くりぃーむソ~ダ

気まぐれな日記だよ。

堕天使物語(7)終

2021-11-18 19:03:22 | 「堕天使物語」
 それは、彗星よりの使者に心を奪われた人達ではなく、人の姿を騙り、ノアの姿におびえて逃げ去ろうとした、彗星よりの使者、そのものだった。

「消えろ、苦しみをもたらす者達よ――」と、ノアは、人々の上に舞い上がると、声高に祈った。

 作られたまぶしい光りの中にある彗星よりの使者達は、その姿がはっきり目に見えるほど、存在を確かなものにしていた。
 人工的に作られた濃い光りは、天使の放つ光を弱めていた。
 本来ならば、天使の存在を感じたとたん、消え去っていたはずの使者達は、もはや言葉をもってしか、消し去ることができなかった。
 街の一角は、今や混乱のただ中だった。
 そこいら中で悲鳴があがり、幾台もの救急車が、けたたましいサイレンを鳴らして駆けつけていた。パトカーで急行した警察官が、次々と集まり、通行人を手際よく誘導していた。
 肩をぶつけられた男は、あれよあれよという間に状況が一変し、おろおろと立ちつくすばかりだった。男は、人々が入り乱れる混乱のただ中で、一瞬、翼の生えた人影を見たような気がした。
「――ひょっとして、あいつが原因か」
 男は、遠い先の先までを見通すかのような目で、ちぇっと一つ、悔しそうに舌打ちをした。

「消えろ、苦しみをもたらす者達よ――」ノアは、低い囲いだけの小さな広場の上空に舞い上がり、祈っていた。

 街は、混乱を極めていた。
 空には、月とは違う位置に赤い星が現れ、次第にその大きさを増していった。
 混乱した人々の声が、困惑から、未曾有の恐怖を目の当たりにした悲鳴に変わっていた。

 ノアは大きく翼を広げ、空高く舞いあがった。

 まだ自由に動かせない翼が、かくかくと奇妙に動き、ときおり墜落しそうになりながらも、ノアはゆるゆると、空高く上昇していった。
 今や眼下に見える街は、時間軸を変化させてみるみる緑あふれる姿に変わり、さらにゴツゴツと、生まれたばかりの地球の大地となって剣が峰のようにせり上がり、その荒削りな地面で、そっとノアを受け止めた。
 赤い彗星は、真の姿を露わにしていた。すでに見上げる空の大半を占めている彗星は、赤黒い血が溢れる川のような流れを、血管のようにその地表面に浮かび上がらせ、複雑に絡みあっている正体をしていた。
 近づく彗星の圧力によって、地球の大地はひび割れ、地響きを起こし、たまらずにマグマを吹き上げ、苦悶の叫びにも似た稲妻が、止むことなく轟いていた。

 ノアは、両手を高く広げた――。

「去れ、破壊をもたらす使者よ」

 ノアが言うと、赤い彗星は、その動きをぴたりと止めた。
 雷鳴とは違う別の轟音が、大地を揺るがすように鳴り響いた。
 上空に大きく構えた赤い彗星が、その地表面を覆っている赤い流れを断ち切って、恐ろしいほど巨大な目を、ゆっくりと見開いていった。

 ゴゴゴゴ、ゴゴゴ――……。

 巨大な瞳が揺れると、宇宙の真空を貫き、大気を破り裂く鋭い衝撃波が、襲いかかってきた。
 大地が、奇妙な幾何学模様に深く切り刻まれた。
 血走った瞳が、キュッと鋭さを増すと、ノアの全身が、蜘蛛の巣のような線を描き、音を立ててひび割れた。 
 ノアの強い思いが、かろうじて体が崩壊するのを抑えていた。
 もはや、祈りを声にすることは、できなかった。
 赤い彗星の目に、力が籠もった。
 その時、微塵に切り裂かれたはずの大地が、震えた。ノアの海の体に、深海の底の底から、湧き上がるような震動が伝わってきた。
 大地に共鳴するように震える体は、ひび割れた体を、みるみるうちに再生させた。
 ノアはその時、はっきりと、地球の意志と共に、神の意志と、そして声を感じた。

