10 審問官
この1ヶ月、アマガエルは、教団を追い続けていた。
行方不明になったまま、姿を現さない二人の姉弟のことが、気がかりだった。
ニンジンが、為空間で襲われたという二人組の外国人は、文字どおり、どこかへ消えてしまったまま、姿を見せなかった。なにがあったのかは知らないが、表だった活動休止の裏で、なにかが動いているのは、間違いなかった。
特技を使って、教団の事務所にも潜入したが、ひまそうなアルバイトの女性が一人いるだけで、教団がなにを企てているのか、はっきりとした情報は、得ることができなかった。
ただ、ヨハンという名の審問官が、遠くヨーロッパの本部から、こちらに派遣されて来ているということは、知ることができた。
教団の審問官とは、どんな人物で、その役割はなんなのか。外から事務所を見張っているだけでは、いたずらに時間ばかりが過ぎていくだけで、その姿を捉えることすらできなかった。事情を知っている誰かに、直接話を聞いてみるしか、手がかりを得られそうになかった。
アマガエルは、勧誘のパンフレットを見て詳しい話を聞くため、思い切って事務所を訪ねてきた。という設定で、教団のドアを叩いてみることにした。
「――はい。なにかご用でしょうか」と、眠そうな顔をした女性が、口元によだれの跡をつけたまま、事務所のドアを開けた。「誰も、いないんですけど」
ドアを開けた女性は、アマガエルが見る限り、まだ大学生くらいのようだった。
「えっ、困ったなぁ」と、アマガエルは、頭を掻いて言った。「もっと詳しい話を聞かせて欲しいと思って、休みを取ってきたんですけど」
「社会人の、方?」と、女性は言った。と、アマガエルは、にこりとうなずいた。「ですよね……」
アルバイトの女性は、「あいにく、教団の人は誰もいないんですけど」と、アマガエルを追い返そうとしたが、既に事務所の中を捜索していたアマガエルは、見つけた教団の関係者の名前を出して、なんとか事務所の中に通してもらうことができた。
「ほんとに、その人の知り合いなんですか?」と、大学生らしい女性は、困ったような顔をして言った。
「はい。教団の教えについて、いろいろ話してくれたんですよ」と、アマガエルは言った。「ヨーロッパの本部から、審問官が来ているとかで、機会があれば会えるかもしれないって、言われていたんですけど――」
「来ているみたいですね」と、女性は言った。「私も、講義のない日に事務所の留守番をしているだけなんで、詳しいことはわからないんです」
アルバイトの女性は、ヨハンという名の審問官が、本部から派遣されて来てすぐ、雇われたのだという。しかし、その日以来、教団の事務所にほとんど人が出入りすることはなく、ただ電話やメールで、連絡があるだけなのだという。
「――この前も、朝出勤してきたら、事務所の中の書類が心なしか散らかっていたりして、怖かったんですよ」と、女性は言った。アマガエルは、それが自分の仕業だとわかっていたが、正直に名乗り出るわけにはいかなかった。「きっと、教団の人が探し物に来たんでしょうけど、メモのひとつも書いておいてくれればいいのに、困っちゃいます」
「鍵も、預けっぱなしなんですか」と、アマガエルは言った。
「そうなんです。電話の応対と、簡単な案内だけだって聞いてたんですけど」と、女性は言った。「でも、働いている内に気になり出して、いつのまにか、掃除もするようになっちゃってました」
「ここに来ればいいって、言われてたんだけどなぁ――」と、アマガエルは、残念そうに言った。「ここじゃないとすれば、どこに行けば、教団の人に会えますかね」
と、アルバイトの女性は、思いついたように言った。
「そうだ。きっと、宝石屋さんですよ」
「――えっ、宝石ですか」と、アマガエルは言った。
「何日か前に、問い合わせがあったんです」と、女性は言った。「駅前にある宝石店の者だって。工藤って人でしたけど、ヨハンはいるかって。どんな人かは知りませんけど、審問官のことを、呼び捨てにしてました」
「へぇ――」と、アマガエルは首を傾げた。「宝石店で、なにかイベントでもあるんでしょうか」
「違うと思いますよ」と、女性は首を振った。「なにか協力してやってるみたいでしたけど、教団のイベントではないと思います。ただ、気になるのは、ほら――」
と、アルバイトの女性は、宝石店で起きた強盗事件のことを話した。
「――あの宝石店って、このまえ事件があったじゃないですか」と、アルバイトの女性は言った。「電話をかけてきた人は、本店の人みたいでしたけど、ここの人達が巻きこまれていやしないか、心配してるんです」
アマガエルは、せっかく出してもらったお茶をごちそうになってから、お礼を言って、事務所をあとにした。
「宝石ね」と、つぶやいたアマガエルの足は、事件があったという宝石店に向かっていた。
――――……
「赤木さんですか……」と、宝石店の多田支店長は、地下鉄の駅に近い電話ボックスで、誰かと話をしていた。
――ええ、赤木探偵事務所です。なんかご用ですか?
