ゆずぽんのつぶやき

平凡が一番。そう思っていても毎日、小さな出来事、事件、悩みが・・・。
心の中の小さな波をつぶやくことで解消出来るかも。

雨…(ーー;)

2006年02月26日 21時22分43秒 | Weblog
雨、あめ。。。 朝からガシャガシャよく降りました。お陰でノンビリ出来ました。いつもより少しだけ丁寧にお掃除しました。夕方からAD/HDに関する本を読んだ。やっぱり難しいなぁでも、専門書ではなく保育、教育についてだから実践的な事も書かれているのでかなり参考になる。もう付箋が10枚以上も貼られている。そして気が付いた。私はつみきの仕事を続けて行くつもりなんだと。先月から考えていた。短気な私には障害児に関わる仕事は無理なんじゃないかと。つみきも少しずつ変わってきている。NPO法人になって活動にも幅が出て来ている。子供達がノンビリゆったり、ホッと出来る場所としてつみきがあるように思っていたけど、今は少し違っている。最近、つみきのあり方に少し疑問を感じている。その疑問も勉強する事で解消出来るかもしれない。逆に深まるかもしれないけどね。明日はまた夜勤だ。その前に送迎の仕事がある。彼の送迎は明日で4回目。久々に子供らしい子に会えたって感じ。幼稚園から自宅まで15分程の距離を一緒に歩く。短い時間だけどとても楽しい。愛情を十分に受けて育ってるって感じ。夜勤で出会う子は愛情に飢えている。同じ子供なのに。まだ5年しか生きていないのに、違いすぎる。

勉強勉強???

2006年02月25日 20時23分13秒 | Weblog
幼児と関わる事が多くなった私。勉強しなくちゃなぁと思いつつ日々過ごしている私。まぁ健常児は大昔に勉強したし、取り敢えずは子供を二人育てたしでなんとかなるけど、障害児がなぁ。難しい。今日もまた障害児教育に関する本を図書館から借りてきた。つみきの子供達も健常児ほどのスピードはないけど、ゆっくりゆっくり成長しているし変化している。その変化に対応するにはやはり私の方にも専門的な知識が必要になってくる。でも、自閉症といってもいろいろだ。ダウン症でもみな違う。違っていいのだ。私達がみな違うように彼らも違っていていいはず。ただ、集団として扱う時、いろいろな問題が起きてくる。スタッフの意見もいろいろだ。戸惑う私。何が正しいとか正しくないとかの問題でもないし、やっぱ難しい。彼らとの接し方について私なりの考えがある。でも主張は出来ない。経験が浅いし、専門的な勉強もしていない。やっぱり勉強するしかないかな。そんな事を考えながらPCをいじっていたら、このイラストを見つけたなんか気持ちが楽になる顔。『硬く考えない、重く考えない、なんとかなるさ、大丈夫』って言ってるようなそうだよね、勉強した方がやらないよりはいい。その程度に考えて少し頑張ってみよう。

良い休日(^・^)

2006年02月19日 20時07分05秒 | Weblog
丸山浩路さんの講演を聞いて来た。手話通訳者、パフォーマーとしてテレビなどにもよく出ている人だ。
『運は相(人相)によって決まる。マイナスの相をしているとマイナスの事しか集まってこない。
生きていくということは、誰かと手を繋ぐこと。繋いだ手の温もりを忘れないでいること。巡り合い、愛し合い、やがて別れの日、そのとき悔やまないように、今日明日を生きる。
人は一人では生きて行けない。誰も一人では歩いては行けない。
自分の存在が他者の喜びに繋がる。その喜びを手にすることこそ、人生の本当の目的である。人は一人では生きられない。誰かと手をつなぎ、その温もりの中で生きていく。他者の喜びに繋がるような生き方、すばらしい。
波の形は一つとして同じものはない、人もまた同じ。みんな違っていていい、いろんな人がいていい、そう思って出会いを受け止める。
「人間生きていて最後に残すものは出会い」
「自分は生きていることに意義がある」
「自分の存在が他の人の喜びに繋がる」
「自分は素晴らしい出会いをどれだけ人に与えられるか」』

耳の聞こえない、口の利けない両親に『僕の名前呼んで』と太郎が懇願する。無理だと分かっていながら『1回だけでいいから、1回だけで。お願い、僕の名前を呼んで』
太郎が、『名前呼べないなら、僕なんか生まなきゃよかったんだ』と父親に迫ったとき、父親が太郎に切々と訴えたこと『お母さんも同じ事を言ったよ。太郎の声が聞きたい、1回だけでいいから聞きたい。泣きながらお母さんは赤ん坊の太郎の泣いている口に耳をあてた。その時、私達は話し合ったんだ。私達は耳が聞こえない、話せない、だけど最高の人生を歩いて行こう、精一杯生きていこうと。君は耳の聞こえない両親の子という波の形。そこから始めてくれ。』
二度とない人生だから、最高の人生を送ろう
最高の人生を送る為に、もっと出会いを大切にしよう
もっと一生懸命に
もっと本気で毎日を生きていこう
死んだら数多くの人が泣く
かけがえのない宝物だから
生きられるだけ生きてこそ命なんだ