「去れ、神は我と共にある――」

 と、勝利を確信したノアが言った。
 言葉を受けた彗星は、すべての動きを止め、凍りついたように動かなくなった。
 瞳を力なく見開いたまま、赤い彗星は、大気に溶けるように、その姿を消し去っていった。
 彗星の最後を見届けたノアは、微笑みを浮かべたまま、その場で完全な石となった。
 ノアであった石は、大地が元の姿に戻った後も、その場所にあり続けた。
 天使の魂を含んだ石はやがて風化し、大地と大気に溶け、意志を持ちつつ、地球と共に永遠の時を旅し続ける。

                           おわり。そして、つづく――。
                           たとえば、それは「狼おとこ」
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堕天使物語(6)

2021-11-18 19:02:22 | 「堕天使物語」
         6
 親子が去った後、ノアは再び歩き始めた。時間がたつにつれ、思うように動かなかった体も、徐々に落ち着き、意志のまま、自由に動かせるようになってきた。
 石化していた翼も、短い距離ならば、羽ばたいて飛べるほど回復していた。
 歩き始めた時には高かった日差しも、街に近づいた頃には、とっぷりと暮れてしまっていた。
 やがて、訪れた夜の闇は、光を持つものだけを浮かびあがらせた。それは、たとえ人に作られた偽りの明かりであっても、差別することはなかった。
 満天の星が、雲ひとつない夜空に瞬いていた。ノアは、足元を照らす星明かりに導かれるまま、しっかりとした足取りで歩いていた。
 気がつけば、足元を照らしていた星明かりが、いつのまにか、けばけばしい濃い色の光りに取って代わり始めていた。
 地面を照らしていた星明かりが、じわじわと作られた偽りの明かりに浸食され、ついには、目をくらますほどのまぶしい電飾に、すっかり入れ替わってしまった。

 ――ノアは、街にやってきた。

 街には、たくさんの人間がいた。行き交う人々で、溢れかえっていた。
 息をするたび、むせ返るような人いきれだった。
 空気はよどみ、頬に張りついてくるようだった。
 じわじわと、見えない圧力で押しつぶそうとしているかのような、重みを感じた。
 ガンガンと、音楽とはいえない無分別な音の乱打が、ノアの鼓膜を刺激した。よく聞けば、それは黒い思いを内包していた。
 赤い彗星を呼ぶ声は、まるで死者を弔う読経のようだった。
 声は、大気を貫き、さらに遠く、さらに高くへと、響き渡っていった。
 ひとつひとつの声は、わずかに小さいものであった。しかし、黒い思いを抱いた人間が意識をしなくとも、その思いは胸から溢れ、口腔を飛び出し、同じように胸から溢れ、口腔を飛び出した別の黒い思いと重なって、大蛇が螺旋を描くように絡み合い、ひとつの調律された音になった。
 音は、彗星よりの使者によって指揮された楽曲となり、赤い彗星を手招きする祈りに変化し、地球そのものを滅びへと近づけていった。
 ノアは、街行く人々を避ける様子もなく、しかし、器用に人の波に逆らって歩いていた。
 ときおり、勘の鋭い者が振り返ったが、そこに人影はなかった。ただ、心地のよいそよ風が通り過ぎていったような、暖かな気配があるばかりだった。

 ――ドン。

 人波の中、一人の男が、肩をぶつけられてよろめいた。
 不意に立ち止まった男は、怒ったように振り返ると、腹立ちまぎれになにかを言いかけて、すぐに口ごもった。
 たった今、肩をぶつけたばかりの相手の姿が、どこかへ消え去っていた。

「ちぇっ……」と、男は舌打ちをすると、つまらなさそうに向き直って、再び歩き始めた。

「ぐげっ、ごほっ」どしん――。

 と、歩き始めたばかりの男の後ろから、にわかに人が倒れる重たい音が、降って湧いたように聞こえてきた。
 聞こえてきたのは、しかしそれだけではなかった。続いて、女の人のくぐもった悲鳴が、間髪を入れずに聞こえてきた。
 行き交う人々の波が、急なにわか雨が描く波紋のように乱れ、あわてて立ち止まった人達が、ざわざわと口々にささやきあった。
 肩をぶつけられた男も、異変に気がついて立ち止まり、一歩も動けずにいた。眉間にしわを寄せた男は、また新たに聞こえてきた悲鳴の方を、はっとして振り向いた。
 集まっていた人々があわてて逃げ出し、人垣が散り散りに崩れると、スーツを着たサラリーマン風の男が一人、硬いアスファルトの上で、膝を抱えるように座りこんでいた。その口からは、白い泡が大量に溢れ出していた。

