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くりぃーむソ~ダ

気まぐれな日記だよ。

未来の落とし物(41)

2025-05-31 21:02:00 | 「未来の落とし物」

「もうひとつは、悪魔を滅ぼすことです」と、男は帆乃華の言葉を意に返さずに言った。
「悪魔? 悪魔って、あの――」と、帆乃華はあわてたように聞き返した。
「実在してるんですよ。それも我々のすぐそばに」と、男は帆乃華の目を覗きこむように言った。「遙か昔に生を受け、命を落とす度に蘇り、悪事を働くあの悪魔です」
「それって、物理的に消滅させたりできる物なの」と、帆乃華は言った。「どんなに力が強くても、ろくな信仰心のない私になんか、やっつけられるわけないじゃない」
「不安はごもっともです」と、男は背中に手を回してごそごそすると、なにやら別なスーパースーツのような物を取り出した。「このマスクは、見えない力にも対抗できる知恵と勇気を授ける物です」
 と、男が手にしたマスクを見た帆乃華は顔をひそめて言った。
「いらないわ。このスーツだけで十分よ。もしも私がミッションを達成できなければ、また別の人を探せばいいでしょ」
「いやはや、少なくとも手にとっていただければ、あなた好みのデザインに自由に変えられるマスクなのがわかるんですがね。スーパースーツとセットで、まずは試してみませんか」
「いらないわ。だって、私の顔が見えなくなるじゃない」と、帆乃華は言った。「顔を隠してしまったら、私がヒーローになる意味がないもの。それは誰かほかの人にあげてちょうだい」
「――悪魔を倒すのは簡単ではありませんよ」と、男は言った。「そのため既に、あなたと共に戦う者を探しだし、特別なプレゼントをしてきたところです。ただ、その者達はあなたのような力は持っていません。すべては、あなたのリーダーシップにかかっているのです。共に戦う仲間を素早く探し出すためにも、このマスクをお持ちになってください」
「あなたが教団の人だと信じて、まずは試してみるわ」と、帆乃華はくるりと男に背を向けた。「子供じゃあるまいし、こんなことでだまされやしませんよ。もしも効果がなければ、すぐに捨てちゃいますからね」
「十分満足していただけると思います」と、男は離れていく帆乃華の背中を見て、諦めたように言った。

「スーパースーツを着れば連絡が入るはずです。自分の思うとおりに活用してもいいですが、私のお願いした仕事だけは、なんとしてもやり遂げてくださいね」

 と、帆乃華は男を振り返らず、足早に歩き過ぎていった。

 ――――    

 翌日、真っ青な上下のスーツを身につけた帆乃華は、空気を焦がす稲妻のように空を飛び、正午を迎えたばかりの大通公園を見下ろすように、テレビ塔の展望室の屋根に舞い降りた。
 両手の拳を腰に当て、胸を張って立つ姿は、まるで王様のようだった。

 

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未来の落とし物(40)

2025-05-31 21:01:00 | 「未来の落とし物」

「そんなの、信じられません」と、帆乃華は不信感をあらわにして言った。「私がバイトをしていたのはここ数ヶ月だけだし、あの事務所だって、急に閉鎖されてしまったじゃないですか」
「――やはりご存じでしたか」と、男は言った。「その通りです。事務所は閉鎖されてしまいましたが、活動していないわけじゃないんです。新しいプロジェクトを企画して、やっとこの度、本格的に活動を再開することになったのです」
 と、帆乃華は信じられないと首を振った。
「こんな路上であなたをお呼び止めしなければならなかったのは、事務所が閉鎖になってしまったためで、やむを得なかったからです。そこはご容赦ください」と、男は言った。「教団のゴタゴタのせいで、もしもあなたが事務所をお辞めにならなければ、お勤めになっているときにお話しさせていただいたはずです。――古代からの秘技を使うという教団のことは、もうご存じでしょう」