電話の相手は、ニンジンだった。朝5時前の電話に、受話器を通しても、イライラした様子の雰囲気が、伝わってきた。
「杉野さんに、あの、仕事を頼まれませんでしたか」と、多田は言った。
杉野は、戦争後、一緒に引き上げてきた戦友だった。なにもないところから、二人で宝石店を立ち上げ、地元でも大企業のひとつに数えられるまで、会社を大きくしてきた。
もともと上官だった杉野が代表に就くのは、自然の流れだった。しかし、実質的に会社を切り盛りしていたのは、多田だった。
戦争後の混乱に乗じて、法に触れるぎりぎりを綱渡りしたことも、幾度となくあった。
会社が次第に大きくなってくると、会社の代表である杉野と、意見の食い違いこそなかったものの、会社を二分する派閥ができるようになってしまった。
「前」
「次」
この1ヶ月、アマガエルは、教団を追い続けていた。
行方不明になったまま、姿を現さない二人の姉弟のことが、気がかりだった。
ニンジンが、為空間で襲われたという二人組の外国人は、文字どおり、どこかへ消えてしまったまま、姿を見せなかった。なにがあったのかは知らないが、表だった活動休止の裏で、なにかが動いているのは、間違いなかった。
特技を使って、教団の事務所にも潜入したが、ひまそうなアルバイトの女性が一人いるだけで、教団がなにを企てているのか、はっきりとした情報は、得ることができなかった。
ただ、ヨハンという名の審問官が、遠くヨーロッパの本部から、こちらに派遣されて来ているということは、知ることができた。
教団の審問官とは、どんな人物で、その役割はなんなのか。外から事務所を見張っているだけでは、いたずらに時間ばかりが過ぎていくだけで、その姿を捉えることすらできなかった。事情を知っている誰かに、直接話を聞いてみるしか、手がかりを得られそうになかった。
アマガエルは、勧誘のパンフレットを見て詳しい話を聞くため、思い切って事務所を訪ねてきた。という設定で、教団のドアを叩いてみることにした。
「――はい。なにかご用でしょうか」と、眠そうな顔をした女性が、口元によだれの跡をつけたまま、事務所のドアを開けた。「誰も、いないんですけど」
ドアを開けた女性は、アマガエルが見る限り、まだ大学生くらいのようだった。
「えっ、困ったなぁ」と、アマガエルは、頭を掻いて言った。「もっと詳しい話を聞かせて欲しいと思って、休みを取ってきたんですけど」
「社会人の、方?」と、女性は言った。と、アマガエルは、にこりとうなずいた。「ですよね……」
アルバイトの女性は、「あいにく、教団の人は誰もいないんですけど」と、アマガエルを追い返そうとしたが、既に事務所の中を捜索していたアマガエルは、見つけた教団の関係者の名前を出して、なんとか事務所の中に通してもらうことができた。
「ほんとに、その人の知り合いなんですか?」と、大学生らしい女性は、困ったような顔をして言った。
「はい。教団の教えについて、いろいろ話してくれたんですよ」と、アマガエルは言った。「ヨーロッパの本部から、審問官が来ているとかで、機会があれば会えるかもしれないって、言われていたんですけど――」
「来ているみたいですね」と、女性は言った。「私も、講義のない日に事務所の留守番をしているだけなんで、詳しいことはわからないんです」