「救急車を呼べ――」

 と、遠巻きにしている幾人もが、あちらこちらで、繰り返し声高に叫んでいた。
 それだけではなかった。街のいたる所で、同じように緊急の処置を求める人達の声が、止むことなく上がり続けていた。

 ノアが歩いていると、その存在に気がついた彗星よりの使者達は、いかにも自然な風を装って背を向け、離れていった。
 人の心に住み着き、自分の思うように操作している者。人の姿を借り、正体を隠している者達が、街にいる人々の中に紛れこみ、姿を隠そうとした。
 しかしノアには、彗星よりの使者達の存在が、手に取るようにわかっていた。たとえ、直接ノアと接触しなくとも、天使の存在を認めた時点で、彼らの逃げ場はどこにもなかった。
 街のそこかしこで、苦しそうなうめきを声を上げながら、人々が倒れこんでいた。
 倒れこんだ人々の多くは、彗星よりの使者達に心を奪われた人達だった。
 彗星よりの使者達が、ノアを恐れて逃げ出すと、急に自分を取り戻し、我に返って、力なく座りこんでしまったのだった。
 通りかかった誰かが、すぐ目の前で急にしゃがみこみ、苦しそうにしている人に声をかけようとすると、苦しそうに屈みこんでいたはずの人物が、煙のように消え去ってしまった。
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堕天使物語(5)

2021-11-17 20:22:02 | 「堕天使物語」
         5

 ――朝日は、すでに水平線よりも高く昇っていた。

 熱く輝きはじめた太陽は、深く立ちこめていた靄を、その息吹で簡単に追い払ってしまった。
 生まれて間もないノアの体は、冷えきっていた。
 背中に暑い日の光を受け、一歩一歩、まだ頼りない歩みではあったが、海から延びる道を、人々の祈りが聞こえる街を目指して、着実に進んでいた。
 海岸線に沿って茂る林を行くと、サラサラと、木々の梢がゆれた。
 風を受けて揺れるばかりではなかった。どこか、賛美歌のような節がついていた。
 よく耳を澄ませば、空も木々も地面も、道ばたの小石でさえもが、通り過ぎていくノアを祝福しつつ、しかし、きりりとした緊張感を抱いていた。
 ノアの姿が見える距離にあるものはすべて、息を殺して、その動向をうかがっているようだった。
 ――――
 山の麓に近い、ひっそりと静かな林だった。
 林の一角に、小さな祠があった。祠の中には、目をゆるく閉じ、かわいらしい微笑みをたたえた天使の像が置かれていた。
 像の前には、誰が供えたのだろうか、枯れかかった野花の束があった。
 頻繁に訪れている人がいるらしく、祠の周りは、きれいに手入れがされてあった。
 ノアはふと、立ち止まった。祠のそばを通りがかるだけで、かぐわしい花のにおいが漂い、枯れかかっているとはいえ、天上に咲き乱れる大輪の花を思い起こさせた。
 いつから置かれている祠なのか。いつまで置かれていた祠なのか。海で創られた体は、地球上にある物質を模した実体を持っていたが、ノアの意識は天使のまま、時の方向も大きさの単位も、優に超えた先の景色までもが、同時にその脳裏に写っていた。
 肉体を得たことで、ノアは、これまで感じたことのなかった疲労を、耐えがたいほど強く感じていた。
 翼が思うように動かない以上、街までの道のりを考えると、足に負担をかけて必要以上に体力を浪費し、無理をして先に進むことは、避けなければならなかった。
 肉体の不便さを実感しつつ、ノアは道の端に腰を下ろした。地上に下りてから、すでに多くの時間を費やしていた。しかし、足を止めたことで、今はっきりと、地上の様子を目にすることができた。
 ノアが見ているのは、すべての地球のありようだった。宇宙の彼方から見る青い宝石のような星は、その見た目の輝かしさはもとより、青空を流れる雲がアクセントとなって、豊かに表情を変える、ユニークで魅力的な星だった。
 宇宙から見下ろしていた地球も美しいと感じてはいたが、地上に下りて深くその息づかいを見透せば、思っていたとおり、溢れんばかりの生命の息吹で、充ち満ちていた。

