クラシック好きです

交通事故でC3.C4の四肢麻痺になって
障害者施設から在宅生活に戻れた日々の出来事

ディビット・ギャレット ベートーヴェン春

2017-03-27 08:34:33 | クラシック音楽



[CD9]
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調Op.24「春」,
2) J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調BWV.1004,
3) モーツァルト:ヴァイオリンと管弦楽のためのアダージョ ホ長調K.261~
デイヴィッド・ギャレット(Vn)
アレクサンドル・マルコヴィチ(P) [録音:1993年]

ディビット・ギャレット

Wikipedia

【ドイツのアーヘンで生まれる[5]。父親は法律家兼弦楽器専門の骨董商兼バイオリン教師、母親はアメリカワシントンD.C.出身の元バレリーナ(のちに両親は離婚)[5][6][7][1]。兄と妹がいる(妹のエレーナも音楽家)[1]。先にバイオリンを習っていた兄のために父親が買ってきたヴァイオリンに興味を覚え、4歳の時にヴァイオリンを習い始めた。父親が熱心で厳しく、毎週末オランダへレッスンに通わされた[1]。翌年にコンクールに出場して優勝している。7歳になるまでに毎週1度、公開で演奏するようになった。7歳でリューベックの別の教師の元に毎週通ってヴァイオリンを学び、学業は自宅で家庭教師から受けた[1]。12歳になると、ポーランド出身の大ヴァイオリニスト、イダ・ヘンデルに師事するようになり、しばしばロンドンやその他のヨーロッパの都市に出かけてヘンデルの下に通った。13歳でドイツ・グラモフォンと契約し、2枚のCDを録音し、ドイツやオランダのテレビに出演した。また、ヴァイツゼッカー博士の招待により、ドイツ大統領官邸「ハンマーシュミット荘(Villa Hammerschmidt)」で演奏会を開いた。黄金時代の名器の一つに数えられる「ストラディヴァリウス・サン・ロレンツォ」を提供されて使うようになる。14歳の時にドイツ・グラモフォン社と専属契約を結んだ[注釈 1]。17歳の時に、インド独立50周年を記念する演奏会に出演し、デリーとムンバイでズービン・メータの指揮するミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団と共演している。

1日6~7時間父親が付き添う厳しい毎日だったが(親と離れたのはイスラエルの音楽キャンプ参加時だけ)、17歳のときに両親に内緒でジュリアード音楽学校の試験を受け合格し、ニューヨークへ移る[1]。勘当されたため、モデルのアルバイトで生活費を稼ぐ[1]。17歳まで自宅学習だったため初めての学校生活を経験し、友人もできたが、人には裏表があることも知る[1]。

2年後にはラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスの指揮の下にベルリン放送交響楽団と共演し、評論家から称賛を受けた。この結果、ハノーファー万博2000に招待されて出演している。その後はロンドン王立音楽大学に学び、21歳でBBCプロムスにも出演。2004年にはジュリアード音楽学校を卒業した。】

アレキサンドル・マルコビッチの情報は少ないのですが
ディビット・ギャレットの安定した演奏を包み込む様な演奏は間違いなく一流

モーツァルト:ヴァイオリンと管弦楽のためのアダージョ ホ長調K.261ではピアノ伴奏ですがなんとゴージャスな響きを聞かせてくれることやら、単純な伴奏ですが絶妙な響きを聞かせてくれます。

これまでの様に知ってる演奏家を追ってると新しい演奏家には出会えない
今回はヴァイオリン111に取り上げられており順番に聴いてるうち心を奪われる演奏に
出会えることが楽しいし
デジタル録音は多少ボリュームを上げて聴く方が生き生きしてくるし一切ノイズが聞こえてこないのになれると部屋中音楽に包まれます。

そうやってボリュームを上げ気味に聴くとミドリもヒラリー・ハーンも良さが見えてくる様です
それにしても1920年頃のフリッツ・クライスラーの録音も演奏も素晴らしいし
日々目の前に一流の演奏家が現れる我が家は幸せである。

柿島秀吉

オーギュスタン・デュメイ マリア・ジョアン・ピレシュ

2017-03-26 12:56:12 | クラシック音楽



[CD7]

1) フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調,
2) ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ ト短調,
3) ラヴェル:フォーレの名による子守歌,
4) ハバネラ形式の小品,

ツィガーヌ~オーギュスタン・デュメイ(Vn)
マリア・ジョアン・ピリス(P) [録音:1993年]

マリア・ジョアン・ピレシュの室内楽はどれも好きなのですが
ジャズで言うスリーサウンズの録音と同じ様にエフェクターが効き過ぎて
近くで聞いているのに教会の様な高い天井の部屋で聞いてるかの様な回り込んだ音が邪魔に感じるところがあるのがちょっと。

イージーリスニング?で聴くにはもってこい?
気持ちスッキリさせてくれるとさらに良いと思う

柿島秀吉

ピンカス・ズーカーマン ダニエル・バレンボイム ブラームス

2017-03-25 09:05:22 | クラシック音楽



[CD42]
ブラームス:
1) ヴァイオリン・ソナタ第1~3番,
2) F.A.E.ソナタ 第3楽章スケルツォ~

ピンカス・ズカーマン(Vn)
ダニエル・バレンボイム(P) [録音:1974年

『Media

ヴァイオリニスト、ピンカス・ズーカーマンの無類のセンスとテクニックに加え、ピアニスト、ダニエル・バレンボイムの音楽的構造を見事に際立たせた知的な演奏による、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ集。南国的な明るい雰囲気と作曲家特有のメランコリックな情緒が美しく融合した第1番、他を収録。 (C)RS』

ダニエル・バレンボイムは学生時代ベートーヴェンピアノソナタ全曲をどこかの城で録画したのを聴いて以来ファンと言うのかどうやったらあんなに楽そうに弾けるのだろうか?
クラウディオ・アラウと同等に私の好きな演奏家だったかもしれません。
このCDではピアノからいろんなメロディーが聞こえてくるし音色もそれなりに出ている
何より相変わらず肩の力の抜けた理想的ん奏法で演奏されています。

これからもう少しダニエル・バレンボイムのことを追っかけてみても良いかも
素敵なピアニストです

柿島秀吉

ヴォルフガング・シュナイダーハン ヴェートーヴェンヴァイオリンコンチェルト

2017-03-24 09:18:52 | クラシック音楽




[CD34]
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.61~
ヴォルフガング・シュナイダーハン(Vn)
オイゲン・ヨッフム(指揮)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団[録音:1962年],

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調K.219~
ヴォルフガング・シュナイダーハン(Vn&指揮)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団[録音:1967年]

ヴォルフガング・シュナイダーハン

Wikipediaでは

【略歴 編集

1915年、ウィーンで生まれ、最初はウィーン音楽院ヴァイオリン科の主任教授であったオタカール・シェフチークに、ついで Julius Winklerに学んだ。10歳の時に公開演奏会でバッハのシャコンヌを弾いた。翌年の1926年にコペンハーゲンでメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏してデビューした。

1933年から1937年までウィーン交響楽団のコンサートマスターを務めたが、1937年からは、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団にコンサートマスターとなる。ナチスによって、第1コンサートマスターであったアルノルト・ロゼがロンドンへ亡命せざるを得なくなったため、1938年に第1コンサートマスターに就任した。

1938年3月、ウィーン・フィルの首席奏者らと弦楽四重奏団を結成し(シュナイダーハン四重奏団)、1951年8月2日まで活動を続けた。

1949年にソリストとして独立するためにウィーン・フィルを退団。

また、ザルツブルク、ウィーン、ルツェルンでヴァイオリンの教職にもあった。1956年、ルドルフ・バウムガルトナーとともにルツェルン音楽祭弦楽合奏団を創設した。

室内楽の分野でも、前述のシュナイダーハン四重奏団での活動の他、カール・ゼーマンとデュオを組んだりした。当時から「クーレンカンプの後継者といえたのはウィーン出身のヴォルフガング・シュナイダーハンだけだろう」(ハンス・ハインリッヒ エッゲブレヒト)と言われており、エドウィン・フィッシャー、ゲオルク・クーレンカンプ、エンリコ・マイナルディとのトリオは、ゲオルク・クーレンカンプ没後にシュナイダーハンに交代した。

