1948年から

文句たらたらどうでも日記

橋の上

2021-08-26 20:58:08 | 日記・つぶやき

昨日の午後、隅田川右岸、河口より2.0kmのところから、橋の上を眺めると、


ブルーインパルスの飛行を見ようと、たくさん人が集まってました。


対岸を見たら、こちらも多くの人たち。


私もそんな中の一人でした。
隅田川水上バス「竜馬」が通ります。
お客さんも何人が乗ってました。

あいにくの曇り空でしたが、
轟音とともにスカイツリー方面から突然現れました。
三色のスモークの尾を引いて、
東京駅方面へ行ってしまいました。
ただそれだけなのに、すかっといい気分になりました。
もう当分見る機会はなさそうです。

鼻の具合が・・・

2021-08-22 21:11:51 | 水泳

この上空をブルーインパルスが予行飛行、あさっては見に行くつもり。

ちょうどスポーツクラブの夏季休業中、副鼻腔炎を発症し、
頭痛もあって耳鼻科で治療、投薬。
3日目ぐらいで良くなったので、クラブの休み明けに
5日ぶりに泳いできました。
間があいても、結構泳げる、と気持良く泳ぎました。
自分なりの理想は、きたない波をたてずに静かに泳ぐこと、
いるかいないか分らないぐらいにスウ~っと水面を進む、
しぶきもできるだけたてないこと。
自分で決めたことを集中して練習はするけれど、
それも静かに泳いでさっさと帰る。

と、思って2日続けて泳いだ翌日、また鼻の具合が
おかしくなってきました。
すっかり良くなったと思ったのに、またぶり返し鼻炎、鼻づまりで
気持悪い。
どうもプールの塩素がいけないみたいです。
こんな状況下、完治するまで泳ぐのを我慢したほうがよさそうです。

歌詞

2021-08-15 21:19:12 | 日記・つぶやき
もうテレビを見るのを止めて10年以上たちますが、
若いころは結構見てました。
情報源はラジオ、テレビ、新聞しかなかったし、
当時、NHK,岩波、朝日が日本の三大権威などと言われたり、
そんなことを書いた本を読んだ記憶もあります。

ニュースで少し前、坂本スミ子が亡くなった、
昨日、ジェリー藤尾が亡くなった、と知り、ああ、なつかしい、
と、よく見ていた番組「夢であいましょう」の歌を
久しぶりに聞いてみました。

ずっと印象に残っていた歌詞、
坂本スミ子の「夢であいましょう」の歌のなかほど
・・・夜があなたにささやく
   うれしげに、悲しげに、楽しげに、さびしげに・・・
この部分の歌詞とメロディーがとても好きでした、今も。

そしてジェリー藤尾の「遠くへ行きたい」の歌詞
・・・愛し合い、信じ合い、夢はるか一人旅
   愛する人とめぐりあいたい、どこか遠くへ行きたい

愛し合うのも、信じ合うのもはるかな夢、
いつの日か幸せを、というのも夢、
はかない夢を見ながら、ずっといつまでも一人旅。
この歌を聞きながら、20代はじめとは少し違う
しんみりしながらも、自分の記憶がゆさぶられるような
思いがしました。
(両方とも中村八大作曲、永六輔作詞です)

身につまされる

2021-08-12 20:54:59 | 読書
最近、井上靖の文庫本を読んでます。
昔、たくさん読んでますが、初めてのものを含めてもう一度。
『戦国時代小説集:利休の死』『ある儀作家の生涯』
そして『わが母の記』など。

なかでも『わが母の記』は身につまされました。
井上靖(明治40年生、平成3年に83歳死亡)、
実母(明治17年生、昭和48年に89歳死亡)です。
作者が60歳代のころの母親の記です。
父親の死去後、
母親は故郷伊豆の地でお手伝さんと二人で暮らしてました。
その後娘(作者の妹)の家(東京)で暮らすようになって4,5年、
78,9歳ごろから老いが目立ってきた、と作者は書いています。
同じことを繰り返し言う、言ったことはすぐ忘れる、だから
また同じことを、というように、脳の記憶機能が壊れ始めたのでは
と回りはみな心配し始めます。
よくある老化、認知症の症状、ほかにも様々な症状が現れ、
人生の記憶を少しずつ消しゴムで消していくようだ、と表現されてます。

肉体はしっかりしていて、ちょっと目には老化しているようには見えない、
会話もきちんとしていて、老化の度合いは短時間では分らない。
でも一緒に生活していると、それが頻繁に現れ、回りが困惑する様子が
詳述されてます。

私は、この母親はとても幸せな人だなあ、と思いました。
作者を含む4人の子どもはみな賢く、理解者であり、仲がいい。
経済的にも豊かなのではと推測します。
一人の妹が母を見られないときは、長男である作者が、
そしてもう一人の上の妹が交代して見る。
夏の暑いさかりには軽井沢の別荘に母を連れていく。
でもいつもいつも伊豆の故郷へ帰りたがる母、
それをみんなでかなえてあげる、最期は伊豆の故郷で静かに亡くなる。