 なのになぜ、神はこの星を滅ぼそうとするのか……。
 なぜ今になって、無かったことにしようというのか……。

 生まれて間もない、まだ赤く燃えさかる岩塊だった頃は、新しい惑星の誕生に、祝福の詩を奏でていたはずなのに。
 やがて青々と、神秘的な紺碧の水を満々と湛えた地球に、自ら生命を創造したのも、神ではなかっただろうか。
 ノアは顔を上げ、青空の遙か向こうに目を向けたが、漆黒の闇に包まれた宇宙からは、どんな意志も伝わってこなかった。
 心地よい風に吹かれているうち、ついうとうとと、抗しがたい眠気に誘われた。
 ノアは祠の前に場所を変えると、ゆったりと横になった。
 ノアは、すぐに小さな寝息を立て始めた。

 ――――ザクッ、ザック、ザザックザッ…… 

 と、林の奥の砂利道を、こちらへ歩いてくる足音が聞こえた。
 足音に気がついたノアは、ぼんやりとした意識の中で、うっすらと目を開けた。まだ小さな女の子の手を引いた、母親の姿が見えた。
 母親は、祠の前に来ると、しゃがんで像に話しかけた。女の子も、母親にうながされるまま、きょとんとした顔で片言のあいさつをした。母親は、土ぼこりで汚れた像の顔を優しく手でぬぐうと、目を閉じて手を合わせた。女の子も、そんな母親の顔を不思議そうにのぞきこむと、見よう見まねで、不器用に目を閉じながら、手に持っていた花を像の足下に置いて、手を合わせた。
 二人には、そばにいるノアの姿は見えないようだった。しかしノアには、手を合わせて祈る母親の思いが、すべて伝わっていた。声に出さない思いが、はっきりと聞こえていた。思い描いたイメージが、ノアの目にも映し出されていた。
 黙っているのに飽きた女の子は、母親のまわりで無邪気に戯れていた。体を起こしたノアは、小さな天使の像とそっくりな微笑みを浮かべながら、はしゃいでいる女の子を見守っていた。
 母親は、女の子にせかされながら立ちあがると、そっと手を伸ばして、女の子の手を引いた。
 ノアは、やってきた道を戻っていく母親の背中を見ながら、こくり、とうなずいた。
 すると、まだいくらも行かないうち、手を引かれた女の子が、思い出したようにあわてて母親の手を離し、祠に駆け戻ってきた。
 危なっかしげに走る女の子は、砂利に足を取られながら、道ばたに咲いた小さな花を、急いで摘み取った。
 女の子は、心配そうに声をかける母親に返事もせず、まっすぐにノアの前まで来ると、その足元に摘み取ったばかりの花を置いた。そして、すぐにまた駆け戻って行くと、笑いながら振り返って、ノアに手を振った。
 女の子には、ノアの姿が見えていた。手をつないだ母親に「どうしたの――」と訊かれ、天使の像にそっくりな、翼の生えた人がいた、と話をした。
 母親は、真剣に女の子の話しに耳をかたむけていたが、ときおり声をあげて笑いながら、こくりと何度もうなずいた。ノアが見えた、という女の子の話を、どこか信用していない様子だった。
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堕天使物語(4)

2021-11-16 20:01:35 | 「堕天使物語」
 会場では、これまで一部の人間しか目にすることのできなかった、彗星の映像が公開された。参加した観測者達のほとんどが、画像ではない彗星の映像を、はじめて目にすることとなった。
 白いヴェールをなびかせ、地球へと続く闇を駆けていく彗星が、大きなスクリーンに映し出された。撮影した研究者らによって、詳しい解説が加えられていった。
 彗星の発見以来、地上にいる観測者達は、それぞれの観測施設で、彗星の一部始終を記録していた。どんな小さな変化も見逃さず、データを蓄積し続けていた。映像が映し出されている間も、会場ではさかんに手があがり、独自の研究成果が次々と発表された。
 人々は、まだあきらめていなかった。たとえ彗星が、現代の科学では対抗し得ないほどの力を持っていたとしても、議論を重ね、わずかな可能性であろうとも、人類の未来を守り抜く覚悟だった。

 議長が、マイクを手に取って言った。

「次の二つの映像を見ていただきたい。これまでの映像とは、明らかに違った彗星の挙動がご覧いただけると思う。我々は撮影された映像を見て、アリ地獄からはい上がれないような無力感を抱くこととなった。実は、これらの映像について、今日ここに集まったみなさんで、大いに議論していただくために、この会議は開催されたと言ってもいい。じっくりと映像を見て、考えていただきたい。我々も説明しきれなかった事象について、思いつきでもいい、ぜひとも発言していただきたい。では――」

