ゆいもあ亭【非】日常

映画や小説などのフィクション(非・日常)に関するブログ

ちょっとパターンにはまっています、見て、翌日レビュー、みたいな。

2007-02-08 | Weblog
今日は「インナースペース」を見ました。

アンブリン・エンターティメントでスピルバーグ提供、実は監督はジョー・ダンテ。「グレムリン」なんかと同じですね。

デニス・クエイド、メグ・ライアン、マーチン・ショートの、これもワンダー・トライアングルですね。

ジョー・ダンテ、「ピラニア」がね、「ジョーズ」の模倣者の中では傑作だとスピルバーグが認めて、それで「トワイライト・ゾーン」の時に誘われたんだとか、そんな話だったですよね。

でも、ジョー・ダンテの毒っぽさのほうが、わたし、好きなんです。

だから、今日は堪能しましたよ。

念入りに装うのは何のためなのか?

2007-02-07 | 映画
殺しのドレス」を最後まで見終わった。

やっぱり面白いなぁ。

“Dressed To Kill”という原題だが、これは英語の慣用句で「念入りに装う」という意味なんだと、当時学んだ。

あのころは、映画を見ている間くらいは最低限は英語が聞き取れたのだが、今は、前にも書いたように日本語トラックがあるDVDでは日本語で見てしまう。

今回のDVDでは、これ、テレビ放映のヴァージョンと同じモノラル吹き替えのみが収録されていて、どうにも気に入らない部分がある。

ヒロインで娼婦のリズと、ひと癖ある刑事マリオンの会話部分。

「誰とヤッた(フーズ・ファッキン)」
「クソでも喰らいな(ファック・ユー)」
「おれじゃないさ。お前がヤッたんだろう」

と、まあ、こういう応酬が、日本語部分だけだと面白みがないんだな。

まあ、そういう不満でいうと、ヒッチコックの「疑惑の影」のさ、テレビ版吹き替えもまた不満だったな。
「テレグラム」と「テレパシー」で洒落ている部分。
「『電信(テレグラム)』を貰ったのかい」「以心伝心(テレパシー)よ」、とか、訳すか、
「虫の息じゃ伝わるまい」「虫の知らせよ」くらいの小技は欲しいと思ったものだが。

閑話休題(それはさておき)。

「殺しのドレス」は公開当時劇場で2~3回は見ていて、あの、終盤にリズに誘惑されたエリオット医師がネクタイ外しながら鏡の自分に苦笑いする場面で、観客が笑うんだったな、と、思い出した。そう、あんなにヒントがあるのに犯人を見破れないひとがたくさんいるんだったよ。

それに、ピーノ・ドナッジョのサントラがいいな。

「キャリー」で作曲デビューして、デ・パルマ的には「フューリー」はジョン・ウイリアムスなのだけれども、この「殺しのドレス」と「ミッドナイトクロス」で一緒に仕事しているピーノ・ドナッジョ。20年ほど前のワイド・ドラマでは、よく彼の楽曲のパクリみたいな音楽が流れたよな。

……ということで、未見の方は「愛のメモリー」「キャリー」(よかったら「フューリー」)「殺しのドレス」「ミッドナイトクロス」(ついでに「ボディ・ダブル」)は見て欲しいものだ。

「アンタッチャブル」とか「ミッション・インポッシブル」ばかりじゃなくってね。

時間が充分でなかったので…

2007-02-06 | Weblog
本日は「殺しのドレス」を途中まで。

あのころのブライアン・デ・パルマ、とても好きな監督でした。「ミッドナイト・クロス」「殺しのドレス」「キャリー」「フューリー」「愛のメモリー」。(製作順じゃなく、何となく好きな順かな~。実際には優劣付けられない作品もあって、もしかしたら書くたびにちょっと違うかもしれない。)

