クラシック好きです

交通事故でC3.C4の四肢麻痺になって
障害者施設から在宅生活に戻れた日々の出来事

病院生活一年を振り返って

2011-02-27 11:38:08 | 日記
交通事故で運ばれて・・・
気がつけばハローベストに
首には鉄板埋め込まれ
喉には人工呼吸器が

延命処置はしない約束してあったはず?

脊髄損傷がどんなものか判別出来ないくらい薬で朦朧とされながら
2ヶ月前後の集中治療室でジョクソウだらけで左半身が歪んだ
体重も20キロ以上減り
ボロボロの四肢麻痺障害者になりました。


そんな身体状態から
車イスに座れるまでに3ヶ月ほどかかりますが
その間の私は壊れたぬいぐるみのように扱われていました。

左右に対向を繰り返してる間に身体がS字状態・・まるでボロ雑巾に見えました

せめて看護士の皆さんに
もう少し人間として扱って欲しいと思いました
そんな気遣いが少ないので障害者の身体が歪んでらっしゃる方が多いのでは?
思えるほどですね。


車イス乗れるようになってからも
障害者の身だしなみなんて全く気にしない看護士の多いこと

ベッドでギャッチで座るときも
真っ直ぐにしてからベッド起こせば
身体は真っ直ぐ起きあがり
肘の下にクッション置くだけでバランスとれるのに

最初の時点でかたがっているので
ベッド起こすと身体は倒れるので脇の間にクッション突っ込み
つっかえ棒のごとく起きてるか
壊れた操り人形に見えるような状況でしたね

その点作業療法士さんや理学療法士さんは
しっかり見ていただけましたが。



身体じたい
骨と皮でボロ雑巾に見えた頃は
自分の姿を見るのが悔しかったのを思い出します。


看護士自体は
3馬鹿がいなければもっと普通の印象だったかもしれません
多少能力の低い方はいらっしゃいましたが
絡んでこなければ何の被害もない

たとえ
深夜の対向を一回抜かされ・寝付かれなくとも
復習しようとまでは思わなかったことでしょう。


とにかく
看護士は偉いんだと勘違いしてるような馬鹿は
いなくなってほしいですね

病院から施設に移って
一番の驚きが

施設の看護士には
自分が偉いと勘違いして
命令したがる馬鹿が多いことでした

それも
判断や会話が小学低学年レベルだということです。


最後に
H○MAちゃんと呼ばれてた看護士が
何の脈絡もなく病室に入ってきていきなり発言します。

Hちゃん「わたしたち看護士はメイドではありません!」

y「は~?」

H「あ・・・いや・」

(ざけんじゃ~ね~!メイドにてめえのようなカッぺはいね~んじゃい!)


つか
そんな会話をナースステーションでしてたことがバレバレだし
中心人物も想像つくし!



脊髄損傷一年目のできごとでした。


yozame
コメント (2)
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N総合病院からA 施設に

2011-02-27 08:26:33 | 日記
脊髄損傷で首から下が動かない四肢麻痺の私は
人工呼吸器が外せていなかった頃は次の行き先は病院を想定していたようですが

呼吸器もはずし
カニュウレ?(首に突っ込んでた器具)も徐々に小さくしてから
一気に取り外してくれ

その後ようやく弱々しいですが普通に会話ができるようになりました。

カニュウレの穴にビニールテープ張り付けても喋ることが出来たりしましたね



そのように元気になりつつあるわたしは
病院ではなく障害者施設への転居も想定できるようになりました。

ただ
想像しても何も浮かびません

個室であることだけ条件としてのべ
後はお任せ・・・というか
選択できるほど施設もなく
地元で有名なA施設の空き待ちということで決定しました。


ここで相談員から情報をいただきます

「このA施設は食事が不味くて利用者と施設が喧嘩になったりしてます」

y「へ~・・問題ないでしょう・・」


のちのち
そんなにあまいものではないということに気がつくのですが
気づくのが遅かったようです。



病院にいても
3バカトリオの顔は見飽きたし
ただ脊髄損傷になってから車での移動がはじめてでドキドキしたり
日々気持ちの準備をしてました。



引っ越し当日
車は自分で手配で
救急車のお下がりのような車

車イスごと乗ったのか?
ストレッチゃーで移動したか?

40km位のドライブでしたが疲れた記憶があります


さて
四肢麻痺の人間が車に乗るってどんな気持ちか想像できるでしょうか?

段ボールの上にスイカを置いた状態を想像してください
それを車の助手席において運転する感じだと思います

ブレーキ強く踏んだら
スイカが転げ落ちるような気持ちです

右に曲がろうが左に曲がろうが
首だけ転がっていくような感覚ですね。



そんなドライブを経て
バカの巣窟ALSSに到着です

決して全ての職員を○○とは思いませんが
ほとんどの職員は妙な教育と慣習に浸ってしまって
善悪の区別さえつかない輩になってしまったものと思われます

まだまだ地獄の生活が続きます



yozame
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ある作業療法士の言葉

2011-02-26 17:37:09 | 日記
脊髄損傷で四肢麻痺状態でリハビリに出掛けたとき
担当のOさんが嬉しそうに

「今日は○○大学の先生が来てますから時間があったら見て頂きましょう」


声をかけられて指差す方を見てみると
小柄で髪の毛が薄めでサラサラのチョイ長髪という
いかにも女が好きそうなおじちゃんがいらっしゃいました。


う~~ん?