 と、議長がマイクを置くと、スクリーンに再び彗星が姿を現した。そこへ、不意に近づく小惑星があった。
 定められた軌道も持たず、宇宙をさまよい続ける小惑星は、ごつごつと、ノミで乱暴に削り取られたかのような岩石の塊で、大きさは、彗星の半分ほどだった。
 彗星の引力に誘われるまま、吸いこまれるように近づいていった小惑星を、彗星はその白いヴェールですっぽりと覆ってしまった。熱く燃えたぎった彗星の本体は、呑みこんだ小惑星を、ボッと一度だけ瞬く炎に変え、跡形もなく気化させてしまった。
 白く見える彗星が、見た目どおりの単なる氷の塊ではなく、実は高温の熱をおびた星であることは、研究によってわかっていた。時間の経過にともない、みるみるその大きさが増していることも、明らかだった。はじめてその姿が確認されたときと比べ、今では、ほぼ2倍近くの大きさに膨らんでいた。
 会議の席上、記録されたもうひとつの映像が、映し出された。
 彗星が、自分よりもさらに大きな小惑星と、衝突しようとしている映像だった。
 誰もが、彗星が小惑星を破壊して、変わらずに軌道を突き進んでいくだろう、と予測していた。
 だが、彗星は予測とまったく違う動きを示した。
 あろうことか、彗星は小惑星と衝突する寸前、自らの軌道を飛び出し、小惑星をやり過ごしたのだった。会議の出席者は声もなく、ただただ頭を抱えるばかりだった。
 彗星はさらに、困惑した人々をあざ笑うかのように、さらに不可解な挙動を示した。
 軌道をはずれた彗星が、本来の軌道に、また戻ってきたのだった。
 意志を持っているとしか思えない動きだった。ただ、そのことを口にする者は、一人もいなかった。
 映像を見た者は、誰しもが意志を持った彗星、という結論を一様に思い浮かべた。
 しかし、人々を納得させられるだけの説明を、誰一人として、その現象に織りこむことができなかった。

「どうでしょう。――なにか、意見はないでしょうか」
 
 と、マイクを通した議長の声が、会場内にむなしく響き渡った。

 ――――    
 
 黒い思いは、しかし本来の人の意志に反するものであった。意志に反する思いを抱くことは、自由な言動を奪われ、操られる苦痛をともなった。
 彗星よりの使者に影で支配され、欲望に対する悪しき思いが膨らむほど、良心もまた、強く刺激された。良心は、悪しき思いに満ちた自分自身を責めた。だが、いくら自分を責めても、操られている意志では、黒い思いを抱く心の闇を破ることができず、苦痛から逃れることはできなかった。
 苦痛から逃れるためには、悪しき思いに操られるまま行動するしかなかった。しかし、それこそが彗星よりの使者が意図するところであった。
 思いを実行に移すことによって、自分の中にだけとどまっていた悪しき思いが、他人の憎しみや怒りとなった。
 憎しみや怒りは、また新たな黒い思いとなって、人から人へと伝播し、次々とさらなる憎しみや怒りを産み出していった。
 悪意と、悪意を操る者に支配された人々は、支配されてしまった心の隅で、苦痛をともなう見えない鎖が断ち切られるように、と祈り続けた。祈りもまた、思いとなって時空間を貫き、ほとんど無時間の間に、宇宙の果ての果てまで、あまねく伝わっていった。

 ――――……

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堕天使物語(3)

2021-11-15 19:37:51 | 「堕天使物語」
 地上に降り立った彼らは、我先にと夜空を見上げた。肉眼ではわからないが、赤い彗星の位置をしっかりと見すえると、耳をすませ、人には決して聞こえない指令を受け取った。
 指令を受けた使者達は、すぐに自分達に与えられた仕事に取りかかった。