デ・パルマ、ジョン・カーペンター、ダリオ・アルジェント。

特に好きな監督というと、このあたりでしょうか。

分けても好きなのはカーペンターですかね。

その次あたりにクローネンバーグかなぁ。

そうそう。アルジェントといえば、前にここにも書いたと思いますが、「インフェルノ」のDVD出ないですかねぇ。

明日はまた、レンタル特売日。

会議とかが長引かずに帰れればいいなぁ。

0002。2かぁ、ジョーの番号やなぁ。

2007-02-05 | アニメ
劇場版 科学忍者隊ガッチャマン」地球消滅!0002編を見た。

コンドルのジョーが突然致命的な傷を負っているとわかり、時を同じくしてアンドロメダ星雲の一惑星であるセレクト星が消滅したことがわかる。200万光年の彼方の一惑星の「今」を観察できるという「地球」の壮絶科学力にびっくりしつつ、その八つ当たりに「BH(ブラックホール)作戦」を開始する総裁Ⅹのセコさよ……。

しかし、その壮絶科学力の前では、惑星のコアを活性化させブラックホール化させるなどという戯けた作戦もものかは、と思うがいかに。

本編だけでなく、続編テレビシリーズ「科学忍者隊ガッチャマンⅡ」で平気な顔して(うーん、苦悩はしていますか……)サイボーグとして現われるジョーのいい加減なこと!

ジョーの致命傷は脳の傷のはず。脳がダメなヤツはサイボゲーションしてもダメそうな気がするが……。

まあ、そんな、恐らくは完全サイボーグなジョーを差し置いて、第3弾「科学忍者隊ガッチャマンF」では超高速の戦闘機ガッチャスパルタンの先頭で大剣振るって突進するケン。ヤツはいったい何者だ? って、そう、G1号たる彼こそ唯一の「ガッチャマン」なんですがね。

G1号大鷲のケン、またの名を「ガッチャマン」!

ですからね。

*十代の暴走! 三十代のミュータントを好き放題、嬲り者に! 可哀相なベルク・カッツェさんはこのあとは顔を踏みつけにされます!*

知った話の、いわば二度語りでは、細部の異同だけが面白みだね。

2007-02-04 | 映画
悪魔の棲む家(2005)

旧作は映画館で見たな。それから、徳間書店から発売された原作(ドキュメンタリーだ。「実話」だからな)も買って読んだものだ。

大筋は「オリジナル映画」と同じだ。

ジョージ(ライアン・レイノルズ)とキャシー(メリッサ・ジョージ)のラッツ夫妻が移り住んだ家は悪霊が取り憑いた家だった。一年前に殺人事件が起こり、その犯人である一家の息子は「家」が殺すように命じたと言ったというのだった。

最大の違いはジョディである。チェルシーという末娘にだけ見える少女の霊は、原典では「悪魔そのもの」なのである。豚の天使とかいうことじゃなかったか? それとも翼の生えた豚はそれこそもとの「ドキュメンタリー」に出てきたのかもしれない。いずれにせよ、オリジナルでは終盤に破風の窓越しに巨大な豚のイメージとして登場するんじゃなかったか。それをかつての殺人事件で命を落とした末娘に変えている。しかも、チェルシーだけに見える設定ながら、早々に観客にはその姿を見せている。

そう。みんなこの話はどういう話かを知っているということを前提に、見せるときにはさっさと、そしてしっかりと見せてしまっている。

もう一点。オリジナルでロッド・スタイガーが演じていたキャラウェイ神父(本作ではフィリップ・ベイカー・ホール)の登場の間合いと微妙な役回りが変わっていた。ロッド=キャラウェイ神父は夫妻と旧知の仲で早々にお祓いを頼まれて、その置いていった十字架がいつの間にか逆さになることで家の異常を演出する素材になっていたりしたが、フィリップ=キャラウェイ神父はむしろ前の住人を知っており、「家との対決に破れるところ」も彼の方が派手である。

「3時15分の呪い」もオリジナルよりはあっさりしている。ジョージが同じ時間に目覚めるというのもオリジナルではかなりはっきりしていたが、本作ではいまひとつはっきりしない。

壁に埋められた赤い謎の部屋がオリジナル。本作ではネィティブ・アメリカンを拷問したケッチャムという男の存在がはっきり示されてしまうし、隠されているのがその拷問部屋だったりする。