「あなたが、必要なんです」

 と、男は腹の底が痺れるような太い声で言った。
「――あたし、ですか」と、帆乃華は手にした青いスーツを、ありありと眺めて言った。「どんな仕事なんですか」
 聞けば、それほど難しい仕事ではなかった。スーパースーツの力を使ってなにをしても自由だが、二つだけ、やってほしいことがあるという。
 一つ目は、宝石を探すことだった。
「宝石って、まさか私に泥棒をしろってことなの?」と、帆乃華は驚いて言った。「そんなのはごめんです。夢のような力が使えても、人のためにならないことをするのは、悪人じゃないですか」
「いえいえ、私の話を最後まで聞いてください」と、男は首を振って言った。「宝石を盗んだ泥棒から、奪い返してほしいんです」
「奪い返す?」と、帆乃華は首を傾げた。
「神出鬼没で、警察も教団も、手をこまねいているんです。しかもその盗賊のそばには、人間業とは思えない力を持った用心棒がいるんです。彼と戦えるのは、このスーパースーツを着たあなたしかいません」
「――まだ身につけてもいないのに、どうしてあなたに私の強さがわかるの」と言った帆乃華は、表情を曇らせた。
「わかりますとも」と、男は自信ありげに声を張り上げた。「このスーパースーツはあなたのためにあつらえた物です。そのスーパースーツを身につけたなら、その瞬間にあなたは夢のような力を手に入れるんです。そうなれば、もう私の言葉なんてひと言も耳に入らないでしょう。だから今、ここでこうして話をするのは、アドバイスであり、命にも関わる重要な注意事項を伝えるためなんです」
「――」と、帆乃華の顔が強ばった。
「信じられません」と、帆乃華は首を振って言った。

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未来の落とし物(39)

2025-05-31 21:00:00 | 「未来の落とし物」


「どうして、教団の仕事を始めたんですか」

 と、大股で遠ざかって行く帆乃華に、男は言った。
「隠さなくってもいいんです。超人になりたかったんでしょう」
 男の挑発的な言葉に怒りを覚えたのか、そのまま歩き去って行くように見えた帆乃華が、はたと足を止めて振り返った。
「――なんですって」と、顔を真っ赤にして言った帆乃華の前には、してやったり、とでも言いたそうな男の笑顔があった。
「ほら、ズバリ的中したでしょ」と、おすすめジョーズは言った。「そんなあなたに、ぴったりな贈り物があるんです」
 男は背中に手を回すと、なにやら手探りするように目を白黒させ、

「これです」

 と、青色の服を取り出した。
「なんですか、それ」と、帆乃華は眉をひそめて言った。「妙なコスチュームを着て、いかがわしい店で働けとでも言いたいんですか」
「恥ずかしがらなくてもいいんです」と、男は持っていた服を払い落とそうとした帆乃華の手をかわすと、言った。「――ほら、ちゃんと見てください。あなたが夢にまで見た、ヒーローそのものですよね」
 高価な服を扱うような落ち着いた仕草で、男は持っていた服を帆乃華の目の前に広げた。

「――」

 と、帆乃華は声を失った。
 真っ青な服は、まさに帆乃華が思い描くヒーローそのもののデザインだった。ただのおもちゃでないことは、明らかだった。深い光沢を帯びた青い布地は、繊細なステッチで編まれており、妙な迫力を感じさせた。
「もしかしたらこれって」と、帆乃華は思わず口走っていた。
「そのとおりですよ」と、男は持っていた服を帆乃華に手渡した。「ご自分で確かめてください。これは正真正銘、本物のヒーローが纏うスーツです」
 ずしり、と重いのではないかと思ったが、ちゃんと持っていなければ、どこかに飛んで行ってしまいそうな、予想外の軽さだった。
「身につければ、光のような早さで空を飛び、どんな鋼鉄よりも硬く、地上で最も力持ちになれるんです。まさに、未来の技術の粋を集めて作られたスーツなんですから」
「あなた、何者なの」と、帆乃華は手にしていた服を男に突き返そうとした。
「ずっと見ていたんですよ。あなたが事務所で働いているところを――」と、男が言うと、帆乃華ははっとして息を飲んだ。「このスーパースーツは、あなたが身につけるために作られているんです」