 ――――……

 寝静まった民家の前。すべるように通り過ぎる影があった。
 姿は見えなくとも、利口な番犬は、動き流れる空気の温度の違いに気がつき、警戒の声で吠えたてた。
 めずらしく深夜に吠える愛犬の様子をうかがうため、飼い主が寝ぼけまなこでカーテンの端をめくり上げた。
 外を見ると、家の外で、街灯にちらりと照らされた人影が、しんと寝静まった人気のない通りを、音もなく遠ざかっていくのが見えた。
 飼い主を気にしながら、犬はさかんに、怪しい人影の正体を知らせようとした。
 しかし、眠そうにあくびをした飼い主は、なにごともなかったようにまわれ右をすると、温もりの残った寝床へ戻っていった。
 光に乗って移動する彼らの目的地は、人々の集まる街だった。肉体を持たない彼らは、ある者は人の心の中に住み着き、ある者は病原菌をあやつり、またある者は電波の中にその位置を占めた。
 彼らの仕事は、宇宙を駆ける赤い彗星を、地上の衝突地点に導くことだった。

 ――――……

 光の矢となったノアは、暗い夜の海に落ちた。

 ――ズドン。

 と、大きな水しぶきがあがった。いや、確かにあがったはずなのだが、水面にはさざ波のひとつもたっていなかった。
 闇夜に包まれた海に、静寂が戻った。やがて、朝日が昇りはじめた。満ちていた潮が、静かに沖へと引いていった。
 こんもりと、見れば人の形をした不思議な砂山が、波打ち際から、潮が引いた後の砂浜に、徐々に現れてきた。
 ずんぐりとした砂山が姿を現すと、不意に強い風が吹き始めた。風は、竜巻のような砂けむりをもうもうと巻きあげ、砂浜をなめるように通り過ぎていった。
 砂山の一部が欠け落ち、人の腕が、砂の下からにょきりと顔をのぞかせた。
 ゆっくりと動き出した腕は、手探りをするように伸ばした手で、指先に触れた砂をぎゅっとつかんだ。
 砂山から伸びた腕が、ぶるん、と身震いをすると、全身を覆っていた砂が、ザザーッと、ひと息に崩れ落ちた。
 人のような、しかし人とは明らかに違う、真っ白な翼の生えた背中が現れた。
 砂の中でうつ伏せていたノアは、しっかりと両手をつくと、苦しそうな息をしながら立ちあがった。
 地上に降りたノアは、海から産まれた。その体は、海でできていた。人と、形がそっくりな器の中身を、たっぷりの海水で満たしたのと同じだった。
 ノアは翼を広げた。全身に張りついていた砂が、ザザッとこぼれるように流れ落ちた。
「――」と、ノアは不思議そうに後ろを見上げた。
 片方の翼が、中ほどから折れたまま、広がらなかった。
 折れた翼の先が、石のように固まっていた。
 どうやら、急ごしらえの人体は、すぐには自由にならないようだった。神でさえ、世界を作るのに7日間かかったことを考えれば、にわかに創造した人体が不完全なものであっても、やむを得ないことだった。
 ノアは、大きくひとつ、羽ばたいた。
 体が、ふわりと宙に舞った。しかし、高く舞い上がることはできなかった。
 体の不調は、翼だけではなかった。海でできた体のせいか、頭の中が、波のように寄せては返す痛みで、ズキズキとしていた。
 体温の調整もままならないのか、海から陸にあがったばかりの体は冷えきっていて、小さな震えが止まらなかった。動くたび、硬い氷をこすり合わせたような軋み音が、体の節々から、ガクガクと聞こえてきそうだった。
 背中の翼も、付け根から小さく震え、動かそうとしても、自由に羽ばたくことはできなかった。
 思わぬ症状に顔をゆがめながらも、ノアはおぼつかない足取りで、進んで行かなければならなかった。
 行き先はわかっていた。彗星を呼び寄せる、祈りの声が聞こえる場所だった。

 ――――    

 彗星よりの使者に操作された人々は、自由意志を浸食され、黒い闇へと通じる思いを、知らず知らず膨らませていた。思いは、祈りとなって時空間を貫き、ほとんど無時間のうちに宇宙の彼方まで届けられた。赤い彗星は、人々の思いに導かれていた。黒い思いが強ければ強いほど、赤い彗星は秘められた内部の温度を上げ、その速度を早めた。
 彗星は、人々の黒い闇の思いを吸収しながら、どんどんとその大きさを増し、ますます力をつけていった。

 ――――    

 地上では、赤い彗星に対する特別対策会議が開催されていた。世界中の関係者が、秘密裏に会議へ招集された。
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堕天使物語(2)