母親の老いを見守りながら、老いている母本人はいったい何を考え、
思い、脳内でどんなイメージを描いているのだろう、と
作者はいろいろ憶測、想像します。

これは誰にも分らないこと、
必ず私も時間と共に老いの症状が出るでしょう。
もうそのときは自分の老いの症状なんていう認識はないでしょう。
今まで生きてきた過去の出来事の中で、心に刺さる刺激的だったことが
最後まで記憶に残るのかも知れないし、そうじゃなくて、
とんでもないことが残って、ふっと口にするのかもしれません。

作者の自伝的小説は他にもありますが、この作品だけからの私の感想です。
明治、大正、昭和という大変な時代を生きたこの母親は
きっと利口で賢い子育てをし、いい家庭を築いた立派な人だったに
違いないと思いました。
兄妹、その配偶者、孫たちが様々な意見を交わしながらも
心底老いた母を慕い、協力し合って最後まで看取る、
なかなか難しいことだと思います。
つたない私の経験からそう思うのです。

ずうずうしく鈍感

2021-08-11 20:13:41 | 水泳
暑い盛りに外を歩きたくないので、クラブのプールでは
午前中泳いで昼前に帰宅、でもこの時間が一番混んでます。
夏休み中は仕方ない、9月になれば大きな行事も終わり、
だいぶ静かになるでしょうから、今は我慢、と思ってますが。

そんなことはおかまい無しに自分勝手に泳ぐ人、
壁をふさいで延々とおしゃべりする人たち、
レーンの真ん中をのんびり泳ぐ人、
速く泳ぐレーンで全然進まないスカーリングもどきをする人、
ああ、またあの人が入ってきた、と心の中であ~あと思ったり、
腕をぶつけられたり、平泳ぎの足で蹴られたり・・・

世の中、結局、ずうずうしい人が得をする、
プールに限らずどこでもそうみたい。
そしてそういう人はとても鈍感、
他の人に迷惑をかけていることなど気づかない。
よく一緒になる練習熱心なおじさんに、
遠慮してちゃだめだよって、いつも言われます。

追記:五輪はニュース動画以外殆ど見てませんが、その中で驚いたこと。
競泳の全日程終了後、トップ選手二人とヘッドコーチが
着衣、靴のままプールに飛び込んだ映像を見ました。
ふざけてかどうか知らないけれど、きっと打ち上げ気分だったのでしょう。
自分達の競泳は終わっても、これからASもパラリンピックの競泳も
ここで行われます。
こんな行為は柔道で言えば土足で畳に上がるようなもの。
とんでもない不見識、あの人たちがこんなことをするのだ、
とほんとに驚きがっかりしました。


報道関係者たち?

2021-08-03 11:28:05 | 日記・つぶやき

石川島周辺の隅田川

昨日の朝、京葉線に乗っていたら、
新木場駅で5,6人の大男たちが乗り込んできました。
五輪マークのIDカードを首にかけ、大声で何か話してます。
選手かな、まさか、と思ったけれど、リュックにブロードキャスト・・・
とのアルファベットが、報道関係者?
どこの国の人たちでしょうか、ドイツ語みたいな言葉、
西欧の人たちのようです。

隣の葛西臨海公園駅でみんな下車、ここにカヌーの競技場があり、
電車から競技する水路は見えませんが、全容は見えます。
海のすぐそばで、白いとんがり帽子型のたくさんのテントと
参加国の国旗がずらって並んで見えて、きれいな光景です。
車窓の真正面がカヌー競技の観覧席で、もちろん誰もいませんが、
THANK YOU!と座席に大きく表示されています。
でも、競技役員か報道関係者か分りませんが、結構混んだ電車に乗って
こんなふうに移動してもいいんですね。

接種

2021-08-02 21:41:25 | 心と体
いろいろ調べ、迷い、考えた末、7月はじめに1回目、
そして3日前に2回目のコロナワクチン接種を終えました。
近所の内科医院での個別接種、申込も接種当日も簡単でした。
1回目は用心して前後3日間は泳がず、家で静かにしてました。
痛みもたいしてなく、副作用らしきものもありませんでした。

2回目は腕の痛みもなかったので、翌日、クラブへちょっとだけ
泳ぎに行きましたが、どうも体調悪く、頭がくらくらしたので、
20分でやめて帰宅。
37度台でしたが発熱、倦怠感とだるさがひどく、
やっとの思いで夕食の支度をし、ベッドへ。
その翌日、熱は下がりましたが、用心して一日中ひきこもり。
やっと普段の状態に戻りました。
同年齢の水泳友達も2回目接種翌日に熱が出たと言ってましたが、
あの倦怠感とだるさは、結構きつかったです。

ニュースによると、3度目の接種も、なんていわれてますが、
もう嫌です。