昼休みに隣のスタジオにいらっしゃった映画「くちづけ」の宅間さんに会いにいき、
生姜焼きのランチを食べ、
スタジオの真ん中を流れる川に咲き乱れる桜を撮る。
何枚か、どうぞ。
昼休みに隣のスタジオにいらっしゃった映画「くちづけ」の宅間さんに会いにいき、
生姜焼きのランチを食べ、
スタジオの真ん中を流れる川に咲き乱れる桜を撮る。
何枚か、どうぞ。
桜、満開に近い成城学園の巨大スタジオ。
朝、3時半にスタジオ入りし、助監督と二人きりで今日の戦略を練る。
なにしろ今日は文字通りの「山場」である。
SPEC史上最大のスケジュール的難関。
それが今日だ。
午前7時半、相当数のスタッフが走り回る。
闘いの幕開け。
一昨日、母親の四十九日法要で名古屋。
葬儀に続いて、ごく身内のみで。
そして明日より公演開始のシニア劇団「子子孫孫」の通し稽古。
何ヶ月も稽古を続けたシニアの方々が、一生懸命舞台に挑戦する姿は誠に素敵だ。
人生の経験値が醸し出す「表情」がそこにある。
そしてストーリーはなんと女子サッカーの話。
走り廻るおばあちゃん達!
奇想天外!
元気なお年寄りは地域の宝。
目撃せよ!その勇姿を。
劇団「子子孫孫」の旗揚げです。
東海地区の方、ぜひご覧ください!
http://shishisonson.shownen-boys.com/index2.php
夕方、ワタシが東海地区の信頼できる仲間と立ち上げた地域振興チーム「東海アクション(仮称)」の打ち合わせ。
事の大小に関わらず自治体や地域の要請に対して、何らかの「答え」をできるだけたくさん用意する、大学の先生やマスコミのスタッフで構成されるチームです。
市民ムービー「タカハマ物語」が結成の動機であり出発点。
その経験の(もちろん手法の一つとして)いろいろな“生かし方”を模索したい。
そして昨日は、スタジオのセットの下見や4月以降の企画の打ち合わせ。
毎年咲き乱れるスタジオの桜が今年も見られてなんだか、安心。
夕方、赤坂ACTシアターで「赤坂大歌舞伎~怪談乳房榎」を観る。
歌舞伎の世界には遠いのだが、中村勘九郎さんとの今後の仕事の御縁で。
観て、面白くて、アゴが外れた。
もちろん比喩だが。
徹底的なエンターテイメントに声を上げた。
自由でハラハラ、楽しいことこの上ない。
現代の演劇とどっちが新しいのかわからなくなる。
勉強になった。
さてなどと書いている間に1シーン撮影した。
まだ8時半。
ぐいぐい捻じ込むよ。
おっと!
眠くなってきた…
こら。
トラッシュマスターズvol.18
「来訪者」
座・高円寺1で観る。
新宿タイニィ時代からの単なるファンであり、
毎回戦慄しまくっているのだが、
今回ついに中津留トラッシュは「一線を越えた」と言わざるを得ない。
政治劇的様相から始まり、次第に国家と人間の存在意義、その本質を鋭く抉る高みに達し、
過剰な演出はほとんどなく、しかして一瞬たりとも飽きさせることなく3時間釘付けにする。
これを「演劇の最前線」といわずして何がそうであるか。
かつて「無力化」させられると書いたことがあるが、
まさにそうだ。
自分の生きる意味や、考えることのレヴェルや、仕事で何かを作っていることは、
すべて予定調和な「こんなもんでいいだろう収束」にしているとさえ感じてしまう。
終わって「飲みいきましょう!」と主宰の中津留氏から誘われたが、
とてもそんな気分になれず、
折しもの風雨に身を曝して、今眼前にあったものの意味を問いたいと感じた。
世の中にはすごい作家も役者もいるものだ。
身が引き締まるとはこのことだ。
3月20日まで。
夜明けに起き、
車を出し、
郊外の大きなスタジオに向かう道すがら、
佐野元春さんの新作アルバム「ZOOEY」を聞く。
この時代情況で、自分の年齢で、自分の居場所で、
仕事をし、生活をし、
良くも悪くも人と関係し、
悩み、喜び、
幸福を探し、弱気や強気になり、
生き死にを身近に感じ、
具体的にも抽象的にも「彷徨う」今の自分に、
こんなにも響くアルバムがあるのか。
1980年代に流民としての勇気をもらい、
「COYOTE」で、固まってしまいそうなアクセルのペダルを「まだ踏めるんだよ」と力をもらい、
そしてまたしても今日に留まらない「音」をもらう。
高速道路の延長線上にある富士山が真っ白、くっきりとする。
スタジオに到着する。
喧噪の中、カットを積み重ねる。
でも曲のイメージがずっと渦巻く。
歌詞を読み返す。
台本の端に気になるフレーズを書き写したり、
じっと歌詞の情景を想像したり。
手紙がついていた。
ぼおっとその意味を考えた。
そして手紙をもう一度折り畳んでケースに返し、
仕事に戻った。
少し視界が開けた気がした。
そして帰りの車でもう一度聞こうと静かに決意した。
ZOOEY