイ国連代表が、国立音楽院の院長に導かれ、観客席の最前列に着席したところで、司会がマイクを取って舞台が開始された。

音楽院の院長が、はじめの挨拶をした後、私が舞台に上がる。
「皆さん、これだけたくさん集まってくれて、ほんとうにありがとう。」
挨拶の演説を切り出した。
「コートジボワールが、長年におよぶ危機からの脱出を図ろうとして、選挙が行われているこの時期に、日本の伝統音楽をご紹介するコンサートを行うことになりました。私は、このコンサートこそ、日本の人々から、未来を開こうとしているコートジボワールの人々への、連帯を伝える事業だと思いました。だから、「平和と未来へのコンサート」と名付けました。私が、自分で名前を考えたのです。」
ワォーッと歓声が沸いた。良い調子だ。

「その期待にたがわず、コートジボワールの皆さんは、先だっての日曜日に、素晴らしい投票をしてみせました。投票に皆で参加し、暴力なしに選挙を行って、民主主義の成熟を示しました。私が何より最初にお伝えしたいのは、お祝いの言葉です。だから、このコンサートは、お祝いのコンサートです。」

世界の人々からは、コートジボワールの民主主義に、疑いの目があった、と続けた。
「コートジボワールといえば、危機の国だったですからね。選挙となると、乱暴なことになるだろう、と皆が思っていました。投票には、わざわざ足を運ばないだろう、きっと投票率は低いだろう、と皆が思っていました。この全てを、コートジボワールの皆さんは裏切ってみせた。」
拍手が起こって、私は自分の言いたいことが伝わっていると感じる。

「皆さんは、おそらくアビジャンで投票し、アビジャンの投票風景しかご存じないでしょう。でも、アビジャンで起こったことは、全国で同じように起こったのです。私は、国連に飛行機の便宜を図ってもらって、西に視察に行きました。サンペドロ、マン、そして西の端トゥルプルまで行きました。そこでも、人々は朝から延々と並んでいた。ご婦人方がたくさん並んでいました。みんな、こんな風にして、子供を腰にくくりつけて、暑い日差しの中を、何時間も並んでいました。今度こそ、私の手で私の大統領を選ぶんだ。皆、そういう気持ちでした。」

「その気持ちは、全国でみんな一緒だったのです。北の人、南の人、東の人、西の人、誰もが同じ心で、それぞれの投票箱に向かった。地方の違い、部族の違い、宗教の違い、そういうものを乗り越えて、国民として一体になった。この国民の団結を裏切ることなど、誰にもできるはずがない。」
昼のテレビ番組で述べたことを、私は繰り返す。

「皆さんは、子供のため、孫のために、投票しました。皆さんは、コートジボワールの未来のために投票したのです。私には、10年後、20年後に、皆さんが皆さんの子供や孫に語って聞かせる姿が目に浮かびます。自分は、あの2010年の10月31日、暑い日に何時間も列に並んだ一人なのだよ、この国の未来に投票した一人なのだよ、と。」

そういう話で締めくくって、チョイ国連代表に引き継いだ。チョイ代表は舞台に上がって、日本は選挙の実施のためにたいへん大きな貢献をしてくれた、と述べた。投票箱、選挙資機材、選挙係員の研修、簡易投票所、啓蒙・広報活動。そういう具体的な例を挙げて、日本の協力がなかったら、選挙は出来なかったかもしれない、と言った。

「日本がこれだけの支援をしたのは、資金は決して無駄にならないということに、日本大使が賭けたからです。そして、大使、あなたは賭けに勝った。それも85%に及ぶ最高の投票率、全国のどこにも暴力や衝突の見られない、素晴らしい選挙が実現し、大勝です。こういう投票ができるとは、私にとっても、ほんとうに嬉しい驚きだったのです。」
そして、日本は選挙監視団を送ってくれた。アジアからも選挙監視団が来たことは、世界中の人々がこの選挙に高い関心を持っていることを示す上で、たいへん有意義なことだった、と評価してくれた。

チョイ代表のメッセージの後に、さっそく着物姿の演奏家の皆さんが舞台にあがり、民謡楽団の演奏がはじまった。和太鼓、津軽三味線の、とても勇壮な曲である。聴衆の人々は、一緒に手をたたき、一緒に声を出して歌っている。いいことだ。日本の芸能が、コートジボワールの人々に受け止められ、祝いと寿ぎの気持ちが伝わっている。そして今夜、人々は平和と未来の兆しを、歌に託して感じ取っている。

 「平和と未来へのコンサート」開会
チョイ国連代表がメッセージを送る。

 民謡の演奏が始まる。

 尺八演奏家の佃康史さん
尺八の幽玄の音がひびく。

 和太鼓の独演は、田川智文さん

 左からパーカッションの山田貴之さん
津軽三味線の、根本麻耶さん(左)と椿正範さん(右)
後ろに和太鼓、田川智文さん

 コートジボワール民俗音楽のグループ「Yakomin」と合同演奏

 佃さんの篠笛と、「Yakomin」の笛が、競演する。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