ミツバアケビの実、向島百花園で。
最近、あるマスターズスイマーと話していて感じたことです。
習う側がいい吸収力を持ってないと、いくらいい指導者の教えを受けても上達しない。
でも、お互いがぴったり合うと、どんどん伸びていく。
大人の水泳の話です。
その人は水泳を始めたときから、ずっと同じコーチに習って10年だそうです。
最初は全然だめだったけれど、かなり泳力のある人たちの中に入って、
指導を受けつつ、とにかくずっと泳ぎ続けてきたそう。
そして、今は短距離ではなんでも年齢区分のトップ3です。
すごい、素質がある、といって片付けてしまうようなことではなく、
指導者の力量とそれを自分のものにしていく吸収力、我慢強さがあってこそでしょう。
私はゼロから水泳を始めてもう24年、最初は普通のスイミングスクールだったけれど、
マスターズに出るようになって、今のコーチの練習会に参加するようになりました。
すでに10年、泳げるようにはなったけれど、速くは泳げない。
大会での成績は中くらいのままです。
そのことで、ずっと習ってきたコーチになぜでしょうか、
と大会の結果をぶらさげて質問したことがあります。
そうしたら、「速く泳ぐ練習なんて、やらせてないから」って言われました。
タイムを追う練習をするレベルではない、ということなのか、
それともこの練習会は、きれいに泳ぐ、適切なフォームで生涯続けられる水泳を
身につけるのが目的、ということなのか、その時はコーチの返答にがっかりして、
つっこんで聞く気になりませんでした。
私は以前、ここにも書きましたが、
「きれいなフォームが身につけば、結果的に速く泳げる」
というのは、大人の水泳ではまっとうな考え方だし、
速くなくても、きれいに泳げればいい、と思ってました。
その裏には、きれいさを求めれば自然に速くなる、という思いがあったからです。
でも、それは半分正しいだけ、自分自身を振り返って、そう思います。
形がきれい、見た目がきれい、でも見る人が見ると、全然なってない、
スピードがないのには、それなりの理由がある、ということ。
理にかなってない動き、身体の使い方をしている自分に気付かされて、
ああ、またやり直しか~
大変だけど、それもいいかなあ、やり直しの連続でも、
10年を無駄にした、じゃなくて、10年があってこそ分かったのだと思いたい。