「――」
と、ヨハンの姿が、煙のようにかき消えた。
「うっ――」
と、まばたきを繰り返すアマガエルが、崩れるように膝を突いた。
口笛にも似た音が聞こえた直後、どういう訳か、急に体の自由を取り戻したアマガエルは、振り向いたヨハンに触れ、どこかへ飛ばしてしまった。
「――貴様、神に仕える者を侮辱しやがって」
と、怒りに震えるヨハンの声が、離れた場所から聞こえてきた。
膝を突いたまま、手で目を覆っているアマガエルが顔を上げると、ヨハンはコンクリートのビルの壁から、上半身だけを突き出して、なんとか抜け出そうともがいていた。
アマガエルはめまいがするのか、頭を抑えながら立ち上がり、ヨハンの元に急いで走り出した。
両手が自由に動くヨハンは、先ほどまでとは違い、空中になにかを素早く描くと、体が挟まっている壁に手を当てた。
ヨハンが手を当てると、石のように堅いはずのコンクリートが、ぼこぼこと、湯が沸くように溶け出していった。
息を切らせてやって来たアマガエルが、うんと伸ばした腕で、ヨハンに触れようとした。
「くっ――」
と、アマガエルはヨハンに触れる直前で、一歩も進めなくなってしまった。
体の自由が奪われたわけではなかった。アマガエルに向けたヨハンの手から、火の粉のような光が無数に吹き出し、反発する磁力のような目に見えない力で、アマガエルを押し返そうとしていた。
「聖人のみが与えられるはずの力を、貴様のような無名の男が使うなど」と、もう片方の手でコンクリートの壁を壊しながら、ヨハンは言った。「決して許されざることだ」
「人から感謝される事はあっても、罪人呼ばわりされる覚えはありませんよ」と、アマガエルは、見えない圧力に抵抗しながら言った。「悪魔だかなんだか知りませんが、あんた達の勝手な考えで、幼い子供達を追い詰める方が、よっぽど悪魔的でしょうが」
「ふん」と、もう少しで、壁から抜け出しそうなヨハンは、言った。「悪魔ではなくても、悪魔と疑われるような人間は、魔界に送り返されるべき存在なのです」
「――うるせぇぞ」
と、アマガエルは、声を枯らしながら言った。「人と違う苦しさがおまえにわかるか。人と違うと感じる苦しみが、おまえにわかるのか」
と、アマガエルの腕が、火の粉のような光が溢れる中に、すっと吸いこまれていった。
「――」
と、目を見開いた残像をわずかに残し、ヨハンの体が、どこへともなく姿を消した。
ほっと、肩で息をするアマガエルは、
「大丈夫か!」
と、叫びながら、急いで橋の下に走って行った。
多田の顔をした男は、川に流されたのか、どこにも姿は見えなかった。アマガエルは、自分も川の中に入って探そうとしたが、広い川の中を一人で探し回っても、見つけられるはずがなかった。
くやしそうに唇を噛んだアマガエルは、膝まで川に浸かりながら携帯電話を取りだし、消防に連絡を入れた。
「――人が落ちたんだ。早く来てくれ」
アマガエルは、自分がいる場所を早口で告げると、駆け足で橋に戻り、男が流されていないか、橋の上から川を覗きこんだ。
――――
わずかな建物の隙間から、アマガエルの様子をうかがう影があった。
「うまく切り抜けたじゃないか」
と、後ろから子供の声がして、キャップを目深に被った男は、驚いて振り返った。
「誰? だ……」
振り返ったのは、多田だった。
と、大人物のスウェットを着た子供は、あごまで隠れているフードをまくり上げると、言った。
「俺だよ。――約束したろ。まさか、忘れていたわけじゃないだろうな」
キャップを持ち上げた多田は、まじまじと子供の顔をうかがい、信じられないように言った。
「あんた、あの島の人? なのか」
「ああ」と、左目に眼帯をした真人は、うなずきながら言った。
「――どうしたんだ、その腕」と、眉をひそめた多田が、真人の失った右腕を指差して言った。
「前」