 

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未来の落とし物(38)

2025-05-30 19:57:44 | 「未来の落とし物」

 調べれば調べるほど、謎が多い教団だった。好奇心は、不安に変わり、不安は、恐れに変わった。
 孤独なだけのアルバイトには見切りをつけて、もっと楽しい仕事を始めよう――。そう決心して事務所を後にした机の上には、真っ白なコピー用紙に、申し訳なさそうな文字で手書きされた辞表が置かれていた。

 ――――    

 なににも代えがたい、学生の日常が戻ってきた。
 とは言いつつも、やはり収入のあてのない学生生活は、正直不安だった。アルバイトを辞めてまだ一週間も経っていないのに、経済的な安定が、心の余裕になるんだということを、身に染みて感じていた。
 講義を受けていない暇な時間は、大学内の静かな図書館で本を手に取るか、気がつけば、次のアルバイトのことばかりを考えてしまっていた。
 大学からの帰り道だった。教団の事務所でアルバイトをしていた時とは、違う通りを歩くようになっていた。
 バス停を降りて普通に歩けば、そこには教団の事務所があった。通学路に近いことも、教団でアルバイトをするきっかけだった。
 辞表を出して教団の仕事を辞めた後、メールであっさりした連絡があった。少しは引き留められるかも、と心の隅っこで期待していたところもあったが、了解しました。今までありがとうございました。その二言だけだった。
 少しも後ろめたいことなどなかったが、通り慣れた道の先に教団の事務所が近づいてくると、自然と遠回りをしてしまう自分がいた。

「――いらっしゃいまっせえ。お嬢さん」

 大きな声に目を見張ると、いつの間にいたのか、タキシードのような洋服を着た男が、にっこりと笑顔を見せていた。

「なにか用ですか」

 と、驚いた帆乃華は肩をすぼめつつ、周りに誰かいないか振り返った。
「申し訳ありません」と、男は自分の体を両手で抱きしめながら、帆乃華の真ん前まで滑るように近づいて来ると、言った。「わたくしは、おすすめジョーズという者です」
「は?」と、帆乃華は首を傾げた。
「あなたのお顔を拝見して、すぐにピンと来ました」と、おすすめジョーズと名乗った男は言った。「大きな悩みを抱えていますね」
 帆乃華はキッ――と目を細めると、男に言い返した。
「困ってない学生なんていませんよ。あなたになにがわかるんですか。離れてください。追いかけてきたら、警察を呼びますからね」
 と、帆乃華は舌打ちをしつつ、帰り道を急いだ。

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未来の落とし物(37)

2025-05-30 19:56:48 | 「未来の落とし物」


「ありがとうございました」

 帆乃華はなにに対してのお礼なのか、ふと疑問に思いつつも、深々と頭を下げて男を送り出した。
 スキンヘッドの男が帰ると、事務所の中はまた、怖いくらいの静けさに戻った。

