小倉百人一首と津波の記憶
宮城県多賀城市の宝国寺の傍に黒松の松山があるそうだ。
平安時代の貞観11年7月9日にこの地方を大地震が見舞った。
その時 この黒松の足元まで大津波はやってきたが 松山を越えて その先まで行く子とは無かったと古い記録に詳細に書かれている。
それを踏まえて951年に編まれた小倉百人一首の次の歌を見てみよう。
(ちぎりきな かたみにそでを しぼりつつ
すゑのまつやま なみこさじとは)
清原元輔
(きよはらのもとすけは清少納言の父親)
この歌は元歌が東歌あるが この貞観地震の記憶を都の人まで知っていたことになる。
地震が発生してから約80年後に作られた歌だ。昔は こうして 歌を通じて 歴史が広まっていったのだ。
そして 3.11の東日本大震災の時も 宝国寺の床下まで津波は押し寄せたが 松山は越その時の大地震と津波の犠牲者は 1000人に上り 多賀城界隈は海に鳴ってしまった。
ここは多賀城市の観光名所になっているとか。
どんな地形の場所なのか 行って確かめたいと思う。
ネットを見ていると この清原元輔の和歌と津波を結び付けている人がいたことを知ることが出来る。
おかあさんが疑問に思っていることの一つに 東北を襲った何階もの大地震を なぜ 多くの人の体内に刻まれなかったかということ。
大地震の歴史を学んでいくと 東日本での発生件数は段突なのだから。記憶の中に刻まれていないことが不思議で仕方が無い。
大地震の前後にも 大きくない地震に数多く遭遇していたら 次も 大したことはないと思うのかも知れない。
ところで 地震のことを ナイ と呼んで痛そうなので 地震の記憶なんて 無いに等しいのか。
過去は未来への明かり だと書いてあったのを 読んだことがあるが 伝承というのは聞き逃さないことだ。
話は違うが 以前にも 焼けどの薬として 琵琶の葉を焼酎に漬け込んだものがよく効くと書いたが 多分 実行した人は少ないだろう。
今日 それを教えてあげた患者さんが やけどの薬としては勿論のこと 化粧水としても遣っていると言った。
おかあさんも 最近 左の指 3本に熱湯をかけてしまい 火傷度2くらいまでになったが 抽出液を痛くなくなるまで付けたら その夜 お風呂でも全く 痛くなかった。
この琵琶葉アルコールも昔からの伝承の品である。
乾燥した大き目の葉を10枚くらい900ccの焼酎に3週間だけ漬け込む。3週間したら 葉を取り出せばOK。
今 温室ものの琵琶が出回っている。美味しければ 種を植えておけば良い
実もなるし 一石二鳥である。
自宅に庭が無ければ どこかの公演の片隅にそっと植えておく。なんてことも可能かも。
我が家の琵琶の木には 今年も実がついている。