丸山浩路さんの講演を聞いて来た。手話通訳者、パフォーマーとしてテレビなどにもよく出ている人だ。
『運は相(人相)によって決まる。マイナスの相をしているとマイナスの事しか集まってこない。
生きていくということは、誰かと手を繋ぐこと。繋いだ手の温もりを忘れないでいること。巡り合い、愛し合い、やがて別れの日、そのとき悔やまないように、今日明日を生きる。
人は一人では生きて行けない。誰も一人では歩いては行けない。
自分の存在が他者の喜びに繋がる。その喜びを手にすることこそ、人生の本当の目的である。人は一人では生きられない。誰かと手をつなぎ、その温もりの中で生きていく。他者の喜びに繋がるような生き方、すばらしい。
波の形は一つとして同じものはない、人もまた同じ。みんな違っていていい、いろんな人がいていい、そう思って出会いを受け止める。
「人間生きていて最後に残すものは出会い」
「自分は生きていることに意義がある」
「自分の存在が他の人の喜びに繋がる」
「自分は素晴らしい出会いをどれだけ人に与えられるか」』
耳の聞こえない、口の利けない両親に『僕の名前呼んで』と太郎が懇願する。無理だと分かっていながら『1回だけでいいから、1回だけで。お願い、僕の名前を呼んで』
太郎が、『名前呼べないなら、僕なんか生まなきゃよかったんだ』と父親に迫ったとき、父親が太郎に切々と訴えたこと『お母さんも同じ事を言ったよ。太郎の声が聞きたい、1回だけでいいから聞きたい。泣きながらお母さんは赤ん坊の太郎の泣いている口に耳をあてた。その時、私達は話し合ったんだ。私達は耳が聞こえない、話せない、だけど最高の人生を歩いて行こう、精一杯生きていこうと。君は耳の聞こえない両親の子という波の形。そこから始めてくれ。』
二度とない人生だから、最高の人生を送ろう
最高の人生を送る為に、もっと出会いを大切にしよう
もっと一生懸命に
もっと本気で毎日を生きていこう
死んだら数多くの人が泣く
かけがえのない宝物だから
生きられるだけ生きてこそ命なんだ
太郎の話では泣いた。
ヒロが生まれた時には父はもう左半身不随だった。
待望の孫、それも男の子。
父はどんなにか嬉しかっただろう。
不自由な身体でヒロを抱いていた。その姿が思い出された。
運動神経が良かった父、孫達と自転車に乗ったり、キャッチボールをしたり…したいことが沢山あったと思う。それが抱く事もままならない…辛かっただろうな。でも、そんなことは一言も言わなかった。
父が亡くなる半年前の道江の法要の時、父の両脇をヒロとユキが支えて「おじいちゃん、歩かなくていいから、僕たちが支えるから」と言って移動させた事があった。父は後になって、「二人とも力があるよな、俺を持ち上げたんだぞ」と嬉しそうに話していた。父の存在は障害者に対する偏見を二人から取り除いてくれたのかもしれない。障害があってもなくても、人は存在することに意味があり、誰かの役に立つことが出来るんだなぁ。一方通行って事はありえない。そう、つみきの子供達も私に数え切れない程の事を教えてくれる与えてくれる。手を焼く事も多いけどね