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遊爺雑記帳

ブログを始めてはや○年。三日坊主にしては長続きしています。平和で美しい日本が滅びることがないことを願ってやみません。

「日本の平和」と「国際の平和」

2015-03-24 23:44:17 | 日本を護ろう
 日本国憲法9条1項は、「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」と明示し、単に「日本の平和」だけでなく、「国際の平和」を希求するとしている。にもかかわらず、最初は自衛隊を違憲という解釈が幅を利かせていて、やがて自衛権を認め、自衛隊を合憲とする見解が主流になった。それでも、自衛隊の正当性の根拠は「日本の平和」に限定されていて、PKO協力法が成立して最初のPKO部隊がカンボジアに派遣されたが、国連平和維持軍(PKF)本体業務への参加は凍結された。
 いま、安倍政権が「国際の平和」への取り組みを取り上げて、ようやく憲法9条の「国際平和を誠実に希求」に取り組もうとしていると、日本国際フォーラム理事長・伊藤憲一氏が説いておられます。
 あっと驚くなんとやら!憲法擁護論者は、この説を聞いてどう反論するのか、聞いてみたいものですね。
 

「国際平和」へ進化した安保論議 日本国際フォーラム理事長・伊藤憲一 (3/24 産経 【正論】)

 
現在、日米間で「防衛協力のガイドライン」の見直しが進められております。それに合わせて3月11日に日本国際フォーラムと米国防大学国家戦略研究所がシンポジウム「日米対話/新ガイドライン時代の日米同盟」を東京で共催しました。ここで私は「日米同盟はアジア太平洋地域、さらには世界全体の平和と安定に貢献してこそ、本来の目的を達成できる」との趣旨を発言しましたが、今この認識が日米間で共有されつつあることを感じました。特に憲法9条についての新理解が求められていると思っています。

≪画期的な自衛隊の活動拡大≫
 昨年7月に集団的自衛権の限定的行使を可能とする閣議決定がなされました。政府はさらにその延長線上で、自衛隊の国際舞台における活動範囲を拡大しようとしていると思われます。
 安倍晋三政権は、今回の安全保障法制論議にあたって、
「日本の平和」にかかわる問題(武力攻撃事態や存立事態における武力の行使など)と、「国際の平和」にかかわる問題(国連などの平和維持活動における武器の使用など)
を区別して、議論を進めようとしています。その意味を憲法9条との関わりにおいて、少し考えてみたいと思います。

 1946年(昭和21年)に憲法が公布されて以来、日本国内の議論で初めて自衛隊の活動範囲について「日本の平和」以外の根拠が持ち出されました。92年6月に国連平和維持活動(PKO)協力法が成立して同年9月に最初のPKO部隊がカンボジアに派遣されましたが、国連平和維持軍(PKF)本体業務への参加は凍結されました。「そもそも自衛隊が海外に行くことはあってはいけない」とされていた時代のことでした。
 いま「日本の平和」の文脈とは別に「国際の平和」の文脈で自衛隊の海外派遣が検討されているのは、画期的なことと言わなければなりません。現在の日本の安全保障論議は大きな転換、進化を遂げつつあるのです。

≪「正義と秩序」の観念の欠落≫
 憲法9条の解釈論は、憲法が他国の占領下で制定されたという特殊事情もあって、
最初は自衛権も自衛隊も違憲とする極端な解釈が幅を利かせていました。やがて自衛権を認め、自衛隊を合憲とする見解が主流になって以降も、「日本の平和」だけが当然にして唯一の自衛隊の正当性の根拠であって、それ以外の議論は水面下に沈んでいた
と思います。
 それだけに、今回の
安倍政権の安全保障法制論議が「国際の平和」を正面に掲げた意味は大きい
と思っております。
 
憲法9条1項をひもとけば、その冒頭には「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し
」という一節が、明記されております。それを前提として9条全体があるのであって、その逆ではありません。
 ところが、これまでの日本人の憲法論議では、左右いずれの立場をとるのかに関わりなく、
なぜかすべての日本人がこの前提を無視あるいは素通りして、無条件の「戦争放棄」論を展開してきました
。「正義と秩序」の観念の欠落は、日本人の平和論の最大かつ致命的な欠陥であったことを想起せざるを得ません。
 この一節は、日本人が戦争を放棄するとしても、それは「奴隷の平和」を甘受するからではなく、「正義と秩序の平和」を求めるからであることを宣言したものであり、それは9条全体の目的を明示しております。今こそ
日本人は、「憲法9条の正義と秩序」論およびそれに基づく「国際平和」論を確認し、手元に手繰り寄せなければならない
と思います。

≪積極的平和主義への転換≫
 その理由は2つあります。1つは、「ポスト冷戦」期の終わった今、世界に地政学的混乱の広がるなかで、それを阻止することは「日本の平和」に繋(つな)がるという現実的な理由です。
 第2の理由は観念的、理念的なものです。それはわが国の護憲論者があれほど尊重する日本国憲法の正文が「
日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する
」と論じていることです。
 
単に「日本の平和」だけでなく、「国際の平和」にも貢献したいという理念と理想を、われわれはその憲法で誓っているのです。「自衛隊の関与は小さければ小さいほどよい」(なぜなら、自衛隊の存在は、存在そのものが負の存在だから)という消極的平和主義から、「世界の平和なくして、日本の平和なし」(それは世界大の相互依存の増大に比例して真理である)とする積極的平和主義への転換
であります。
 しかし、このように進化を遂げつつも、日本人の憲法9条論議は、自衛戦争はともかく、制裁戦争については、いまだその正当性や必要性を理解する段階からはほど遠いようです。確かに制裁戦争は安易に認められるものではありませんが、それなしでは「国際の平和」が完結しないこともまた真実です。それは安全保障論議の次のテーマとなるものでしょう。(いとう けんいち)


 国連が認める、集団的自衛権。権利は有するが行使はしないと言う特別の解釈をしてきた日本。その根拠は、日本国憲法です。しかし、9条では「国際平和を希求する」と宣言しているのでした。
 「日本の平和」だけでなく、「国際の平和」への貢献を謳っているのでした。日本の中に閉じこもる消極的平和主義ではなく、国際社会に貢献する積極的平和主義を、9条は希求すると言っているのです。
 そして、今それを実行しようとしているのが、安倍政権です。

 その安倍政権が右傾化していると言うのは、日本国憲法9条に背く発言と言えます。

 ロシアや中国が、ここへきて力での現状変更を行い、歴史をさかのぼった過去の栄華への復帰を夢見た行動をしています。
 自称イスラム国は、十字軍への復習を実施し、誤った教義の解釈で、異教徒や同じイスラム教徒他派を殲滅すると嘯いています。
 
 戦後の秩序を、力を行使して現実に今乱しているのは、中露とテロ集団です。
 世界はいま再び混乱の時期に突入しようとしているのです。
 その時に、我が国はどうするのか。日本と日本国民の安全保障と平和を実現するためには、憲法9条で宣言した様に、「国際の平和」の実現に貢献して、「日本の平和」を確保するよう努めねばならないのです。

 共に行動している友達と助け合って、力で現状変更しているならず者をなだめねばならないのです。



 # 冒頭の画像は、来日したインドネシア共和国のジョコ・ウィドド大統領と首脳会談をした安倍首相






 ヤブミョウガ


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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (一ちゃん)
2015-03-25 07:53:28
お友達が正しい人だと良いですね。
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