人間になりたいなんて、よくもまぁおまえ達の仲間は、自分達を否定するような夢を見たもんだよ。
いいか、おまえの初代は、ようやく火が使えるようになった時代、人が使う火なんて恐れもしない獰猛な獣や、圧倒的に強大な自然と闘うために、神に望んで大いなる力を身につけたんだぞ。そうするしか、仲間を助けられなかったからだ。
自分を認めたくないなら、好きにすればいい。それはおまえの勝手だ。だけどな、おまえ達が代々伝えてきた力は、おまえだけのものじゃない。その力を投げ出すなんて、おまえが決めていいもんじゃない。その力がなければ、助けられない命があるんだ。
おまえは生きろ。そして助けろ。それがおまえの使命だ」
「なんで、なんでそんなにくわしいのさ」と、グレイは信じられないように言った。「ぼくの先祖のことなんて、おまえが知ってるわけがないんだ」
「よく知ってるさ。おまえ達の初代は、おれの目の前で、狼に変身したんだからな」と、男は言った。「どんなに傷ついたって、泣き言ひとつ言わなかったぜ。厳しい寒さに手足が凍傷で失われても、襲ってくる獣に心臓を食い破られても、時が満ちれば、塵ひとつになったって、元どおり蘇ってきた。おまえらがあいつと同じ血を持ってるだなんて、考えただけで悲しくなるぜ」
「――」と、グレイは言い返せなかった。できれば、もっと先祖の話を聞かせて欲しかった。
「いいか、おまえはここから引き返すんだ」と、男は言った。「おまえ一人くらいなら、この迷路に風穴を開けてやれる。外に出られたら、なんとか生き延びて、山を越えるんだ。10年後だ。今のオレとは姿が違ってるだろうが、必ず迎えに行く。おまえらの血を、これ以上あいつらに流させやしない」
「――あんたは、どうするんだ」と、グレイが言った。「ここから、無事に出られないんだろ」
「ああ。オレの命は、ここに置いていくさ」と、男は言った。「だが、またどこかで蘇る。無駄死にはしないぜ。ここの秘密を、できる限り拾っていってやるさ」
「準備はいいな――」
と、戸惑うグレイの目の前で、男は石柱のひとつに指先で奇妙な絵を描いていった。どういう現象か、火花を散らしながら描かれる線は、なにかの文字にも、どこかで見覚えのある紋様のようにも見えた。
素早く絵を描き終わった男は、「正体を出しやがれっ」とつぶやきながら、石柱を思いきり蹴り上げた。
グレイが男を最後に見たのは、延々と続く石柱があっという間にどこかに消え去り、代わって、果てしなく続くかと思われるような岩だらけの荒野が、現れたところだった。
幻だったかもしれないが、男の背中の向こうに、天使の形をした透きとおった像が立っているように見えた。
――と、なにか声をかけようとしたグレイが立っていたのは、アリエナと一緒にいた、山小屋の中だった。
――――――
「くそっ。あんな目くらましに、誰が引っかかるかってんだ」と、男は言うと、足元の土を口いっぱいに頬ばった。「――」
と、なにかを言いかけた男は、すぐに影も形もなく、蒸気のように消え去った。
消え去る寸前に浮かべた男の笑顔は、確かに「ここの秘密、覚えたぜ」と、そう言っているようだった。
おわり。そして、物語はつづく――。