 ――――    

 めずらしく一般の来客があってから、いくらも経たないうちだった。
 いつものように帆乃華が事務所にやってくると、出入り口の鍵を開けないうちから、事務所の中の電話が、ひっきりなしに鳴っているのがわかった。
 急いで電話に出た帆乃華だったが、一方的な怒号と訳のわからない質問ばかりで、ろくに対応することができなかった。
 一体、なにがどうなったのか。ニュースの報道を見るまで、教団が関係した出来事があったことなど、まるで知らなかった。
 先月の上旬だった。事務所の近所、とはいうものの、車が必要なくらいの距離の住民と、なにやら布教活動でいざこざがあり、一家が散り散りになるという出来事があった。
 熱心な十字教の信者であった母親が、姉弟もろとも家に火をつけた、という痛ましい事件だった。母親は火が回る前に逃げ出して無事だったものの、二人の子供はいぜんとして行方不明のままだった。
 あまり有名ではない十字教も、報道を機に世間の注目を集めることになると、帆乃華も今まで通りアルバイトを続けることができなくなった。
 教団のことが報道された直後は、事務所の前に複数の記者が待ち構えており、帆乃華は揉み合いになるのを恐れて事務所の中には入らず、前を素通りして引き返した。信者数も知名度も少ないが、歴史だけは古い十字教が、世間から白い目で見られているのをひしひしと感じさせられた。
 このまま事務所に行かなければ、給料はどうなってしまうのだろうか――。どんなに時間の自由が効く仕事とはいっても、いつまでも事務所に顔を出さないわけにもいかなかった。
 しかし、そんな心配は不要だった。事務所の前を通っては、引き返す日が続いたが、またなにか別の事件でもあったのか、事務所の前にしつこく張りついていた記者達の姿が、ある日を境に嘘のようにかき消えてしまった。
 いつもの通り、一度は事務所の前を素通りした帆乃華だったが、くるりと回れ右をすると、急いで鍵を開けて事務所の中に入った。
 しんと静まりかえっていた事務所は、まるで騒ぎなどなかったかのように、どこにも変わったところはなかった。
 思わず、ほっ――と、声が出てしまった。これまでの日常が、再び戻ってきた。
 しかし、帆乃華の思いはほころびたまま、以前のように繕い直すことはできなかった。
 事務所に一人でいる間、これまでは検索などしなかった教団のことについて、気がつけば、ついつい調べるようになってしまっていた。

 

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未来の落とし物(36)

2025-05-30 19:55:54 | 「未来の落とし物」

「いつも一人きりじゃ寂しいし、宗教の事務所なんですから、オカルト系の好事家から、嫌がらせを受けたりすることもあるんじゃないですか」と、スキンヘッドの男は言った。
「――実はこの前も、朝出勤してきたら、事務所の中の書類が心なしか散らかっていたりして、怖かったんですよ」と、帆乃華は言った。「きっと、教団の人が探し物に来たんでしょうけど、メモのひとつも書いておいてくれればいいのに、困っちゃいます」
「もしかして、鍵も、預けっぱなしなんですか」と、スキンヘッドの男は心配そうに言った。
「そうなんです。電話の応対と、簡単な案内だけだって聞いてたんですけど」と、帆乃華は言った。「でも、働いている内に気になり出して、いつのまにか、掃除もするようになっちゃってました」

「ここに来ればいいって、言われてたんだけどなぁ――」

 と、スキンヘッドの男は、残念そうに言った。
「ここじゃないとすれば、どこに行けば、教団の人に会えますかね」
 帆乃華はうなずくと、思いついたように言った。

「そうだ。きっと、宝石屋さんですよ」

「――えっ、宝石ですか」と、スキンヘッドの男は驚いたように言った。
「何日か前に、問い合わせがあったんです」と、帆乃華は言った。「駅前にある宝石店の者だって。工藤って人でしたけど、ヨハンはいるかって。どんな人かは知りませんけど、審問官のことを、呼び捨てにしてました」
「へぇ――」と、スキンヘッドの男は、首を傾げた。「宝石店で、なにかイベントでもあるんでしょうか」
「違うと思いますよ」と、帆乃華は首を振って言った。「なにか協力してやってるみたいでしたけど、教団のイベントではないと思います。ただ、気になるのは、ほら――」