「次」
と、ヨハンの姿が、煙のようにかき消えた。
「うっ――」
と、まばたきを繰り返すアマガエルが、崩れるように膝を突いた。
口笛にも似た音が聞こえた直後、どういう訳か、急に体の自由を取り戻したアマガエルは、振り向いたヨハンに触れ、どこかへ飛ばしてしまった。
「――貴様、神に仕える者を侮辱しやがって」
と、怒りに震えるヨハンの声が、離れた場所から聞こえてきた。
膝を突いたまま、手で目を覆っているアマガエルが顔を上げると、ヨハンはコンクリートのビルの壁から、上半身だけを突き出して、なんとか抜け出そうともがいていた。
アマガエルはめまいがするのか、頭を抑えながら立ち上がり、ヨハンの元に急いで走り出した。
両手が自由に動くヨハンは、先ほどまでとは違い、空中になにかを素早く描くと、体が挟まっている壁に手を当てた。
ヨハンが手を当てると、石のように堅いはずのコンクリートが、ぼこぼこと、湯が沸くように溶け出していった。
息を切らせてやって来たアマガエルが、うんと伸ばした腕で、ヨハンに触れようとした。
「くっ――」
と、アマガエルはヨハンに触れる直前で、一歩も進めなくなってしまった。
体の自由が奪われたわけではなかった。アマガエルに向けたヨハンの手から、火の粉のような光が無数に吹き出し、反発する磁力のような目に見えない力で、アマガエルを押し返そうとしていた。
「聖人のみが与えられるはずの力を、貴様のような無名の男が使うなど」と、もう片方の手でコンクリートの壁を壊しながら、ヨハンは言った。「決して許されざることだ」
「人から感謝される事はあっても、罪人呼ばわりされる覚えはありませんよ」と、アマガエルは、見えない圧力に抵抗しながら言った。「悪魔だかなんだか知りませんが、あんた達の勝手な考えで、幼い子供達を追い詰める方が、よっぽど悪魔的でしょうが」
「ふん」と、もう少しで、壁から抜け出しそうなヨハンは、言った。「悪魔ではなくても、悪魔と疑われるような人間は、魔界に送り返されるべき存在なのです」
「――うるせぇぞ」
と、アマガエルは、声を枯らしながら言った。「人と違う苦しさがおまえにわかるか。人と違うと感じる苦しみが、おまえにわかるのか」
と、アマガエルの腕が、火の粉のような光が溢れる中に、すっと吸いこまれていった。
「――」
と、目を見開いた残像をわずかに残し、ヨハンの体が、どこへともなく姿を消した。
ほっと、肩で息をするアマガエルは、
「大丈夫か!」
と、叫びながら、急いで橋の下に走って行った。
多田の顔をした男は、川に流されたのか、どこにも姿は見えなかった。アマガエルは、自分も川の中に入って探そうとしたが、広い川の中を一人で探し回っても、見つけられるはずがなかった。
くやしそうに唇を噛んだアマガエルは、膝まで川に浸かりながら携帯電話を取りだし、消防に連絡を入れた。
「――人が落ちたんだ。早く来てくれ」
アマガエルは、自分がいる場所を早口で告げると、駆け足で橋に戻り、男が流されていないか、橋の上から川を覗きこんだ。
――――
わずかな建物の隙間から、アマガエルの様子をうかがう影があった。
「うまく切り抜けたじゃないか」
と、後ろから子供の声がして、キャップを目深に被った男は、驚いて振り返った。
「誰? だ……」
振り返ったのは、多田だった。
と、大人物のスウェットを着た子供は、あごまで隠れているフードをまくり上げると、言った。
「俺だよ。――約束したろ。まさか、忘れていたわけじゃないだろうな」
キャップを持ち上げた多田は、まじまじと子供の顔をうかがい、信じられないように言った。
「あんた、あの島の人? なのか」
「ああ」と、左目に眼帯をした真人は、うなずきながら言った。
「――どうしたんだ、その腕」と、眉をひそめた多田が、真人の失った右腕を指差して言った。
「前」
「次」