普段のリハビリ済ませたあとに
その偉いという先生のリハビリに


最初に演説がはじまります

先生「あなたはピアノ教室開催してたということだね」

y「はい」

先生「今じゃ身体動かないのだから、頭だけで何でも教えられるようにしなさい」

y「は~?」

先生「そうやって頭を鍛えればなんでもできる!」

y「??」


どうも
いきなりわたしはもう身体は治らないのだから
しっかり知識をつけて学習塾でも開け?

そんな意見でしょうか?



続けさま
頭を軽く振って髪の毛を気にしつつ

先生「わたしの若い頃にガンダムのようなロボットが医療用に作られはじめていたが未だにできてない、あんなのが出来てたらよかったのにね」

y「え?」
(どうも・・この先生30年ほど勉強してないんじゃない?)

先生「それができてたら・・・」

(ips細胞も幹細胞の話も出ずにいきなりガンダムかよ?)


って
そんなロボットでもないが
腕を見たことあるような?

脳の命令で動かせる腕や足?
視覚も少ないドットで表現されてるような状態ならできてるようなテレビ情報が
(情報は正しいか自信がありません)


この先生
あからさまに

「貴方は治りません」

ってことを高らかに宣言してるだけ?
わたしは何もできないがロボットでも仕上がってたらよかったね

そんな思考らしいのだが


もし
頭で命令できるロボットが仕上がってるとしましょう
ほとんど人間に近いとしましょう


そんな機械の身体で
セックスひとつできないならいりません!

右手一本でもよいから感覚のある手がほしいのです
愛する人を抱き寄せるためにも。




yozame
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県立N総合病院5西其の9

2011-02-26 12:21:24 | 日記
脊髄損傷の話題は時間が行ったり来たりしますが・・
3月の尿検査が決まる前の事件をもう一度詳しく話させてください。


健康優良児T看護士

T「自分で処理できんがなら膀胱魯でしょう!」

y「・・・・」

T「ここ出ていく前に膀胱魯にしなさい!」

y「これから・・身体なおるかもしれんでしょうが!」

T「治ったら元に戻せばよいでしょうが」

y「膀胱魯にしたら誰が治ってきたかはんだんするの?」

T「そんなことはしらないわ!」

(あんだぁ~?このがきやぁ~おみや~◆ん○▲っ□ン■で~・・・が~)

T「それにあんたのおしっこはきたないねん!そんなきたないの交換したない!」

(ごりゃ!○ソデ○おん○が~)



熱気を帯びてワイワイしてるときに


○そばば○N主任が学生看護婦二人つれてきて

N「はい!これが患者に膀胱魯を薦める方法ですよく勉強しなさい」

(どあふぉ!・・てめ~・・あんだと~!)


部屋に学生二人放置して出ていきます

それに
口論するときはだいたいわたしは寝かされたままで
相手はふんぞり返ってうわめ目線だというところから許せません
それにわたしはカニュウレ?が喉に入っているので相変わらず口パクなのです。


(がう~!・・・)


よってたかって
膀胱魯を進めたがるのはなぜなのでしょうか?

実際
今現在わたしはオムツです
ときおり出ている感じがわかったりします

あのとき膀胱魯にしてたら
ずっと膀胱魯のままでますます膀胱の能力は低下していったことでしょう

天使のKさんの協力なアドバイスに感謝ですね。


ただ病院生活で
呼吸器はずすための大胆な後押ししてくれた
Oさんと
Iさんには
感謝してます。


病院生活もこんなんで
そろそろ嫌気がさしてきてたので
施設に移動する話に耳を傾けるようになっていきますが

首しか動かないわたし不安だらけだったことは
昨日のことのように思い出されます。



○ご意見ご感想よろしくお願いします
yozame
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身体障害者の生き方3

2011-02-26 10:10:40 | 日記
わたしは交通事故で脊髄損傷で四肢麻痺になり重度障害者です。

わたしが現在使っている携帯は
シャープのLYNX SH-10Bです。

使いはじめて半年
その前もシャープの普通のやつです。

すべて
口で竹串を使って打ち込みしてます。



さて 裁判始めるときの弁護士はどうやって探したのか?
一人目の弁護士は自分が乗っていた車屋さんの担当に紹介してもらいました
やりとりは全てメールです。


一年ほどすると
全く能力のない弁護士ということに気づき
弁護士にわたしの主張が伝わらないまま陳述書の提出を求められそうだったので

一人目の弁護士を首にして
新しい弁護士をライダーSさんに

千代田区に事務所がある弁護士を紹介してもらいます
これまたHPを紹介してもらい全てメールでやり取りしました。

弁護を代わる条件に
自賠責後遺症障害等級1級であることでした。


調べるのに時間がかかり
ギリギリでしたが新しい弁護士に変われました。


今も裁判中ですが弁護士とのやり取りはすべてメールです。
最初の契約だけは兄に東京行ってもらい手付金10万と契約してもらいました。


アルファードの福祉車両もネットで見つけ
メールのやり取りで契約です

関東で購入したので引き取りはバイク仲間にお願いしました。



現在は
ほとんどのことをネットとメールでやり取りできると思います



宅地用の土地は同級生が不動産屋を紹介してくれて
やりとりはメールでした。

ただメールが不得意な人もいるらしく
電話かけてくる人もいますが
今のところ電話は無視しています。

本当はそろそろ声だす練習のためにも電話も上手に使えるようになる方が良いかも。





すべて一人なのかと言いますと

そうではありません

わたしにはKさんがついています
強い味方であり、細々したことを手伝ってくれています
本当に感謝してもしきれないほど大きな存在です。



そんな感じで
仲間に支えていただきながら生きていますが
できるだけ甘えることなく生きていきたいですね

感謝


ご意見ご感想おねがいします
yozame
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