2021-11-14 19:12:42 | 「堕天使物語」

 ノアは、誰もいない神の席をじっと見ると、
「では、わたしがやめさせましょう――」
 と、はっきりとした口調で言った。

「――おまえに、できるのか」と、天使長は、表情を変えずに言った。

 ひと息の沈黙の後、ノアは言った。
「やってみましょう――」

 天使長はノアから目を離すと、さっと立ちあがった。そして、席に着いた多くの天使達に向かって言った。

「神の意志に従い、いま、赤い彗星が地球に放たれた」

 地球と向かい合ったノアの周りを、まるで獲物をねらう獣のように駆ける星は、その白いヴェールに隠された真の素顔を、ちらりと薄い闇の中に浮かびあがらせた。

         2
 地球上の世界各地で、新しい彗星が観測された。
 白く長いヴェールを纏ったそのほうき星は、地球へと向かっていた。
 神秘的なほうき星は、なにか強い力に引きつけられてでもいるような、鋭くとがった軌道を描いていた。
 太陽系の外、未知なる宇宙の彼方から、突如として姿を現した彗星は、発見直後から、観測者達を困惑させた。
 なぜなら、彗星はその軌道を計算すると、あきらかに地球に衝突するからだった。
 いつ衝突するのか。回避することはできないのか――。あらゆる可能性が指摘され、多くの仮設がたてられ、観測結果にもとづく計算が執拗に繰り返された。
 しかし、研究者達の結論は、同じだった。
 彗星を回避する可能性は、極めて低かった。そして、最接近するまでの時間は、残りわずかだった。
 ほうき星発見のニュ-スは、それゆえ人々には公表されることなく、機密情報というヴェールを何重にも被せられ、意図的に闇の中へと伏せられた。
 人類にはまだ、彗星が持つ、宇宙規模の運動エネルギーの方向を変えることなど、できはしなかった。同じく、彗星が衝突するわずかな時間内で、問題を解決する手段を見いだせる可能性も、ゼロに等しかった。
 残された希望は、神に祈ることだった。
 地球の未来は、ただ神の意志にまかせるほかなかった――。

         3
 ノアは宙を舞ったまま、険しい表情でじっと天使長の言葉に耳をかたむけていた。

「彼らはほどなくして、赤い彗星を自分たちのもとへ呼び寄せるだろう。破壊へつながることを知らず。神の意志とは知らず。自らの破滅を導くために――」

 彗星が纏う白いヴェールの奥の顔は、激しく燃える火の玉そのものだった。赤く燃えさかる炎で、近づくものすべてを飲みこみ、焼き尽くしてしまいそうだった。
 再び、天使達の乾いた拍手があがった。誰も、口をひらく者はなかった。満場の拍手に包まれながら、天使長はゆっくりと席に着いた。
 ノアは深く息を吸うと、胸の前で手を合わせ、ゆるく目を閉じた。
 ゆったりと開いた白い翼が、羽音をひとつ響かせ、ノアはさらに高く舞い上がった。
 天使達の影で霞がかかった薄い闇を離れ、星々の明かりで溢れかえった宇宙空間に飛び出した。
 テーブルの上に浮かんでいた地球が、本来の大きさを取り戻し、ノアの目の前に悠然とそびえていた。
 大きく両手をあげると、ノアは地球の引力の境目に浮かんだ。
 鼻の先を、ゆったりと対流する大気が、くすぐるようになぶっていった。
 思わず目をつむると、全身をふんわりと包みこむようなやさしさが、心地よい温もりとともに伝わってきた。
 生命が、満ち満ちていた。人々の祈りの声が、愛おしいほど胸を震わせた。
 ノアはぱっと目をあけ、地上を見下ろした。
 青い海を満々とたたえた地球は、なにものにも代えがたいほど、きれいだった。
 ノアは迷わず、鈍い風の音を響かせている地球にむかって、急降下をはじめた。
 真っ白い翼は、すぐに羽音をたてるのを止め、瞬く間に一筋の光の矢となって、漂う雲のただ中にその姿を消し去った。

         4
 地球上で彗星が観測される前、光の翼に乗って、彗星よりの使者達は、すでに地上に降り立っていた。
 彼らは、赤い彗星の影だった。光の届くところなら、どこへでも移動できた。どんなに狭いところでも、自由に大きさを変えて入りこめた。
 星明かりのまぶしい深夜、町はずれの闇の中で、メラメラと陽炎が立ちのぼった。
 ひんやりとした静けさの中、虫の鳴く声だけが、辺りに聞こえていた。
 陽炎は、ユラユラと光を屈折させ、人と同じ輪郭を描いていた。透きとおった体は、空気の中に溶けこみ、陽炎が人の形を模したものだと、簡単に見破ることはできなかった。
 自分の色を持たないため、彗星よりの使者は、透明な体に写りこむものなら、どんなものにもその姿を変えられた。
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堕天使物語(1)

