クラシック好きです

交通事故でC3.C4の四肢麻痺になって
障害者施設から在宅生活に戻れた日々の出来事

N総合病院からA 施設に

2011-02-27 08:26:33 | 日記
脊髄損傷で首から下が動かない四肢麻痺の私は
人工呼吸器が外せていなかった頃は次の行き先は病院を想定していたようですが

呼吸器もはずし
カニュウレ?(首に突っ込んでた器具)も徐々に小さくしてから
一気に取り外してくれ

その後ようやく弱々しいですが普通に会話ができるようになりました。

カニュウレの穴にビニールテープ張り付けても喋ることが出来たりしましたね



そのように元気になりつつあるわたしは
病院ではなく障害者施設への転居も想定できるようになりました。

ただ
想像しても何も浮かびません

個室であることだけ条件としてのべ
後はお任せ・・・というか
選択できるほど施設もなく
地元で有名なA施設の空き待ちということで決定しました。


ここで相談員から情報をいただきます

「このA施設は食事が不味くて利用者と施設が喧嘩になったりしてます」

y「へ~・・問題ないでしょう・・」


のちのち
そんなにあまいものではないということに気がつくのですが
気づくのが遅かったようです。



病院にいても
3バカトリオの顔は見飽きたし
ただ脊髄損傷になってから車での移動がはじめてでドキドキしたり
日々気持ちの準備をしてました。



引っ越し当日
車は自分で手配で
救急車のお下がりのような車

車イスごと乗ったのか?
ストレッチゃーで移動したか?

40km位のドライブでしたが疲れた記憶があります


さて
四肢麻痺の人間が車に乗るってどんな気持ちか想像できるでしょうか?

段ボールの上にスイカを置いた状態を想像してください
それを車の助手席において運転する感じだと思います

ブレーキ強く踏んだら
スイカが転げ落ちるような気持ちです

右に曲がろうが左に曲がろうが
首だけ転がっていくような感覚ですね。



そんなドライブを経て
バカの巣窟ALSSに到着です

決して全ての職員を○○とは思いませんが
ほとんどの職員は妙な教育と慣習に浸ってしまって
善悪の区別さえつかない輩になってしまったものと思われます

まだまだ地獄の生活が続きます



yozame
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