アマガエルは、トランクの取っ手に指をかけると、静かに引き開けた。
――カチッ。
と、トランクのロックが、軽い音を立てて外れた。
ゆっくりと、大きく扉を開けると、トランクの中には、目を疑うほど、意外な物があった。
それは、緩い弧を描いて伸びる、螺旋階段だった。階段は、トランクの底に向かって、深く延びていた。
アマガエルは眉をひそめると、トランクの中にそっと足を伸ばし、階段のステップに下り立った。
奇妙な感覚だった。階段のステップに足を着くまでは、トランクの幅が体すれすれで狭苦しく、自由に身動きすることなどできなかったが、階段に下り立つと、広々として、狭さは微塵も感じられなかった。見上げると、開けられたトランクの扉が、小さな天窓のように、遠くに見えた。
これは“為空間”なのか――と、アマガエルは、教団の連中の仕業かもしれない、と警戒して神経をとがらせた。
スッと、階段のステップにしゃがんで耳を澄ませたが、風の音が過ぎていくだけで、はっきりとした物音は聞こえなかった。
アマガエルは、そろそろと立ち上がると、足音を忍ばせて、螺旋階段を下りていった。
どこに繋がっているのか。見た目以上に長い階段を下りていくと、石積みの壁が現れた。小さな窓から漏れ差す光が、ひんやりとした空間を薄らと照らしていた。壁に囲まれた空間を息をひそめながら進んで行くと、徐々に、見覚えのある場所であることがわかってきた。
アマガエルがいる場所は、寺の石蔵に違いなかった。うずたかく積まれた木箱や、いつの時代の物かわからない道具類が、所狭しと置かれていた。ひんやりとした空気と、静かな空間。そして、鼻をくすぐるわずかなほこり臭さは、自分のよく知っている石蔵だった。
階段を下りて蔵の中に踏み出すと、見た目は同じ石蔵なのだが、広さがぜんぜん違っていた。今、目の前に広がっている蔵は、奥行きこそ積み上げられた物で見通せなかったが、見上げるほど高い天井からすると、学校の体育館くらいの広さは、十分にありそうだった。
「コイツは、どうだろうな?」
と、人の声がわずかに聞こえて、アマガエルは、思わずサッ――と、物陰にしゃがみこんだ。
「――どうだろう。材料も器材も、思うとおり集められなかったからな」
と、少し野太い声が、もう一つ聞こえてきた。
どうやら、少なくとも二人の人間が、蔵の中にいるらしかった。
アマガエルは背をかがめたまま、積み上げられた箱の間を縫って、声のする方に進んで行った。
蔵の奥に進んでいくと、急に視界が開け、なにも置かれていない空間が現れた。
見ると、がっしりとした工作台のようなテーブルの上に、まぶしいスタンドが置かれていた。ごちゃごちゃと、物が積み上げられたテーブルの奥、光の向こうに、二人の人影が動いていた。
「これが完成したら、どうするんだ」と、男の一人が言った。物陰に、ちらりと見え隠れするその顔は、川に転落したはずの多田だった。
「“石”を取り返すまでは、この代用品で乗り切らなきゃならないな」と、子供のような声で、男が言った。「島に戻るまでには、泥棒から取り返してみせるさ」
「当てはあるのか?」と、多田が言った。
「ああ」と、言って顔を見せたのは、真人だった。
「ここ何日かで、協力してくれるやつを探しておいた」
「私以外に、本当にそんな人間がいたのか? 信用できるんだろうな――」と、多田は、不安そうに言った。
「心配するな」と、真人は笑いながら言った。「俺自身の分身だ。――分霊って言った方が、的を射ているかな。潜在的な記憶の断片を共有していて、本体である俺が復活するのを、手助けする使命を帯びているんだ」
「はじめて聞いたぞ」と、多田は、驚いたように言った。「あの島には、いなかったじゃないか」
「そりゃそうだ」と、真人が言った。「どこにいるかなんて、俺もわからないんだよ。鏡に向かって自分に話しかけることで、魂の繋がりを持った、そいつらの目を覚まさせる事はできるがね。だからといって、都合よくこちらの意志に従うとは、限らないんだ」
「おいおい――」と、多田が言った。「魂の繋がりがあるのに、そんなにあやふやなのか」
「別に、おかしくなんかないさ」と、真人が、フンと鼻を鳴らして言った。「親だって兄弟だって、それぞれ意志があって、思うとおりになんか、ならないだろうさ」
「――まぁ、そのとおりだな」と、多田は、くすりと笑った。
と、アマガエルが、ひょっこりと姿を現した。
真人は、アマガエルを横目で見ながら、話を続けた。
「――今回は、たまたま近くにいたんでね。後から向かいをよこすことで、話をつけておいたよ。アジトを変えるなら、この辺が潮時だからな」
「勝手に、人の家に上がりこんでもらっちゃ、困りますね」と、アマガエルが言った。「だからって、挨拶もなしで出て行くのも、許されませんよ」
アマガエルと向き合って笑みを浮かべる真人の後ろで、多田が、驚いたように目を丸くしていた。
「気のせいじゃなければ、この世にいない人まで、迷いこんでるみたいですけどね」と、アマガエルは、多田を見ながら言った。