 と、帆乃華は、宝石店で起きた強盗事件のことを話した。

「――あの宝石店って、このまえ事件があったじゃないですか」と、帆乃華は言った。「電話をかけてきた人は、本店の人みたいでしたけど、ここの人達が巻きこまれていやしないか、心配してるんです」
「そうですか」と、スキンヘッドの男は諦めたようにうつむくと、悲しそうに言った。「仕方ありませんね。また次の機会に寄らせていただきます。――じゃ、お邪魔しました」
 スキンヘッドの男は、帆乃華が入れたお茶を平らげると、お礼を言って事務所を後にした。

 

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未来の落とし物(35)

2025-05-29 20:22:22 | 「未来の落とし物」

 スキンヘッドの男は、こくりとうなずいた。
「ですよね……」と、困った帆乃華は相づちを打つと、はっきりと言った。「あいにく、教団の人は誰もいないんですけど」
 と、正直に言ってはみたものの、案の定、スキンヘッドの男は興味をなくすことも、出て行こうともしなかった。
 なにか悩みを抱えているんだろうか――と、帆乃華は考えたが、ただの電話番でしかない自分には、男にアドバイスをすることも、僧侶にはいつ会えるのかも、答えることはできなかった。
「実は、東欧圏で有名な宗教家のヘレノヘモンジ・ダモン先生に、大変お世話になったんです」と、スキンヘッドの男は言った。「今回、私の地元に新しく教団直轄の事務所を作られるということをお聞きして、自分にもなにかお手伝いできないか、そう思って訪ねてきたんです」
「えっ? 誰でしたっけ」と、帆乃華はしどろもどろになりながら言った。「――ヘレヘレモノジ・モダン、ですか」
「いえ、違います」と、スキンヘッドの男はゆっくりと言い返した。「いいですか、ヘレノヘモンジ・ダモン、先生です」
「――ヘレヘレノンダジ・ダダンモ」と、帆乃華は言いかけたが、あきらめたように言った。「ほんとに、その人の知り合いなんですか?」
 帆乃華は、困ったように男を見上げた。
「はい。教団の教えについて、いろいろ話してくれたんですよ」と、スキンヘッドの男は言った。「ヨーロッパの本部から、審問官が来ているとかで、機会があれば会えるかもしれないって、言われていたんですけど――」
 そこまで聞いて、帆乃華はほっと胸をなで下ろした。
「来ているみたいですね」と、帆乃華は言った。「私も、講義のない日に事務所の留守番をしているだけなんで、詳しいことはわからないんです。だけど、一度だけ、ちらっとお見かけしたことがあるんです」
「へぇ、この事務所にいらっしゃったんですか」と、スキンヘッドの男は興味があるように聞いた。
「ちょうど、私の採用面接とタイミングがぶつかっちゃったもんだから、なにか打ち合わせがあったんだと思うんですけど、奥の部屋に閉じこもったきり、面接が終わって帰る頃になっても、かすかに声は聞こえる気がしたんですけれど、結局奥の部屋からは誰も出てこなかったんです。面接が終わってすぐ採用が決まったんで、偉い人なら、当然ご挨拶しなければならないって、思ってたんですけど、それきりでした」
「やっぱり来てるみたいですね」と、スキンヘッドの男は大きくうなずいて言った。「名前は聞きませんでしたか? ほら、さっき言った、ヘレノヘモンジ・ダモン先生じゃなかったですか」
 と、帆乃華は首を振った。
「そんな言いづらい名前じゃなくて、ヨハンとかって、そんな名前でしたよ」と、帆乃華は言った。「その日からアルバイトすることになって、講義のない日はこの事務所に来てるんですけど、電話やメールで、連絡がくるだけで、ほとんど人に会うこともなくって、たまに人に会っても、ぜんぜん知らない人で、向こうも私が働いてるのを知らないせいか、どちら様ですかって、邪魔くさそうに聞かれちゃうんです」

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未来の落とし物(34)【3章 超人】

2025-05-29 20:21:15 | 「未来の落とし物」

         3章 超人

 トントントン……。

 と、ノックの音が聞こえた。
 青木帆乃華は、暇すぎていつの間にかうたた寝をしていたまぶたを無理矢理こじ開けると、こぼれ落ちたよだれをあわてて拭いつつ、教団の出入り口を開けた。

