行く年2012年を振り返りたいと思います。
今日12月30日は昨年、JR病院を退院した日であります。あれから早いもので一年が過ぎました。
2011年8月10日に脳卒中で倒れ横浜みなと日赤病院への入院とその後のリハビリ入院と続きJR病院でリハビリ訓練を受け12月30日にJR病院を退院してその後自宅療養と今年の1月からJR病院への通院リハビリが続き、今年3月末で通院リハビリも終了し、4月16日より会社復帰をする。
その後は梅雨の季節を乗り越え、暑い夏も乗り越え、台風の季節も乗り越えました。会社を休んだ日は病院の定期健診に行った3日間のみ。無遅刻で出勤を果たしました。
会社復帰に際してJR病院のS先生から”生活のリズムを作ること”と”環境適用させること”のアドバイスをうけました。このアドバイスの通りできたことが無遅刻、無欠勤の結果につながったものと思います。来年もこの調子で行きたいと思います。
7月からはリハビリ訓練の記録をメモ代わりに記録して行く事と病気、障害に対する戦いの気持ちを奮い立たせる為にブログを始めました。
ブログの記録を読み返しますと
<7月>
7月の烏山駅までの歩行タイム:30分でした。
30分を切った日は大喜びでしたね。
雨の日、雨上がりの日は路面が濡れていて、歩くのを怖がっていましたね。風の日も怖がっていましたね。
毎晩寝る前に次の日の朝の天気が気になりましたね
歩行では左足加重が上手く出来ずリズムで歩くことも上手く出来ず、歩いている時には雑念を考えてしまい歩行が遅くなりあれこれ悩んでいましたね。
右脳がダメ-ジを受けているので命令しないと左側半身は動きません。
言葉に出す(口に出す)ことで命令がうまく行くようで、
『遠くを見る。頭を上る。胸を張る。背筋を伸ばす。左足加重。』とか言葉に出(口に出す)して歩るいていましたね。
最寄駅(千歳烏山)までへ行く為の脚力強化として7月初旬から休日は、自宅から最寄駅までの中間地点原田商店)までの往復歩行訓練をしていましたね。(往復1km)
7月15日は挑戦した日ですね。自宅と会社の往復から初めて遠くに行く挑戦をしましたね。長距離歩行”東京ミッドタウン”に行きました。
7月からは休日の私の家事も開始しましたね。
<8月>
この頃はリストラとその後のことで心も体もへとへとに疲れていて最悪の時期でした。
こんな薄情な会社なんかでやってられないと思い転職のことも考えていましたね。
通勤では烏山駅までの歩行タイム:30分を切りだした頃でした。
また、歩くことだけがリハビリでなく脳神経細胞の活性化をこの頃より考えだしましたね。脳神経が再配置できれば、元の機能が取り戻せます。その為には日々脳を刺激して行く事が大切です。
訓練スタイルも頭を上げ、胸を張り、背筋を伸ばす姿勢、直ぐ遠くを見て歩く。左足加重する。無心リズム歩行。
と確立されてきた頃です。電車で立つことも苦では無くなり始めてきましたね。
夕方の新宿駅構内の移動もコツがつかめてきたのもこの頃です。
このころより一週間過ぎるのが早く感じられるようになってきました。
夏休みもお散歩リハビリで”東京ミッドタウン”によく行っていました。暑い日の日中歩くのは熱中症になるのでミッドタウン建物内、地下鉄六本木駅の構内は涼しいので良い訓練コースでした。
世田谷線にも乗りましたね。
8月14日は25分20秒。過去最高のタイムで新記録で最高に喜びましたね。この夜は妻とワインで新記録達成の乾杯をしましたね。
毎日帰宅はタクシーを使っていましたがこの月、24日より金曜日はタクシーを使わず、自宅まで歩いて帰ることを始めましたね。これも大きな進歩です。
この月の終わり頃には駅までのタイムは26分~、28分台で行けるようになっていましたね。
8月は暑かったでしたが、お散歩リハビリによく励み、暑さを乗り越えましたね。
ヘレンケラーやスティビーワンダーとか障害を持って、それを乗り越えて偉大な功績を残した人達の生き方を参考にして考えるようになりましたね。
<9月>
9月はリハビリ修行の頑張ろう月でした。寒くなる前の大事な訓練月でしたね。
この月は雨が多かったですね。台風も来ましたね。この月は雨の記事が多くなりましたね。
9月2日からは良い天気が続くことと通勤の安全を願って寝る前に”星に願いを”のおまじないを始めましたね。不思議なことにその後は通勤には雨に降られず、悪い事態も発生していませんね。
15日には昨年私が倒れた場所、横浜中華街にある”青葉”に家族で行って快気祝いをしてきましたね。横浜中華街に行けるまでにリハビリ修行も順調に進んで脚力、体力も出来てきたのが実感出来た日となりました。お料理美味しかったです。
この頃は体重増えて減量をこころがけていましたができなかったですね、その後体重は徐々に増えて行く事になります。
豆乳を飲み始めたのもこの月からですね。BREDAL ONEでパンをよく買い始めたのもこの月からかな?
