ブログ アキマ

80代女性のブログ

我が家のクリスマス

2016-12-25 12:40:17 | 日記
いつものように、次男一家がやって来て、「ま」ちゃんのクリスマスプレゼントを買うため、イオンの玩具売り場に行く。
スケールの大きな玩具売り場は、子供たちで溢れかえっている。どの子も喜々としておもちゃを求めている。「ま」ちゃんもしかりである。
それを眺めている、私達の気持も和む。

さて、家に戻り、クリスマスパーティ。
ワイン、ビール、日本酒とあけ、皆で話がなめらかにはずむ。

私とKさん(お嫁さん)は身近な話題でー。
時々次男が話に入る。 話に乗り遅れた夫が、まごまごしているのを、Kさんが察し、気を使って話かける。どこかにあった光景・・・・ そう、かっての若かった私達夫婦と、夫の両親との間が、こうだった…。
私は義父に、時折こうして、気配りをしていたことを思い出す。

両親のそれぞれの年齢に、私達夫婦は達してしまったー。そして、今それを、超えようとしている。

さて、帰宅する一家に、テーブルの残り物を、パックにつめて持ち帰らせようとする私の姿は、私の母親そっくりー。

私はこの所、立て続けに、ちょっと気持ちのきついと思える事態に、直面してしまった。(ブログにも書いた)あとに引きずってしまいそうだったけれど・・・・。
こうして、家族に囲まれ、倖せに団らんすることが出来て、気持ちがほっこりする。

クリスマスが過ぎると、お正月が来て、新しい年が明ける。
又、息子達一家がやってくるだろう。
来年は又、旅行に行こうか、と、前向きな気持ちになる。

一家の車が(Kさんは飲んでいない)門を出て、右に曲がって去ってゆくまで、ふたりで見送るー。

A先生へ

2016-12-24 12:49:08 | 日記
今年最後の薬を出していただくため、S医院に行く。
行くと先生はまず、血圧を計ってくださる。
私は医院に来ると、いつも血圧が上がってしまう。そのために、薬を飲んでいるというのにー、である。

なぜか? 緊張してしまうからである。
それは、私のメンタルの弱さ故にある。

今日もそうだった。いや、今日は少し様子が違ってしまったー。
あることがあって・・・・。

待合室にいる間に、私は、パニックになりそうになる。
そのまま呼ばれて診察室に入ると、言葉が出せない。 動悸がする。
そんな私に先生は「心配ないよ」といって下さる。
うんうんと、黙ってうなづくしか、できない私ー。

先生はご存知でいらっしゃる。
私が、ある内科的治療を受けて以来、それがストレスになっていることをー。それに私のメンタルの弱さが追い打ちする・・・・。

私は、前の別の先生にも(施術してくださった)ご心配をおかけしたことがある。
一度病いを起こすと、私のような者は、メンタルにダメージを受けやすいのだろうか。
先生はお優しいー。先生を信頼していこうと思う。

日頃は、元気で頼れるお母さんと、夫や、息子や、お嫁さんに言われ、それを自負してきたのに、昨年病気をして以来、その自信を無くしてしまった。いや、体は、元どおり元気になれたというのにー、なぜか、たえず何かに怯えている・・・・、何かー、とは分からないのだけれど・・・・。

先生に処方していただく薬は、3種類。
パソコンに向かう先生の横顔に、先程までの、別の患者さんに、難解な検査の時間を費やしておられた、そのお疲れが、やや見てとれる。(私のこと、ここに原因している)

「先生、お疲れ・・・・」思わず口にする。
先生が、笑みを返して下さる。

先生と私の間柄は、実はまだ始まったばかり。
こうして、少しづつ近づいていくような、そんな気がした。

「よいお年をー」と挨拶をかわし、診察室をあとにする。

Y先生へ

2016-12-20 13:26:58 | 日記
夫が、念のためにと受けた検査の結果の出る日だったので、私も病院へ同行した。
病院は、以前、私が胆嚢摘出手術を受けたところ。
8ヶ月ぶりにやってきたのだが、懐かしいというより、むしろ、気持ちがざわつく。

