『らくだばオーナー』井之口らくだ。の笑いと感動日記

2009年2月25日念願の夢叶って『関西酒場らくだば』を開店。その日々、経験する笑いと感動を日記にしてご紹介。

大阪日記その2

2005-08-24 | Weblog
大阪日記もバージョン2になりました。
普通、バージョン2ともなると、前回の方が面白かったよねって
映画界ではよくある話です。
私はトムクルーズのミッションインポッシブルをわけあって、10回近くみた覚えが
あります。初めて劇場でみて、内容を理解できなかったので、そのまま席をたたず、
2回目を観るぐらい、1にはハマってしまいました。でも、2は、ジョン卯ーが
監督をやってしまったばっかりに、派手なアクションがメインになってしまい、
1の方がよかったよねっていったのを覚えております。それと同じで私の日記も
バージョン2はもちろん、面白くない!!!

っておい!!!
↑(久々に大阪に帰ったので、関西伝統文化のひとつ「ノリつっこみ」っていう
グレードの高いお笑い技術を駆使してみました)

バージョン2は、大阪で会議が終わってからのお話です。
かなり長くなってしまうので、大筋は割愛させていただきます。
が、、、大阪人は本当に面白い。
大阪で久々に再会した先輩、後輩のご紹介をしながら、その彼らを斬りまくって
いこうと思います。

まず、出会った順に・・・

【卯乃家三宮店の岡本店長】卯乃家の元祖本店、曽根崎店の店長でした。卯乃家の
前身が、私の勤務していた「とりどり木屋町店」だったので、卯乃家の誕生を
私と岡本店長で作り上げた!な~んて、そんな立派なものではなく、逆に卯乃家って
なんじゃらホイ?卯乃家ってなに屋?って感じで、いつも、「卯乃家」と「とりどり」とは対抗してました。
今では、すっかり、私も「卯乃家人」になってしまいましたので、
岡本店長とは表面上、仲良くしております。ウソですよ。ハートまで繋がってます。
大先輩ですし。今回も、サントリー本社屋上のビアガーデンに誘ってくれました。

【卯乃家ヒルトン店の中谷店長】私が、「とりどり」を去ったあと、初店長として
その店を守ってくれました。私が東京にいかなければ、今頃、彼も店長になって
いなかったでしょう。私のおかげ!そんな感謝の気持ちもないまま、彼は「とりどり」
を捨て、昨年オープンのヒルトン店に転勤。今では、東西卯乃家で一番でっかいお店の
店長です。まだまだ、若いゆえ、空気を読まないところがあるらしく!私はその
無鉄砲さが大好きで、大阪に帰れば必ずその無鉄砲という名の銃に打ちのめされます。
イノッチ、イノッチ、無邪気な鉄砲玉が心地よいです。

【卯乃家ヒルトン店の豊田チーフ】私が、「とりどり」の時の、チーフです。
「とりどり」は私にとって、初店長。つまり、豊田チーフは、初めての相棒という
わけです。一見、渡辺謙のように男前です。ラストサムライをみたとき、思わず、
渡辺謙が死ぬシーンで、あぁ、豊ちゃん・・・、と涙しそうになったぐらい、私は
彼のことが好きでした。今でも、私にとってNO1調理長です。豊田チーフも
その「とりどり」を昨年、ヒルトン店のオープンで去りました。中谷&豊田の新しい
コンビで今は大阪の卯乃家を盛り上げてくれてます。
私も彼らにはジャラシーを感じつつも、あのフタリには負けないくらいの新婚生活を
加賀チーフと送っております。ちょっと、加賀チーフのヒゲは痛いですけど。

最初は、このメンバー+大阪支社の女性2名(私はよく知らない・・・)で
サントリービアガーデンで青空合コンしておりました。

閉店→大阪丸ビル30階のトップサーティへ

【TOP30の奥店長】以前、このブログで紹介した、大大大師匠です。
また、黒くなってました。奥店長は、まな板サーファーの私と違って、本当の
サーファーです。TOP30の店内は真っ黒なので、奥店長の顔は全然見えません。
その日もサーフィー帰りでした。TOP30閉店あと、水響亭にいきました。
久々のカラオケルームで、奥店長の美声が聞けるかと楽しみにしておりましたが
福山雅治の「桜坂」は流れることなく、水響亭をあとにしました。そのあと、
奥店長の行き着けのお店にいこうと思ったのですが、もうそのお店は閉店して
ました。ですので、北新地で超×50実力者のバーテンダーがいるバーBESOに
いきました。そのバーテンダーは佐藤さんって方で、全国でも数々の賞をとって
おられる方です。ここに書けば、話はさらに長くなるので、やめときます。
とにかく、私は深夜3時過ぎに、フラフラだったにもかかわらず、最後の一杯を
調子にのって「マティーニ」で〆てしまいました。
最後はそこで解散。私は奥店長に「今夜どうだい?」って誘われました。
「今夜は無理よ」っていえるわけがない。フタリはタクシーで彼のマンションへ。
彼の部屋は、サーフィンをよく知らない私でも感じれるくらいの、海の香りがします。
彼の部屋には、水槽があります。海の絵がいっぱい飾ってあります。
彼はきっと、「熱帯魚みにくる?」って私と同じようなことを何人もいってるんだわ。
私も、その何十人のうちのひとり、何百人のうちひとり、でも、それでいい。
彼と一緒にいれたら、それだけでいい。
そんな、変な気持ちに男同士でなるわけもなく、っていうか、その前に私は
マティーニでKO寸前。
寝酒に、ジントニックを用意してくれました。最後の最後まで優しい奥店長、
留めをさす気でしたね。
サーフィンのDVDまで観せてくれました。やっぱ、波ってかっこいい。
波のりの映像をみている奥店長は本当に少年のよう、酔っ払ってフラフラの私も
ある意味、理性のない少年のよう、4時半消灯。

