「線路端の猫戯子 前編」Chapter 2 は春がテーマです。
偶然手に入った貴重な資料を使って木島線を解説していきます。なんと昭和初期の物。
もちろん著作権は切れています。
本当は中野駅の壁に掛けてある吉田初三郎の鳥瞰図が欲しかったんですがこれも優れもの。
当時の善光寺を中心に周辺の様子が詳しく描かれています。各鉄道路線も駅名までバッチリ。
ここに予定路線として描かれている「善白鉄道」が後に生きてきます。
名所案内図を駆使しながら話は進んでいきます。
ここから木島線全線の車窓風景です。前にも書きましたがカメラは業務用 Ikegami ITC-870 。
運転室の後ろに特別装備のカメラを木製三脚に載せてセット。
長野電鉄各路線が交錯する須坂駅の紹介。
須坂市は私の生まれ故郷。子供のころから親しんだ鎌田山、通称「かんだやま」から。
須坂は生糸の生産で栄えた町。県内では明治から製糸業が盛んでした。
松代です。
須坂と松代をとりあげたのは訳があります。
当時生糸は重要な輸出産業でしたが生糸を横浜へ運ぶには鉄道が無かったので大変でした。
長野電鉄は現在の小海線、前身の佐久鉄道が絡んできます。
佐久鉄道は路線を北に伸ばし、輸送手段として活用することを考えたんです。
その経緯は作品で詳しく解説しています。
小海線は清里駅も訪ねました。
小海線を走っていた SL C56 が保存されています。
昔の善光寺も弟が70年代初めに撮った8ミリフィルムから取り込んで使用。
これは改築前の善光寺を模した長野駅。写真はいくらでもありますが動画は超貴重。
北信濃では全部の街道が善光寺に通じています。この寺なくして北信濃は語れません。
長野線柳原駅。懐かしい長野電鉄オリジナルの2000系が発車。間もなく引退予定の最後の姿
の筈でしたが一年生き伸びました。
千曲川に掛かる旧村山橋を渡る電車。今は架け替えられて跡形もありません。
後にこの鉄橋の最後の橋脚撤去も撮影しました。
これも遠い昔。8ミリで撮ってあった村山橋を渡る電車です。
須坂駅も撮影してあります。
1975年、改築中の須坂駅。自主映画のワンカット。
須坂長野東インター近くにあったトレインギャラリーです。
東急から長野電鉄に払い下げられた青ガエルを塗り替えた通称赤ガエルが保存されていました。
トレインギャラリーは廃止、この車両は東急に引き取られました。
しばらく前まで渋谷駅前にあったのはオリジナルの青ガエルです。
これまた懐かしい屋代線を走る一両編成の電車。
自主映画のロケで撮影した若穂駅です。
屋代線は屋代駅で国鉄信越本線、現しなの鉄道と交わります。
昔は上野⇔湯田中の直通列車があって、私も乗ったことがあります。
屋代駅のしなの鉄道ホームから出て行く長野行き列車です。
この Chapter 2 では木島線信州中野から木島駅まで、電車の中からの車窓風景が縦糸。
そこにおばあちゃんたちの想い出話をかぶせて、長野電鉄の歴史と関連項目をインサート。
木島線は延長 12.9Km 、乗車時間は20分でした。
春の短いけど長い旅は続きます。