2002年、ウィーンで没。

兄はウィーン交響楽団のコンサートマスターを務めたヴァルター・シュナイダーハン。妻のソプラノ歌手、イルムガルト・ゼーフリート(en)とは1988年に死別。妻との間に3人の娘がおり、うち一人は女優のモナ・ゼーフリート(de)。甥にドイツ連邦軍総監を務めた同名のヴォルフガング・シュナイダーハンがいる。】

若い時はベートーヴェンのヴァイオリンコンチェルトの良さがいまいちわかりませんでしたが、今では大好きな曲のうちの一つになっています。
モーツァルトのトルコ風コンチェルトは事故後病院でリハビリしてる頃何度も聴いていて力を与えてくれたので大好きになった曲です。
ヴォルフガング・シュナイダーハンという人の演奏は初めてですが思わず聞き込んでしまう魔力がある様でこのCDはヴァイオリン111から順番に聴いてるところですがどれも標準以上でどれ聴いても良い演奏ですがシュナイダーハンは私の好きなヴァイオリニストの1人になるかも。

この一枚ずっと聴いていられるかも

柿島秀吉

脊椎損傷障害者『心のつぶやき05』

2017-03-14 08:39:47 | 脊髄損傷


脊椎損傷障害者『心のつぶやき05』

【施設の決まりだからあなたの言うことは受け付けられません】

障害者施設で利用者が日々の簡単な作業においてでも間抜けな介護士にお願いしてしまうと施設の決まりだからできませんと言い放つクソババ〜!

「バーベキューでもやっておいしい肉が食いたいね」

日頃の食事があまりにもひどいので控えめに呟いて見たのだが

「この施設では利用者だけのバーベキューは禁止してます」

即答です

たとえできなくとも
「おいしいもの好きなだけ食えるといいですね」
などと平和に返してくれる程度の会話はできないものでしょうか?

穴水の施設でバーベキューはやったことありませんが
家族会という企画で健常な家族が裏庭でバーベキューしてるのは見たことあります
家族会ならバーベキュー可能という決まりだったのでしょうか?

穴水の施設の食事が学校給食並なら文句も言いません
家のペットの餌としてもペットが嫌がるのではないかと思えるレベルですから
クソまずい食事に対してとしてはかなり控えめな要求だったと思う。

小松の施設ではバーベキューを一度だけ見かけましたが
豚肉をこれ見よがしに大切そうに焼いていたので焼き始めると同時に不参加で帰ってきました


穴水の不味い料理に呆れ果てなんども改善要求出すが
あんまりうるさく要求するなら施設出て言ってもらうぞと脅してくる施設長と
それほど美味いものが食いたけりゃ外行って食ってこいという施設長
利用者の要望が全く理解できてない間抜けな施設長が答えるのみでした。

こんな間抜けな施設長が決める施設の決まりなんて
何処かの間抜けな校則と同じレベルであり
そんな間抜けな規則を一生懸命守ろうとする自分の意思が見えてこない
右へなれ間抜けな介護士集団に前進することを防がれてしまう障害者がたくさんいる。

出されてる米なんてみるからにマズそうなのがわかります
米がかけていたり茶碗いっぱいなのに種類の違う米が入っていたり
そんな米を見ると
古米の寄せ集めだというのが丸わかり
障害者をバカにするのも大概にせい!

「施設の決まりだから」


責任転換してしまう間抜けな介護士よりは
利用者のいうことは聞けないとしても

「それ!できると楽しそうですね!」

そう答えるだけで利用者には天使の声に聞こえることでしょう!

ネガティブ思考の間抜けな介護士はその思考だけで障害者の邪魔です
そんなゲスなネガティブ思考で考えたことを日々我慢を重ねてる障害者に
押し付けるんじゃね〜!

その頃間抜けな介護士と同じ屋根の下にいること自体嫌で
【よく見えない聞こえない感じない】
と死んだふりすることが自分にとっての最善の方法でした。

とにかく間抜けなクソババ〜に何を語りかけても聴く耳なんてありません
奴らの間抜けさは死んでも治らないでしょう!

柿島秀吉