【元ダイナック 森本店長】先月限りで退職しました。秋に自ら、商売をするためです。
彼も奥ファミリーの一員です。歳はひとつ下ですが、社歴の上では先輩で、とても刺激になる男です。
彼が退職してから会うのは初めてで、本当の意味での「お疲れさま」って
いえてよかったです。彼は昨年、サントリーのカクテルコンペにでるくらいの実力者。
人間的にもデキタ男です。
中谷店長に、「おまえ、空気読めへんなぁ」って説教したのも
森本店長です。笑いのセンスから、なにまで、面白い男です。
きっと、秋からも成功するはずです。彼との接点は、高校がかなり近かったこと。
私は清水谷高校で、彼は夕陽丘高校。当日、またその話になって、思わず「夕陽丘の
セーラー服っていいですよねぇ」っていっちゃった。確かに当時は、女子中学生は
みんな夕陽の制服に憧れていた。でも、今この歳になって、セーラー服がいい!なんて
いっちゃうと、ただのオヤジ。二度と人前でセーラー服の話はしない。

【パパミラノ丸ビル店中田チーフ】京都のパパミラノ時代でいっしょでした。
京都の山科で近くのマンションで住んでおり、よく帰りがけに、ちっこい小料理屋で
飲んで帰ったのを覚えております。当時、ほとんどが、割り勘か、時には、私たち、
坊主がおごらされていましたが、当日、中田チーフは支社の女性に、「井之口には
京都時代、ほとんどオレがおごってやって、世話してあげたんやぁ」と、お話して
おりました。
おい、おっさん!
まぁ、もう時効か・・・。
でも、歳がひとまわり近く違うのに、「よくかわいがってくれたこと」だけは
事実です。

【卯乃家E-MA店の西田店長】お店の営業が終わってから、駆けつけてくれました。
あまり、ゆっくりお話できませんでした。得意の郷ひろみの物まねをしていただけ
なかったのも心残りです。

【丸ビル7階 カーナバルの多田店長】多田店長も、私にとって、かなり大きな存在。
なんでも話せる存在。京都のパパミラノ時代ではよく、サウナにいきました。
今でも、よく気にかけて連絡をくれます。当日は、腰を痛めており、ゆっくり
お話できませんでしたが、顔だけでもみれてよかったです。
いつも、ブログの返事を頂戴っていってるのに、書いてくれない。
シャイな男です。
って、すみません。裏でこっそり、読んで、ニヤニヤしてくれてるんですよね。
コメントなんて、いりません。
すごいこと、書かれそうですし。

深夜4時半に寝ました。
10時頃に起きました。
それは、11時半にまだ、会ってない後輩と会う約束をしていたから。

【ワンサカンサ京都店の延命店長】彼と会ったのは、1時でした。
1時間半も、先輩を待たすなんて、大歓迎の気持ちが伝わりましたよ。

【卯乃家木屋町店の蔭山店長】同じく・・・。

彼らフタリは、「とりどり」時代の部下です。あのとき3人で働けたことは
今でも貴重な財産です。
高級レストランに食べにいこう!の「ボルドー会」結成。
今でも、私抜きで、内緒でやってるみたいです。
誘ってくれなくて、ありがとう。
将来、ロマネコンティを飲もう!の「ロマネコンティ会」結成。
夏冬のボーナスごとに2万円ずつ、回収されます。
そのときだけ、連絡くれてありがとう。
気がつけば、24万くらい、たまってるよね。
お願いだから、逃げないで。

このフタリと落ち合うことができなかったので、奥店長は1時まで付き合って
くれました。いや、結局、1時以降も引っ張りまわしてしまいましたね。

【燦ヒルトン店 東店長】ひとつ上の先輩です。燦というブランドで大活躍される
店長です。いつも、おっとりした語り口で、話かけてくれます。
たまに会うと「東京どうなん?どうなん?」と気にかけてくれます。
東店長みたいなタイプは、東京でもバシっとかましてくれそうな感じがします。
歌舞伎町とかで、めちゃめちゃ、モテそうですし。