私はあの時、2週間ばかり入院していた。あの時の心もとなさ、不安な気持ち、怖さ・・・・、が蘇る。

夫の結果は、思ったとうり、異常なし。 良かった。

会計を待つ間、私はふと、かっての消化器内科の待合室へ、足を運んでみた。
何時もと変わらぬ、待っていらっしゃる大勢の患者さん達、番号を告げる、コール。
かっての、私の担当医だった、Y先生のネームプレートが、ドアの一つにかかっている。
ああ、今日は、先生の外来の日だったのだと思った。
先生は、近く、郷里の医院を継ぐべく、病院を退職されることを、私は知っている。

最後に、もう一度お会いしたい。でもー、それはできない。
ドアの前に、佇んでしまったー。

その時、ふいにドアがあいて、一人の患者さんが出ていらした。
一瞬、その人の肩越しに、先生の横顔が見えた。懐かしい顔だった。
このシーズンは、何時もマスクをしていらっしゃる。白いマスクに、印象的な目、前髪が額に少し乱れているー。

ほんの一瞬だった。ふたたびドアは閉まり・・・・。
私は、心の中で「さようなら」といっていた。

5年の長い間お世話になり、私を元気にしてくださった先生である。いつも、真摯に私を迎えてくださっていた。
礼を尽くしたかった。せめて、言葉を届けたかった。
でもー、そのすべがないのである。

先生は別に、ご存知なくていい。
私が、ドアの外にいたなど、知るよしもなくていい。
私は、ひっそりと、ひとりお別れをすることができた。それでいいー。と自分に言い聞かせた。
私にとっては、先生はひとり。でも、先生には、私は多くの患者さんのひとりなのである。
覚えていてくださるとは思うけれど、私の思い込みかもしれないー。

それにしても、今日、私がここに来なかったらー、
先生が外来日でなかったらー、
そして、あの時、ドアが開かなかったら・・・・。
私は偶然にも、今こうしてここに、会いに来てしまったのだった。

一瞬でも、お会いできて良かった。
心からそう思った。

もう一度言う。「さようなら」と。

Y先生 ありがとうございました。



想い出のシルバーカー

2016-12-17 13:05:58 | 日記
マイカーを手放して,重い物の買い物に困るようになった。ペットボトルのお茶が切れてしまったー。

そうだ、私の父が、25年前に母を亡くして、その後この家に越してきたその頃、父のために買ってあげたシルバーカー(手押し車)が物置にあるはずと思い、探してみる、あった、あったー。

丁度、お茶のケースが、すっぽり2個も乗せられそうな感じである。それを押して夫と二人でイオンに行く。何か年寄りっぽいな・・・・と、冗談を言いつつ・・・・。(結構年寄りですけど、私達)

私の父は、この家にやってきて、12年後に亡くなった。95歳だった。
日々、よく一人で買い物に出かけていた。そして、自分の好きな物を買い、時には私への土産を買ってきてくれた。
我々とも、よく旅行に行った。
美味しいものも、食べに出かけた。
人一倍、元気だと言われていた。
しかし、次第に足腰が弱り・・・・、手押し車で出かけるのがやっととなり・・・・。

今、私は、父の温もりの残ったその車を押しながら、冗談を言いつつ、二人で仲良く買い物に出かけているが、あの時の父が、ついに車を押せなくなったように、私達にもその時がやってくる・・・・。
それは何時だろうか、と思う。
この古びたシルバーカーは、タイヤも重く、荷物を積むと動かし辛い、などと文句をいいながら、夫と二人で仲良く押して歩く。
お茶を買って帰るー。

ブログ名を変更

2016-12-11 09:48:02 | 日記
私、この度、ブログ名を変更いたしました。
「アキマ・トーク」から「アキマ」へ、です。

ブログを始めて感じたことがある。
世の中、世代を問わず、ブログを発信していらっしゃる方が、大勢居られることが分かった。

私のような者、私世代の者が書くもの、読んでくださっていると思うとー、正直嬉しい気持ちになる。
日頃音信の途絶えていた、甥っ子達からもメールが来たりと、私の生活に変化が起き、新しい生活が開けるようなー、と言っても過言ではない。

しかし、だからと言って、肩ひじ張るのはよそう。そして、ありのまま、感じたことを、書こう。たとえ、自分の気持ちを知られることへの、躊躇する思いがあったとしても、やっぱり書こう。
それはもしかしたら、私自身も気付かなかった、自分を知る、いい機会になるかも知れないーと、そう思って書こうと思う。

これからも、よろしくお付き合い下さい。