「――はい。なにかご用でしょうか」

 と、眠そうな顔をした帆乃華の前には、ろうそくのように白茶けた、スキンヘッドの若そうな男が立っていた。男は、黒いコートのような上着の下に、どう考えてもセンスの悪い、真っ青なシャツを襟元から覗かせていた。
 ぺこり、と小さく頭を下げて会釈をした男は、帆乃華と目を合わせず、室内の奥を興味深そうにうかがっていた。
「あの、誰も、いないんですけど」
 と、帆乃華は言うと、スキンヘッドの男は蛇のように目を細め、しかしそれとは正反対な、びっくりするほど優しそうな声で言った。
「えっ、困ったなぁ」と、スキンヘッドの男は頭を掻き掻き言った。「もっと詳しい話を聞かせて欲しいと思って、休みを取ってきたんですけど」
「そうだったんですね――」と、帆乃華は満面の笑みを浮かべつつ、同情するようにうなずいて言った。しかし正直、男がなんのことを言っているのか、まるでわかっていなかった。
 特にえり好みすることなく、大学の学費の足しになればいい、とそう思って、ダメ元で飛びこんだアルバイトだった。わずかばかりの知識と多少の検索結果で、犯罪に手を染めている組織でない事だけは、確かめた。十字教という、ヨーロッパの奥地で、脈々と信仰されてきたという宗教の、新しい事務所だった。
「こちらへどうぞ」と、帆乃華は言うと、スキンヘッドの男を事務所の応接に案内した。

「いま、お茶持ってきますね」

 アルバイトを募集する記事には、事務員とだけ書かれていた。疑っていなかった、と言えば嘘になるが、それが本当に、机に座って電話番をしているばかりで、教団の職員にも、僧侶らしい人物にも、採用面接の時以来、一度も会ったことがなかった。アルバイトを始めてまだ二ヶ月。宗教の世界はよくわからないが、現実的な時給の高さに比べれば、少しも苦にはならなかった。

「社会人の、方?」

 と、帆乃華は応接のテーブルにお茶を置きながら訊いた。

 

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未来の落とし物(33)

2025-05-29 20:20:22 | 「未来の落とし物」

「間違ったことをしている悪者になんて、負けやしないんだから」と、言った亜珠理はSガールの陰に回り、思わぬ角度から足を跳ね上げた。
 不意を突かれたSガールはバランスを崩したが、近づいてきた亜珠理の腕を捕まえると、力任せに振り投げた。
 店の床に叩きつけられた亜珠理は、マスクの頭を押さえながら、床下まで見えるほど壊れた中から立ち上がった。
「弱っちいわね」と、Sガールは高笑いをすると、床から這い出してきた亜珠理に向かって言った。

「――マスクは返してもらうわ」

 と、亜珠理のマスクに伸ばした手が、途中で止まった。Sガールは、常人では感知できない異変をヒリヒリと一人、感じていた。

「なんなのよ、これ」

 と、Sガールは宙に目をさまよわせて言った。
 我に返った亜珠理は、Sガールの手を払いのけると、倒れている床から素早く離れた。
 亜珠理も、Sガールが感じている異変に気がついていた。