【燦ヒルトン店 前岡チーフ】辰吉丈一郎みたいな感じ。やんちゃって感じ。
昔、前岡チーフは卯乃家で頑張ってました。次に咲くら、次に燦、と
次々に乗り換えてます。やっぱり、やんちゃ。私生活はノーコメント。
私が、東京にいくとき、「おまえとやってみたかったなぁ」っていってくれたのが
思い出です。でも、あんたの、私生活にゃ、ついていけないよ・・・って
うそです。光栄です。今でも、そう思ってくれてたら、嬉しいです。

【ファインエース 盛谷さん】食器業者のおっちゃんです。たまたま、燦に寄られて
お会いしました。相変わらず、ビートたけしです。東京の業者さんは、坂上二郎さん似
です。なんで、食器屋さんって、お笑い系ばっかなんでしょう。
改めて、東京にきて商人って感じがしました。注文したものは6/10ぐらいの
確立でしか、納品されませんが(いつも違うモノがくる)、人情味がある業者さんです。
ダイナックで一番愛されている業者さんだと思います。なにをいってるかよく
わからないときが多々ありますが、昨日、嬉しいことをいってくれました。
「その交差点で、会ったときは、すぐに辞めるって思ったけどなぁ」
そうです。私が入社して、店舗に初めて勤務する日に、初めて会った
あの日のことを、覚えててくれたのです。
私はもちろん、緊張しまくりでしたので、しっかりと覚えているのですが
盛谷さんが覚えてくれていたことに感動しました。

【パパミラノ阪急グランドビルの津田店長】燦のあとに、挨拶して帰ろうと
思いましたが、いてませんでした。同期でもっとも仲の良い店長です。先日、
東京のパパミラノの新店でお食事をしましたが、時間の都合上、ゆっくり話せなかった
ので、今日こそは!と思っていたのですが・・・。いつもいてない・・・。
文句を書いて帰ろうと、お店の紙に、「井之口、来たよ」って置手紙しました。
今、思えば、そのとき、私のボールペンはそこに置いて帰ってしまったのです。
昨日、店に戻って、あれ、ボールペンがない?あ、パパミラノかな?
でも、連絡ないしなぁ・・・。
さきほど、電話しました。ボールペン忘れてなかった?
あ、この、ええボールペン、使ってるで、お土産ちゃうかったん?
同期とは所詮、この程度です。
忘れ物は、ちゃんと連絡してください。
着払いでいいので、絶対、返してください。

【パパミラノ丸ビル店 山手店長】ワンサカンサ時代の先輩です。
当時の憧れの存在。でも、彼に一度、当時乗っていたサニーを貸したことが
あります。しばらくして、返ってきました。
車のハンドルは、レース仕様になってました。
勝手にヒトの車を改造しないでください。
しかも、サニーで、レース、そんな気になんねーよ。
今でも、その話をすると、ハハハ、と笑い話になります。
今では笑えますが、当時は、まじで笑えなかったですよ。
そんな、山手店長とも会えず、残念でした。

すごい人数の方たちと再会いたしました。
どの店に顔をだしても、歓迎してくれました。
本当にありがとうございました。

昔はよかった・・・、な~んて、未練たらしいことは一切いいません。
今の東京でも十分楽しいですし、これからはもっと明るい未来が待っています。
しかし、大阪の先輩・同期・後輩に支えていただいたのは事実です。
皆様に出会えたから、今の私があると思います。
改めて、感謝いたします。

奥店長なんて、あのバカお二人さんの大遅刻のおかげで、
ずっと、一緒にいてくれました。
本当にありがとうございました。奥店長が留守中にトップサーティを
守ってくれた【西山くん】。ありがとう。トップサーティのカウンターから
心地よいシェイクの音が聞こえてきました。
来年は、社内のカクテルコンペでV3はさせませんよ。
あなたを倒せるのは、私しかいない。
今年は、私は手首が捻挫してでれませんでしたからね・・・。
でも、万が一、私の手首の捻挫が来年まで治っていなかったら・・・
そして、万が一、またV3しちゃったら、その時はまた銀座に連れてってあげるね。
その代わり、お手手、つねるからね、覚悟して。

バカお二人さんは、大阪駅の改札口まで見送ってくれました。

延命さんは相変わらず、鼻が垂れていますし、
蔭山さんは前歯がかけていますし、
本当に、バカなお二人さん。

きっと、奥店長は、井之口の元部下はなんなんだ!とお腹の中では思っているかも
しれませんが、口にだしてはいいません。
思ってても、決していいません。

だって、奥店長は顔だけじゃなく、お腹まで黒くて、「腹黒い」んですから・・・。

ちゃんちゃん。

やったぁ~、オチたぁ。

ウソです。奥店長、ウソです。

オチのために、使ってしまってすみません。

本当にありがとうございました。

関西メンバーに感謝。

大阪日記、ここに完結。

長々とすみませんでした。

どうしても、お礼がいいたかったので。