「前」
「次」
――カチッ。
と、トランクのロックが、軽い音を立てて外れた。
ゆっくりと、大きく扉を開けると、トランクの中には、目を疑うほど、意外な物があった。
それは、緩い弧を描いて伸びる、螺旋階段だった。階段は、トランクの底に向かって、深く延びていた。
アマガエルは眉をひそめると、トランクの中にそっと足を伸ばし、階段のステップに下り立った。
奇妙な感覚だった。階段のステップに足を着くまでは、トランクの幅が体すれすれで狭苦しく、自由に身動きすることなどできなかったが、階段に下り立つと、広々として、狭さは微塵も感じられなかった。見上げると、開けられたトランクの扉が、小さな天窓のように、遠くに見えた。
これは“為空間”なのか――と、アマガエルは、教団の連中の仕業かもしれない、と警戒して神経をとがらせた。
スッと、階段のステップにしゃがんで耳を澄ませたが、風の音が過ぎていくだけで、はっきりとした物音は聞こえなかった。
アマガエルは、そろそろと立ち上がると、足音を忍ばせて、螺旋階段を下りていった。
どこに繋がっているのか。見た目以上に長い階段を下りていくと、石積みの壁が現れた。小さな窓から漏れ差す光が、ひんやりとした空間を薄らと照らしていた。壁に囲まれた空間を息をひそめながら進んで行くと、徐々に、見覚えのある場所であることがわかってきた。
アマガエルがいる場所は、寺の石蔵に違いなかった。うずたかく積まれた木箱や、いつの時代の物かわからない道具類が、所狭しと置かれていた。ひんやりとした空気と、静かな空間。そして、鼻をくすぐるわずかなほこり臭さは、自分のよく知っている石蔵だった。
階段を下りて蔵の中に踏み出すと、見た目は同じ石蔵なのだが、広さがぜんぜん違っていた。今、目の前に広がっている蔵は、奥行きこそ積み上げられた物で見通せなかったが、見上げるほど高い天井からすると、学校の体育館くらいの広さは、十分にありそうだった。
「コイツは、どうだろうな?」
と、人の声がわずかに聞こえて、アマガエルは、思わずサッ――と、物陰にしゃがみこんだ。
「――どうだろう。材料も器材も、思うとおり集められなかったからな」
と、少し野太い声が、もう一つ聞こえてきた。
どうやら、少なくとも二人の人間が、蔵の中にいるらしかった。
アマガエルは背をかがめたまま、積み上げられた箱の間を縫って、声のする方に進んで行った。
蔵の奥に進んでいくと、急に視界が開け、なにも置かれていない空間が現れた。
見ると、がっしりとした工作台のようなテーブルの上に、まぶしいスタンドが置かれていた。ごちゃごちゃと、物が積み上げられたテーブルの奥、光の向こうに、二人の人影が動いていた。
「これが完成したら、どうするんだ」と、男の一人が言った。物陰に、ちらりと見え隠れするその顔は、川に転落したはずの多田だった。
「“石”を取り返すまでは、この代用品で乗り切らなきゃならないな」と、子供のような声で、男が言った。「島に戻るまでには、泥棒から取り返してみせるさ」
「当てはあるのか?」と、多田が言った。
「ああ」と、言って顔を見せたのは、真人だった。
「ここ何日かで、協力してくれるやつを探しておいた」
「私以外に、本当にそんな人間がいたのか? 信用できるんだろうな――」と、多田は、不安そうに言った。
「心配するな」と、真人は笑いながら言った。「俺自身の分身だ。――分霊って言った方が、的を射ているかな。潜在的な記憶の断片を共有していて、本体である俺が復活するのを、手助けする使命を帯びているんだ」
「はじめて聞いたぞ」と、多田は、驚いたように言った。「あの島には、いなかったじゃないか」
「そりゃそうだ」と、真人が言った。「どこにいるかなんて、俺もわからないんだよ。鏡に向かって自分に話しかけることで、魂の繋がりを持った、そいつらの目を覚まさせる事はできるがね。だからといって、都合よくこちらの意志に従うとは、限らないんだ」
「おいおい――」と、多田が言った。「魂の繋がりがあるのに、そんなにあやふやなのか」
「別に、おかしくなんかないさ」と、真人が、フンと鼻を鳴らして言った。「親だって兄弟だって、それぞれ意志があって、思うとおりになんか、ならないだろうさ」
「――まぁ、そのとおりだな」と、多田は、くすりと笑った。
と、アマガエルが、ひょっこりと姿を現した。
真人は、アマガエルを横目で見ながら、話を続けた。
「――今回は、たまたま近くにいたんでね。後から向かいをよこすことで、話をつけておいたよ。アジトを変えるなら、この辺が潮時だからな」
「勝手に、人の家に上がりこんでもらっちゃ、困りますね」と、アマガエルが言った。「だからって、挨拶もなしで出て行くのも、許されませんよ」
アマガエルと向き合って笑みを浮かべる真人の後ろで、多田が、驚いたように目を丸くしていた。
「気のせいじゃなければ、この世にいない人まで、迷いこんでるみたいですけどね」と、アマガエルは、多田を見ながら言った。
「前」
「次」