「アルゴ」は核ミサイル1発に匹敵する
"ARGO" Equals to A Nuclear Missile
この映画は「野蛮人(barbarians)に捕えられた人質を文明人(civilized people)が頭脳を使って(outwitting)見事救い出す(rescued)」という物語(フィクション)である。
実話という触れ込みであるが、当時の当事者たちが否定しているようだ。どうも、“映像実現”(Realization On Screen)のようである。つまり、実際はなかったが、代わりに映像の世界で理想的に実現してみせるというパターンである。ハリウッドに“不可能”はない。「ゼロ・ダーク・サーティ」と同様、「アルゴ」はCIAによって仕組まれたプロパガンダ映画であることは明らかである。エンターテイメント作品としていくらアカデミー賞を獲得しようが、反イラン映画としてのプロパンガンダであることには変わりはない。ベン・アフレックはこの映画の構想をCIAに持ちかけられて監督に担ぎあげられた。しかし、この映画を作った本当の目的を見据えておかなければならない。何のためにこんな映画を作るのか?
誤解のないようにお願いしたいが、わたしはこれらの作品を見るなと言っているのではない。わたし自身は、いずれ“大好きなテレビ”で観るつもりである。批判していて、なぜ見るのか?CIAの手口(CIA's modus operandi)の研究のためである。こういう作品を観るときには作り手の意図、狙いを念頭に置きながら批判的に観るのでなければ意味がない(meaningless)。さらに言えば、そのようにして観たほうがわたしにはずっと“リアリティ”があって面白いのだ。しかし、観なくてもすでにわかることはある。それを以下に述べさせていただく。
当記事のいちばん下に転載したものは、“野蛮な国イラン”として描かれた当のその国が発信している「アルゴ」についての公式見解(official comment)の記事である。アメリカ発の情報だけで世界がわかっている気になってはならないであろう。アメリカとイスラエルがいちばん敵視している国の視点にもときには目配りしてみよう。“野蛮で間抜けなイラン人”(barbaric and stupid Iranians)というイメージ作りにやっきになっているアメリカの深謀遠慮(cunning calculation)を冷静に見据える必要がある。
アメリカは近いうちにイランに戦争をしかける計画である(順序としてはシリアを崩壊させてからになろう)。時間の問題である。戦争が始まるそのときにアメリカ国内や国外から反対や批判(opposition and criticism)ができるだけ少なくなるようにするために今から反イランのイメージ(anti-Iranian images)を大衆の頭の中に植え込んで(plant)おく必要があるのだ。そういった下準備をしておけばスムーズに運ぶのである。「ああいった野蛮な、非民主的な国は叩かれてもしょうがないんじゃないかな・・・」と一般大衆に納得させるためである。そのための準備工作(sytematic preparation)を今から地道に(steadily)しているのである。ベン・アフレックは今、次の戦争の露払い役(opening the game)をさせられているのである。アメリカは常に用意周到の国である。
そんなバカな、とあなたは思うかもしれない。しかし、CIAが仕組んでいるのは「アルゴ」や「ゼロ・ダーク・サーティ」だけではないのだ。およそあらゆるメディアに食いこんでCIAはアメリカ国民と世界中の人々の考え方を操作(manipulate)している。軍事力による支配だけでなく、そういった情報操作による支配(control by Public Relations)を併用することには多大のメリットがある。
抵抗が少ない、効率がいい、成功率が高い、損失が少ない、低コストである、気づかれにくいので批判されにくい、物理的実害を与えないので罪悪感が薄い。
逆に言えば、こんなメリットだらけの方法を世界最強の国(the most powerful country on the planet)が使っていないわけがなかろう。あえて言えば、こういった洗脳工作、大衆心理操作、イメージ戦略、文化侵略によってこそアメリカはいつまでも世界最強の国家の地位を保っていられるのだ。日本人はお上(カミ)やNHKが国民を騙すわけがないと思ってきた。しかし、2011年の3.11以降多くの人々が真実を知った。にもかかわらず、喉元を過ぎれば(danger past)また元の“お上(カミ)性善説”に戻っている。どこの国のお上(カミ)、政府というものも、原理的に(in principle)“性悪説”(conspiracy theories)で理解すべきものである。
いや、実はある意味で戦争はすでに始まっているとも言える。戦争を軍事的な次元での事柄とのみ考えていては現実をつかみきれない。すでに“経済”戦争、“宗教”戦争になっていることはもう明らかではないか。同様に“心理”戦争(psychological warfare)、“文化”戦争(cultural warfare)が進行していると見るべきであろう。その観点からすると、「アルゴ」は核ミサイル1発分に匹敵する。そのくらいのダメージをイランに与えている。それだけの“戦果”(outstanding military achievement)があったからこそ、アメリカ大統領夫人が直々に(in person)「アルゴ」の作品賞の発表者を務め、功績を称えた(praised)のである。これを単なるご愛嬌(amusing surprise)と見ているひとはおめでたいかぎりだ。CIAによる演出は実に巧妙である。攻撃性(aggression)や欺瞞(deception)を覆い隠すために女性を起用するのである。心理学的に言って、女性のほうが男性よりも非暴力的(less aggressive)で公然とウソをつくことが少ないと思われているからである。「ゼロ・ダーク・サーティ」はまさにその例である。主人公も、そして監督も女性であることは偶然ではない。そこには大衆心理操作の綿密な計算(delicate calculation)がある。こうした演出はハリウッドではなくCIAがすべてやっている。ハリウッド映画界そしてアカデミー賞受賞式は単なる娯楽の世界ではない。今や文化戦争の修羅場(the theatre of war)である。しかし、彼らはいつでも笑い飛ばせるのだ、「なにを目くじら立てているんだい?ただの娯楽映画じゃないかね、はっ、はっ、はっ!」"Why are you being so serious? It's only one of those entertainment movies, isn't it? Ha ha ha!" と。
日本にはCIAに相当する組織(no counterpart)が存在しないので、日本人にはぴんと来ない(no clue)。1つの国に匹敵する年間予算と、少なくとも13万人はいるだろうと推定される(estimated)職員を抱えた世界最大の諜報機関である。諜報とは情報の収集(collection)だけでなく拡散(dissemination)も創作(fabrication)もするのである。収集も拡散も、そして創作の拡散も当然ステルス(stealthly)である。アメリカの国益のためなら隠れて何でもやってきたし、今も我々の目の前でメディアを通じて堂々と(in broad daylight)イメージ戦略を展開しているのだが、それが彼らの仕事(their job)だとはほとんどのひとは気づかない(not aware)のである。つまり、われわれ自身が今日みんなCIAに裏をかかれるイラン人(Iranians outwitted by CIA)になっているのだが、それに気づかないで「アルゴ」に描かれる過去の騙されたイラン人を笑っているのだ。