世界中に、Happy を smile を!

どんなときも笑顔で!元気よく!毎日カンシャ!
みんながhappyでsmilyな世界になりますように。

うんめい②

2007-07-04 21:27:40 | その他

7月からは、車で30~40分の外病院で、実習してます。
ザ・地域医療という感じの、田んぼの中の病院です。
その病院で、整形外科を回らせてもらってます。
外来の患者が、のきなみ、60代、70代、80代のおじいちゃん、おばあちゃん。
主訴は、腰が痛い、か、ひざが痛い。たまに、肩が痛い。笑
たまに来る若い人は、大抵、交通事故による四肢の外傷。

血内とは、180°別世界の病院です。
違った意味で、いろんな人々の日常を、家庭を見て、これも色んな人の、うんめいだな~なんて思ってみてます。

例えば、回診も、外来も、すごく和やか。
「そこさ、あるった(歩いた)けど、まだいてぇなぁ~」
「のっきり立つことはできねぇなぁ~」
(すっくと立ち上がる、という意味のようだ…)
「ここが、ずーずーいてぇなぁ~」
(ずーずー?? どんな痛みなんだ??)
「たけのこの皮をむいてたら、ここ(手首)が痛くなってなぁ~。」
(農家の方が、多い。笑)
「もう、○○さん、なおってきたから、こなくてもいいのよー」と先生が言ったら、
「せんせ、だって、病院来るの、楽しいものー。みんなに会えるから。」
(ここは、寄り合い所かいーー!笑)


廊下にある笹の葉。短冊に書かれている言葉。
「残り少ない命を、大切にしたい」
(えええー?笑)
「ボーナスください。」
(これを書いたのは、看護婦さんらしい。笑)

ナースステーションの、ナースさんの会話。
「今年は、から梅雨に、ならないでほしいわー」
「そうよー、去年はジャガイモがちっさくって。今年は豊作になりますようにって短冊に書こうかしら。」
(本気の様子。笑)


いままで、そんなに地域医療に興味なかったし、大分に戻ることも考えてなかった。
かと言って、大学病院に残ることも考えてなかったけど。
でも外病院を見て、平凡でも、私こうゆうのも、いいかもって思った。

血内で出会ったような、難しい、重大疾患も大事。
だけど、common diseaseと日々向かい合い、その村、コミュニティーのおじいちゃんおばあちゃんがたと毎日触れ合い、おしゃべりを楽しむ。
で、週末はお年寄りや子供たちを集めて、健康教室開く、とか。(そうゆうの、好きだし。笑)
大学病院を駆けずり回って働くのもいいけど、夜は6時に終わり、自分の趣味に生きる人もいても、いいと思ってきた。
私がそうするかどうかは、全然わかんないけど、さ☆
地域でほのぼのドクター、趣味はスポーツと健康づくり活動、なんてのも、いいじゃない。笑


とにかく、まわっていて思うことは、糖尿病。痛風。骨粗しょう症。
ほんっとに、多い。
血内でも糖尿あるから「この薬使えない」とか多かったけど。

糖尿病が進行して、足を両足切った人。
すでにかなり壊死が進行しているんだけど、まだ足は切ってない人。
私は、あとで、思わず先生に聞いた。
「先生、あの人の足は、あとどれくらい持つんですか?」
その人の足は、黒くて、皮膚はもうない部分が結構あって、骨がもうすぐ見えそうだった。薬をぬって、包帯巻き替え、まだ維持しようと頑張っていらっしゃった。
先生は、ポツリ。
「本人か、家族か、医者が諦めたら、切ることになるんだろうねー」

衝撃。
糖尿には、絶対なりたくないって思った。

 

ってか、外来も、入院患者も、ホント生活習慣病ばかりで、
いままで「今生活習慣病は大変な問題になってるんだよ」って知ってたし、勉強会をしたこともあったし、自分でもわかってるつもりだった。
けど、現実は、もっともっと深刻。
入院患者の高齢化、みんな何かしら生活習慣病。
やばい、予防医学、もっと注目をあびてもいいのでは?と。つくづく思った。


公衆衛生活動は、インパクトないし、予防医学って言ったって、ヘルスプロモーションって言ったって、効果は目に見えないし、いまいちって感がある。
けど、そこから、社会を世界を少し、変えられるってか、
世界のこと考えながら、地域で活動する。
いいじゃなーい。笑

