映画で楽しむ世界史

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ボヘミアンを描く「ラ・ボエーム」

2007-09-17 23:30:18 | 舞台はフランス・ベネルックス

9月17日、三大テノールの一人ハバロティ追悼の意味で、NHKBSが彼の「ラ・ボエーム」を放映してくれた。

 このオペラは19世紀フランスのアンリ・ミュルジェールの短編小説集「ボヘミアン生活の情景」(1849年)を原作として台本化されたそうだが、オペラの初演は1896年トリノ。 そこで気になるのは原作本とオペラ化された時期の差。原作の時期、確かにパリには多くのボヘミアンがいただろうが、彼らの学業や職業が「詩、絵、哲学、音楽」といったのように「高尚な」ものだったかどうか。

 1789年、フランス革命が始まりアンシャン・レジームは徹底的に弾圧され、王政から共和制、そしてナポレオン戦争と揺れ動く。戦争が終わってもウイーン会議、王政復古とパリは落ち着かない。ボヘミアンたちも革命の行方に一喜一憂。ナポレオンを英雄視しつつも、彼らの故郷ボヘミアを支配するハプスブルグ家との戦いが始まり、戦火が東に拡大するにつれ故郷のことも心配だ。彼らの生活、肉体労働も辛く厳しいもので、絵とか音楽などといっておられたかどうか。

 しかしその50-60年後第三共和制下のフランスは、オスマン男爵のパリ改造、1870年のパリ万博を経て普仏戦争敗戦の傷を癒し、世紀末の繁栄、爛熟を謳歌している。カルチェ・ラタンを中心にモンマルトルやモンパルナス周辺に芸術家と呼ばれる人種が集まり、今までにない絵や音楽や文学が「流行」する。オペラ「ラ・ボエーム」の舞台はこの世紀末のパリであるに違いない。

 

 もともとボヘミアンという語は「ボヘミア人」という意味。そのボヘミア人の特性を捉えてかどうか「定住性に乏しく異なった伝統や習慣を持ち、周てからの卑下をものともしない人々」という意味でも使われる。何故だろうか。

確かに17-8世紀からボヘミア地方 (現在のチェコ) からは多くの人たちがフランスに流入しており、彼等はジプシー (ロマ) 生活者が多かった。

しかし19世紀末にはそれが改めて流行語的に遣い始められ、定職を持たない芸術家や作家、または世間に背を向け、伝統や習慣にこだわらない自由奔放な生活をしている者をさすようになった。

良い意味では「簡素な暮らしで、高尚な哲学を生活の主体とし頑固で不可解」、悪い意味では「貧困な暮らしで、アルコールやドラッグを生活の主体とし身だしなみにだらしない」という含意がある。彼等は大都会の一角にコミュニティーを形成し、芸術や文化の発信地となる。

 

そこで改めて考えてみると、ボヘミア人のボヘミア的な部分が何処から来るのだろうか。彼等はヨーロッパ人の中では最も辛い歴史をもっている・・・ちょっと整理するだけで以下の変遷がある。

① ボヘミアは東欧スラブ人の中で最も早くローマキリスト教に改宗し(921年)、王国化する(1085年)。

② 14世紀にはルクセンブルグ家出身のカレル王が神聖ローマ皇帝カレル4世に登りつめ、有名な「金印勅書」を発する(1356年)。

③ しかしその後宗教改革の先駆けとして、プラハ大学教授のフスがローマ教会を批判し処刑される(1415-1436 フス戦争)

④ ルター以降の宗教改革時代ハプスブルグの支配下に入るが、旧教守護の同家からは30年戦争の間(1618-1648)徹底的な弾圧をうける。

 ⑤ その後ハプスブルグの融和政策で一息つくが、ナポレオンが出て守旧派ハプスブルグは敗戦続き・・・しかしウイーン会議で復活する。

 

チェコへ旅行した時、チェコ人ガイドが話してくれたことが印象的だ。

彼曰く「チェコの国勢調査では、各人の宗教を記入する欄があるが、それによると、チェコ人の70%は自分は無宗教だと答えている」と。

さもありなん。歴史的に彼らを見れば、カソリック立国を誇りにしたのに・・・次にはフスを誇りにしたのに・・・ハプスブルグに庇護してもらおうと思ったのに・・・ナポレオンに解放してもらおうと思ったのに・・・総ての期待を裏切られいったい何を信じていいのやら。「無宗教」と応えたくなる気も分かるような気がする。

 

 


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