音楽。悪くはないが、オリジナルのテーマ曲の方が好きかな。

続編は……あるのだろうか。オリジナルには何本も続編があるのだが。

「悪魔の棲む家Part2」は結構好きなんだ。DVD出てるから、買おうかな~。廉価版でないかな~。

*「家」のカレン・ブラックほどじゃないけれど、オリジナル「悪魔の棲む家」のマーゴット・キダーもね、ちょっとお化けですから!*

今日は十数年前の卒業父母たちとの呑み会

2007-02-03 | Weblog
まあ、そういう酔狂な集まりがあるのだが、それはそれとして、その子ども(つまり卒業生)に某大作ゲームのスタッフを務めたヤツがいて、なかなかのオタクであるのだが、

本人来ないかな~。

来そうな気もするな。

その場合、ここのネタも出来るかも知れないから、ちょっと期待です。

その瞬間であった、イデが発動したのは。

2007-02-02 | アニメ
伝説巨神イデオン 発動編

やっぱり、この終わり、「まずい」はな。

リセットの神が光臨し、死そのものがやり直しのきっかけになってしまうというのが、本来健全な発想ではないな。

もちろん、「イデオン」の始末としてはこれしかないのはわかっているが。

まあ、テレビシリーズ全話見たら、この終わりは許せるわけだが。

「1995年」を過ぎた今は、こういう終わりは好ましくないと言っておかないとまずいと思う。

実際当時はよいな、と思ったのだけれどね。

死ぬほど「ゴシカ」で怖がろう!

2007-02-01 | 映画
ゴシカ」(GOTHIKA)

これ、ダークキャッスル・プロダクションの、オリジナルなのね。

TATARI(タタリ)」も面白かった。「13Ghosts」も面白かった。けれど、てっきりウイリアム・キャッスルのリメイクを専らにするのかと思っていたからこんな作品を作っているとは意識しなかった。(まあ、半分は嘘ね。そういえばダークキャッスル・プロダクションとかロバート・ゼメキスとかDVDの表書きに書いてあるのは知っていたんだ。むしろ「TATARI(タタリ)」や「13Ghosts」をきちんと見ていなかったせいなのだな)。とにかく、オリジナルなんだと、見てみました。

しかし!

なんというのか、「恐怖の足跡」→「シックス・センス」の流れと、サイコ・キラーものと、美人いびり(それともパズルの謎解き)の三題噺みたいな作品ではないか。

そういう意味ではこの作品の荒筋は、結果的に純粋な鑑賞にはマイナスだろう。「少女」が超常的な存在だと、完全に明かしているのだから。

しかし、それでも、「少女」にも「合理的理由」があるのかもしれないと、一応疑うように(努力して)見た。そのおかげで、事件が起きるまでの間に提示された怪しい人物を、あるレベルまでは均等に疑えたし、オチそのものではないにせよ、一旦の「自分オチ」も楽しめた。(まあ、その後の「納屋」での、あの解決は何となく予想は出来てしまったし、最後のあの人物も、とりあえず確率約2分の1のうち、より一層「真犯人」率は高かろうと予想は出来てしまうが)。

そして、オチといえばオチそのものである「続編ありえるよ」(というわけではないよね)の部分は、にんまり出来ました。

欲張り三題噺好きにお奨め。つまり、キングよりもむしろクーンツやマキャモンが好きなひとは必見である。

*ということで、わたしは本作を「欲張りモダン・ホラー」に重ねたわけであるが、「ゴシカ」すなわちゴシックホラーでは、Wikiのゴシック小説解説にあるように、そのモチーフとしては「怪奇現象、宿命、古い館、廃墟、幽霊など」が元祖「オトラント城奇譚」以来好まれているわけで、「ゴシカ」においては題名がモチーフの共通を教えているといえるわけだ。しかし、そうやって見ると、「ゴシック小説」が「18世紀末から19世紀初頭にかけて流行した神秘的、幻想的な小説で、今日のSF小説や、ホラー小説の源流ともいえる」という点と、「モダンホラー」が往々にして「SFやミステリや冒険小説などのジャンル・オーバーなハイブリッド(混成種)」である点が重なるので、「ゴシカ」はモダンホラー小説みたいだと感じるのもまた当然ということになるだろう。*

*さて、今回の表題、何を踏まえているかわかりますか? コメント募集!*