地域で生きる、普通の人たちの、うんめいの様々を、ここを回っている間は見ていたいなと、思います^^


うんめい

2007-07-04 20:56:03 | その他

6月は一ヶ月、血液内科で実習していました。

毎日終わる時間も10時、11時。学ぶことの多い、4週間でした。
先生たちは本当に真面目で、製薬会社からの接待も一度も受けることもなく、学生への指導は熱意があって、夜遅くまで英語の文献を読んでいたり、一緒に顕微鏡をのぞいて教えてくれたり。エレベーターも使わず、4階から10階にいつも駆け上がっていくのには、内心まいってたけど。笑

患者さんも、教科書でみたことある!ていう、難病、難しい病気の方々ばかりで。
5年生存率、50%以下、なんていう方ばかりで。
白血球が2週間以上、ゼロのままの人。(それでも、生きられるということ。)
血小板が1000で緊急入院になった人。(皮下の出血斑がハンパなかった。)
ヘモグロビンが4.0の超!貧血の人。(眼の結膜、相当白かった。)
正常値がどんな意味があって異常値になっているか。
ひたすら考えさせられた毎日でした。

患者さんは言うことは、ひとつひとつ身にしみた。
「孫の世話を誰がするのか、心配」というおばあちゃん。
「自分は31歳で、まだ死ねない」といった、若い人。
「(骨髄移植のため)仕事を妹に休んでもらって、申し訳ない。あいつの仕事も生活もめちゃめちゃにして…。でも、俺が逆の立場だったら、喜んでそうするだろうからね。」と語った、移植を待つ人。

骨髄移植するには、白血球の遺伝子型、HLA(6つの座、より成る。)というものを調べます。
拒絶反応、GVHDを起こさないために、HLAがマッチしているドナーをさがさなきゃいけない。
兄弟なら、1/4の確率。
兄弟がいなかったり、あわなければ、骨髄バンクのドナーのなかから、臍帯血のバンクから、探すことになります。
HLAはひとりひとり違うんだけど、よくある型、というものもあって、とある男の人のHLAは、日本人に一番多い型らしく、骨髄バンクの中の人とも、6座一致(フルマッチ)が何百人かいました。
(一致した人の中から、移植に同意してくれる人の人数は、もちろん減りますが。)
その人は、妹さんから、もらいました。

もうひとり、かなり状態の危ない人がいました。
彼女は不運にも非常に珍しい遺伝子のタイプで、HLAが兄弟とも一致せず、2人いる娘とも一致せず、臍帯血バンクも、骨髄バンクも、6座一致(フルマッチ)ゼロ、5座一致・4座一致もほぼ数人しかいなく、その人が了承してくれるかという問題・かつ絶対GVHDを起こす・かつ、全身状態の悪化。
…泣く泣く、緩和ケアに移行しました。(本人には、とても言えませんでした。)

その人の様子は、1ヶ月、受け持ち患者ではなかったけど、ずっと見ていたので、本当に切なかった。どんどん悪化していくのが、見て取れていました。
私の、お母さんと変わらない年。私の年と変わらない、娘さんたち。
担当の先生も、落ち込んでいるように、見えました。

運、不運、って選べないって、当たり前だけど、すっごい痛感しました。
どうして彼女のHLAに一致する人が、全然、いないの??って。

こんなに病気が治る、長生きの時代、最先端の医療のあふれた、日本。
だとしても、限界ってあちこちにあるなー、って思いました。
それが、つらかったなぁ。
自分がいつまでも元気な保障もないわけで、自分がいつ白血病になるともわからないわけで。
その選べないものが、運命なんだろうなーって。おもいました。


同じ白血病で、同じような抗がん剤治療をして、同じような全身状態の人がいても、
「ご飯食べたくなくて…」と、あまり元気のない、若者もいれば、
「つらいけど、大丈夫です。私はここまで生かしてもらえたことに感謝してますから」といつも笑顔ではきはき答えるおばさんがいました。

この、気持ちの持ちようというか、前向きさは、どこから来ているんだろう。
もちろん、その人の、生来の性格、キャラクターがあるのかもしれないけれど。


私もいつ病気になるともわからない。
けど、どんな状況でも、落ち込むことがあっても、自分の運・不運をのろったとしても、最後には、笑顔で前向きに不運にも立ち向かえる人間になりたいなと思う。

 

そして、その運・不運で乗り越えられない壁のある、限界のある医療という現場で、燃え尽きずに、笑
お医者さんとして頑張りたいなと、ますます思った、一ヶ月になりました。