アルバイトの女性は、ヨハンという名の審問官が、本部から派遣されて来てすぐ、雇われたのだという。しかし、その日以来、教団の事務所にほとんど人が出入りすることはなく、ただ電話やメールで、連絡があるだけなのだという。
「――この前も、朝出勤してきたら、事務所の中の書類が心なしか散らかっていたりして、怖かったんですよ」と、女性は言った。アマガエルは、それが自分の仕業だとわかっていたが、正直に名乗り出るわけにはいかなかった。「きっと、教団の人が探し物に来たんでしょうけど、メモのひとつも書いておいてくれればいいのに、困っちゃいます」
「鍵も、預けっぱなしなんですか」と、アマガエルは言った。
「そうなんです。電話の応対と、簡単な案内だけだって聞いてたんですけど」と、女性は言った。「でも、働いている内に気になり出して、いつのまにか、掃除もするようになっちゃってました」
「ここに来ればいいって、言われてたんだけどなぁ――」と、アマガエルは、残念そうに言った。「ここじゃないとすれば、どこに行けば、教団の人に会えますかね」
と、アルバイトの女性は、思いついたように言った。
「そうだ。きっと、宝石屋さんですよ」
「――えっ、宝石ですか」と、アマガエルは言った。
「何日か前に、問い合わせがあったんです」と、女性は言った。「駅前にある宝石店の者だって。工藤って人でしたけど、ヨハンはいるかって。どんな人かは知りませんけど、審問官のことを、呼び捨てにしてました」
「へぇ――」と、アマガエルは首を傾げた。「宝石店で、なにかイベントでもあるんでしょうか」
「違うと思いますよ」と、女性は首を振った。「なにか協力してやってるみたいでしたけど、教団のイベントではないと思います。ただ、気になるのは、ほら――」
と、アルバイトの女性は、宝石店で起きた強盗事件のことを話した。
「――あの宝石店って、このまえ事件があったじゃないですか」と、アルバイトの女性は言った。「電話をかけてきた人は、本店の人みたいでしたけど、ここの人達が巻きこまれていやしないか、心配してるんです」
アマガエルは、せっかく出してもらったお茶をごちそうになってから、お礼を言って、事務所をあとにした。
「宝石ね」と、つぶやいたアマガエルの足は、事件があったという宝石店に向かっていた。
――――……
「赤木さんですか……」と、宝石店の多田支店長は、地下鉄の駅に近い電話ボックスで、誰かと話をしていた。
――ええ、赤木探偵事務所です。なんかご用ですか?
電話の相手は、ニンジンだった。朝5時前の電話に、受話器を通しても、イライラした様子の雰囲気が、伝わってきた。
「杉野さんに、あの、仕事を頼まれませんでしたか」と、多田は言った。
杉野は、戦争後、一緒に引き上げてきた戦友だった。なにもないところから、二人で宝石店を立ち上げ、地元でも大企業のひとつに数えられるまで、会社を大きくしてきた。
もともと上官だった杉野が代表に就くのは、自然の流れだった。しかし、実質的に会社を切り盛りしていたのは、多田だった。
戦争後の混乱に乗じて、法に触れるぎりぎりを綱渡りしたことも、幾度となくあった。
会社が次第に大きくなってくると、会社の代表である杉野と、意見の食い違いこそなかったものの、会社を二分する派閥ができるようになってしまった。
「前」
「次」