「逃げるぞ」

 と、立ち上がった途端、瞬に手を引かれた亜珠理は、言われるがまま、黄色い潜水艦の艦橋に設えられたタラップに手をかけていた。
「なにしてるんだ、早く上から下に降りろ」と、瞬はタラップの途中で足を止めた亜珠理に言った。「説明している時間はない。あいつらが来るんだ」
 はっとした亜珠理が、一足飛びにタラップを駆け上がり下に降りると、瞬は潜水艦のハッチをしっかりと閉じた。
 ――――    
 宝石店の中に残ったSガールは、光の粒でできた幾つものドアが、店の中の空間から次々に浮かび上がってくるのを、訝しげな表情で見守っていた。
「なんなの、一体」と、Sガールが身構えたとたんだった。光のドアの奥から、手に手に見慣れない得物を持った武装した人間達が、雪崩のように踊り出してきた。
 Sガールは一人、彼らを迎え撃ったが、武装した人間達には、目から発する熱線も、恐ろしい怪力も通じなかった。
 返り討ちにすることはできず、Sガールは現れた武装集団に取り押さえられそうになったが、わずかな隙を見つけて拘束を解き、空気が破裂したような爆音を残して、どこかへ飛び去っていった。

「くそっ」「どうなってるんだ」……。

 と、口々に悔しさを口にする武装した人間達は、何事もなかったように姿を消す直前、リーダーらしき一人が、どこかに向かって報告を入れた。

「――だめでした。目標のスーツには、やはり我々の知らない強化が施されていました。残念です」

 

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未来の落とし物(32)

2025-05-28 20:44:56 | 「未来の落とし物」


「えっ――」

 と、盗賊のラッパが、目を疑うように目をしばたたかせながら、被っていた目出し帽を脱ぎ去って言った。
 くるり。と、次の店員から話を聞こうとしていたSガールが、立ち止まって振り返った。
 壁に向かって放り投げたはずの瞬が、現れた誰かの手に抱えられ、ゆっくりと床に下ろされたところだった。
「あんた、誰?」と、Sガールは鼻に皺を寄せて言った。「どっから出てきたの。私の邪魔しに来たんなら、ただじゃおかないわよ」

「初めて会うのに、ずいぶん高圧的じゃない」

 と、ジャージ姿にマスクを被っているのは、亜珠理だった。どうしてここにいるのか、何者なのか、誰もが固唾を飲んで見守っていた。
「あんたがそうやって暴れると、私の頭がガンガンするのよ」と、亜珠理は吐き捨てるように言った。「こんな悪事を働くために、そんな派手なコスチュームを着てるわけ?」

「――危ない」

 と、床に腰を下ろした瞬が、亜珠理に言った。
 Sガールの姿が、風音を立てて消え去った。と、刹那にまた姿を現したSガールは、亜珠理の真ん前に立ち、拳を突き出していた。
 避けられない、と思ったのもつかの間、亜珠理には消えるほど早く動いたSガールが見えていたのか、突き出された拳をやすやすとかわすと、突っこんできたSガールの尻を蹴りあげた。
 足が追いつかず、店の壁を突き抜け、外の道路に転げ出てしまったSガールが、鬼のような形相をして店の中に戻ってきた。
「そのマスク、見かけは違ってるけど、もしかして私のじゃない?」と、Sガールは憎々しげに言った。「顔が見えないマスクなんて、被っちゃいられないって断ったけど、あんたみたいなゴミかすにもらわれるくらいなら、私がもらっておけばよかったわ」
「私がゴミかすなら、あんたなんか、似合わないオートクチュールを見せびらかせて喜んでる、危ない人じゃない」と、亜珠理は言い返した。
「――年下のくせに、生意気よね」と、Sガールの瞳がどろどろと煮えたぎるマグマのように輝き、まぶしいほど赤く光る熱光線を発射した。
 狙いは、マスクを被った亜珠理だった。
 Sガールの放った熱線は、店の内部をレーザーメスでえぐるように切り裂き、器用に避け逃げる亜珠理を追いかけた。
 キャー、とも、ウワオッ、とも聞こえる叫び声が沸き起こり、店の中にいた人たちが、頭上からバラバラと降り落ちる建物の破片から逃げ惑っていた。
「ハハハッ……いつまで逃げ回るつもり」と、Sガールは亜珠理に向かって言った。「ほらほら、もっと早く逃げなきゃ、まる焦げになるわよ」

 

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