食事では血管の老化、硬化を防止するのに効果があるとされる”たまねぎ”をよく食べ出したのもこの月からですね。
27日には公式タイム(通勤時間帯での記録)で25分を切り24分40秒でした。
『人生には、近道や魔法の絨毯は存在しない。自分の足で一歩ずつ歩いていかなければならない。その一歩一歩がいつか信じられない高みにまで私たちを運んでくれる。
これが夢の実現に至る唯一確実な方法なのだ。』 (稲盛和夫)
<10月>
10月8日は過去を捨てた日です。
4月から会社復帰後の悪い出来事ばかりで体だけではなく心まで変になりそうでした。
気が狂う一歩手前まで行ってました。
4月から会社復帰後の悪い出来事を捨てにお散歩リハビリに行きました。ミッドタウンの公園で心の中でみんな捨てた!!と大声で叫びました。これから未来志向で生きて行くぞと決めた日です。
新しい取り組みを始めたいと決心しました。これから何が待ち構えているかわかりませんが、誰が何と言おうが非難されようがこれからの私は、MY WAYです。未来志向。私のこれからの人生はまだまだ長いので過去のしがらみを捨てて、新たな、”縁”、”絆”を作って新しい枠組みを作って生きたいと決心した日になりました。
4月から本当に醜い心の人間、汚い人間、大嘘つきの人間を多く見過ぎて体だけではなく心まで変になりそうでした。気が狂う一歩手前まで行ってました。
この日で全て終りました。
その日から気持ちが軽くなりました。悪いものが取れた気分になりました。
1.10月のお散歩リハビリの距離:23KM
2.最高タイム: 22分25秒:10月18日
3.10月31日のタイム:23分00秒になっていました。
歩行速度が随分速くなりました。
28日には仙川にあるクリニックに一人で検査に行ってきました。仙川は健康な時には簡単に行けるところでした。でも、私の歩行力では相当難易度が高い行く先でした。
リハビリ修行の効果も上がってきて仙川に行けて自信がつきました。これも進歩です。
秋を見つけに27日には大崎。目黒川、ゲートシテイ周辺のお散歩にも行きました。
10月もミッドタウンにはよく散歩に行きましたね。
病気に倒れた時には医師からご主人の障害は重症で今後は歩けないでしょうと言われました。車椅子へも一人で乗り移ることも出来ないでしょうとも言われました。その時を思うとここまで進歩したこと。努力すれば出来ないことは何も無いということに確信が持てました。
6日には”青葉”に行きました。
遠出が苦にならなくなってきました。
<11月>
11月の結果
1.11月のお散歩リハビリの距離:28KM
2.最高タイム: 21分30秒 11月30日
3.11月30日のタイム:21分30秒
4.10-11月間のお散歩リハビリの距離:51KM
10-11月間はリハビリ秋場所として冬に備えての歩き込みをしましたね。
11月が終りには。歩行のタイムは21分30秒になっていました。
大変よくできました。
15日はJR病院での定期健診の日。S先生は私に他人の目、他人の言う事を気にするな!自分の道を堂々と生きなさい。自分の世界をつくりなさいと言われました。
”My World”です。S先生ありがとうございます。この言葉で私は元気をいただきました。この頃より気持ちが晴れ、楽しく生きて行くことに気持ちが切り替わりました。
ワインを飲む量も増えて行きましたね。
24日より
入浴療法、+
音楽療法を始めました。
体が温まり、硬くなっていた筋肉が入浴でほぐれます。更に音楽も聞くと心もリラックスできて気持ちよくなります。特にクラシック音楽を聴くと良く眠れます。
25日は西新宿高層ビル街にお散歩行って来ました。段々と行動範囲が広がって行きました。
ミッドタウンの5km長距離歩行もやりましたね。
檜町公園の池一周は以前は休みながらでしたが休まずに歩くことができるようになりましたね、進歩しました。駅までのタイムも22分台の記録更新が続きましたね。
<12月>
18日 新記録更新
”20分30秒” 駅までの最速歩行タイムでした。
お散歩リハビリの距離:19km
10月からのお散歩リハビリの距離:70km
寒さが厳しくなって、朝は左半身が凍っていますが歩け、歩けでやってきました。
脳の活性化促進のために食事療法も取り入れました。
23日は四ツ谷にあるイグナチオ教会に行ってきました。病気に倒れる前は毎年クリスマス時期になるとこの教会にお祈りに来ていました。その後は、飯田橋にある東京日仏学院まで歩きました。この日は私の市街地歩行能力を確かめるために歩いてみました。歩けることが判り自信となりました。
また、来年は今の世界からもっと外の世界に踏み出そうと誓いました。
私の復活、再生、新生の誓いを立てた日でもありました。
生きることは”無常”世界です。絶対、不変なことはものは無いという真理であれば、病気に倒れる前は私にとって幸福な時期。倒れた後は、私にとって不幸な時期。私にとってこの不幸な時期を乗り越えれば次に来るのは幸福な時期です。
私は2011年8月10日で一度死んで、人生第一章が終って今は復活に向けての準備の時期。
これが私の『人生第二章』。復活、再生、新らしく生きるですね。
ただ、現実は障害を持つ身なのでこの現実を受け入れて、どう乗り越えて行くかが今後の課題ですね。
『人生第二章』でやるべきことが見えてきたような気がした一年でした。
■瀬戸内寂聴の名言
たくさん経験をしてたくさん苦しんだほうが、
死ぬときに、ああよく生きたと思えるでしょう。
逃げていたんじゃあ、貧相な人生しか送れませんわね。
生きるということは、
死ぬ日まで自分の可能性をあきらめず、
与えられた才能や日々の仕事に努力しつづけることです。