太郎の話では泣いた。
ヒロが生まれた時には父はもう左半身不随だった。
待望の孫、それも男の子。
父はどんなにか嬉しかっただろう。
不自由な身体でヒロを抱いていた。その姿が思い出された。
運動神経が良かった父、孫達と自転車に乗ったり、キャッチボールをしたり…したいことが沢山あったと思う。それが抱く事もままならない…辛かっただろうな。でも、そんなことは一言も言わなかった。
父が亡くなる半年前の道江の法要の時、父の両脇をヒロとユキが支えて「おじいちゃん、歩かなくていいから、僕たちが支えるから」と言って移動させた事があった。父は後になって、「二人とも力があるよな、俺を持ち上げたんだぞ」と嬉しそうに話していた。父の存在は障害者に対する偏見を二人から取り除いてくれたのかもしれない。障害があってもなくても、人は存在することに意味があり、誰かの役に立つことが出来るんだなぁ。一方通行って事はありえない。そう、つみきの子供達も私に数え切れない程の事を教えてくれる与えてくれる。手を焼く事も多いけどね




穏やかな日

2006年02月13日 13時50分10秒 | Weblog
今日は夜勤の日。夕方からの出勤なのでノンビリ出来る。今日は暖か、穏やかな日だ。昨晩一生君のご両親と電話で話した。一生君は最後まで諦めることなく病気と戦ったそうだ。さすが一生君だお母さんに「また会えるはず、必ず彼に会えますよ。」そう言ったら「そうですよね、でも、まだそう信じることが出来なくて」と言ってた。そうだよね。でもでも、そう思わないと生きていけない。私もいつか彼と再会した時に「おばさん、何やってたのと言われないようにしなくちゃね。飯田ちゃんとも話していたんだけど、私達はどうも自分以外の人に期待し過ぎるみたいだ。『きっとこう考えていてくれるんだろう。思いやりを持っていてくれるんだろう』そう考えてどんどんイメージを膨らませてしまう。そして現実は…になるのだ。その事を昨年のバリー事件で嫌と言うほど体験したのに、性懲りもなくまたも期待していた。自分は自分、人は人。相手に何も求めなければガッカリしたり腹を立てることもないのだから。今年はこの事を忘れずに人と関わっていこう。無欲になろう。それが自分の心を守る唯一の方法かもしれない。
しのぶちゃ~ん、凍死は寒い時期に発見されればいいけど、暖かくなってからでは…汚いでしょ。ダメダメ。他になんかないかぁ

この世の中は

2006年02月05日 20時36分06秒 | Weblog
苦しい所だそうだ。ホントそう思う。もうウンザリ。私は心穏やかに日々暮らしたいと思っているのに、なんだって次から次と事が起こるんだろう。そんな事を飯田ちゃんと電話で話した。流れに逆らわず生きて行こうと思っているのに、前方の岩をかわすことは出来ても、崖の上から岩を投げられたら避けられないよね。まともに受けて沈んじゃう。私の人生ってどうなってるんだろう。結婚前までは幸せだったから、後半は苦労が多いのかしらね。飯田ちゃんも同様のことを考えていた。人生プラスマイナス0になったら死ぬのかしら?だとしたら、私はもうマイナスの方が多いぞ。お釣りが出るぞ。どうなってるんだ?自分の思い通りになんてならないのが人生だと思ってる。でもね、人生の終焉だけは自分の意思を反映したい。それが約束されるなら、我慢も出来るってこと。今、絶対にこういう形では死にたくないと思っている事がある。この形で死ぬくらいなら自殺したい。夕食の支度をしながら、自殺の方法を考えている自分がいた。で、ネットで自殺の方法を調べてみた。首吊りが楽らしい。意外だった。そう言えば昔、中学の先生が首吊りは後が汚いぞと言っていた。投身自殺も汚いし、確率も低いらしい。私は運が悪い方みたいだから失敗する確率が高そうな気がする。死ぬまで生きるしかないってことだ。神様、お願い、これだけ私に試練を与えているのですから、最後だけは私の意思を尊重して下さい
人間は群れをなして生きて行く生物だから人との関わりは仕方がないとは思うけど、少し煩わしい。みんな勝手な事を言ってくる。私にだって意思はある。幼児教育にしたって障害者教育にしたって私なりに考えはある。でもね、私はその世界での経験が少ないから抑えている。まず経験豊かな人達から学ぶ事が大事と思うから、言いたい事も我慢している。自分の立場を考えたら言えない、そう思うから我慢しているのに、求めないで、言わせないで。言えば相手を傷付けるから、だから言わずにいることだってあるんだよ。もういいや。
心を冬眠させよう。今年は厳冬だから、冬眠冬眠