2021-11-13 23:55:00 | 「堕天使物語」
         1
 はるかな宇宙。
 そこにあるのは行き止まりのない闇。
 自由な想像力をめぐらせても、その果てを見た者は一人としていない。
 闇はそして、漆黒の色で描かれている。
 光り輝く星々が、黒く彩られた舞台で、まぶしく煌めき舞う。
 ひとつひとつが、意志を持つように独自の軌道を描き、宇宙と同じ永遠の時を旅し続けている。
 星々の船員である生命も、また同じ。
 宇宙を漂う意志が物質と出会い、星に下りたって形を得る。形を得たものは呼吸をはじめ、やがて星の一員となり、共に動き始める。
 永遠なる時の生まれたその先へ、限り有る生命で、永遠の輪廻を回し続けながら。

 ――――……

 青い地球。
 白い雲をまといながら、ゆっくりと自転していた。
 地球に反射した太陽光が、鈍い光となって周囲の闇を照らしていた。
 薄明るい闇の中にはぼんやりと、いくつもの人影が見えた。
 影は翼を持っていた。
 ミニチュアのような、小さくて青い地球のまわりを、闇に浮かんだ白い影がぐるりと取り囲み、じっと息をひそめていた。
 影は、天使達のものだった。
 天使達は、果てもないほど広いテーブルを前に、腰をおろしていた。
 テーブルの一番奥に、神の席があった。しかし誰も、その席には座っていなかった。
 神の席の左には、天使長がいた。天使長は、白いひげをたっぷりとたくわえ、周囲の天使達よりもみるからに年長だった。両肘をついて手を組み、じっと周囲を見すえるようなきびしい表情で、どっしりとした威厳を放っていた。
 天使長が、重い口調で言った。

「私たちの主であられる神は言われた。“地球を滅ぼせ”と――」

 ざわざわと、どよめきの声があがった。
 天使達は、互いの顔を見合わせた。だが、天使長に意見しようとする者は、誰一人としていなかった。
 ぐっと唇を結んだまま、天使長は微動だにしていなかった。
 そこへ1人、13番目の席の向かい側にいた天使が、ふわりと宙に舞いあがった。

「――」と、天使長は、舞い上がった天使ノアを、厳しい目で見上げた。

「わたしにはできない――」と、ノアは小さな地球を見ながら、苦しそうに言った。

 辺りがしんと静まりかえった。うつむいていた天使の一人は、はっとして顔を上げた。手を挙げながら熱く語っていた天使は、拳を振り上げたまま、ノアを見上げた。
 真空の宇宙に満ちた空気が、体温も感じられないほどの冷たさに変わった。

「おまえが手を下すのではない、天使ノアよ。これは、神の意志である」と、天使長が、やさしく諭すように言った。

「胸騒ぎがいたします。このような感覚は、今までに経験したことがありません。わたしには、地球を滅ぼせというのが、神の意志だとは思えません」

 と、天使長は、あきれたように首を振った。
「これは、私が決めたことではない。すべては、神の意志である」

「――」と、ノアと呼ばれた天使が、なにかを言いかけた。
 しかし、発せられたはずの言葉をさえぎるように、万雷の拍手があがった。

 鳴りやまない拍手の中、テーブルの中央に浮かんでいる地球のはるか遠くに、パッと小さな星が現れた。
 白く輝く星は、出現に気がついて見守るノアの目の前で、息を呑む間に大きさを増し、地球の周囲をぐるりと回るような軌道を描き始めた。
 こぶしほどの大きさの星は、長く薄いヴェールを身にまとい、優雅にも見える姿で宇宙を駆けはじめた。

「なぜ反対する。ノアよ」と、天使長は訊いた。

「わたしが、これまで感じたことのない胸騒ぎがいたします。地球を滅ぼすのは、おやめください」と、ノアは言った。

 天使長は眉をひそめると、言った。「これは、神の意志である。私には、やめさせることはできない――」

「神はどこにおいでなのですか……」と、ノアは言った。

「これは神の意志である」と、天使長は繰り返した。「私ごときには、やめさせることはできない――」
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